猫をかぶるにも程がある

如月自由

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番外編

2 救われた仲間だから

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「あの話って、本当? めっちゃ浮気してたとか、相手のことすごい雑に扱ってたとか」

 一樹さんはますます眉根を寄せて視線を彷徨わせた。そのまましばらく黙っていたが、やがて観念したように話し出した。

「……えっと……千冬くんの家族相手に、嘘ついてもしょうがないから言うけど……あー……その、本当、かな」
「うわ……」

 思い切り顔をしかめてしまった。私の視線を受けて一樹さんが小さくなる。
 やっぱりお兄の選んだ人なんだな。私はそう、変に納得してしまった。

「……私は、正直ね、浮気する人の気持ちって全然分かんないから……何で浮気するんだろうって純粋に疑問だし、そういう人ってまた浮気するんじゃないのって思っちゃう」

 思い切って素直な気持ちを伝えてみた。お兄が納得してるなら私が口出しするべきことじゃないのかもしれないけど、でも紹介するってことは、家族にも相手を見極めて欲しいってことだとも思ってるから。
 一樹さんは、私の言葉を少しも否定することなく「うん」と頷いて、小さく呟いた。

「そう……だね。それが普通だよね。俺なんかが信用されないのは、当然だと思う」
「……今は浮気してないんだよね?」
「当たり前だよ! もうあんなことは絶対しない! ……って言ったところで、信じてもらうのはすごく難しいよね……」

 一樹さんは肩を落とした。
 私は考えた。一樹さんは……嘘を言っていない気がする。彼からは、話や嘘が上手い印象は受けない。この話だってもっと誤魔化すことはできただろうに、悩みながらも全て正直に話している、ような。
 少なくとも、私相手には誠実であろうと努力しているように感じる。それは私がお兄の妹だからだろう。っていうことは、きっとお兄相手にも誠実に向き合おうと頑張っている、んじゃないかな。

「……一樹さんは、お兄のどこが好きなの?」

 ここで「顔」とか「明るいところ」とか、そんな答えしか返ってこないようなら、私は一樹さんのことを認められないと思う。
 私の問いを聞いて、一樹さんは表情を柔らかく崩した。「そうだな……」と思い返すように言うその声には、はたから聞いても分かるくらいに愛しさが表れている。

「色々あるけど、全部、かな」
「たとえば? 顔?」
「まあ、うん、それもあるよ。最初は、その、一目惚れだったし」
「ふーん」

 それくらいなら誰でも言える。お兄に一目惚れする相手だって山ほどいるだろう。少しテンションが降下したのを感じる。
 しかし一樹さんは、「でもね」と話を続けた。

「顔ももちろんだけど、一番好きなのは……考え方、かな」
「考え方?」
「うん。……俺、コンプレックスとか思い出したくない過去とかが山ほどあるんだけど、千冬くんはなんてことない顔で受け止めてくれてさ。別に一樹は一樹だしそのまんまでいいよ~って感じで。たぶん、『こうじゃなきゃ駄目』とか『この属性の人間はこうだ』っていう偏見を持って人を見ない、っていうめちゃくちゃ難しいことを当然のようにやってるからかな。
 それから、悩んだらとりあえず一歩踏み出してみるとか、マイナスなことも前向きに捉え直してみるとか、俺ができないことを軽々とやってのける人だな、とも思ってる。
 だから、隣にいるだけで俺の知らない考え方を教えてくれるし、そしたら俺の物事の捉え方もちょっとずつ変わってくから、なんか俺の人生捨てたもんじゃないなって思えるっていうか。そういった、千冬くんの人間としての在り方、って言うと大げさかもしれないけど、俺はそういうところを一番尊敬してるし、一緒にいるだけで救われるんだ。
 俺こんなに好きになった人って初めてでさ、もう千冬くんが楽しく生きててくれるだけで嬉しいし、千冬くんみたいな人が生まれてくれたってだけでこの世界を好きになれたくらい。それから――」

 一樹さんはそこまで一息に話した後、はたと気付いて「……あっ、ご、ごめん! いきなり長々と語り出しちゃって……!」と恥ずかしそうに謝ってきた。

 お兄の好きなところを語っている時、一樹さんの顔は面白いくらいに輝いていた。瞳が「好きだなあ」って気持ちできらきらしていて、少し憂鬱そうな雰囲気が嘘みたいに晴れて、話す声は明るく弾んでいて、身ぶりまでつけちゃって。何だか、アイドルオタクの友達が推しについて語っている時にすごく似ている。
 一樹さんが以前どうして浮気をしていたのかは知らない。だけど、きっとお兄と付き合っている今は、本当に浮気しないんだろうなとも思う。さすがに、この熱量で語った気持ちが嘘ってことはないだろうし。
 何より、一樹さんはお兄の表面だけじゃなくて内面の部分が一番好きだと言っていたから。私は何だか嬉しくなった。

