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怪物学会視察10

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 ダ・マンの渾身の拳が放たれる。

 サトマは首を振ってかわして、造血剣でダ・マンの腹に一閃を見舞いして、距離を取った。

 斬撃は決して浅くはなかった。
 しかし、ダ・マンの着込むコートすら斬る事叶わなかった。

「何で作られてるんすかねぇ、あの服はっ!」
「ウォアォォオオオ!」

 咆哮が聞こえたローデンと位置をスイッチする。今度は『審判者』のタックルがダ・マンへ炸裂した。

 ダ・マンは両手を広げて、抱え込むように受け止めた。ローデンの動きが完全に止まるなり、肘打ちでローデンの背中を打つ。

 メキメキと骨格の砕ける音がした。

 ローデンは脊髄を破壊され、肉体と魂を切り離されたような浮遊感を味わう。

 絶望の心理的滞空時間だ。
 だが、それでもダ・マンを掴んで離さない。
 ここで離せば勝機は潰えてしまう。

「やれぇやぁァアアサトマァアア!」

 ローデンの背後の影から、紅い輝きが飛び出した。

「汝の命運は永遠と共にある──練血秘式・凍血彼岸……ッ!」

 第五鬼席『永遠』サトマニラス。
 血の状態変化能力の極限、その奥義に位置する血の気化をごく短い時間で行う事で、あたりの熱を奪うこの神業は成立する。

「はあ、はあ、はあ……!」

 サトマは青い氷によって、完全に氷の中に閉じ込められたダ・マンを見て、したり顔をした。

 サトマは思う。

 成し遂げた、偉業を!
 例え10回中9回負ける戦いだったとしても、最後に立っていたのは自分だ!
 10%の勝機を掴んだんだ!

「封印完了、か。はは……」
 
 ローデンは薄く笑う。
 彼の腕と顔の一部が『永遠』の神業に巻き込まれ、氷に封印されていた。彼には血の魔術の心得があったが、この氷はただの氷ではない。

 だからこそ、皮膚を捨て、無理やり引き剥がすしかなかった。
 再生は【練血式】の得意分野であるため、その方が遥かに手っ取り早かった。

 サトマとローデンは、顔を見合わせ、互いの無事を確認すると、視線を一点へと向けた。

 ──ジャボボボ

 青い氷が幻想的な雰囲気を醸しだすなかで、どこからか持ち出したティーセットで、アフタヌーンティーを嗜むアルバートがいた。

 足を組み、優雅に氷に腰掛けている。

「青い氷。物理的拘束より、呪いの意味合いが強いようだな」

 氷の性質を観察しながら、アルバートは紅茶をまた一口すする。

 サトマは造血剣を持つ手を軽くまわし、ローデンは眉間に皺をよせて拳を打ち鳴らし、アルバートを叩きのめすべく近づていく。

「ダ・マンは力のやり取りはめっぽう強いが、確かに魔術的符号には弱い。目の前の困難に対して正確な回答を導き出したな、鬼席」

 アルバートは「良いセンスだ」と拍手する。

「2対2って言ってた気がするんすけどねぇ。学会長アルバート・アダンさん、あんた選択を間違えたんじゃないですかね」
「俺はそうは思わないが」
「はは、分からないわけがない! もうあんたは負けてる! 最強の手駒をみすみす失って、あとできる事は虚勢を張るだけでしょにっ!」

 サトマは全世界へ、自身の偉業を伝えるかのように両手を広げて、その場でくるりとまわりを見渡した。

「氷結界も完成してるんだぜ! あんたは逃げられないんだ。どんな魔術を使おうとこの俺を倒さない限りなっ!」

 アルバートは薄く笑い、鷹揚に手をヒラヒラと振る。

「余裕ぶった態度もここまだ『怪物』!」
「もう詰みっす。諦めてフレデリックの旦那のところに投降した方がいいっすよ」

「詰みか」

 アルバートは血の秘術で封印されたダ・マンを動かそうとしてみる。

「ふむ……確かにダ・マンはもう自力じゃ動けそうにない。アイリスからも、その技だけは受けたくないな」

 アルバートはティーカップを、傍らの青氷のうえに置いて立ち上がる。

「鬼席は脅威だった。6年前のアダンでは君たちのうち1人でも本気になれば簡単に滅ぼされていた」
「フレデリックの旦那は、いつだってアダンを殺れる。今だってその状況は変わってないっすよ」

