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Chapter.40

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 ここ数日、華鈴は忙しくしている。卒制の作業スケジュールに沿って動いているからだ。
 記事を作るのに必要なインタビューや撮影、原稿の受け取りなどを、すべてを一人でこなしている。
 実際の雑誌編集者になったらすべてを一人でやることはないだろうけれど、いまのうちに疑似でもいいから体験しておけば、いざというときに役立つのではないか、というのが華鈴の考えだ。
 いままで授業やサークル活動で学んだ技術を活用、応用して作り上げていく雑誌は、おそらく人生で最大の愛すべき制作品になるだろうという確信があった。だからこそ、いま持てる限りの全力を尽くそうと考えている。
 データ入稿して、少数ではあるが本格的な印刷と製本をするつもりだ。
 いわゆる自費出版の本を作るのだが、できあがった雑誌は礼も兼ねて赤菜邸の住人達に渡す予定。
 きっと喜んでくれるだろうと思うと、華鈴は嬉しくなってニコニコしてしまう。

 自室にこもり、赤菜にしたインタビュー音声を聞きながら文字起こしをしている華鈴は、少し声をかけづらいほどに集中していた。
 そっとドアを叩いて入室した一緑にも気付かないほどに。
 小さく声を出してパソコンのキーボードを打ち、文字を入力している華鈴を、一緑がそっと覗き込んだ。
 ハッとして背筋を伸ばし、気配を感じた方向に華鈴が顔を向け、イヤホンを外す。
「ごめんなさい。おかえりなさい」
「謝らんでええよ。邪魔したね」
「全然、そんなこと」入力した文章を保存するためにマウスをクリックして、華鈴が笑みを見せる。しかしその表情にはやはり、疲れの色がにじんでいた。「っていうか、もうそんな時間?」
 一緑が朝出社してからずっと作業に没頭していて、時計をあまり意識していなかった華鈴が慌ててパソコンの画面に表示された時計を見る。表示されていたのは【18:32】という文字列。
「ごめん、急いで夕ご飯の支度するね」
「えぇ、えぇ。今日、紫苑くんとキィちゃんと俺らしかおらんから、俺作るよ」
「でも」
「ええねんて。料理は趣味でもあるし、いつも甘えちゃってたんやから」
「ごめんなさい……ありがとう」
 しょんぼりとうつむく華鈴の頭を撫で、一緑が微笑む。
「うん、ええから。できたら呼ぶよ。なにか食べたいものある?」
「えーっと……」考える華鈴のおなかがグゥと鳴った。
「……昼、食べた?」
 聞かれた華鈴はバツが悪そうに首を横に振る。
「身体に悪いよ?」困ったように笑って、「急いで作るわ。なんでもいいかな?」
「うん。おまかせします」
「そしたら、続けて作業しとき? 無理はせんでね?」言い残して、一緑は部屋を出た。
 ドアを閉める前、隙間からまたパチパチとキーボードを叩く音が聞こえてくる。
 朝と夜は一緑に合わせて起床、就寝しているが、一人で過ごしていたら徹夜でもせんばかりで常に作業をしている。
 自分が大学の卒制をしているときも確かに同様の状況になりはしたが、それが大事な恋人のことになると心配もひとしおだ。
 なにか消化が良くて栄養のある食事を、と考えながら冷蔵庫を覗き、食材を確認してオムライスを作ることにした。簡単なサラダとスープも添えようと献立を考える。
「あれ、お帰り」
 下準備をする一緑に声をかけたのは紫苑だ。
「うん、ただいま。今日オムライスでいい?」
「うん、ええよ。一緑が作ってくれんの?」
「うん。華鈴、忙しいみたいで」
「あぁ、なぁ。卒制、大変そうやなぁ」
「みたいね」言って、人ごとのように思っている自分に苦笑する。
「なんか手伝えることある?」
「え? 卒制?」
「それもそやけど、いま、いま」
 紫苑が顎を出し、コンロを指をさす。
「あ。うん。そしたら、サラダ作ってほしいな」
「うん。適当てけとーでいい?」
「ええよ。レタスとプチトマトと、あとなんかあるでしょ?」
「うん。今日何人やっけ」
「四人。俺らと華鈴とキィちゃん」
「今日はコンパクトやなぁ」
「ま、いつものメンバーやな」
 会社勤めの一緑と紫苑はほぼ定時に帰宅できるし、キイロはよっぽど仕事が詰まっていない限り、自室で執筆作業をしている。
 華鈴が同居する前は、良く三人で食卓を囲んでいた。
