猫をかぶるにも程がある

如月自由

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本編

11 お前すげえ頭悪い飲み方するじゃん

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「じゃあ店長、お疲れ様っす」
「お疲れ様。いやぁごめんね、結局ラストまでいてもらっちゃって」

 タイムカードを切った後、バイト先の店長にそう頭を下げたら、店長は申し訳なさそうな顔で手を合わせてきた。俺は首を振りながら「いやいいっすよ、どうせ暇だったんで」と答えた。
 時計を見上げたら、午前二時を三十分ほど過ぎていた。

 本当は、今日俺は日付が変わる前までのシフトだった。サークル合宿から帰ってきたばかりだったから、疲れてるかなと思ってそういうシフト希望を出したのだ。
 だけど、そういう日に限って店がものすごく忙しく、また一人の従業員が体調不良で来られなくなった。
 で、「もうちょっといてくれない?」と店長に頼み込まれてずるずる働いていたら、いつの間にかラストまで働くことになっていた、という訳だ。

 こういうことは俺のバイト先では割とある。店長が気に入ったやつしか雇わないから、常に人がカツカツなのだ。
 繁盛しているんだからもっと雇えばいいのに、学生バイトに至っては俺しかいない。逆に何で俺のことは雇ったんだろうな。
 だが別に暇だし、バイト先から住んでいる場所まではギリギリ歩いて行ける距離だし構わない。終電後のシフトの日は大抵タクシーを使っちゃうけど。ここ時給高いし。

 あと、今日の夜は一人になりたくなかったから好都合だった。今頃、千冬くんはサークル合宿を楽しんでいる頃だろうから。
 千冬くんは優しいからわざわざサークル合宿で何をやるのか教えてくれた。三日目の夜は、バーベキューをやった後に飲み会をやるらしい。
 俺は、口でこそ「楽しそうだね」なんて言ったものの、心の中では決して綺麗とはいえない感情がぐるぐる渦巻いていた。

 だって、飲み会だ。しかも合宿所っていう寝泊まりする場所で行う、恐らく朝までの飲み会。そのうえ千冬くんの元カノは同じサークルにいると聞いた。
 そんなの嫌に決まってるだろ。
 飲んだ勢いで、元カノによりを戻さないかと聞かれたら? キスしたら? それから、キスの先に行っちゃったら?
 別の女と、それも一度は千冬くんと愛し合って抱かれていた女に口説かれる光景なんて、想像しただけで吐きそうになる。

 千冬くんは誠実な人だけど、絶対に間違いが起こらないなんて言い切れない。押しに弱いし、酒が入ると開放的になるし、何より千冬くんは別に俺のことが好きな訳じゃないから。
 千冬くんは俺に恋愛感情を持っていないから、酔ったら浮気だってしてしまうかもしれない。
 ていうか、しない方がおかしいだろ。好きじゃないやつにわざわざ操を立てる理由がない。俺が千冬くんだったら浮気してる。

 千冬くんは浮気なんてする人じゃないよなとは思うけど、物事に絶対なんてない。ましてやこんなシチュエーションじゃ、うっかりしちゃってもおかしくない。
 そのうえ俺と千冬くんは男同士だ。付き合っていることを公表するはずがない。だとすれば表向き千冬くんはフリーだし、そんなの周りの女の子が放っておかないだろう。

 そんなことを考えれば考えるほどに俺は、「合宿なんて行かないで」と言いそうになった。でも必死に飲み込んだ。
 だって、重いって思われたくないし嫌われたくない。それに、恋愛感情を抱かれてない俺がそんなことを言う権利なんてないだろ。
 むしろ、浮気されたって文句は言えない。完全に千冬くんの優しさで成り立っている関係だから。ひとたび千冬くんが「やっぱ男は無理だな」と判断したら、即座に終わってしまうような関係だ。

 ――俺は好きで好きで死にそうなのに、千冬くんは俺のこと好きじゃないんだもんな。

 そんなことを考えて、一人の夜は大体病んで眠れなくなる。前から不眠症気味ではあったけど。
 千冬くんと一緒にいるのは幸せだけど、何なら人生で一番幸せだけど、一人になるとそれらが全てひっくり返ってしまう。想いの一方通行さに病むし、いつ来るか分からない終わりにいつも怯えてる。
 明日にでも別れようって言われたら? 色々考えてみたけどやっぱり男と付き合うのは違うなって思った、とか言われたら? そしたら俺は、この想いをどこに捨てればいいんだよ。
 大好きなのにしんどいな。誰かとちゃんと付き合うって、こんなに幸せでこんなに辛いことだなんて知らなかった。

 俺は千冬くんのことを考えて、ため息を吐きそうになりながら店長に背を向ける。そして、「気を付けて帰ってね。おやすみ」という店長の声を聞きながら、俺はバイト先を後にした。
 今日はタクシーじゃなくて歩いて帰りたい気分だったから、俺は暗い歩道を眺めながら歩いた。

