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継承される意志

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 灰色の空のした、アルバートはあてもなく庭園を歩きまわっていた。

 彼の手には魔導書が握られている。
 刻印のなかに封入されていた召喚の術式にそのままのカタチで仕込まれていたものだ。
 
 魔術師が継承する刻印には、その代まで脈々とつづいてきた魔術師たちの生きた証が、生命の息吹として刻まれている。

 ワルポーロからアルバートへ刻印を転写した時には、かならず父親よりも大きな刻印がアルバートの身体に刻まれるものだ。

 その点に関していえば、たしかにアルバートの刻印はワルポーロよりも大きい。

 いいや、異様なほど大きすぎる。
 それは3代目の刻印という意味でも、はたまたひとりの魔術師として見ても同じく高い評価があたえられるだろう。

 手の甲からのぼり、肩口まで、さらに左胸にかけて伸びる幾何学的模様は、これまでの魔術史には記録されていないのだ。

「大きければ大きいだけ、多くの式が刻まれてるはずなんだけどな。俺が息をするように行えるのは本の召喚だけだ」

 アルバートは魔導書開いて、そこに羅列する文字を読もうとして……すぐに閉じた。

 頭が痛い,

 この本は開いてページに目を通そうとするだけで、ひどい頭痛に襲われる。

「なんなんだよ、これ。こんなんじゃ意味ないだろうに」

 読めない本ほど無意味なものはない。

 ゆえにアルバートはペラペラ読みを何度もくりかえして、中身の把握につとめた。

 その結果、かろうじてなにが書いてあるかを読み取れた。

 いくつか挿絵のようなものがあり、およそモンスターたちに関する生態をまとめた図鑑になっているとわかる。
 
 ただし文字がおかしい。
 そもそも、人間の標準語であるエーテル語で書かれているかも疑わしい。

 さらに悩ましいことがもう一つ。
 魔導書には白紙のページがたくさんある。

 読むと頭が痛くなる。
 そもそも読めない文字。
 本の9割が白紙。

 召喚する魔導書にしては、いろいろと本の能力的に落ち度がありすぎではなかろうか。

 ただ、これらの事象には必ず意味がある。

 アルバートはその意味を考える。
 
 通常、刻印のなかに仕組まれていた式ならば、それはつまるところアダンという魔術家の歴史のどこかで使用されたということ。
 
 それも一度や二度ではない。
 次の代に継承されるほどに、先代はこの魔術のあり方を未来に届けたかったはずだ。

 しかして、不思議なことにワルポーロは魔導書に見覚えはないと言っていた。

 嘘をついている可能性はある。
 エドガー・アダンの【怪物使役式】を喪失させた責任から逃れるために。

 アルバートは自分の父のことは大切だが、絶対の信頼をおくには頼りないと6歳のころから判断をくだしている。

 ただ、今回の件に関しては嘘をついているような感じはしなかった。

 アルバートは思い悩み、もう一度、魔導書を開いてみることにした。

 が、結局、頭痛がしてすぐに本を閉じた。

「父さんでないなら、この魔導書をつかっていたのは誰か」

 わずか3代しか続いていない系譜だ。
 
「エドガー・アダン、か」

 答えにたどりついたと少年は確信する。
 
 この魔導書の出所は祖父だ。
 では、彼がつかっていたこの魔導書を召喚する魔術にはいったいどんな意味がある?

 こんな一介の書物としての機能すら果たさない紙束を、魔力をつかって呼び出す意味。

「……まだ情報が足りないか」

 なにはともあれ、まずはワルポーロに話を聞いてみるのが先決だ。

 ──しばらく後

 アルバートは屋敷のなかへ戻ってきた。

 彼が向かうのは父親のところだ。
 メイドに一言断って父の寝室へ入室する。
 
「失礼します」
「アルバートか……。よく来たな」

 アルバートは部屋の奥で横になる父の顔をうかがう。
 
 顔色はよくはなかった。
 だが、最悪というわけでもなかった。
 数日前の狂乱を思い出せば、ずっと調子はよさそうに思えた。

 ここ数日寝たきりのワルポーロへ、アルバートはゆっくりと近づいていく。

 彼のかたわらにはアダン家に代々つかえているモンスター、黒犬パールがまるくなっていた。

 故・エドガーの愛犬でもあった。

「わふッ!」
「よしよし、すこし話すだけだからな」

 パールにも嫌われてしまったか。

 黒き忠犬の使命は今は亡き真の主人エドガー・アダン最期の言葉を遂行すること。
 そのために、仕方なくアダンの系譜である俺やワルポーロにつかえている。

 アルバートはため息をつく。

 刻印を途絶えさせた以上、パールに嫌われても仕方のないことであった。
 それでも、小さい頃から知っている彼女に嫌われるのは温もりが欠けた気分になった。

 アルバートは父親の体調を気づかうように、すこし会話をしてから本題にはいった。

「父さん、実はあの本のことでして」
「だと思ったぞ、アルバート」
「はい。それで例の本の作成者がおそらくあの人なのではないかと思い至ったのですが」

 アルバートは思考の帰結を説明した。

「なるほど。たしかにそう考えるのが自然だ」

 ワルポーロはこけた笑みをうかべる。
 例の一件以来みるみるうちに痩せている。

 アルバートは眉根をひそめながら、先をつづけた。

「父さんは見たことないんですか。あの本をおじいちゃんが使っているところを」
「残念だがアルバート、もう無理だ」
「……はい?」

 質問の答えになっていない。

「どうせ私ごときでは偉大なるエドガー・アダンのあとを継ぐなど土台無理な話だったんだ……! アルバート、もう諦めろ。お前も私と同じ落ちこぼれなんだ!【怪物使役式】は今や完全に失われた……もう私たちはおしまいだ!」