 一緑はオムライスに入れる具材を細かく切り、ボウルに入れていく。冷凍していたご飯を取り出して、レンジに入れ解凍し始めた。
 切り終わった具材を炒めるためにコンロに火を点けて、バターをひとかけら落とす。溶けた頃合いを見て、刻んだ具材を入れ木べらで混ぜながら炒め始めた。「しぃちゃん良かったん?」
「え? なにが?」
「華鈴の卒制、協力してもうて」
「嫌やったらやるなんてゆってないよ」紫苑は冷蔵庫から出した野菜類を洗いながら笑う。「オレはまだしも、インタビューや寄稿やなんやが仕事のやつらが、ボランティアで協力するーゆうくらいには魅力的な子ぉなんやからさ。オレかて協力したくなるやろー」
「そっかー……」
 オムライスの具材を炒めながら、一緑が思うところがありそうな雰囲気を醸し出した。
 その心の機微を察知した紫苑は、少し考え、ゆっくり口を開く。「なんか、心配してるん?」
「心配……」動かしていた木べらを止めて、一緑がフライパンから視線を逸らした。「心配なんかな……そんな純粋な気持ちじゃないかもしれない」
 紫苑はちらりと一緑を見て、なにも言わずに手元に視線を戻す。洗い終わったレタスをちぎりながら、次の言葉を待っている。
「……嫉妬……かな……」
 言ってしまったら認めてしまうから、と形にしていなかった言葉が、ぽろりと口から出た。
 次の言葉をつむごうとするがうまくできず、そっと口を閉じて、再び木べらを動かし始めた。
 紫苑は一緑の言葉を待ったまま、サラダボウルに野菜を入れていく。盛り付け終わったボウルに軽くラップをかけ、紫苑がダイニングテーブルへ持って行った。
「卵溶いてもらっていい?」戻ってきた紫苑に一緑が頼む。
「うん。いくついる?」
「一人分で二個」
「あいあい」
 冷蔵庫から生卵を出している間にご飯の解凍を終えたレンジが、電子音でそれを報せる。
「入れる?」
「うん」
 バカンとレンジのドアを開け、ラップに包まれた白米を紫苑がフライパンに入れた。
「ミルクパンにコーンポタージュ入れて、温めてもうていい?」
「ん」
 一緑に言われ、紫苑が冷蔵庫から紙パックのコーンポタージュスープを取り出す。シンクの下から大きめのミルクパンを出して八分目まで注ぎ、火にかけた。
 ご飯と具材を混ぜて炒める間に、一緑がぽつぽつと話し出す。
「みんながさ、気ぃ使ってくれてんのはわかってんのよ、俺にも、華鈴にも」
「うん」
「でも、その気遣いには、なんか裏があるんじゃないかって……少し、思っちゃってるんやと思う」
「……うん。まぁ、ないけどな」
「うん。わかってんねんけど、やっぱ、どこかで思っちゃってる自分がいてさ」言いながら、自嘲の笑みを浮かべた。「仲良くしてほしいけど、仲良くなりすぎるんはイヤやなって」
「うん」紫苑は相槌を打ちながら、人数分の皿を作業台に置いていく。
 一緑は調味料で味付けをして、まずは二人分のケチャップライスを完成させ、皿に盛った。フライパンを軽く洗って油を引き、温まった頃合いでボウルに用意された溶き卵を流し入れる。
 ジュウ…と音を立て、ゆっくり卵が固まっていく。
「なんか、どうしていいんか、よぉわからんくなった」
 卵に火が通るのを見つめながら、自嘲気味に笑って一緑が口を閉じた。
「…まぁさ」一緑が言葉を切ったタイミングで、紫苑が口を開く。「みんな、カリンちゃんのことは可愛いさ。妹みたいな感じでな?」
 紫苑のフォローに一緑が少し笑って「うん」とうなずく。
「そんで、おんなじように一緑のことも可愛いねんで? なんやかんやゆうて、オレらん中では一番いっちゃん年下やしさ」使い終わった道具類を洗いながら、紫苑が続ける。「やから、眞人くんとかも構いすぎてまうし、カリンちゃんにもおんなじ感じになってもうてるんやろな。女の子やからってのもあるけど、異性としてどうこうじゃないよ」
「……そうよな。ごめん」
「ええねんええねん。オレが一緑の立場でも、こいつらほんまもうちょっと考えてくれよって思うもん。橙山なんか天然たらしやからさぁ」鼻にシワを寄せながら、紫苑は憎々し気ながらも楽しそうに笑った。
「ほんまよ。ヒトの彼女とか関係なしやもんな」
「ええとこでもあり、悪いとこでもあるな。あとあれ、アオは単純に無自覚な博愛主義者やから」
「うん、それもわかる」
 半熟のオムレツを手際よく作り、盛り付けたチキンライスに乗せながら一緑が笑う。
「あと、ポタージュをスープボウルに入れておしまい」
「うん。あとやっとくから、キイロとカリンちゃん呼んできてよ」
「そう? じゃあお願いします」