「一樹さんって、本当にお兄のことが大好きなんだね」
「もちろん! ……なんか、ちょっと恥ずかしいな」

 照れ笑いする一樹さんはふにゃっとした雰囲気で、別に男性が好きじゃない私でも可愛く見えた。お兄はこの人のこういう顔が好きなのかもな、と唐突に思う。

「でも、千夏さんも――」
「さん付けって距離遠いから、ちゃん付けとかの方が嬉しいな」
「あ、そ、そっか。えと、じゃあ、千夏……ちゃん、もきっと、お兄さんのこと好きなんだよね?」

 とてもぎこちないちゃん付けだった。もしかしたら異性に慣れてないのかもしれない。そんなことを思いながら私は「そりゃあね!」と頷いた。

「だよね。こうして俺を連れてきたのも、お兄さんが心配だったからでしょ?」
「……うん、そう。こんな言い方はあれだけど、お兄っていっつも地雷踏むし、それから正直……私、一樹さんにあんまりいい印象がなくて」
「あー……うん。そうだよね。俺みたいなやつを彼氏だよって紹介されても困るし、こいつ大丈夫かって思っちゃうよね。……いいところないし、全然釣り合ってないし」

 一樹さんは自嘲気味に呟いた。彼の手元にあるアイスティーは氷が溶け切って、水と紅茶の層ができてしまっている。
 ちなみに私は頼んだパフェを普通に食べ進めているため、そろそろなくなりそうだ。冬季限定の苺とチョコのパフェ、結構美味しかったな。ドリンクバーから持ってきた烏龍茶は既になくなっている。

「……千冬くんって、本当にいいお兄さんなんだろうな。俺もこんなお兄さんがいたらよかったのになって、思うし」
「いいでしょ! 一樹さんは兄弟いるの?」
「いるよ。三つ上に兄がね」

 一樹さんは目を伏せた。まつ毛が黒い瞳を覆い隠している。
 聞いちゃいけないことなのかな、って思ったけど、私が話を変えるよりも先に一樹さんは「俺ね」と話し出した。

「千冬くんのことを好きになって、俺からアプローチしたって時点で分かるとは思うけど、ゲイなんだよ。昔っから。異性を好きになれた試しがないし、異性に告白されるのが嫌で」

 私もだ、と思った。私も、昔から好きになるのは女の子だったし、異性に言い寄られても何だかもやもやして嫌だった。
 共学だった中学の時とは違って、女子高に通っている今は異性との関わりはあんまりない。だけど、それでも時々異性にナンパをされると、じわりと苦い思いが滲む。

 かっこいい男の子にときめいている周りの友達を、否定するつもりは全然ない。素敵なことだし、それが普通のことなんだと思う。
 でも私は、可愛い女の子が好きだ。柔らかくって、しなやかで、守ってあげたくなるような女の子が。筋肉で硬くて、がっしりしていて、頼り甲斐がある男の子を好きになる気持ちは、まるで分からない。
 以前私のことを好きになってくれた男の子とデートをしたことがあるが、何だか身の丈に合わない洋服を着ている気分になって、すごく違和感があった。

「……私も、そうだよ。私も同性が好き」
「うん。前に千冬くんから聞いたことある」

 自分も同じだからなんだろうけど、一樹さんは当たり前のように頷いた。何も追求してこない。それに少し救われた。

「その『同性が好き』ってことを、俺の兄は一切分かってくれなかったんだ。それどころか、いつかは異性を好きになってになれるから大丈夫だ、なんて言ってきて」

 ああ、それは嫌だ。すごく嫌だ。そんなことを家族から言われたら、きっと心が折れてしまう。
 少数派の私たちは、日々ちょっとずつ「自分は異質なんだ」っていう世間からのメッセージを刷り込まれていく。それは目に見えない空気感であったり、悪気のない言葉だったり、時には明確な悪意として形になっていたりする。
 そのことを理解せず、というか想像すらしようとせずに、無遠慮にこちらの心を踏み荒らしてくる人はたくさんいる。きっと、一樹さんのお兄さんもそういう人だったんだろうな。