 この後帰って一人で寝るのはきついな。たぶんメンタルがやられる。
 誰か今から会えるやついないかな……とスマホの電源を入れてから、俺ははたと気付いた。そうだ。夜中から会えるようなやつとの関係は全て切ったんだった。
 別に後悔はしてないし、せっかく千冬くんと付き合えたのに浮気なんて馬鹿なことはしない。……しないけど、寂しいな。寂しくて死にそう。
 俺はとろとろ歩きながら何度も迷って、結局バンドのグループトークに「今暇なやついる?」と送った。こいつらに弱み見せるみたいで、本当はやりたくなかったんだけど。

 送った後で、午前三時近いのに誰も起きてないだろ、なんて思ったけど、思いの外早く返信が返ってきた。ギターのヤリチン野郎の祐介ゆうすけだった。
 祐介からは「暇じゃないけど暇」というメッセージが返ってきた。既読は一つ。起きてるのはこいつだけらしい。ていうか、逆に何で起きてんだよ。

「暇じゃないけど暇って何」と返すと、ノータイムで「今バ先の人たちと飲んでんだけどさ」「何かほぼみんな潰れてんの」「つまんねーから虚無の顔でスマホ触ってるもん俺」なんて送られてくる。
 潰れてるやつらの真ん中で、無表情でスマホを触ってる祐介の姿を想像してみたら、絵面がシュールで笑えた。俺は小さく笑いを噛み殺しながら「お前まだ飲める?」と送った。
 既読がついた後返信を待っていたら、代わりに電話がかかってきた。

「一樹ぃ、今どこ?」

 いい感じで酔っているのか、楽しそうに祐介は言った。後ろからはガヤガヤとした声が聞こえる。居酒屋かな。

「バ先の近く」
「ふーん。今から新宿来れそ?」
「タクシー乗ればな」
「んじゃ来いよ。飲も」
「いいよ。駅着いたら連絡するわ」
「おー」

 やっぱフッ軽なやつが知り合いにいるといいな。俺は電話を切って、タクシーを探し始めた。







「んじゃかんぱ~い!」
「ん」

 大衆居酒屋で、俺と祐介はジョッキを合わせた。俺がハイボールで、祐介が生ビールだ。
 祐介は「俺さ、今日の乾杯二回目じゃん? いや~これは確実に死ぬな!」とニヤニヤ言う。俺は無視してハイボールを一気に呷った。
 そしたらその態度が不服だったのか、祐介はわざとらしく唇を尖らせた。

「一樹ノリわっる。お前から誘ったんだろうが」
「お前がノリ良すぎんだよ。二軒目でしかも三時過ぎのテンションじゃねーだろ」
「俺、誰かと飲むの大好きだから。酒は別に好きじゃねーけど」
「は? 何それ」
「あ、誰かとって言ったけど、もちろん一樹と飲むのも大好きだよ」

 語尾にハートマークがつきそうな勢いで言う祐介。いやらしくニヤニヤしているのがまたムカつく。
 俺は「きっも死ねよお前」と吐き捨てて、ハイボールの残りを全て体内に流し込んだ。
 そしてメニューも見ずに再び店員を呼び、「ハイボール追加。あとこれ下げてください」とジョッキを押し付けた。

「つまみは?」
「いらね」
「え、マジ? 俺は頼むけどいる?」
「いらねーって言ってんだろ、勝手に頼め」
「じゃあすみません、枝豆を一つお願いします」

 かしこまりました、と店員が下がっていってから、祐介は苦笑を口の端に浮かべた。

「なになに、やけに荒れてんじゃん。今日なんかあった? とうとう陽キャくんに振られた?」
「は? 縁起でもねえこと言ってんじゃねーよ殺されてえのか馬鹿が」
「相変わらず口わっる。陽キャくん、何でこんなのと付き合ってんだろ……」

 祐介はしみじみと呟く。それは俺も思うが、お前に言われると妙にムカつくな。

「んで?」
「あ?」
「うっわ返事まで怖え。お前さ、目つき悪いんだから言葉遣いくらい柔らかくしろよ。怖えんだよ」
「チッ、余計なお世話だ馬鹿が。んで何」
「結局何があってそんなに荒れてんだよ。いつも以上に目つき悪くてうけるんだけど」
「別に何もねーよ」

 そう返事をしたあと、ちょうど「お待たせしましたー」と店員がハイボールとつまみを持ってきたため、俺は一旦口をつぐんだ。
 ハイボールを再び勢いよく呷って半分ほど空にしたら、祐介は「うっわ……」とどん引きした。

「お前すげえ頭悪い飲み方するじゃん。絶対何かあっただろ」
「別に何もねーって言ってんだろ。次なに頼もっかな……度数高いやつにしよ」

 メニューを開きながらハイボールを流し込んでいると、祐介は「えマジ?」と笑い混じりの声で言った。

「まだ席着いて十分も経ってないんだけど、怖すぎん?」
「うっせーな。……すいませーん、このウイスキーの水割り二つ。あと――これ下げちゃってください」

 残っていたハイボールを全部飲み切ってからジョッキを渡すと、祐介の顔は引きつった。
 心なしか店員の顔も引きつっている。そういえば、さっきと同じ人だな。

「お前今二つって言った?」
「言った。一つずつじゃ効率悪りーだろ」
「いや、飲みって効率重視するもんじゃねーだろ……。すみません、一応お水も持ってきてもらえます?」
「いらねーよわざわざアルコール薄めてどうすんだ」
「うるせー酒クズは黙ってろ。……すみません店員さん、お水もお願いします」
「か、かしこまりましたー……」

