上 下
48 / 54
第十二章 毒と炎と雪煙

百四話 あしでまとい

しおりを挟む
「麗央那(れおな)、やったんだな」

 気付けば翔霏(しょうひ)が横に来ていた。
 涙にべしゃべしゃに濡らしたままの顔を上げると、寒そうに自分の体を腕に抱える軽螢(けいけい)と、脇腹の辺りを痛そうに抑えている椿珠(ちんじゅ)さんもいた。

「メェ、メエ」

 ヤギは相変わらず、タフに鳴いている。

「そんなに泣いてたら、顔が凍るぜ」

 笑ってそう言ってくれた軽螢のおかげで、私は、自分を取り戻すことができた。
 果たすべき応報を、決着をつけるべき戦いを、終えたのだという自覚がじわじわと湧き上がって来た。
 翔霏と軽螢に向き合い、心の中を打ち明ける。

「私、最後まで覇聖鳳(はせお)に勝てなかった。あいつは最後の最後まで、強くて、余裕たっぷりで、誇らしげで……私は、あいつが動かなくなるまで、動かなくなってもまだ、あいつのことが、怖いんだ。また平気な顔で起き上がって来て、無茶苦茶をしでかすんじゃないかって……」

 怯えた挫け虫の私は、もうどこにもいないと思っていたのに。
 強い心で、ここまで戦い、歩んできたはずだったのに。
 私は覇聖鳳にも、私自身の弱い心にも、勝ち切ることができなかった。
 そんな私を、翔霏がいつものように抱き締め、まるでお母さんのように優しく言った。

「弱くても強くても良いんだ。麗央那は、麗央那なんだから、それでいいんだ。それだけでいいんだ」
「うん、うん……」

 私の懊悩がどうであれ、覇聖鳳は斃れ、もう起き上がることはない。 
 今は泣いている場合じゃないのだ。
 覇聖鳳を殺し、万々歳、ハッピーエンド、大団円のスタッフロールから五十年後、孫たちに囲まれたエピローグに。
 なんて都合良く物事は運ばないし、タイムスリップもできない。
 この足で、生きて、帰らなければ。
 私たちの帰りを待ってくれている人たちに、また笑顔を見せなければ。
 翔霏と軽螢と私、三人が肩を寄せ合ってお互いの肩を抱き、背中を叩き合っていると。

「あぶねえっ」

 ドムッ、っと椿珠さんが突然、私たちに体当たりをかました。
 なんだ、なにがあったんだ、と首を振って私が見た先には。

「……よくも、頭領を!」

 雪中から身を起こし、私たちに向かってなにかを投げようとする覇王鳳の近衛兵、迦楼摩(かるま)だった。

「黙って死んでろ!」

 翔霏がすかさず反応し、手に持っていた棍を迦楼摩めがけて、槍投げの要領で放る。
 迦楼摩がなにかを投げたのと、ほぼ同時だった。

「ぐっぶぅ!!」

 唸りを上げてまっすぐ飛んで行った翔霏の棍は、正確に迦楼摩の喉骨を打ち砕く。
 迦楼摩がその場にドサリと倒れるのと同時に。

「……やられた」

 腹部に小剣を刺された椿珠さんが、弱弱しく呟いた。
 同時に投げ放たれた武器が、椿珠さんに届いてしまったのだ。
 ずむりと雪の上の突っ伏した椿珠さんを、真っ先に介抱したのは軽螢だった。

「傷は浅えよ! 助かるからな!」

 軽螢はそう言いながら、手際よく椿珠さんの服をはだけさせ、傷口を確認する。
 厚い冬服が防具の役目を果たしてくれたおかげで、骨や内臓が見えるほど深い傷口ではなかった。
 
「軽螢、薬精がある。使え」
「メェッ!」

 ヤギの首に下げられていた道具袋の中から、消毒用の蒸留酒を翔霏が取り出す。
 うわ、懐かしいなあ。
 翔霏と最初に会ったとき、私が知らずに飲んじゃったやつだ。
 私も外套の下に重ね着していた服をビリリと噛んで引き裂き、血止めの布巾や包帯を用意する。
 テキパキと処置に動く私たちを見て、椿珠さんは大声にならない叫びを上げた。

「ば、ばっかやろう。怪我人の俺なんか置いて行け。もし吹雪いてきたら真っ白な雪の中に取り残されて、全員あの世行きだぞ!」

 ホワイトアウトというやつだな。
 雪崩に巻き込まれ押し流されて、道から外れてしまった私たち。
 これから夕暮れを過ぎて暗くなり、横殴りの吹雪による視界不良を食らったら、まず生きて帰ることはできない。
 椿珠さんの心配をよそに、軽螢が蒸留酒で手と傷口を洗いながら言う。