「俺に時間を与えすぎだ。雨垂れでさえ、長い時をかければ岩に穴を空けるというのに」

「……能書きはそろそろ終わりってことで」

 ペラペラと饒舌に喋るアルバートへ、サトマはトドメを刺す。造血剣をもう一本取り出し、両手に持つと、ソレを連続で投げつけた。

 モンスターを失った使役者など、これで十分だ。
 
 ローデンの初撃から生還したトリックは不明だったが、サトマには殺す自信があった。

 赤い剣がアルバートのもとへ届いた。

 瞬間、火花が散った。
 甲高い金属音も響いた。

 そして、造血剣の片方が氷に突き刺さった。

 もう一本はアルバートの手に握られていた。
 ブレずに真っ直ぐ水平に振られて、使い手の残心を静かに飾っている。

 投擲された2本の剣に対して、アルバートは一本目を易々とキャッチして、それで二本目の剣を斬り払って見せたのだ。

 ローデンとサトマは硬直してしまった。

「怪物学会では、剣術も格闘術も使役魔術師の必須科目なんだ。先進教育なのでね」

 アルバートはウィットに富んだ物言いでニコリと微笑む。すぐに剣は投げ捨てた。

 捨てられた赤い刃は、流動する血へと戻り、氷を赤く染める。
 
 サトマはゴクリと喉を鳴らす。

「まさか最大の戦力が使役魔術師本人だとでも……? そんな馬鹿なことが……」

 確かめるしかなかった。

 サトマは新しい造血剣を片手に持ち、赤い刃を展開しながら、アルバートの懐へと踏み込んだ。

「練血秘式・凍血彼岸!!」

 喰らえば即死の負の世界が、初手からアルバートの頭を刎ねようと水平から迫る。

 アルバートは上体を素早くそらした。

「っ」

 やっぱり反応できている!

 サトマは確信を得る。
 この使役魔術師は鬼席についてこれる、と。

 前髪をわずかに持っていかれながら、赤い剣がアルバートの鼻先をかすめる。だが、確かに避けた。紙一重の回避だ。

 アルバートは素早く上体を戻して、サトマの顔面にジャブを二発お見舞いした。さらに膝を上から踏みつけ動きを封じ、続くコンビネーションの膝蹴りで、サトマの顎を下方向から打ちあげた。

 サトマの視界がぐらっと揺れる。

 鬼席の俺が、魔術師の蹴りで効かされた?!