 四人分のオムライスをダイニングテーブルに運んでから、一緑は二階にあがった。
 まずは黄色のドアを二回叩く。少しして、ドアが開いた。
「あれ、お帰り」
「うん、ただいま。夕ご飯できたよ」
「あ、もうそんな時間か。ごめん。ありがとう」
 礼よりも謝罪が先に来るキイロの言葉に、華鈴を重ねてしまう。
「ええよ。締切前?」
「うん。そろそろ佳境」
「声かけんほうが良かった?」
「いや? 休息は必要やし、なんも食わんで体調悪ぅするほうがしんどいから、ありがたい」
「そう」
「ありがとな。一緒におりる?」
「華鈴呼んでから行くわ」
「ん? あぁ、サクラさんも締め切り前か」キイロが華鈴の姿を想像してふと笑う。
「うん。キィちゃんとおんなしような顔してるわ」一緑も少し笑って、少し顔をしかめる。
「そっか……。じゃあ、先おりてるな」
「うん。しぃちゃん下におるから」
「ん」
 少し鼻にかかった声で短く返事をして、キイロは階段をおりた。
 一緑はそのまま自室へ向かい緑色のドアを軽く叩く。いつもは聞こえる華鈴の返事はない。
 またイヤホンをして作業中なのだろうと考えて、ドアを開く。机に向かう小さな背中に「華鈴」声をかけた。
 ビクリと身体を震わせて、イヤホンを外し振り返る華鈴に、
「ごはん、できたよ。一緒に食べよ?」
 優しく微笑んだ。
「うん、ありがとう。いま行きます」
 華鈴が答えて、マウスを操作してデータを保存し、パソコンをスリープさせた。部屋に戻ってからも作業するつもりらしい。
「ほどほどにしときなさいね? 身体壊したら元も子もないから」
「はぁい」
 少し疲れた声色で華鈴が返事する。
 一緑は少し困ったように笑って、華鈴と一緒にリビングへおりた。
「お待たせしました」申し訳なさそうに言う華鈴に
「ううん? 全然? ちょうどいま色々配り終わったとこ」
 紫苑が笑顔で答えて、着席を促した。
「そんじゃ、冷めないうちに食べよー」
 努めて明るく言って、一緑が手を合わせ「いただきます」音頭をとり、みなで唱和した。
「おいしい……!」
 身体に沁みる温かさと優しさを噛みしめ、華鈴がしみじみと言う。
「華鈴が落ち着くまで、できる範囲で俺がご飯用意するから、気にせんでええよ」
「え、でも……」
「ええねんええねん、甘えとき」オムライスをほおばりながら、紫苑が華鈴に言う。
「……じゃあ、お願いします」
「うん。残業とかで無理やったらごめんね?」
「そんときはおる人間でなんとかするよ」
 紫苑がこともなげに言うので、
「助かります」
「ありがとう」
 華鈴も一緑も遠慮なく頼ることにした。
「俺も、そろそろ脱稿できそうやから、なんかするわ」
 キイロがサラダを食べながら言って、なっ、と紫苑に同意を求めた。
「うん。そうしよ」
「一緑が残業なるとき俺らにも教えて。サクラさんにだけやと、俺らがわからん」
「あぁ……じゃあ、橙山くんが作ってくれたグループメッセに送るわ」
「うん、それが助かる」
「なんだか、ごめんなさい」
 スプーンを持ったまま、申し訳なさそうに一緑を見やる華鈴に
「ええねんて、やから。忙しいときはお互いさまでしょ?」
 困ったような笑顔を見せて、首をかしげた。
 紫苑もキイロも、向かい側の席でうんうんうなずく。
「ありがとうございます」
「だいじょぶだいじょぶ。みんなもうえぇ大人やから」
 紫苑の言葉に華鈴が安心したように笑った。


 それからもしばらく華鈴は忙しくしていて、一緑との時間は減っていった。対して、取材や原稿のやりとりをするために、住人達との交流は増えていく。
 一緑に気を遣ってか、最近ではリビングで作業をすることも増えた。
 寝る前に一声かけるようにしているけれど、華鈴が部屋に戻ってくるのは夜中のことが多く、起きた時に声をかけて気を遣わせてしまうのも良くない、とお互いが考えているから、会話もあまりない。
 作業進捗は日々流れていくグループメッセで知ることができるが、一緑は少しの疎外感を感じている。
 自らも志願して協力すれば良かっただけのことだが、なんとなく、言い出すことができなかった。
 だから、普段の生活の中でフォローができればいいと考えていた。
 自分で決めたことなのに、それでは物足りなくて。直接かかわることのできている赤菜邸の住人達に、胸がチリチリと焼けるような思いを抱いていた。
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