メエヌオ両断さる

シオマネキ

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1.月のひかりは遠く昏い

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薄暗い、広い会議場の舞台でスポットライトを一身に受ける男がいる。
空調の利いた客席では遺伝子学会関係者、マスコミ関係者が息を潜めて男の研究成果概略に耳を傾けていた。衝撃的な発表であった。今まで常識とされてきた通説がほぼ覆されたのである。

「アルファがオメガの項を噛み、つがいとし、両者へ身体的な影響を及ぼす」
この通説は精神的な効果を排除した、つまり被験者に「項を噛むという行為が番を決定づける」という認識をさせない場合、実際にアルファがオメガの項を噛んでも生理的反応や効果がほぼ見受けられず、現段階ではそれが生物的機能では無いと言える─ということである。
「そう」認識し、思い込んできたことで脳が作り上げた、架空の生物機能であると。

「無い」ということは証明できない。
悪魔の証明に近いこの論説を40年ほどかけて実証実験にてほぼ証明した形の発表であった。

またゲノム解析において、アルファやオメガ、学会などでは「プロートン」と名付けられた人間の解析は、ベータ─普通の人間の解析よりも格段に進んでいるのにも関わらず、生殖情報の中に「項を噛む/噛まれることで何らかの変異を起こす」因子のようなものは確認されていない。未発見未解析の部分にそれがある可能性はないとは言えない─まさに悪魔の証明である─が、彼の数々の実証データ、また複数の別機関の実証データからもこの発表はほぼ事実として受け入れられたのであった。

「今日この日にわざわざ本会場まで頂いた足労に謝辞を表明し、簡単に言おう」
壇上からひとり会場を見下ろした男、目魚めうおは神経質そうな目をおかしそうに細めて言った。

「生物学的には、項を噛むという行為が人間に与える影響は何ら、ないのです」

観客たちのざわめきのなか、目魚は慈悲深いマリアのような、あるいは審判のマアトのような笑みを浮かべた。そしてスポットライトのもとから立ち去った。

*

小嶺されさん、お待たせしました。ご案内します」
国立遺伝学研究所の受付で、受付の女性に促されて小嶺され遼火はるかは同僚と共にその後を追った。
広い敷地内の複雑な経路であったが迷いなく進む女性によって二人は10分ほどで特異生殖研究棟へ入った。
そこに入ってからは目的の人物、目魚主任研究員の部下であるという男が迎えに来た。三人はいくつかセキュリティゲートを通過して応接室へと入った。
日本の公立機関にありがちな、飾り気のあまりないシンプルな応接室であった。出迎える者はおらず、小嶺が男へ視線を移すと男は目魚を呼んでくると愛想なく言って出ていってしまった。
「しかし、凄いな。ここは」
同僚の男、日光にっこうがふうと大きく息を吐いた。
鼻の良い小嶺がそうだと言うので初めて分かったのだが、ここまで二人を連れてきて愛想もなく去っていったあの男はオメガだったという。しかし日光は小嶺に指摘されてもいまだに信じられない思いでいる。
特殊能力かと言うほど鋭い小嶺でもすぐにはに気付かなかったと言うし、日光とてオメガ独特のフェロモンにかなり敏感な方である。
「お前が気付くのは─最早お前が異常中の異常ということにして、俺がオメガのフェロモン匂いに気付かないというのは。徹底されているな」
特異生殖、つまりはアルファやオメガ─プロートン研究棟では完全にそのフェロモンが排除されている様なのである。
「ああ、俺も驚いたよ。あんなにかかったことはなかった」
「うん」
日光は笑いながらスマホを胸ポケットから取り出した。画面に視線を落としながら言った。
「それに、俺やお前のフェロモンに一つも反応がないとは─いやぁ本当に徹底されてるな、ハハ」
何がツボに入ったのか笑いながらスマホを操作した。彼の情緒がおかしいのは今に始まったことではないので、そういえばな、と小嶺は短く返した。
10分ほど雑談したりしなかったりして、暇をつぶしていると外から人の会話する声が聞こえてきた。
「姫様のお出ましかな」
日光の戯言に笑って、二人とも立ち上がった。直後に遠慮なく扉が開かれ、先ほどの男と目魚が入室した。目魚はちらりと二人を一瞥しただけですぐに向かいのソファに腰を掛けた。
「お待たせしました。お掛け下さい」
目魚の代わりに後から入室してきた女性が言った。彼女がソファに座ると男は部屋を出ていった。
「本日はお時間を割いて頂きありがとうございます。あなたは?」
小嶺が爽やかなイケメンと称される貌を向けてもその女性は動揺した様子もなく目礼を返した。
ひいらぎと申します。先生の秘書のようなものです、よろしくお願い致します」
「そうでしたか、失礼しました。財務省主計局主計監査官の小嶺と申します。こちらは同じく日光。よろしくお願い致します」
小嶺と共に日光が座ったまま僅かに頭を下げると、柊が目魚の脇をつついて、先生!と小さく促した。促されてようやく目魚は二人を見た。
「よろしく。主計監査ということだが、何か不明な会計でもあったかな?」
小嶺は驚いたようにやや目を見張って目魚をみた。流れが滞ったのを見て日光が続けた。
「不明、とは言い難いのですが、どうにもこちらで消費される予算があらかたの他の研究棟と比較してもやけに多いのが気になりまして」
ニコニコと愛想よく日光は笑った。薄い灰色の目を茶目っ気たっぷりに柔らかく曲げたが、相手の心へ踏み入る第一歩に使う彼の常套手段である。しかし柊にも目魚には全く効力がないらしく、表情は変わらない。だから何だと目で結論を求めていた。
「少しお話を聞こうということで面談要請をしたのが先月でして─前後するようにあの大発表でしたから、今では丸っきり無駄足だったような気もしているのですが」
それでも日光は気にせずヘラヘラと愛想を振りまく。
「はぁ」
「ええ、しかしこうして面会も叶ったとなれば悲しいかな公務員、何もせず時の人にお会いしてサインでも貰って帰るかとは行かないもので、手筈通りに少々書類確認などさせて頂きたい」
「なるほど」
全く何も響いた感じのない返事だった。よくあるイメージ通りの、まさに研究以外のことは全て興味がないとでもいう感じの科学者、という感じである。いや、しかし彼らが知る実際の研究員はもっと権力争いやマウントの取り合いに必死になっているものだが、偉人伝などから想起される一般的なイメージの話である。
心の中で一人問答を繰り広げながら日光は改めて目魚を観察した。反応がないので暇なのだ。

