35 / 86
新しい仕事と生活。
15
しおりを挟む
「……美味しい」
あんみつというのは不思議な味だった。
少しだけ白っぽい半透明のゼリーがトロリとした蜜の中に浮いている。それに赤い木の実のような小さな何かと甘く煮た餡に白いもちもちした団子に干し杏。
フランシスカのカフェにあるケーキやタルトとも違うなんというか柔らかい甘さ。
わたしはしばし先ほどまで悩んでいたことも忘れてうっとりと舌鼓を打つ。
「そうですか。よろしかったです」
丸いテーブルを挟んで座るカルダさんはコーヒーにミルクだけを入れて飲んでいる。
あんみつは食べないようだ。
「カルダさんは食べないんですか?」
わたしが聞くと、カルダさんは黒縁眼鏡を軽く持ち上げながらほんのわずか、眉をひそめたように見えた。本当にわずかな変化だから、もしかしたらわたしの気のせいかも知れないけれど。
「甘いものは苦手でして」
「そうなんですね」
それなのにスイーツのお店に連れて来てくれるなんて、さすがデキる執事というか。
--カルダさんて実はモテ男?
威圧感は半端ないし愛想もないし冷たそう。
だけど、その冷たそうというのも人によっては怜悧な美貌ということになるし、気はきくし、実は意外と紳士で苦手な甘味所にもさりげなく付き合ってくれる。
なんていうんだっけ、こういうの。
アンナの店の従業員の女の子たちに聞いたことがあるはずなのだろうけれど。
「あ、ギャップ萌えだ」
と、つい口から出してしまった。
「なんです?」
「いえっ、なんでもありませんっ!」
慌ててぶんぶんと頭を振る。
今度こそカルダさんの眉が明らかに寄った。
「……そうですか。次は旦那様にお連れ頂いたらよろしいでしょう」
「リルに?」
「はい。旦那様は甘いものも食されますので」
「へぇ……リルが」
そういえば昔、わたしがおやつを食べる時に一緒にプリンやケーキを美味しそうに食べていた。
子狼の姿なので口の周りじゅうクリームだらけにしていたっけ。
思い出すと笑ってしまう。
一生懸命食べる姿が可愛くて、こっそり炊事場に潜り込んではクリームをお皿いっぱいにしてリルの元に持っていったものだ。
後で食べ過ぎは身体に悪いとこってり怒られたけれど。
リルったら大人になっても甘いもの好きなのね。
あんなに男っぽくなっちゃったのに。
ふと、朝に見たリルの姿を思い出して赤面してしまいそうになる。
鍛えられた上半身を頭から追い出そうとわたしはスプーンを握ってあんみつを口の中に掻き込んだ。
「ところで」
カルダさんの声のトーンが変わった気がして、わたしは底の見えてきたあんみつの器から顔を上げる。
「行きたい場所があるのではないのですか?」
質問にドキリとする。
行きたい場所は、ある。
あるけれど。
「たとえば、職業紹介所だとか」
「……どうして」
いけない。
動揺を表に出してはいけないと思うのに、声が震えてしまう。
「推測ですが、リディア様は今の状態で給金を受け取ることをよしとしていないのでしょう?ですから今のままで旦那様が約束した給金を渡したとしても全額お受け取りにならないつもりではないですか?」
「--はい」
その通りだ。
きっとリルはわたしが拒否しても強引に渡そうとするだろう。それでもわたしは受け取らない。
最悪一度は受け取ってこっそり置いていく。
今のままなら受け取っても白金貨一枚というところ。それでもまだもらいすぎなくらい。
「リルにはちゃんと話をしようと思います。今のままで契約通りの金額はとても受け取れませんから。受け取れるだけの仕事をしてません。--意地を張っているのは自分でもわかってます。でもどうしても納得できないんです」
わたしはできるだけカルダさんをちゃんと見て言葉を紡いだ。
リルに同じようにするのは、まだ難しそうだなとか思う。リルと話すのはそれでなくても緊張してしまうから。『銀の雛亭』で話をしたあの日は、緊張なんてまったくなくて、思うままに話ができたのに。
「それで、あの、リルがいなくて仕事のない昼の時間に、何か別の仕事を捜そうと思うんです。またすぐにクビになるのかも知れないけど、その、邸でのんびりしているのは落ち着かないし。少しでもお金も稼ぎたいので」
また俯きたくなってしまうのを、ぎゅっと膝の上で拳を固く握ってこらえた。
人に何かを主張するのは苦手だ。
そもそも他人、特に男の人と二人で話をするということ自体に緊張するのに、わたしは自分の言っていることがただの身勝手な我が儘であると自覚もしている。