 ワルポーロは血走った目玉で息子を睨みつけ、奇声を出しながら掴みかかってくる。

 アルバートは身を素早くひいて避けると、アダン家の執事長の名を呼んだ。

「アーサー!」

 その一声でどこからともなく鋼鉄の老紳士があらわれる。
 モノクルを掛けた銀髪染めの60代だ。

「旦那様、失礼いたします」

 一言ことわってから、アーサーはワルポーロの首の裏にかるく手刀をくらわせた。
 それだけで、自棄になったいた彼は白目をむいて意識をうしなった。
 
「父さんを部屋から出さないように」
「かしこまりました、坊っちゃん」

 アルバートはひとつうなずき足元に落ちた魔導書を手にとる。

「そういえば、アーサー」
「はい、なんでしょうか」

 アーサーは、メイドの手を借りてワルポーロをベッドに寝かせながら耳をたてる。

「この本、見覚えあるか?」
「いえ、ございません。屋敷にある書籍はすべて把握しているつもりでしたが……それは見たことがないですね」
「思うにおじいちゃんの本みたいなんだが。もう一度聞く、本当に見たことはないんだな?」

 アルバートは念を押して聞く。

 アーサーはエドガーの晩年から仕えている。ゆえにこの本と、かの伝説の魔術師をむすびつけられる可能性は彼が一番高い。

 アーサーはモノクルの位置をなおして、アルバートの掲げる魔導書を吟味する。

「いいえ、残念ながら。やはり見たことがございません。中身を拝見しても?」
「それはやめたほうが良いかもしれない」

 この本の不可解な能力について話した。

 アーサーは「なんと」と驚いたような顔をしたのち「ついて来てください」と、主人を先導して歩きだした。

「どこへ行くんだ」
「書庫でございます。保存されている資料にそちらの魔導書と類似した書物についての記載があったのを覚えています。もうずいぶん古い記憶ですが」
「そうか。流石はアーサーだ」
「恐縮でございます」

 ──しばらく後

 執事長アーサーと談話しながら書庫へ到着した。
 
 今のアダン家、そしてこれからのアダン家について話すことが多すぎて、皮肉なことにふだんは寡黙なアーサーとの話は弾んだ。

 未来を憂いた話の続きをしたいが、今は例の資料を探そうか。

 しばらく、2人で書庫をひっくり返しているとアーサーから「ありました」と淡々とした、されど耳触りの良い声が聞こえる。
 
 顔についた埃をうっとおしく思いながら、執事の見つけた資料に目を通す。
 
 資料は古い時代のものだ。
 保存状態が悪く、腐食が進んでいるが、なにが書いてあるか読み取ることはできる。

「懐かしいです。これはエドガー様の筆跡」
「魔術式のようだな。やはり、おじいちゃんは魔導書自体になにか特別な魔術をほどこしてる」

 俺とアーサーは資料を読みこんだ。
 おかしな記述を見つけた。

「細胞段階での生物の使役……? 既存のモンスターをテイムする従来の魔術では、″キメラ″の使役は困難……」

 身も凍るようなことが書かれていた。

「対象の観察情報のデータベース化……魔力をもちいた登録モンスターの複製生産、個体との乖離率は0.001%以下……」

 つまるところ、この魔導書は観察記録という行為をもちいて、図鑑化されたモンスターを実体化させる──生命創造の魔術だ。

「明らかに魔術協会の禁忌に抵触してる、おじいちゃんはこんな魔術を研究してたのか」
「そのようですね。ご自身の魔術に関することはまるで教えてはくれませんでしたが、このような理由があったとは」

 衝撃の事実に放心してしまう。
 この知識をどうするか思い悩んでいると、ふと、アルバートは資料の隙間に、封蝋された古手紙を発見した。
 
 アーサーと目を合わせてうなずきあう。
 固まった蝋をわって手紙を開いた。

 ───────────────────

 我が貧才の息子ワルポーロへ
 ──あるいは我が預かり知らぬ子孫へ
 
 我が【怪物使役式】は限界を見た。およそ今代における深淵への到達は叶わず。しかし、我が魔術、我が血、我が生涯の研究を無窮の白紙に還すこともまた望まず。
 ゆえに我が血族の脈々へ、この魔術の完成を託そうと思ふ。我が人ならざる友たちの手を借りて、我、一冊の怪書を編纂せり。やがて深淵へいたれる者あらわれし時、魔導継承刻印にて我が道半ばの研究を未来へ繋がん。

        愚者エドガー・アダンより

 ───────────────────

 アルバートは手紙の裏を見る。

「あまねくすべての生物は次の進化を待っているのだ……」

 記された言葉をそのままに読みあげる。
 
「ぉぉ、なんと……ぅぅ、まるで、かつてのご主人様が蘇られたかのようです」

 アーサーはハンカチで涙をぬぐった。

「生前のご主人様はその言葉をよく口ずさんでおいででした。……そうですか、ご主人様は坊っちゃんを待たれていたのですね」

 そうか。
 やはり、なにも終わってなどいなかった。
 今から始まるのではないか。

 アルバートは10歳の少年らしい、キラキラとした笑顔をうかべた。

 そして、怪書を堂々と開いてそこに書かれている脈動する文字たちに視線をおとす。

 本はもう少年を拒絶しなかった。
 彼は驚異の智慧を獲得してしまったのだ。





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