日本人には珍しい色素の薄い癖のない髪がさらりと無造作に降ろされている。髪同様、虹彩の色もどことなく薄い。しかしそれは日光の物とは違って優しげな薄茶であるのに無機質さを感じる色合いである。背は小柄で160から165㎝程度か。中肉中背で袖から覗く手首を見るに非力という訳でもないようである。中肉中背ということか。全体的にみると日本人にしては珍しく色素が薄いのに存在感も薄いような、そんな容貌だがただ一点異彩を放っている部分があった。
「目魚さん」
日光が考えをまとめようとした瞬間、やっと小嶺が言葉を発した。
目魚は目線を返して続きを待ったが、だんまりを続けた小嶺に焦れたのか言葉も返した。
「何かな」
機嫌悪く片眉をつり上げた目魚に日光の心は沸き立った。おっその表情良いじゃないか。
まるで不機嫌な女王のような不遜さだった。
「貴方、オメガですね」

脈絡のない発言に小嶺以外の三人は驚いた。目魚は目を僅かに大きく開いただけであったが柊と日光は口をポカンと開けて呆気に取られていた。研究等に入った後のやり取りを思い出してじきに日光はあ、そうなのと受け入れられたが柊は眉根を寄せて怒っていた。
「いきなりそのような、失礼ではありませんか」
激情を震える声で抑えるように柊が低く言った。更に職務中だとか初対面の人間への礼儀だとか常識だとか色々と責め立てようとしたところを目魚が肩に手を置いて止めた。「先生っ」彼女は小さく反抗したが、目魚と視線を合わせると黙った。よく躾けられてるなと日光は感心した。
「残念だが、私は極めて優秀なデウテロン─君たちのいう所のベータという奴だ」
言って馬鹿にするように鼻息をふんと吐いて嘲笑した。日光はそれを見て、先ほど出し損ねた結論に思い至った。─ああ、女王様!
目魚のその目には冷たい色とは裏腹に苛烈な光が宿っていた。
人間社会の頂点に君臨する種族と言われるアルファの、二人の網膜を焼くように軽蔑という名の昏く眩い光が宇宙に輝く星々のように瞬いていた、



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