仕事を掛け持ちする。
その行為自体は珍しいことでもない。
けれどそれは本来雇い主との同意があったからこその話で。
「リルに反対されるのは、わかってます。どうせムリだろうと思われているのも、たぶん心配をかけることも。だからリルと話をする前に自分で仕事を見つけて、卑怯ですけど仕事が見つかったからやりたい、と話をするつもりです」
わかっているのならやめておけばいい。
もしこの話を他にしたとして、大半の人はそう言うだろう。
せっかく楽な仕事でお給金がもらえるのだから、後はのんびりお客様気分で楽しめばいい。向こうもそれを望んでいるのだから。
そう言う人もいるだろう。
それができないわたしは我が儘で融通が利かなくて頑固で、やっぱり世間知らずなのだろう。
あんみつというのは不思議な味だった。
少しだけ白っぽい半透明のゼリーがトロリとした蜜の中に浮いている。それに赤い木の実のような小さな何かと甘く煮た餡に白いもちもちした団子に干し杏。
フランシスカのカフェにあるケーキやタルトとも違うなんというか柔らかい甘さ。
わたしはしばし先ほどまで悩んでいたことも忘れてうっとりと舌鼓を打つ。
「そうですか。よろしかったです」
丸いテーブルを挟んで座るカルダさんはコーヒーにミルクだけを入れて飲んでいる。
あんみつは食べないようだ。
「カルダさんは食べないんですか?」
わたしが聞くと、カルダさんは黒縁眼鏡を軽く持ち上げながらほんのわずか、眉をひそめたように見えた。本当にわずかな変化だから、もしかしたらわたしの気のせいかも知れないけれど。
「甘いものは苦手でして」
「そうなんですね」
それなのにスイーツのお店に連れて来てくれるなんて、さすがデキる執事というか。
--カルダさんて実はモテ男?
威圧感は半端ないし愛想もないし冷たそう。
だけど、その冷たそうというのも人によっては怜悧な美貌ということになるし、気はきくし、実は意外と紳士で苦手な甘味所にもさりげなく付き合ってくれる。
なんていうんだっけ、こういうの。
アンナの店の従業員の女の子たちに聞いたことがあるはずなのだろうけれど。
「あ、ギャップ萌えだ」
と、つい口から出してしまった。
「なんです?」
「いえっ、なんでもありませんっ!」
慌ててぶんぶんと頭を振る。
今度こそカルダさんの眉が明らかに寄った。
「……そうですか。次は旦那様にお連れ頂いたらよろしいでしょう」
「リルに?」
「はい。旦那様は甘いものも食されますので」
「へぇ……リルが」
そういえば昔、わたしがおやつを食べる時に一緒にプリンやケーキを美味しそうに食べていた。
子狼の姿なので口の周りじゅうクリームだらけにしていたっけ。
思い出すと笑ってしまう。
一生懸命食べる姿が可愛くて、こっそり炊事場に潜り込んではクリームをお皿いっぱいにしてリルの元に持っていったものだ。
後で食べ過ぎは身体に悪いとこってり怒られたけれど。
リルったら大人になっても甘いもの好きなのね。
あんなに男っぽくなっちゃったのに。
ふと、朝に見たリルの姿を思い出して赤面してしまいそうになる。
鍛えられた上半身を頭から追い出そうとわたしはスプーンを握ってあんみつを口の中に掻き込んだ。
「ところで」
カルダさんの声のトーンが変わった気がして、わたしは底の見えてきたあんみつの器から顔を上げる。
「行きたい場所があるのではないのですか?」
質問にドキリとする。
行きたい場所は、ある。
あるけれど。
「たとえば、職業紹介所だとか」
「……どうして」
いけない。
動揺を表に出してはいけないと思うのに、声が震えてしまう。
「推測ですが、リディア様は今の状態で給金を受け取ることをよしとしていないのでしょう?ですから今のままで旦那様が約束した給金を渡したとしても全額お受け取りにならないつもりではないですか?」
「--はい」
その通りだ。
きっとリルはわたしが拒否しても強引に渡そうとするだろう。それでもわたしは受け取らない。
最悪一度は受け取ってこっそり置いていく。
今のままなら受け取っても白金貨一枚というところ。それでもまだもらいすぎなくらい。
「リルにはちゃんと話をしようと思います。今のままで契約通りの金額はとても受け取れませんから。受け取れるだけの仕事をしてません。--意地を張っているのは自分でもわかってます。でもどうしても納得できないんです」