「傷口を縫うからな! 痛いし雪を押し当てるから冷たいけど文句言うなよ!」
「あああ、酒を無駄に使うんじゃねえ。お前たちが体を温めるのに飲みゃあいいんだ。死にぞこないの俺の手当てなんかするな!」

 椿珠さんの声は、次第に嗚咽に変わっていった。
 翔霏が椿珠さんの体を抑え、軽螢がちく、ちく、と慎重に、意外なほど器用に、傷口の皮膚を縫い合わせて行く。
 痛みからではない涙に両目を濡らしながら、椿珠さんが懇願するように私たちに言った。

「頼む、頼むからもう、捨てて先に行ってくれ。俺を足手まといにしないでくれ。能無しの役立たずのまま、お前たちの足を引っ張って死にたくないんだ。お願いだ……」

 子どものように泣きじゃくりながら、椿珠さんが後悔を口にする。
 
「なにもできず、なにものでもなかった俺がようやく、自分の役目を見つけられたんだ。玉楊(ぎょくよう)を救ってくれたお前たちを生かすために俺は死ぬって、誇らしい気持ちで思えたんだ。こんな、こんな無様な重荷になって、お前たちを巻き添えに死にたくない……」
「うるせえ! ごちゃごちゃ言うな!」

 椿珠さんの泣き言に怒りの叫びを上げたのは、翔霏でも私でもなく、軽螢だった。
 傷口を縫合し、念入りに更に薬酒で洗い、雪の塊を押し当てて止血に励む軽螢。
 その行いを否定するなと言わんばかりに、額に血管を浮かび上がらせ、怒鳴った。
 軽螢が怒ったところなんて、私はじめて見た。

「生きてりゃ誰だって、いつか誰かの足手まといになるんだよ! それが早いか遅いか、長いか短いかの違いでしかねえんだ! 椿珠兄ちゃんは目の見えないべっぴんの妹さんを、足手まといだからって捨てて行ったりするンか!?」

 言われて、椿珠さんはハッとした表情を見せた。

「そんな、そんなことをするわけねえだろう。玉楊は、俺のかけがえのない家族で、宝物で……例えあいつがこの先どうなっちまおうと、俺は……」
「わかってんじゃねえか! 役に立つとか、足を引っ張るとか、そんなこと関係ねえンだ! 椿珠兄ちゃんは俺たちの仲間で、友だちで、家族みてえなもンだろ! 俺たちに家族を見捨てて先に行けって言うのかよ!!」

 軽螢の吼えるさまに、私も翔霏も思わず、微笑してしまった。
 そうだよね。
 同じ目的のために、同じ道を歩んだんだ。
 椿珠さんが仲間でなかったら、いったいなんだと言うのだろう。
 クソほど冷たいだろうに、雪の塊を素手の掌に持ち、必死に傷口を押さえながら軽螢は言った。
 へえ、雪は血止めに効果的なんだあ。
 確かに温度が低ければ血管は縮むからね。
 ツボ押し名人であった雷来(らいらい)おじいちゃんの孫なだけあって、医療衛生関係に軽螢は強いのかも。

「ここで椿珠兄ちゃんを見捨てたら、俺たちはどんな顔してデカい宦官さんやべっぴんの妹さんに会えばいいんだよ!? なんて言い訳すればいいんだよ!? 怪我をしたから雪の野っぱらに捨てて来ました、なんて、俺の口から言わせるつもりか!? 勘弁してくれよなあ!?」
「お前、結局は自分が良い顔したいだけか」

 翔霏の突っ込みに、こらえきれず私はブブブと噴き出して、悟られないように雪の中に顔を突っ込んだ。
 でも、軽螢らしいな。
 あなたは足手まといなんかじゃない、とは、言わないのだ。
 明確にこの場この状況で、椿珠さんが私たちの足手まといであることを認めて。
 その上で、足手まといでもいいんだ、人の価値や絆は有益さではないんだ、と言っているのだ。
 傷口を包むガーゼと包帯を、自分の衣服をやりくりして作りながら、私も言葉を添える。

「私、なにもできない迷子の状況で、翔霏と軽螢に助けられて神台邑(じんだいむら)のお世話になってたんです。ハッキリ言って役立たずの足手まといだったと思います。でも、邑のみんなは優しくしてくれたんですよ」

 神台邑ってのは、そういうところなんだよ。
 そんなところで生まれて育った軽螢が、どんな青年になるかは、言わずとも知れていることだ。

「お前は、賢いし仕事もできるし、根性もあるだろう。俺は、なにもないんだ。二十年そこらの人生で、なにひとつ、まともにできやしなかった。お前らを守って盾になって死ねたなら、巌力(がんりき)も玉楊も、きっと俺を褒めてくれて、誇らしく想ってくれただろうに……」

