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真夜中のロマンチスト
しおりを挟む聖女候補生の多忙な日間スケジュールは、夜のお祈りによって締めくくられる。
すべてを乗り越えた午後7:20以降は、消灯の時間まで、候補生たちは各々が自由な時間を過ごすことが許される。
1日の終わり、アウラ神父は孤児院のなかを一通りチェックして、全ての部屋に鍵をかけてまわる。
今日も不審なことはなく、全部の部屋まわり終えた。
「さて、そろそろ、日誌をまとめますか」
神父室に戻る道中、小さな背中を見かける、
「ユウリさん、おやすみなさい」
「あ、アウラ神父! おやすみなさいです♪」
「おや、ずいぶん楽しそうですね」
「ふふ、そうですかね? それは、食堂のモップかけから解放されたからですね、嬉しいに決まってます、えっへん」
ユウリは淀みなく答え、ぺこりと頭を下げて部屋へと戻っていった。
アウラ神父は思う。ユウリという少女は、夜になるとウキウキしてると。それは、この2週間ずっとのこと。
ならば、あの笑顔は、ほんとうに食堂のモップかけから解放された事が理由なのか…。
「まあ、いいですしょう。彼女のおかげで食堂は清浄な気で満たされています。それに、ユウリは将来有望な候補生ですからね」
アウラ神父は、今朝、孤児院の様子を見に来たマハトレとの会話を思いだす。あのマハトレ上位神官が気にかける存在。そして、あの悪を知らない綺麗な青瞳、女神のような可憐さ……厳しいことで有名なアウラ神父でも、すこし甘くなるのは仕方なかった。
──その頃
部屋に戻ったユウリは外套を着て、外出の準備をしていた。
「ユウリさま、本当にいくんですか……? 脱走はバッチリ規則違反だとわかっていらっしゃいますか?」
ルーナが不安そうに何度も聞く。
「当たり前田のクラッカーですよ」
「あの…何をおっしゃてるのですか、ユウリさま?」
「気にしたら負けです。さあ、準備は完了です。わたしたちの冒険に出かけましょう」
「ゆ、ユウリさま……っ!」
ユウリは部屋の窓を開けて、ぴょんっと外へ飛び出した。手には夕食の残りを、信仰魔法で祝福した聖なる布に包んである。
「残飯を包むために、信仰魔法を使うなんて絶対なにか間違ってると思いますって!」
「でも、すごく便利なんですよ? 腐らないでくださいって祈れば、保存食の完成なのですし」
「はあ……もう、ユウリさまは怖いもの知らずにも程があります……! もっと世間を怖がってください!」
(今のところ一番怖いのはイジメかなぁ…)
被害妄想はまだ解けない。
「むっ、危ないです、ユウリさまっ!」
キリッと顔を引き締めたルーナが、ユウリの前へ出る。彼女の視線の先には犬小屋があった。
「あれは孤児院の番犬……人呼んでミスター・ワンの小屋です……っ、ユウリさま、彼がいる限り、候補生は夜中を自由に歩くことはできません……!」
ルーナは悔しそうな顔しながら、ユウリを部屋に連れ戻す口実ができてホッとする。
「さあ、帰りましょう、ユウリさま。やはり無謀な挑戦──」
「ミスター・ワン、お夜食もって来ましたよ」
ユウリは犬小屋に近寄る。
横を華麗に通り抜けられたルーナは、グワッと勢いよく振りかえった。
ミスター・ワンが小屋からひょこっと顔を出して、たまらなく嬉しそうに尻尾をふって、ユウリに飛びついていくのが見えた。
ユウリは満面の笑みで、ミスター・ワンの喉をかいて、頭を撫でてあげている。
「ガブン、ガブ、ガブンっ」
「あはは、くすぐったりですよ。こうなったらお返しでs…すんすん、すんすん!」
「ガブブン、ブンっ♪」
嬉しさ爆発。
ミスターの興奮で鳴き声が漏れ始める。
(まずっ)
唇に指を立てて、ジェスチャーを送る。
ミスター・ワンはとたんに静かになった。
彼はガブーンと呼ばれる土属性のモフモンだ。孤児院の頼れる番犬として現役活躍中。侵入者や、候補生の夜中の外出などを抑止する役目がある。……本来は。
「よーしよしよし、良い子良い子ですよ」
「ガブブン、ガブブン、ガブン…っ」
名誉ある孤児院の番犬は、完全にユウリの手腕に陥落し、餌付けされていた。
これは女ユウリ自身がもつ天性の才能だ、
日本では発揮されなかったカリスマが、異世界に来て爆発してる事を本人は知らない。
「私は撫でさせてもらうのに、1ヶ月かかったのですが……くぅ……流石はユウリさまです……っ!」
