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Chapter.9
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コリドラスを出て、次の店までの道を紫輝から数メートル遅れて進む。
先導する紫輝が人通りの少ない道を選んでいるのか、まれにすれ違うのはサラリーマンの男性ばかりだ。
(神経質になりすぎたかなぁ……)
と鹿乃江が視線をあげたとき、前方から学生らしき女性三人組が歩いてくる。チラチラと横眼で見ながら紫輝の横を通り過ぎ、鹿乃江の近くにさしかかったとき「ねー、いまの絶対そうだってぇ~」「え~、こんなところ歩いてるわけないじゃん」「えっ、声かけちゃう?」「でも違ってたらハズいじゃん」とヒソヒソ声で話しながら名残惜しそうに背後を見つつ、曲がり角に消えていった。
(杞憂ではなかった……!)
何故か脳内に【安全+第一】の看板が浮かぶ。
紫輝は特に気にすることなく緩やかに歩を進め、やがてビルの中に入っていった。
バッグの中から通知音が聞こえたのでスマホを見ると、エレベーターホールに人がいるから先に店に入るという旨のメッセージが届いていた。同時に送られてきた階数と店名を頼りに、遅れて店に入る。
店員に案内された個室内、薄暗い照明の中で、紫輝が立ったまま待っていた。
「すみません。ありがとうございます」
鹿乃江を視界に捉えると、紫輝が軽く頭を下げる。
「はい……。なにかしましたっけ?」
「いや、離れて歩こうって言ってくださって」と鹿乃江に着席を勧めて自分も座る。「下にも人いましたし、なんか、さっきすれちがった女の子たちに気付かれたっぽかったんで……」
「ぽかったというか、声かけようかどうしようかって話してましたね」
「マジすか! あぶねぇ~! 鶫野さんが言ってくれてなかったらヤバかったかもですね。ありがとうございます!」
「いえいえ……」
「……どうかしましたか?」
「えっ? いえ……」と言葉を探すが「人気、あるんだなって……」思わず言って、「あっ。気にしないでください、なんでもないです。スミマセン」言葉選びを間違えたことに後悔した。
「……ありがたい話です」紫輝が少し困ったように笑う。「ファンの方たちがいなかったら、成り立たない仕事なんで」
なにを言っていいかわからず、鹿乃江は黙って紫輝の話を聞いている。
「けど、たまに、ちょっと、困ることがあります」
意外な言葉に鹿乃江が顔をあげる。
「どこかへでかけるにも見つからないように気を遣うし……二人で一緒に、歩くことも、できない……」
鹿乃江は、ただ黙って紫輝の言葉の続きを待つ。
「でも、それは最初から覚悟してたんで。自分が気を付ければいいだけの話で……って、お気遣い、いただいちゃってますよね」
鹿乃江に言って、紫輝がヘヘッと笑った。視線を下げて、鹿乃江はゆっくりと首を振る。
「素晴らしいです……。素晴らしいと、思います」
うつむいていた顔をあげ、紫輝を見つめる。
心からの言葉に、今度は紫輝はうつむいて、照れて、笑った。
「そうだ、ここ」と思い出したように席を立ち「鶫野さん」こっちこっちと、手招きをして窓際に呼んだ。
「見てください」
鹿乃江は隣に立って、紫輝が指さす窓から外を見る。
「わぁ……!」
窓の外に広がる都心の夜景に、思わず声が漏れる。
「すごい……きれい……!」
室内が薄暗いのは、この夜景のためなんですよ、と紫輝が教えてくれる。
「って、お店の方の受け売りなんですけどね」
いたずらな子供のように笑って、後頭部に手を当てる。鹿乃江がつられて笑顔になると、紫輝が嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱいいっすね。……笑顔のほうが、かわいいっす」
言われたほうが照れてしまうことを、紫輝はたまにこともなげに言う。職業柄というよりも、もともとの性格から来るものだろう。
「ありがとう、ございます……」
それ以上どうリアクションしていいかわからず、紫輝と一緒に、ただ夜景を眺めていた。
* * *
先導する紫輝が人通りの少ない道を選んでいるのか、まれにすれ違うのはサラリーマンの男性ばかりだ。
(神経質になりすぎたかなぁ……)
と鹿乃江が視線をあげたとき、前方から学生らしき女性三人組が歩いてくる。チラチラと横眼で見ながら紫輝の横を通り過ぎ、鹿乃江の近くにさしかかったとき「ねー、いまの絶対そうだってぇ~」「え~、こんなところ歩いてるわけないじゃん」「えっ、声かけちゃう?」「でも違ってたらハズいじゃん」とヒソヒソ声で話しながら名残惜しそうに背後を見つつ、曲がり角に消えていった。
(杞憂ではなかった……!)