 サトマはすぐに造血剣で報復する。

 アルバートは剣を持つ手首を取り、ひねり、武装を解除させる。サトマは魔術師らしからぬ技巧派な動きにをパワーに潰しにかかる。

 アルバートは、鬼席のパワー勝負には付き合わなかった。拳を横から叩いて落として、サトマの顔面に再びジャブを見舞う。
 
 イラついて前蹴りを繰り出すサトマ。

 アルバートは軽々と避けると、怪書を召喚して、堅い背表紙でサトマの横っ面を殴った。

「小賢しいッ!」

 サトマはあたり一帯の、足元の氷を槍状にして突き出して範囲攻撃を見舞った。

 アルバートが怪書を開く。

 すると、地面から槍が飛び出してくるよりも速く、黒い液体が噴出し、そこから太いタコ足が伸び、アルバートの足場となった。

 タコ足の上に避難したアルバートに槍は届かない。

「何をしてるぅう! 相手は翼をもがれた鳥だろうがぁあ!」

 地上のローデンは氷の槍を一本手に取り、へし折ると、それをタコ足の上に立つアルバートへと向けて投げた。

 アルバートがチラッと視線を向けるだけで、タコ足たちは機敏に動き、主人を守る為に、投げ槍の射線をブロックした。

 しかし、『審判者』の力強い投擲を止められるずに、槍の軌道をそらすだけに終わった。

 もっともアルバートにはそれで十分で、彼は一歩も動かずに槍を凌いだ。

「隙だらけだ!」

 サトマは地面を蹴り、アルバートの元まで一気に跳躍して近づく。

 鬼席の隙をついた剣撃を、アルバートは後方へステップして避ける。
 追いかけてくるサトマをジャブで迎撃し、怪書で弾いて、背表紙で反撃する。

 やがて、黒い液体から完全に姿を現したクラーケンがローデンの『練血秘式・血爆裂傷』で爆散した。

 ローデンとサトマは、2人がかかりでアルバートを殺しにかかる。

 だが、鋭利な剣も、地を破る拳も、アルバートの身体をわずかに傷つけるだけで、一向にその命を奪うには至らない。

 それどころか、次第に触れる事すら難しくなっていった。

 アルバートの動きは、まるで2人の動きなど完全に知っているかのように″上手すぎた″。

「ダウンロード完了だ」

 戦闘開始から6分後。
 アルバートは唐突につぶやいた。

 ローデンもサトマも目の前の青年が何を言っているのはわからなかった。

 ただ、何となく″殺される″。
 そんな漠然とした絶望を覚えた。

「うぉおおおお、必殺・ギガント!!」

 血の供給過多で肥大化した腕が、アルバートを潰しにかかる。

 だが、天地を制する一撃は、他ならぬアルバートの刺すような拳一発で中断された。

「がッ、は……ッ?!」

 顎に当たったパンチ、その痛みにローデンは目を充血させ、粉砕された歯と、ねっとりと糸を引く赤い唾液を口から垂らした。

 すかさず、ローデンの腹部に二発目のパンチが突き刺さる。

「あ、がァ、ァッ?!」
 
 ただの二撃、ただの二撃で沈んだ。
 『審判者』ローデンは戦意を喪失した。

 サトマは目を見開く。
 なんだこの悪夢は。
 何が起こっているんだ。

 思考は混乱して取り留めがなくなる。
 わかるのは、今この瞬間、アルバートの戦い方が変わったと言うことだけ。

 サトマは斬り込もうとしていた造血剣を引っこめ、建て直すために距離を取ろうとする。

「それは悪手だ。──お前、もう死んでるぞ」

 アルバートはステップ一つで追いつく。
 先程までの速さの比ではない。その身のこなし疾風のごとし。

 サトマは引き攣ったような声をあげる。
 気がつけば、アルバートは足を引っ掛けてサトマを転ばせていた。転がる視界が、大上段からの全力の一撃が来るのをとらえた。

 顔を狙った殺意の塊とも形容すべき重撃。

 サトマは顔面の血を硬質化させ、さらに両手を十字に固めて顔を覆う。

 ……。

 その後の意識は、サトマにはなかった。

 ローデンは恐怖に震えていた。
 目撃したからだ。アルバートの拳が、サトマの重ねた前腕2つを半ばからへし折り、頭部を熟れた果実のように潰す瞬間を──。

 ただのパンチの衝撃波は、さらに地面に伝わり、区画を覆う氷の檻を決壊させ、『Zシリーズ』サンプル集合墓地兼アダン屋敷展示区画の城壁全体に亀裂を走らせた瞬間を──。

 夢だった。
 完全に夢の中の出来事だ。
 そうとしか考えられなかった。

「なんだ、何なんだ、貴様は……使役魔術師のはずだろぉ、ぉぉぉ……ッ」

 こんな化け物に立ち向かえだなんて無茶だ!
 聞いていた話と違うッ!

 最強の存在として生まれた鬼席の誇りは、あまりの″距離″に完全に打ち砕かれていた。
 
 パワーにおいても、テクニックにおいても、その他全ての能力においても、どうして使役魔術師にすぎないアルバートに劣るのか。

 一体全体どれほどの執念で、力を追い求めれば、そんな領域に辿り着けるのか。

「お前の敗因は俺に知られていたことだ」

 【観察記録Ⅴ】の観察は、個人の持つ戦闘能力すら登録し、アルバートのなかに情報を落とし込む事ができるようになっていた。

「俺を殺せるとしたら、それは俺の知らない人間だけだ」

 ローデンは絶望の表情で涙を流したまま固まっている。

「あとはこちらの教師陣が厚かった事もお前の敗因だ、と彼らの名誉の為に言っておこう」

 『エドガー・アダンの右腕』
 『灰塵』『竜狩り』『紅鉄の鷹』

 優れた戦闘技能を修めるには、アルバートはさほど苦労はしなかった。

 つまるところ、皆勘違いしていただけだ。
 現在のアルバートは正しく『怪物』だった。

 発達したブラッドスライムと人体改造、生物として次の段階に入ったEx(エクストラレベル)の獲得、最高峰の戦闘技術──。

 前回のアイリス暗殺の失敗から過剰に次ぐ過剰、保険に次ぐ保険、予備に次ぐ予備として、最後に信じられる自分自身を徹底的に鍛えた。

 その結果、アルバートは『怪物』となった。

「眠れ」

 アルバートは戦意喪失したローデンの頭を、腰を入れずに殴打して一時的な死を与えた。

「ダ・マン。外の敵を追い払ってこい。皆殺しは後々の世間体が良くない。追い払え」

 怪書の怪物図鑑に記載されたダ・マンに関する記載情報が、煙となって焼けるように消えていく。

 血の呪いと、物理的な拘束によって、魂まで氷づけにされたダ・マンが活動を再開する。

 自力で氷を打ち破り出てくるほど、記録焼化バフで強化された姿は神々しくすらあった。

 ダ・マンはアルバートの指示を忠実に聞き、倒れているローデンの頭を鷲掴みにする。

「グッドアイディアだ」

 感心する主人に、ダ・マンは無言でうなづき、ローデンを引きずって、『審判者』によって破壊され尽くした荘園を引き返しはじめた。

 ダ・マンを見送ったアルバートは近くに水辺があることに気がついた。
 青い氷が溶け出して、薄く膜を張っているのだ。

 アルバートはそこへひょいっと身投げする。
 深さ1センチも無い、ただ水たまりだ。

 されど、アルバートの身体はプールに飛び込んだかのように頭まで沈んでいき、彼が再び水面から上がってくる事はなかった。
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