わたしはできるだけカルダさんをちゃんと見て言葉を紡いだ。
リルに同じようにするのは、まだ難しそうだなとか思う。リルと話すのはそれでなくても緊張してしまうから。『銀の雛亭』で話をしたあの日は、緊張なんてまったくなくて、思うままに話ができたのに。
「それで、あの、リルがいなくて仕事のない昼の時間に、何か別の仕事を捜そうと思うんです。またすぐにクビになるのかも知れないけど、その、邸でのんびりしているのは落ち着かないし。少しでもお金も稼ぎたいので」
また俯きたくなってしまうのを、ぎゅっと膝の上で拳を固く握ってこらえた。
人に何かを主張するのは苦手だ。
そもそも他人、特に男の人と二人で話をするということ自体に緊張するのに、わたしは自分の言っていることがただの身勝手な我が儘であると自覚もしている。
仕事を掛け持ちする。
その行為自体は珍しいことでもない。
けれどそれは本来雇い主との同意があったからこその話で。
「リルに反対されるのは、わかってます。どうせムリだろうと思われているのも、たぶん心配をかけることも。だからリルと話をする前に自分で仕事を見つけて、卑怯ですけど仕事が見つかったからやりたい、と話をするつもりです」
わかっているのならやめておけばいい。
もしこの話を他にしたとして、大半の人はそう言うだろう。
せっかく楽な仕事でお給金がもらえるのだから、後はのんびりお客様気分で楽しめばいい。向こうもそれを望んでいるのだから。
そう言う人もいるだろう。
それができないわたしは我が儘で融通が利かなくて頑固で、やっぱり世間知らずなのだろう。
0
お気に入りに追加
769
あなたにおすすめの小説
妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?
木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。
彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。
公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。
しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。
だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。
二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。
彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。
※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。
【書籍化予定】居場所を奪われ続けた私はどこに行けばいいのでしょうか?
gacchi
恋愛
桃色の髪と赤い目を持って生まれたリゼットは、なぜか母親から嫌われている。
みっともない色だと叱られないように、五歳からは黒いカツラと目の色を隠す眼鏡をして、なるべく会わないようにして過ごしていた。
黒髪黒目は闇属性だと誤解され、そのせいで妹たちにも見下されていたが、母親に怒鳴られるよりはましだと思っていた。
十歳になった頃、三姉妹しかいない伯爵家を継ぐのは長女のリゼットだと父親から言われ、王都で勉強することになる。
家族から必要だと認められたいリゼットは領地を継ぐための仕事を覚え、伯爵令息のダミアンと婚約もしたのだが…。
奪われ続けても負けないリゼットを認めてくれる人が現れた一方で、奪うことしかしてこなかった者にはそれ相当の未来が待っていた。
書籍化予定です。Web版は11/21までの公開です。
平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした
カレイ
恋愛
「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」
それが両親の口癖でした。
ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。
ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。
ですから私決めました!
