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Chapter.11

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「あっ…」
「?」(あ……)
 華鈴がキッチンで朝食の準備をしていると、リビングにキイロが顔を出し、そして後ずさった。華鈴を遠巻きに見てダイニングテーブルの一角に陣取る。
「……おはようございます」華鈴が声をかけると
「おはようございます……」視線をそらしたまま小さく会釈する。
 郵便受けから持って来た新聞を黙々と読むキイロに、
「おはよー。おはよーさん」
 声をかけたのは紫苑だ。ぼさぼさの頭に指を入れて髪をほぐし、華鈴にも声をかける。「おはよう」
「おはようございます」
「早いね」
「もう習慣で……」
 姉と同居中、食事は華鈴が担当していて、二人の朝食と弁当を作っていた。その関係で、朝が早い。
「一緑は?」
「まだ寝てます」
「よぉ寝るよな」紫苑が眠たそうに笑う。「コーヒー、ええ匂いやね」
 Tシャツの中に右手を入れ、腹部をさすりながら猫が匂いを嗅ぐような顔でコーヒーの香りを察知する。
「飲みますか? 多めに作ったので、お二人の分もありますよ」
「うん、飲む飲む。キイロも呼ばれたら?」
「えっ、あ……いや…。手ぇわずらわせるのも悪いし……」
「一杯も二杯も変わらんのんちゃう? ねぇ?」
「はい。カップにつぐだけなので」
「ほれ」
「…じゃあ…お願いします」
 新聞から華鈴に向き直り言うが、その視線は定まっていない。
「はい」華鈴は笑顔になって「簡単で良ければ、朝食も一緒にお作りしますよ?」続けた。
「ほんまに? ええの?」
 紫苑がキッチンへ移動する。
「はい。パンと卵料理くらいですけど」
 二人分のコーヒーをカップにつぐ華鈴の隣に紫苑が立つ。
「じゅーぶんじゅーぶん!」
 華鈴が調理スペースに並べている食材を見て、大体のレシピを把握した紫苑が目を細めた。
「卵、混ぜますか? 目玉焼きがいいですか?」
「面倒じゃなかったら混ぜてほしいな」
「はーい」
「キイロは?」
「紫苑くんと同じで……」
「はい。少々お時間いただきますね」
「うん、なんぼでも待つわ。コーヒー、もらってってええ?」
「はい、お願いします」
 華鈴がトレイに乗せたカップを紫苑がダイニングテーブルへ運ぶ。
「よぉオレらのってわかったね」
 紫苑が黄色いカップをキイロに、紫のカップを自分の前に置きながら言った。
「はい。お名前と色、同じなのかなって思って」
「さすがやね~」
 トレイに乗っていたシュガーポットとミルクピッチャーを置きながら紫苑が感嘆の声を上げる。
「いえ……」
 華鈴は照れ笑いを浮かべつつ、三人分の朝食を調理し始めた。
 自分用にオムレツとサラダとトースト、キイロと紫苑にはそれにプラスしてボイルしたソーセージを添えて、それぞれ大皿に盛り付けてテーブルへ運ぶ。
 作り終えるころには、紫苑はコーヒーを飲み終えていて。「あ、ごめん。カウンターでええよ、運ぶ運ぶ」
「ありがとうございます」
 紫苑の申し出を有難く受けて、キイロと紫苑用のプレートをカウンターに置いた。中継した紫苑がキイロと自席の前に置く。
「わー、めっちゃ旨そう~」
 紫苑が嬉しそうに言って、冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取り出した。一緒に持ってきたトレイに、グラスを三個乗せて席へ戻る。
「ホントに簡単ですけど……」カトラリー類の入ったケースをテーブルに置いて、自分用の皿とコーヒーが入ったカップを運んだ華鈴は、二人から少し離れた席に陣取った。
「作ってもらえるだけでありがたいよ」
 紫苑は目を細めて、手を合わせた。
 華鈴が落ち着くのを確認した紫苑が「じゃあ、いただきます~」手を合わせたまま軽くお辞儀する。
 華鈴とキイロもそれにならって、いただきますと唱和した。
「いやー、こんなちゃんとした人様の手作り朝食、久しぶりやわ~」
「普段は朝はどうなさってるんですか?」
「一人分作るか、面倒やったらコンビニとかかなー」
「自炊なされるんですね」
「オレと一緑と橙山はな」
「俺と黒枝くんもたまにはやるよ」キイロがぽそりと言葉を挟む。
「たまにな。キイロは手際もいいしな。もっとやったらええのに思うけど」
「黒枝くんめっちゃ手際悪い」
「ゆーてやんなよ」
 言いながらキイロと紫苑が笑う。二人とも、顔がくしゃくしゃになって愛らしい。
(笑うとこんな顔なんだ……)もっと笑ったらいいのに。華鈴はキイロを見て思う。
「ゆうてオレらかて人の分作らんしなぁ」
「時間あわんねんもん」
「朝は特になぁ。職業が違うとこんなに違うもんか思うよな」
「みなさん、お仕事バラバラなんですね」
 華鈴の言葉にキイロと紫苑がうなずく。
「キイロはほとんど在宅やしなぁ」
「紫苑くんは通勤せなあかんしね」
「毎朝決まった時間に通勤してる人のが少ないやろ、うちは」
「そうやなぁ」
 現にいまも食卓には三人しかいない。一緑も会社員ではあるが、在宅作業と通勤とか入り混じっていて、今日は在宅の日だからと遅寝を楽しんでいる。
(ヒロハラさんいてくれてよかった)
 キイロと二人きりだったら、こんな会話すらできていないかもしれない。
 思わず見つめてしまった華鈴にキイロが気付いて、身を固くして視線をそむけた。
(あっ……)「すみません……」慌てて目をそらした華鈴に
「悪いんキイロや、謝らんでいいよ」紫苑が顔の前で手を左右にヒラつかせながら鼻にシワを寄せた。その態度が意図していない反射からくるものだと知っているからだ。
「キイロも、もうええトシなんやから、ええ加減克服したら? いい機会や思うけど」
「紫苑くんには怖いもんがないからそんなん言えんねん」
「あるよ、こわいもん」
「なにぃさ」
「むしムシ、虫!」紫苑が顔をしかめ、小さくかぶりを振る。
「それ克服できる?」
「できひん!」食い気味の回答に
「な? それと一緒やねん」諭すようにキイロが続けた。
(虫と一緒かー)という華鈴の表情に気付き、
「あっ! ちゃうねん! 女性と虫が同等や思てるわけじゃないねん! ヒトにはどうしても苦手なナニかがあるって話で!」
 視線は定まらないものの、華鈴に向かい慌ててフォローするキイロに
「大丈夫です! ちゃんと、わかってます」華鈴が慌てて答えた。
「なんか、すんません」
「いえ、こちらこそ」
 その一部始終を、朝食をつつきながら眺めていた紫苑が
「悪いやつやないんやで?」
 言うと、華鈴がうんうんうなずいた。
「まぁ、悪いやつやったら女性恐怖症にはなってないんやろけど」
 紫苑は朝食をとりおえ、コップに水を注ぐと一気に飲み干した。
「ごちそうさまでした!」
 手を合わせ、お辞儀をする。
「おそまつさまでした。足りました?」
「うん、ちょうどよかったし旨かった」
「良かったです。あ、一緒に片付けるので……」
 手早く食器を片付けようとする紫苑に、華鈴が声をかける。
「ん? 洗うのまでお願いしていいの?」
「はい」
「あら、ありがとう。今日は二人とも休み?」
「はい、私はお休みです」
「俺、これから寝る」
「また徹夜したん」
「夜のがはかどんねん。それに徹夜は俺だけちゃうし」言って、キイロが二階を見た。視線の先には青砥の部屋があった。
「夜型増えたなぁ」言いながら紫苑が席を立ち「ほんなら、オレこれから出勤やから、行くわ」二人に伝える。
「うん」
「はい」
「ありがとうね。あとお願いします」
「はい、いってらっしゃいませ」
 華鈴の見送る言葉に紫苑が手を振り、自室に戻った。
「……大丈夫でしたか?」
「えっ?」
「これから寝るのに、食事とか、コーヒーとか……」
「あぁ……。メシは腹減ってたから丁度良かったし、コーヒーは常飲しててカフェインで寝れないとかないから大丈夫」
「そうですか」
 華鈴は安心したように笑顔を見せて、朝食を食べ終えた。
「一緒に片付けていいですか?」
 空になった食器を見やり、華鈴がキイロに問う。
「はい。……ありがとう。うまかった……です」
 ごちそうさま、と小さくお辞儀をして、飲みかけのコーヒーが入ったカップを手に立ち上がった。
「はい。ありがとうございます」
 穏やかに微笑む華鈴に「じゃあ」と言い残してキイロも自室へ戻る。