何故か脳内に【安全+第一】の看板が浮かぶ。
紫輝は特に気にすることなく緩やかに歩を進め、やがてビルの中に入っていった。
バッグの中から通知音が聞こえたのでスマホを見ると、エレベーターホールに人がいるから先に店に入るという旨のメッセージが届いていた。同時に送られてきた階数と店名を頼りに、遅れて店に入る。
店員に案内された個室内、薄暗い照明の中で、紫輝が立ったまま待っていた。
「すみません。ありがとうございます」
鹿乃江を視界に捉えると、紫輝が軽く頭を下げる。
「はい……。なにかしましたっけ?」
「いや、離れて歩こうって言ってくださって」と鹿乃江に着席を勧めて自分も座る。「下にも人いましたし、なんか、さっきすれちがった女の子たちに気付かれたっぽかったんで……」
「ぽかったというか、声かけようかどうしようかって話してましたね」
「マジすか! あぶねぇ~! 鶫野さんが言ってくれてなかったらヤバかったかもですね。ありがとうございます!」
「いえいえ……」
「……どうかしましたか?」
「えっ? いえ……」と言葉を探すが「人気、あるんだなって……」思わず言って、「あっ。気にしないでください、なんでもないです。スミマセン」言葉選びを間違えたことに後悔した。
「……ありがたい話です」紫輝が少し困ったように笑う。「ファンの方たちがいなかったら、成り立たない仕事なんで」
なにを言っていいかわからず、鹿乃江は黙って紫輝の話を聞いている。
「けど、たまに、ちょっと、困ることがあります」
意外な言葉に鹿乃江が顔をあげる。
「どこかへでかけるにも見つからないように気を遣うし……二人で一緒に、歩くことも、できない……」
鹿乃江は、ただ黙って紫輝の言葉の続きを待つ。
「でも、それは最初から覚悟してたんで。自分が気を付ければいいだけの話で……って、お気遣い、いただいちゃってますよね」
鹿乃江に言って、紫輝がヘヘッと笑った。視線を下げて、鹿乃江はゆっくりと首を振る。
「素晴らしいです……。素晴らしいと、思います」
うつむいていた顔をあげ、紫輝を見つめる。
心からの言葉に、今度は紫輝はうつむいて、照れて、笑った。
「そうだ、ここ」と思い出したように席を立ち「鶫野さん」こっちこっちと、手招きをして窓際に呼んだ。
「見てください」
鹿乃江は隣に立って、紫輝が指さす窓から外を見る。
「わぁ……!」
窓の外に広がる都心の夜景に、思わず声が漏れる。
「すごい……きれい……!」
室内が薄暗いのは、この夜景のためなんですよ、と紫輝が教えてくれる。
「って、お店の方の受け売りなんですけどね」
いたずらな子供のように笑って、後頭部に手を当てる。鹿乃江がつられて笑顔になると、紫輝が嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱいいっすね。……笑顔のほうが、かわいいっす」
言われたほうが照れてしまうことを、紫輝はたまにこともなげに言う。職業柄というよりも、もともとの性格から来るものだろう。
「ありがとう、ございます……」
それ以上どうリアクションしていいかわからず、紫輝と一緒に、ただ夜景を眺めていた。
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