王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
破滅回避の契約結婚だったはずなのに、お義兄様が笑顔で退路を塞いでくる!~意地悪お義兄様はときどき激甘~
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
☆おしらせ☆
8/25の週から更新頻度を変更し、週に2回程度の更新ペースになります。どうぞよろしくお願いいたします。
☆あらすじ☆
わたし、マリア・アラトルソワは、乙女ゲーム「ブルーメ」の中の悪役令嬢である。
十七歳の春。
前世の記憶を思い出し、その事実に気が付いたわたしは焦った。
乙女ゲームの悪役令嬢マリアは、すべての攻略対象のルートにおいて、ヒロインの恋路を邪魔する役割として登場する。
わたしの活躍(?)によって、ヒロインと攻略対象は愛を深め合うのだ。
そんな陰の立役者(?)であるわたしは、どの攻略対象ルートでも悲しいほどあっけなく断罪されて、国外追放されたり修道院送りにされたりする。一番ひどいのはこの国の第一王子ルートで、刺客を使ってヒロインを殺そうとしたわたしを、第一王子が正当防衛とばかりに斬り殺すというものだ。
ピンチだわ。人生どころか前世の人生も含めた中での最大のピンチ‼
このままではまずいと、わたしはあまり賢くない頭をフル回転させて考えた。
まだゲームははじまっていない。ゲームのはじまりは来年の春だ。つまり一年あるが…はっきり言おう、去年の一年間で、もうすでにいろいろやらかしていた。このままでは悪役令嬢まっしぐらだ。
うぐぐぐぐ……。
この状況を打破するためには、どうすればいいのか。
一生懸命考えたわたしは、そこでピコンと名案ならぬ迷案を思いついた。
悪役令嬢は、当て馬である。
ヒロインの恋のライバルだ。
では、物理的にヒロインのライバルになり得ない立場になっておけば、わたしは晴れて当て馬的な役割からは解放され、悪役令嬢にはならないのではあるまいか!
そしておバカなわたしは、ここで一つ、大きな間違いを犯す。
「おほほほほほほ~」と高笑いをしながらわたしが向かった先は、お兄様の部屋。
お兄様は、実はわたしの従兄で、本当の兄ではない。
そこに目を付けたわたしは、何も考えずにこう宣った。
「お兄様、わたしと(契約)結婚してくださいませ‼」
このときわたしは、失念していたのだ。
そう、お兄様が、この上なく厄介で意地悪で、それでいて粘着質な男だったと言うことを‼
そして、わたしを嫌っていたはずの攻略対象たちの様子も、なにやら変わってきてーー
※タイトル変更しました
虐げていた姉を身代わりに嫁がせようとしましたが、やっぱりわたしが結婚することになりました
りつ
恋愛
ミランダは不遇な立場に置かれた異母姉のジュスティーヌを助けるため、わざと我儘な王女――悪女を演じていた。
やがて自分の嫁ぎ先にジュスティーヌを身代わりとして差し出すことを思いつく。結婚相手の国王ディオンならば、きっと姉を幸せにしてくれると思ったから。
しかし姉は初恋の護衛騎士に純潔を捧げてしまい、ミランダが嫁ぐことになる。姉を虐めていた噂のある自分をディオンは嫌悪し、愛さないと思っていたが――
※他サイトにも掲載しています
魔力なしと虐げられた令嬢は孤高の騎士団総長に甘やかされる
橋本彩里(Ayari)
恋愛
五歳で魔力なしと判定され魔力があって当たり前の貴族社会では恥ずかしいことだと蔑まれ、使用人のように扱われ物置部屋で生活をしていた伯爵家長女ミザリア。
十六歳になり、魔力なしの役立たずは出て行けと屋敷から追い出された。
途中騎士に助けられ、成り行きで王都騎士団寮、しかも総長のいる黒狼寮での家政婦として雇われることになった。
それぞれ訳ありの二人、総長とミザリアは周囲の助けもあってじわじわ距離が近づいていく。
命を狙われたり互いの事情やそれにまつわる事件が重なり、気づけば総長に過保護なほど甘やかされ溺愛され……。
孤高で寡黙な総長のまっすぐな甘やかしに溺れないようにとミザリアは今日も家政婦業に励みます!
※R15については暴力や血の出る表現が少々含まれますので保険としてつけています。
【完結】今夜さよならをします
たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。
あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。
だったら婚約解消いたしましょう。
シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。
よくある婚約解消の話です。
そして新しい恋を見つける話。
なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!!
★すみません。
長編へと変更させていただきます。
書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。
いつも読んでいただきありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる