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第十二章 毒と炎と雪煙

百話 休職中の後宮侍女、仇の邑を焼き尽くす

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 迦楼摩(かるま)という男が率いる青牙部(せいがぶ)の精鋭近衛兵たち。
 彼らと私たちが「石の宿」の前で睨み合っている。
 その最中に、椿珠(ちんじゅ)さんの笛の音と、私の叫び声に呼応して、群衆の目を盗み素早く動く影がある。

「やっちゃえ、翔霏(しょうひ)」

 私はにやりと笑って、小声で言った。
 武器庫となっているであろうテントの上に翔霏がよじ登り、天井部分に刃物で切り目を入れて、裂き開いているのを見たのだ。

「行きますぞっ」
「了解っ」

 下から巌力さんが一抱えの荷物を放り投げ、見事に翔霏がキャッチする。
 テントの屋根から内部へと、翔霏は粉状物質をふりかけのように注ぎ落とす。

「今だッ!!」

 仕事を終え武器庫テントの屋根から飛んで逃げ、叫ぶ翔霏。
 見えないけれど、武器庫の中はキラキラと黒光りする、石炭の粉が充満しているはずだ。
 そう、可燃物の微粉が、閉ざされた空間に満たされ、もうもうと舞っている。

「あらよっと!」

 軽螢(けいけい)がそこへ、火の点いた小さな松明を投げ入れた。
 なにが起こるか、みなさんもう、お分かりですね。
 そう、みんな大好き、アレです。
 人だかりの内の何人かが、不審に気付いて武器庫を見た。

 ドカアアアアアアアアアアアン!!
 
 轟音を立てて、さっきまでテントの形を保っていた包屋が、一瞬のうちに消し飛んだ。
 見事な粉塵爆発、より正確に言えば炭塵爆発が引き起こされ、近くに立っていた兵が十数メートルをダイブし、武器の破片が四方八方に飛び散った。

「紺(こん)女史! 次でござる!」
「おうっ!!」

 巌力さんの呼びかけを受けて、翔霏は別のテント、あれは確か男の兵隊たちが寝起きする住居、に飛び移る。
 そして同じように屋根の布を切り裂き、大量の微粉炭を中に撒き散らす。

「忙しいなあ!」
「メエエ!」

 いくつもの松明を背に抱え、点火しながら手に持って。
 ヤギにまたがり颯爽と奥宿の集落を駆け抜ける軽螢。
 ドオオオオォォォォン! と放火爆発されたテント住居が、二つ目の爆発を奏でる。

「な、なんだいったい!? なにが来たんだ!?」
「ガキと大男が火を点けて回ってる! 女たちを安全な場所へ避難させろ!!」

 青牙部の兵たちが秩序もなく、叫び、走り、大いに戸惑っていた。
 私たちを睨む一隊も、頭領の母である鼬梨都(ゆりと)を人質に取られているので、派手な身動きが取れない。
 実は無口ではなかった、名前を明かそうとしない間者未亡人が、短刀を鼬梨都の眼前でちらつかせて凄む。

「ほらほらさっさと馬を用意するんだよ! あたしがイラつくたびにこのババアの震える指を一本ずつ切り落とすからね!」
「あ、あああ、あんたたち、言う通りにおし! こ、この女には脅しも交渉も通用しないよ!」

 包屋(ほうおく)の中で、まったく表情を変えず、微塵の力みも逡巡もナシに二人の女をあっと言う間に殺して見せた間者未亡人。
 鼬梨都は彼女を、明確に恐れ、憔悴していた。
 話が通じる相手ではないという見立ては、おそらく正しい。
 口の悪い間者の雇い主は誰であろう、この天の下、広い大地で最も恐ろしい男。
 首狩り軍師、人の姿をした怪魔、除葛(じょかつ)姜(きょう)なのだから。

「早く逃げろよー! ぼさっとすんなー!」

 私たちの視線の先では、軽螢がとうとう、燃料庫に放火していた。
 ヤギの足を止めることなく、喜々として火付け魔と化している。

「大丈夫、大丈夫! 死ぬ気で頑張れば生き延びられるよ! 俺たちにできたんだから、あんたらもできるって!!」

 かつて自分たちが潜り抜けた業火の神台邑(じんだいむら)と、私が命を賭した後宮での立ち回り。
 それらを想起させる言葉を叫び、軽螢は飛び跳ねるようなヤギの背で、次々と火種を投げ入れていた。
 そうだね、テントがいくつも燃えているくらいのこと、逃げる余地なんていくらでもある。
 狭苦しく非常口も分からない商店ビルや、出入り口を塞がれ周りに水濠が巡る神台邑、立派な塀に四方をぐるりと囲まれた後宮よりも。
 燃え盛るテント群から逃げる方が、絶対に楽だからね!
 自分で奥宿(おくやど)の包屋(ほうおく)を燃やしながら、逃げまどう人々を励ますという矛盾に満ちた行為の中で、軽螢は最高の笑顔を浮かべている。
 普段は飄々としている軽螢だけれど、そうか。
 いつか、連中にやり返してやりたいって、心の底で思ってたんだね。