 悪い人ではないのなんて、初対面からわかっていた。嫌がっていたけど、出ていけ、とは一言も言わなかったから。

 引っ越してきた初日の夜、同じベッドで寝転がっていた一緑から、キイロの話を聞いた。
「子供のころのトラウマらしいんやけど」
 天井を見ながら一緑が話し始める。

 キイロはその顔の美しさも相まって、幼少時代から寄ってくる女性が多かった。
 同級生の女の子にしつこくつきまとわれたり、電車内で遭遇した大人の女性に痴漢まがいのことをされたり、他校の女生徒たちに写真を隠し撮りされ、仲間内で勝手に共有されたり……。
 思春期の頃までに体験したそれらの出来事が、キイロの心に傷をつけ、トラウマを植え付けた。
 大人になるにつれ防御策や対抗策を身に付けて、やがて信頼出来る恋人ができた。幸せだったし、その幸せは続くものだと思っていた。生まれて初めて、一生を共にする女性に出会ったと思えた。
 なのに、酷く裏切られる形で別れてしまった。
 やはり、自分は信用のできる女性とは出会えないんだ。そう思い込んでしまったキイロは、女性に対して心を閉ざしてしまう。
 以来、女性不信が女性恐怖症へと変化してしまったそうだ。

「相当酔っぱらったときに話したことやし、あんまり言うのもどうかと思ってんけど……」
 歯切れの悪い一緑に、華鈴が「うん」と小さく返事した。「教えてくれてありがとう。聞いたのは言わないし、近付き過ぎないように気を付ける」
 自分がいることでキイロの行動を制限させるのは忍びない。
「あんまり過度にする必要もないから」
「うん、大丈夫」
 微笑んで言った華鈴の言葉に、一緑は安堵の笑みを浮かべ、髪をなでる。
(華鈴と接することで、少しでも緩和されたらええんやけど……)
 一緑は思いながら、華鈴を優しく抱き寄せた。
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