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03.
しおりを挟む「譲さん、お帰りなさい。お疲れさまでした」
「た……ただいま戻りました。秋吉さんもお疲れ様です」
秋吉と奇妙な同居生活を始めてから譲のQOLは爆上がりした。
大学の講義と提出する課題を死に物狂いで熟し、空いた時間はとにかく出来るバイトは全て詰め込みクタクタで帰宅して力尽きる……と言う生活が一変したのだ。
知らない間にただでさえ少ないスペースを占領していた祥の私物は纐纈が何から何まで引き取ってくれた事も大きいけれど、何というか大柄な男性と二人で居るのに部屋が広く感じられる。それは秋吉が恐ろしい程家事が達者だからだ。
高級なスーツに身を包むクールな大人の男性である秋吉は……ドラマの中でしか存在しないと思っていた『スパダリ』と言う人種だったのである。
料理、洗濯、掃除、整理整頓、優しい気遣いや心配り……その全てに一切の隙が無い。
「今日は以前好評だったポトフとマグロのカツ、シーザーサラダにしましたよ」
「本当ですか?! い、いつもすみません……あの、本当に……お金」
お金の話をすると彼はいつも大きな掌をこちらに向けて制してしまう。
彼が言うには自分の上司である纐纈の頼みで譲は不本意な秋吉との生活を強いられている。だから食費などは全て纐纈から貰っている、と言う事だった。
何か思い入れのある家具はありますか? と聞かれて何も無いのでそれを伝えると気付いた時には基本的にリサイクルショップを利用して手持ちと相談しボロボロの物でもなんとか揃えた統一性皆無の家具は総入れ替えされていた。
古いアパートで押し入れとか襖とかガラス戸の感じとか全部どうやったって昭和レトロから脱する事は難しい筈なのになんでか小洒落た部屋になっている。
絶対高い!!! と震えながら譲が問うとなんと全てお値段以上のお店で揃えたというでは無いか。
なんということだ。秋吉はセンスすらとんでもなく良かったのだ。
ここはとても古いアパートで譲が大学を卒業し退去した後取り壊しが決定している事から既にお隣さんも真下の部屋も空き部屋の為古い割に騒音関係で悩まされる事は無い。
それに加えてリノベーションの類も好きにしていいと言われている事を伝えると秋吉は色々と壊れて不便だった箇所をDIYで直してくれたりもした。
お礼を言うと日中は暇なのでやる事がある事は逆に助かると言ってくれたりするし、キッチンにもそれまで申し訳程度に置かれていた一口ガスコンロを廃棄して二口コンロを置いた秋吉はご飯まで作ってくれる様になっている。……そして、それがまたとんでもなく美味しいのだ。
それもとっても嬉しいのだが、譲が一番感動したのは彼が押入れをデスクに改造してくれた事だった。
譲の私物は元々かなり少なく本来の押し入れはガラガラだったのにいつの間にか祥の私物で占領されパンパンになっていたそこは今やインスタグラムに載せたらバズっちゃうんじゃない?! と言うレベルのお洒落さと実用性を兼ね備えていた。
……秋吉さんが来てくれてから、良い事ばっかりだ。
ずっとほぼ一人だった空間。
そりゃ祥はたまに転がり込んで来てはいたけどお互いの目を見て笑い合う会話があったのは初期の初期だけでアイツは殆どスマホを操作しながらこちらが話しかけても上の空。
それなのに自分が何かして欲しい事があると視線をスマホに固定したまま「譲~、俺コーラ飲みたいなー」とか「譲ー、俺お腹空いちゃったー」とか言うんだ。
そしてそれを譲がレポートを書いていた手をわざわざ止めて実行しても礼を言いもしなければこちらを見る事もしない。……本当に、何故あんな男に……そこまで考えて譲は考えるのを一度止めた。
自分が悪かったのだ。
違う、自分『も』悪かったんだ。
甘やかしはいはいと文句も言わず従っていたその譲の姿勢こそが祥が元々持っていたクズの思考を増長させた。自分は『ダメ男製造機』の素質があるんだ、と。
勿論祥の方も学生の身とは言え成人はしているのだから自分の行動を自分で制する必要があったのは当然だが譲は自分が本来取らなければいけなかった正しい行動を選べなかった自分を今も恥じている。
「ご馳走様でした! 本当に美味しかったです、毎日ありがとうございます」
「お粗末様でした。ああ、食器はそのままで。譲さんは少し休んでください」
最初は寡黙で無口な強面系男前だと思っていた秋吉は意外と喋るし、沈黙でも全然息苦しくないという不思議な空気感を持っている。そして何より優しい。
だからテレビも無い譲の部屋に二人きりで居ても全く苦痛じゃ無いのだ。
今だって食事を終えて当たり前の様に食器を洗おうとする譲を簡単に制して自分がさっさと動くし、彼の優しいけれど有無を言わせない笑顔は譲を席に簡単に留めてしまう威力がある。
本当に家事に慣れている人は料理を作りながらその都度後片付けも並行して行う、と言う話を何処かで聞いた事があった通り秋吉は料理が完成する時にはほぼ使用した調理器具の洗浄は終わっているので食事後の片付けも本当に早い。
さささっと物の数分で二人分のお皿を洗った彼はマグカップに夜だからかノンカフェインのお茶を淹れて優しい笑顔で戻って来てくれた。……こういう所が彼をスパダリと感じる一端でもある。
「どうぞ。明日からは休みですよね? 少しゆっくり話しませんか?」
「あ、ありがとうございます。もちろんです」
礼を言ってすぐに一口飲む。
彼が淹れてくれるお茶は初めて飲む物ばかりだが何を飲んでも本当に美味しい。