ルーナは注意しなきゃと思いながら、ハンカチで涙をぬぐい、自分の主人の偉大さを噛み締めた。
「それじゃ、ミスター・ワン、また後で会いましょう」
「ガブガブン!」
ユウリは犬小屋を離れる。
ルーナもあとに続いた。
少女たちが目指すのは裏庭と隣接してある森の奥だ。
──しばらく後
夜の森のなか。
ユウリはかつてを思い返す。
修学旅行の夜だった。
監督の先生たちが晩酌をはじめたのを見計らって、友達と宿を抜け出して、肝試しをしたことを。
(なんだか、わくわくして来ちゃったな)
「ルーナ、楽しいですね」
「はい! すっごく楽しいです、ユウリさま!」
(可愛い女の子とふたりで肝試しかぁ…おどろかしあって、じゃれあいたいなぁ…)
「ルーナ、ちょっと、つつき合うゲームしませ──」
「あぶないっ! 木の枝が落ちてます! ユウリさま、油断してはいけません! ささ、私から離れないようお願いします!」
「……わかっていますよ。ルーナは過保護なのてすから」
(大袈裟すぎだよ、むぅ)
ユウリの周りを忙しくなく動き、全方位を警戒し続けるルーナ。近づくなら蚊でもはたき落とし「さささ」と口にだして動きまわる。
ただ、あまりにも忙しく動きすぎて、やがて目が回ったらしく、ふらふらと地面に倒れこんだ。わりあいとアホであった。
(あぅ、もう、なんて可愛いことしてくれてんですか……っ、勘弁して、これ以上、好きにさせないで…っ)
ユウリは胸にトキメキを感じて、倒れたルーナを抱きかかえる。細く、冷たい月明かりが頼りの、暗い森のなかは、想像容易にロマンチックだった。
あれ、ちょっと、いい雰囲気?
ルーナは馬鹿な事を考えていた。
目をパチクリさせて、夜風の吹き抜けていく主人の綺麗な黒髪が揺れるのを見つめる。
そして、海の青瞳が自分だけを見つめてくれていることに、頬を染めて高揚した。
ユウリは優しくルーナの銀色の髪をなでて、顔を近づける。ルーナは「いけないっ!」と思いながらも、ハッと息を呑んだ。
「あーん、食べてください。はい、ごっくん。よくできました」
「もにゅもにゅ、こ、これは?」
「状態異常:混乱を治す効果のある、新鮮なレンソソウです」
ほうれん草ではない。
(やった、効果はバッチリっぽい)
落ち着いてきたルーナ。
ユウリはぎゅっと小さな拳を握る。
「けほけほっ、レンソソウ!? 孤児院では育てていない野菜のはずではありませんか?」
「ふふ、わたしを誰だと思ってるんですか」
「っ、そうでした、ユウリさまは将来有望な聖女候補生!」
「そうです、モフモンマスターを目指す者なのです。モフモンに効果ある野菜たちは、学んで、フィールドワークで採集してあたりまえですとも、えっへん」
ルーナはポカンとした顔になり「フィールドワークですか?」と聞き返した。
孤児院の授業にフィールドワークと呼べる科目はなく、唯一の例外がユウカリ博士とともにいく、モフモン観察くらいだ。
「今、フィールドワーク中ですよ」
ユウリは言う、
ニヤッと無邪気に微笑みをつくる主人。
ルーナは言葉の意味をさとった。
この主人、実は罰を受けていた1週間目も、罰の延長されて2週間目も、毎晩、フィールドワークという名の脱走をしていた。
ルーナは変態だが、ユウリも奇行種だ。
お互いにお互いの事を、残念な美少女と思い込んでいるふたりの主従の図は、滑稽なものがあった。
(まっ、わたしのはモフモンに会うためだから、仕方ないよね。正統性あるもんね)
このユウリに、反省する気はない。
「むむ、あれはモフモンではないですか?」
ユウリは森の奥へと進む。
木の近くで座りこみ、草むらを見つめた。
草むらから見つめる瞳がふたつ。
ユウリはにこやかに笑って、手招きする。
「こっちへおいで、何もしませんよ」
「オニャ」
可愛らしい鳴き声が聞こえた。
声の主人は草むらの中から、フミフミ肉球の足音をさせながら出てくる。
二足歩行の猫だった。体は紺色で、ふわふわの体毛に包まれている。瞳は緑。身長はしゃがんだユウリよりも小さい。わずか60cmほど。猫の小人というべき姿だ。
特徴的なのはもふっとクルッと巻かれた尻尾。
そして、2つ折りに畳まれた長いお耳だ。
「これはオニャニクスですね! ユウカリ博士の研究所で教えてもらったやつです!」
「……え?」
ユウリは目をキラキラ輝かせる。
ルーナは主人の聞き捨てならない言動にほうける。ユウカリ博士の研究所がなんだって?