 店員はやや元気をなくした声で頭を下げて下がっていく。祐介はその後ろ姿を見ながら、「お前店員さんにもドン引きされてたじゃん、やべえってマジで」と割と真剣な声色で呟いた。

「何があったん本当に。いや、お前は馬鹿みたいに飲むやつだけどさ、いつもはここまでじゃないじゃん」

 俺は鼻で笑った。いつもはここまでじゃないじゃんって、ここまでの飲み方をお前の前でしなかっただけだってのに。

 俺は酒が好きだから、味わうために節度を守ってじっくり飲むことだってもちろん多々ある。楽しむための飲みだったら、皆で何かをつまみながら、ビールとかハイボールとかレモンサワーとかをだらだら飲んだりもするし。
 だけど、馬鹿な飲み方だって普通にする。主に家で一人の時だが。この後たぶん病むなって感じたら、とりあえずストゼロのロング缶を流し込んでから後のことを考えるし。
 格安居酒屋の酒もストゼロも総じて不味いが、あの健康に悪そうな味がいい。たぶん一種の自傷なんだろうな。

「あー……ようやく酔いが回ってきた。こういうとこのハイボールってうっすいよな」
「そりゃ安いし」

 酔いが少しずついい感じに回っていくのを感じる。少しだけ楽しくなってきた。俺は長く息を吐いてから、「でさ」と呟いた。

「お、ようやく話す気になったか」
「大したことじゃねーんだけど……俺、なんか面倒くせえメンヘラになっちゃってんなーって思うんだよね」
「メンヘラ? どゆこと?」

 祐介がそう尋ねたその時、店員がウイスキーの水割りを二つと水を持ってきた。時間も時間だし、人がまばらだから比較的暇なんだろう。すぐに頼んだものが届く。
 俺は一つのグラスに口をつけてから言った。祐介はだらだら枝豆を食いながら聞いている。

「俺ね、千冬くんのこと大好きなの」

 そう切り出したら、祐介は今更何言ってんのって顔で「知ってる」と頷いた。俺は気にせずにそのまま続けた。

「千冬くんって本当に素敵な人でさ……優しいし、思いやりあるし、からっとした性格してて、自分の中の芯みたいなのがしっかりしてて、何に対しても偏見なくフラットに受け入れられる人で……。
 何かさ、子供の頃ってよく「人の嫌がることはしちゃいけません」とか「皆と仲良くしましょう」とか言われんじゃん。そういうのをぜーんぶ守って育ったら、千冬くんみたいな人になるんだろうな。
 見た目もめちゃくちゃ良いのに、中身まで負けず劣らず良くてさ。ほんと、千冬くんみたいな人がこの世に存在してるって奇跡なんじゃねーかな」
「え、この流れでそんな熱量の惚気来る?」

 祐介はビールを舐めながら苦い顔をして言う。俺は無視して続けた。

「俺、千冬くんのこと大好きでさ」
「さっきも聞いたわそれ」
「憧れなんだよ、ほんとに。もうなんか、俺にとっての千冬くんって聖域みたいなもんでさ。俺この世界が大っ嫌いなんだけど、千冬くんみたいな人が周りに愛されて幸せに生きてるの見てるとさ、まあ悪くねーかなって、ちょっとだけこの世界のこと好きになれる気がすんの。千冬くんは生きてるだけで俺の救いなの」
「さっきから惚気のスケールでかいな。野田○次郎かよ」
「野田○次郎はもっとヤバいだろ」
「いや草。確かにな」

 俺はウイスキーを一気に飲み干した。やっぱ割と不味いな。まあ酔うために飲んでるし別にいいんだけど。

「でさ、そんな千冬くんと付き合えてるって、ほんとにほんとに幸せなんだよ。そのうえ千冬くん優しいから、付き合ってる俺のことをちゃんと優先してくれんの。俺との今後の予定たくさん立ててくれるし、俺のライブも行くって言ってくれたし、家族とか地元のこととかをいっぱい教えてくれるしさ」
「え、マジで何が不満なん? 完璧じゃね? どこにヘラる要素あった?」

 祐介は笑いながら最後の枝豆を食い終わって、メニューを開き出した。
「つまみ何がいいと思う?」「知らん、勝手にしろ」「冷た。えーじゃあ、軟骨の唐揚げ頼もっかな」なんて会話をして、祐介が店員に注文し終わった頃を見計らって、俺は再び口を開いた。

「不満なんてねーよ。本当、どう考えても俺にもったいないくらい素敵な人だし、毎日幸せだし。でもさ――」
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