ほうっと一息ついている譲に秋吉が話しかける。
「差し出がましいとは思いますがもう少しアルバイトを減らす事は出来ませんか? いつ身体を壊すかといつもひやひやしています」
「お気遣いありがとうございます。でも僕は奨学金と自分のバイト代でなんとか生活しているので少しでも時間があるならとにかく働きたいんです。それに最近は秋吉さんのおかげでかなり余裕が出来たので、本当に感謝しています。ご飯も美味しくて体調も良いです」
働き過ぎを指摘されるのは実は初めてではない。
学費、生活費、そしてもう直ぐ来る就職活動の為の費用、卒業後の引っ越し代……本当にお金はいくらでも飛んで行ってしまうので貯められる内に貯めたいのが本音だ。
今は秋吉が食費を出してくれるという奇跡のような特別期間の為浮いたお金も本当に有難く貯金させて頂いている。
更に言うとポストに届いた光熱費の請求書類も彼がさっさと近くのコンビニで支払ってくれるのだが今の所渡されるのは領収印の押された半券部分だけでいくらねばっても彼が譲からお金を受け取ってくれる事は無い。
「それは若の我儘に振り回される譲さんが正当に受け取るべき対価ですよ」
「でも、ここまでしてくれるのは秋吉さんが優しいからじゃないですか」
譲は本当に秋吉に感謝している。
だってもし一緒に住む事になったのが彼じゃ無かったら……そう、言い方は悪いけれど『いかにも』なチンピラ系のお兄さんだったら多分譲は確実に胃に穴を開ける事になっていた筈だ。
真面目な顔で言い切った譲の顔をしっかり見つめながら秋吉がいつもとちょっと違う感じで笑った。
「私の優しさは完全なる下心から来ているのでお気になさらなくて結構ですよ」
「……?」
したごころ?——下心。
勿論聞いた事はあるし、意味も知っている。
でも秋吉の様に素敵な大人の男性が自分に向ける言葉としてはどう考えてもおかしい……ああ、そうか。成程。
「分かりました! 次纐纈さんにお会いする事があったら秋吉さんは本当に僕なんかにも優しくて、ありとあらゆる方面で心を砕いてくれた素晴らしい方だと必ずお伝えします!」
任せて下さい! そう力強く頷きながら言った譲を秋吉は一度吹き出しはしたが直ぐに一度咳払いして、今まで見た事が無い『男性』の顔をして新しくなったテーブルの上でマグカップに手を添えたまま手を温めていた譲の手に自分の大きな手を重ねる。
「『そっち』の下心じゃなくて『コッチ』の下心です。……いくら若の命令でも相手が譲さんじゃ無ければここまではしてませんよ」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、アキヨシサン?」
「はい?」
マグカップはさり気無く取り上げられたうえで遠ざけられた。そして空いた譲の手に指を絡めた秋吉はちゅ、と譲の手に口付けて男性的な色気を駄々洩れにしつつ微笑む。
「アキヨシサン?! ア、アキヨシサン!?」
「はい」
異常事態に顔を真っ赤にした譲が壊れたロボットの様に繰り返す様を楽しそうに笑って返事をしつつも楽しそうな手への口付けを彼はやめない。
彼の様な素敵な男性にこんな風にして貰える理由が一切見付からない譲は混乱しながらも考えた。
考えて考えて考えて……ようやく譲の中で納得が出来る案が一つ見付かった。
「秋吉さん! 大丈夫です、こんなことしなくても、俺、本当に大丈夫です」
「話して下さい。今度はどんな方向に考えが飛んだか把握したいです」
大人の声で返しつつキスをやめてくれた秋吉の目を譲は赤みが引かない顔のまましっかりと見据えて言った。
「纐纈さんから頼まれてるんですよね?! でも大丈夫です! 俺、本当に祥に対する気持ちは一ミリも、一ミクロンも残って無いです。だからアイツがここに戻って来て秋吉さんが連れて行ってくれればやっとちゃんと縁が切れるって安心している位なんです! だから、秋吉さんがここまでする必要なんて本当に無いんです!」
ぐっと自分の空いている方の手で拳を作りながら言った譲を見て秋吉は「成程、そう来ましたか」と喉の奥だけで笑った。
「若が譲さんがまだ跡部祥に未練を残している可能性を危惧していて、それをゼロにする為に私にあなたを寝取る様に命じて私がそれを忠実に実行しようとしている……そうあなたは考えた、と言う認識で間違いないですか?」
「その通りです!」
だって極道の世界の上下関係の強さはただものでは無いとドラマで見た事がある。仁義もないらしいし。
強い力で肯定しながらそんな事を言った譲に対して秋吉はついに本当に噴き出し、声を上げて笑った。
彼は確かに譲と二人でいても良く笑った。でもそれは「ふふ」とか「ははっ」とか無言での「にこ」くらいで、今みたいに声を上げて呼吸すら怪しい感じで……言うなれば『腹を抱えて笑う』レベルの大笑いを見るのははじめてである。
混乱を極める譲の顔を愛しそうに眺め、秋吉は自分の目に生理的に浮かんだ涙を指先で拭い去ってから深呼吸をして続ける。
「譲さん……『最初に』見た時も思いましたが、あなたは本当に可愛い」
「え?!」
「今時珍しいレベルの苦学生なのに文句を言う事も現状を嘆く事もせず、やるべき事はキッチリと自分の力だけで行う……その若さで本当に素晴らしいと私は思っています。中々出来る事ではない」
「秋吉さん……」
——そんなあなただから、甘やかして守ってあげたいと私は思いました。
ゆっくりと迫って来る唇を避ける事は簡単だった筈なのに、譲は自分の意志で動かなかった。
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