「オニャニャ、オニャ」
「よーし、よしよしっ、何もしませんからねえ~」
ユウリはしゃがんだまま、ゆっくりオニャニクスとの距離を詰めていく。
「体毛の色的に男の子のようですね」
「ユウリさま、わかるのですか?」
「ええ、もちろん。オニャニクスは男の子と女の子で、姿も性格も違うんですよ」
ユウリは自慢げに解説しながら、オニャニクスに手を伸ばす。サファイアより輝くユウリの青瞳に、オニャニクスは目を奪われた。
その隙を侍は見逃さない。
彼女はオニャニクスの頭に手を乗せた。
(うっわぁ、なにこのもふもふ…つら。一瞬で尊さ5000兆点だよ、無理だって…)
ユウリの手が震え始めた。
呼吸が荒くなり、額から変な汗がでる。
ユウリは「ぬへへ」と聖女候補生がしてはいけない笑みを浮かべながら、オニャニクスの両脇に手を差しこみ持ちあげた。
「オニャ」
「大丈夫です、大丈夫ですよ、なにもしませんから……ズズゥゥゥ!」
「オニャぁあ?!」
オニャニクスの驚いた鳴き声。
ケモナー侍による、モフ味のバーゲンセール市場:腹部への吸引行為はとまらない。
ルーナは「ユウリさまあ! おやめくださいー!」と慌てて両者を引き剥がそうとする。
だが、吸引力の変わらないユウリは、オニャニクスから離れない。
「はぁ…はぁ…最高っ…最高です…ッ、スンスン、くんくん、良いですよ、ちゅっちゅっ」
口づけまでし始めた。
それでも、オニャニクスは抵抗しない。
むしろ、満更でもなさそうに、気持ちよさそうにしている。ルーナだけが主人の奇行を止めるため必死だ。
なにこれ。
おかしいのは私のほうですか?
ルーナは現実を疑い始める。
ユウリは一通り吸い終わり、撫でおわった後、頬を赤く染めて満足そうな顔で、オニャニクスをおろしてあげた。
(ごちそうさまでした)
しっかりと手をあわせる。
「ありがとうございます、オニャニクス」
「オニャ♪」
お礼も言える。
禁断症状を抑えて、優等生のユウリが帰ってきたのだ。脱走中だが。
「さて、それでは、そろそろ帰りますか。今宵のフィールドワークはこれくらいです」
「賢明な判断です、ユウリさま! これ以上の夜更かしは明日に差し支えます!」
ユウリ達は孤児院へ戻ることにした。
「オニャ、オニャっ!」
背中を向けるふたりに、オニャニクスが語りかける。
「どうしたのでしょうか」
ユウリはしゃがみ込んで、オニャニクスを見つめた。
オニャニクスはキラキラした緑色の目で、ユウリの事を見ていた。
そして、一言「オニャ」と言い残して草むらの向こうへ消えていってしまった。
ユウリとルーナは顔を見合わせて、首をかしげる。
やがて、草むらの向こうからオニャニクスが帰ってきた。手を後ろに回して、背中に何かを隠している。
「くせ者!」
ルーナは目をガラッと変えて警戒した。
ユウリは呆れた顔で付き人をとめる。
オニャニクスは背中に隠していたものをだす。
それは、ピンク色の綺麗なお花だった。
器用に肉球でお花をはさんで、それをじっと見つめる。やがて覚悟が決まったように、意を決して、オニャニクスはピンクのお花をユウリに差し出した。
「オニャっ!」
「これは、まさか……!?」
ルーナはオニャニクスのまさかの行動に目を白黒させる。主人がどう返答するのか、緊張した面持ちだ。
お花を渡されたユウリは、少し驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな微笑みをつくった。
草木の間からさしこむ月の光が、可憐なユウリにさらなる神秘性をくわえている。
「オニャぁ…!」
オニャニクスはお花を差し出しながら、涙をながす。ユウリがあまりにも美しかったから。人とモフモンの垣根を越え、オニャニクスは完全に恋に落ちてしまっていた。
実を言うと、このオニャニクスは2週間前にすでに、夜の森のなかでユウリを発見していた。
この2週間なんとかユウリのまえに姿を現そうとはしていたが、なかなか勇気がでなかった。
今夜はオニャニクスの一世一代の勝負なのである、
全力全霊のオニャプロポーズ。
ユウリの返答は──、
「オニャニクス、わたしと一緒に来てくれますか?」
「ッ、オニャっ、オニャ!」
ユウリはお花を受けとり、微笑み、オニャニクスの頭を撫でてあげた。
「さあ、それじゃ帰りましょう」
「ユウリさま……野生のモフモンを手懐けてしまうなんて、なんという……っ」
「オニャ、オニャあ~♪」
ユウリはモフモンゲットを喜び、ルーナは主人のカリスマに涙する。オニャニクスは新しい絆と手を繋ぎ、嬉しそうにユウリの足におでこを擦りつけるのだった。
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