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32話

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今日だけでいいから。


……というその囁きを聞かなかったことにして、美琴は小さく頷く。
自分自身、どうしたらいいかわからないのだ。それでも今、カナタのことが心配だからそばにいたいと思っていることと、看病をしたいという気持ちは、間違いなく本物だと思えた。


冷蔵庫を開けて、冷えピタ、常備されているスポーツドリンクのペットボトルを取り出した。キッチンの引き出しを探ってストローも見つける。
それからタオルを二枚準備して一枚だけ濡らすと、それでカナタの顔をそっと拭いた。


「はぁ……はぁ……」


苦しそうな顔をしていて、息も荒い。カナタが以前、ほとんど体調を崩さないと断言していたのを思い出した。ひょっとしたら、何年ぶりかの風邪なのかもしれない。


スポーツドリンクのキャップを開けると、ストローをさして口元に近づけた。


「辛いと思うけど、少しでも飲んで。水分取らないと、汗になって出ちゃうから」
「ああ……」


熱で少しだけ乾いた唇がストローを捉え、ゆっくりと液体を飲み下す。その虚ろな目を見ていると、胸の奥が締め付けられた。


冷えピタを貼ると、あまりの冷たさに一瞬だけ顔をしかめたカナタだったが、その五分後にはもう寝息を立てていた。急な熱に身体が限界を迎えていたのだろう。病院に行くかどうかは、一度目が覚めるまで待ってから決めようと思った。


陽の光で睡眠が妨げられるといけないので、遮光カーテンを静かに閉める。薄暗い部屋の中で座り込み、カナタの寝息だけを聴きながら、美琴は大好きなお姉ちゃんのことを考えていた。


お姉ちゃんが死んでからというもの、暇さえあればあの明るい笑顔を思い出している。遠くに住んでいる家族を懐かしむような、そういう優しい気持ちで。


お姉ちゃんが死に、両親は壊れた。最愛の娘を失い悲しみにくれる父と母にとっては、次女の私なんてもはやいないも同然なのだと、美琴は思う。いてもいなくても、どこでなにをしていても、心配されることも咎められることもない。


彼らはもうずっと上の空で、それが辛くて、大学生になると同時に一人暮らしを始めた。少しだけれど友達もできて、アルバイトもしてみたけれど、美琴の心の隙間は埋まらなかった。



……お姉ちゃん。



父と母があんなふうに目に見えておかしくなってしまった理由が、自分にはわかる。
わかるから責められないのだ。まだ生きている自分がほとんど両親の視界に入っていなくても。


お姉ちゃんは特別な子だった。嫉妬する隙もないくらい、優しくて、涙もろくて、可愛らしい自慢の姉だった。なのにどうして。



……どうして自殺なんてしてしまったの?



答えは出ない。寂しくて、苦しい。頭がおかしくなってしまいそうだ。父と母もそうなのだろう。ふたりの気持ちは自分が誰よりもよくわかっている。


あれから美琴は、友達といても、学校で勉強をしていても、バイト先で働いていても、ずっとひとりだった。
だれかと仲良く話していても、周囲と自分とのあいだには距離がある。
誰も求めず誰からも求められない、ずっと、それでいいのだと思っていた。


思っていたところに、カナタが現れたのだ。


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