「それから……これは千冬くんにしか話したことないんだけど、そのせいで俺……中学時代に、いじめられててさ。だから、自分の性的指向がものすごくコンプレックスで」
「あ……」

 暗い声で語られたそれは、私にとっても身に覚えのあることだった。
 あれは中学生の時だ。私は当時、同じ陸上部の先輩のことが好きだった。そのことを、同期との恋バナになった時、冗談混じりで話したことがあった。そしたら同期の代表格だった子が、嘲るような表情でこう言ったのだ。「え、レズじゃん。マジありえないんだけど~!」と。
 最初は、その子とその取り巻きたちに遠巻きにされてくすくす笑われるだけだった。だけど、私がレギュラーに選ばれ続けていたことが鬱陶しかったのかもしれない。次第にそれはエスカレートしていって、最終的に大会直前にスパイクを捨てられた。
 大会頑張れよって、お兄がバイト代で買ってくれたスパイクは、ゴミ箱の中でずたずたになっていた。

 私は、スパイクの残骸を見たお兄が本気で怒ってくれたから、私がいじめられたきっかけの「同性が好き」ってことを当然のように受け入れてくれたから、救われたのだ。自分にコンプレックスを持たずに済んだし、いじめなんてかっこ悪いことするやつは実力で見返してやるって踏ん張れた。
 あの時お兄がいなかったら、って思うと、すごく恐ろしくなる。私はきっと陸上をやめていたし、他人が怖くなっていたかもしれない。
 ……その時の一樹さんのそばには、お兄みたいな人がいなかったんだろうな。

「でも千冬くんは、同性が好きでも別におかしくないじゃん、恋愛に普通ってなくね? って感じであっさり言ってくれるから、それに……すごく救われたんだ。ほんと、言葉にできないくらい」
「……うん」

 すごく、分かる。その時の、ああ私このままでもいいんだって、ひどくこわばっていた身体が緩んで温かく包まれるような気持ち。
 そんな気持ちにしてくれたお兄は、別に大したことしてないよって顔をしてるから、そんなのお兄のこと大好きになるしかないじゃん、ってことも。
 私がお兄にもらったたくさんの温かい気持ちは、たぶん一生返し切れないと思う。少し返したそばから、また新しくくれるから。一樹さんもそうなんだろうな。もしかしたら、もっとかも。 

「だから、俺は、千冬くんのことを絶対に幸せにしたいって思ってる。……俺なんか欠点だらけだし、面倒くさいし、信用できない過去だってあるダメダメな男だけど……それでも、この気持ちは絶対に嘘じゃない、から」

 表面だけの薄っぺらい言葉じゃなくて、心の底から湧いてきた気持ちを、ぎこちないながらも形にした言葉、って感じがした。これ以上真摯な言葉って、なかなかないんじゃないかな。
 お兄はきっと、この人をさらりと救っちゃったんだろうな。私も救われた仲間だからよく分かる。一樹さんはお兄のことが本当に大好きで、たぶんこの先もずっと大好きだってことと、全力で幸せにしようと頑張ってくれるんだろうなってことが。

「……お兄のこと、絶対、幸せにしてね。浮気なんてしたら私が許さないから」
「うん、もちろん!」

 一樹さんは勢いよく頷いた後、顔色を伺うようにそっと私を見た。

「……俺が、千冬くんとお付き合いすること……認めて、くれるかな……?」
「うん。一樹さん、ちゃんとお兄のこと幸せにしてくれそうだし、お兄の上っ面だけ見て好きになった訳じゃなさそうだし」
「! よ、よかった……!」

 一樹さんは目に見えて脱力した。雰囲気が安堵したように綻んで、表情からぎこちなさが抜ける。
 そして初めて気が付いたように目の前のアイスティーに目を止め、一気に飲み干した後「ごめん、俺飲み物取ってくるね。千夏ちゃんは何かいる?」と手を差し出してきた。
 私が「じゃあ抹茶ラテほしい! アイスの!」とコップを遠慮なく差し出すと、一樹さんは「了解」と何だか嬉しそうな顔で席を立っていった。

 ふとスマホを見ると、お兄から「よく分かんないけどまだかかりそう?」と連絡が来ていた。
 私は「一樹さんとらぶらぶしてるからまだかかります」というメッセージを可愛い絵文字と一緒に送り、ついでにうさぎのキャラクターの可愛いスタンプも送っておいた。
 そしたらすぐに既読がつき、困惑するようなスタンプが返ってきたから、私は何だか笑ってしまった。
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