 ぐぐう、と泣きながら語る椿珠さん。
 わかる、わかるよ。
 誰かの役に立って、必要とされて、役目を与えられて、周りの人に喜ばれる。
 それはとても幸せなことだと、私も思っていたからね。
 だけれど、それでも。
 私は自分の経験、経歴から、こう言わざるを得ないのだ。

「そもそも覇聖鳳を殺しに行くこと自体、誰からも望まれていない、なんの役にも立たないことでしたからね。むしろ私たちは恨みを買うし、青牙部(せいがぶ)は混乱の状況に陥って、誰も得をしないでしょう」

 私たちの旅は、道理でも損得でもなかった。
 心の中の炎が消えないまま、ここまで来られた唯一の理由、それは。

「でも私たちは、やりたいことをやったんです。今、私たちは椿珠さんを助けたい。その気持ちを否定することは、今までの私たちの闘いを否定することになります。私たちを否定する権利も資格も、椿珠さんにはありません」

 自由に。
 やりたいことを、やりたいようにやる。
 誰の意見も邪魔も、知ったことじゃないんだ。
 眼を腕で抑えて、ううっと泣き嘆く椿珠さんが漏らす。

「生きて戻れたら、玉楊に、お前たちのような自由を、味合わせて、楽しませてやってくれ。世界は広くて面白いんだ、自分が思うように、好きなことができるんだってことを、玉楊に教えてやってくれ。音楽だけじゃなく、芝居小屋なんかも……」

 言われなくても分かってるさ。
 みんなで玉楊さんとお友だちになって、これから愉快に遊び倒すんだってことは、既定路線なのだ。
 ちょうど翔霏の親御さんが、翼州(よくしゅう)で演劇の仕事をしているはずだし。
 私は椿珠さんの手を握りながら、努めて明るい声で言う。

「それは、椿珠さんも一緒にすることですよ。私たちだけに押しつけないでください。まだまだ楽隠居なんてさせませんからね」

 正直、この雪原で私たちは立ち往生して、死ぬかもしれない。
 けれど、玉楊さんも助けて、覇聖鳳にトドメも刺せた。
 横には苦楽を共にした、愛すべき友がいる。
 完璧で、これ以上ない終わりかもしれないぞ。
 そう思っていると。

「馬のいななきだ。ある程度の数がいるな」

 ふと、椿珠さんの体が暴れないように抑えていた翔霏が、どこか遠くを気にするように、報告説明をしてくれる。

「道が雪崩で塞がったので立ち往生しているようだが、いずれここまで来るだろう」

 相手の正体はわからない。
 私は想定できる範囲で状況を予測する。

「覇聖鳳を助けるために来た第二陣だったら、私たちはお手上げだね」

 積もるにいいだけ積もった雪に足を取られている以上、弓矢を射かけられたなら私たちはなすすべなく、全滅である。
 しかし状況は私の想定を超えていたようだ。
 山の一つ二つは楽に超えて来そうなデカい声が、私たちのもとに届いた。

「覇聖鳳おおおぉぉぉーーーーッ! 生きているなら返事をしろーーーーーッ! 俺との勝負が残っているぞーーーーーーッ!!」

 戌族(じゅつぞく)は白髪部(はくはつぶ)と青牙部の境界を制圧統治しているはずの、斗羅畏(とらい)さん。
 阿突羅(あつら)大統の孫である彼の、炎のように熱い叫び声が、峠の間にこだました。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黄土と草原の快男子、毒女に負けじと奮闘す ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・3.5部~

西川 旭
ファンタジー
バイト先は後宮、胸に抱える目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~ https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/437803662 の続編。 第三部と第四部の幕間的な短編集です。 本編主人公である麗央那に近しい人たち、特に男性陣の「一方その頃」を描く、ほのぼの&殺伐中華風異世界絵巻。 色々工夫して趣向を変えて試しながら書き進めているシリーズなので、温かい気持ちで見守っていただけると幸い。 この部の完結後に、四部が開始します。 登場人物紹介 北原麗央那(きたはら・れおな) 慢性的に寝不足なガリ勉 巌力奴(がんりきやっこ)    休職中の怪力宦官 司午玄霧(しご・げんむ)    謹直な武官で麗央那の世話人 環椿珠(かん・ちんじゅ)    金持ちのドラ息子 応軽螢(おう・けいけい)    神台邑の長老の孫 司午想雲(しご・そうん)    玄霧の息子で清廉な少年 馬蝋奴(ばろうやっこ)     宮廷で一番偉い宦官 斗羅畏(とらい)        北方騎馬部族の若き首領 他

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...