「観てるだけじゃなく、自分が舞台に上がった方が楽しいでしょ、軽螢!!」
「おう、今日は俺が主役だぜーーーーーッ! ヤギ公も気合い入れろよーーーーーッ!!」
「バアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」

 私の呼びかけに元気良く答えて、右へ左へ。
 見える範囲全ての包屋を軽螢が縦横無尽に巡り巡って、奥宿全体が炎と雪と煙に包まれる。
 あちこちで瞬く間に轟々と火柱が立ち上り、その勢いに消火を諦めた男たち女たちが散り散りに逃げ回る。
 荒らされ燃やされて行く集落と、人質に取られている鼬梨都。
 その両者の間で揺さぶられ、思考が停止したのか、迦楼摩(かるま)と名乗った男は茫然と立ち尽くし。

「な、なんなんだお前らは!? いったいなにがしたいんだ!? なにが目的だ!!」

 私はその問いに、呵々大笑してこう答える。

「自分の胸と、頭領さまに聞いてみろ! 消し炭になった後のこの奥宿でなあ!!」

 私は間者未亡人と鼬梨都が乗った馬に便乗させてもらい、混乱の現場から脱け出す。

「みんなーーーーーーーッ!! 撤収ーーーーーーーーーーーッ!!」

 響き渡る私の大声。
 玉楊(ぎょくよう)さんを頂戴した以上、こんなところにはもう、微塵の用事もありはしないのだ。

「どけどけぇッ! 如意棒、伸びろッ!!」

 私の声を受けて、翔霏が眼にも止まらぬ早業で手近な兵たちを叩きのめし、馬から落として回る。

「グワーーーーーッ!!」
「な、なにを持ってる!? 手が伸びたのか!?」

 伸縮する特製棍を自在に扱い、全く間合いが掴めないその攻撃に、青牙部の兵たちが目を白黒させ、腰を抜かして逃げ回る。

「こ、こいつ! 後宮のときのサル女!?」
「だ、ダメだ、コイツは手に負えねえ!! 下がれっ!! 陣を整えろ!!」

 朱蜂宮(しゅほうきゅう)を襲撃したときの生き残りらしき、誰かが叫ぶ。
 あのときの翔霏はまさに、怒れる鬼神の如き戦いぶりを示した。
 そのさまを嫌と言うほど見せつけられた連中は、抵抗の意志を放棄して距離を取った。
 混乱が極まる中、持ち主を失った数頭の馬を巌力さんが確保する。

「巌力、玉楊だぞ! やったぞ! 俺はやったんだ!! この俺が、玉楊を取り戻したんだ!!」

 文字通り、命を懸けて目的を成し遂げた椿珠(ちんじゅ)さんは、少年のように喜び、きっと嘘泣きではない涙を見せた。
 巌力さんの大きな両の掌が、椿珠さんの頭と顔をわしゃわしゃっと包んで撫でる。

「信じておりましたぞ、三弟(さんてい)。男を見せましたな」

 主人と使用人の関係ではあるけれど、巌力さんの方が年上で体も大きい。
 昔から頼りにしていた力強い兄貴分に称賛され、椿珠さんはうわあああと声を上げ、さらに激しく泣いた。

「椿珠、さっきまで女の人の振りをしていたようですけれど」

 どこかボケたことを言いながら。
 愛用の琵琶もとっくに放り捨てて、一緒に逃げることを決めてくれた玉楊さんが泣き笑う。
 椿珠さんと玉楊さんのペアで一頭、そして巌力さんが一頭。
 私は翔霏が確保した馬に乗り換えて、一目散に奥宿から逃げ出す。
 背後では混乱する青牙部の男たちの怒号と嘆きが聞こえた。

「お、お袋さまが! 迦楼摩! 追うぞ!!」
「他の奥方の救助が先だ! 狼煙を焚け! 頭領に知らせろ!」
「武器庫が燃やされて使い物にならねえ! 矢が折れて燃えちまってる!」

 あの様子では、まともに私たちを追跡する部隊を編成できないだろう。
 苦し紛れの負け惜しみ的に、まばらに射かけられた矢が降り注ぐ。
 残念だけれど、全く当たる気がしないね!
 特殊なゾーンに入った私は、離れ行く奥宿の村落に言い捨てた。

「大事な母ちゃんは生かしてその辺に捨てて行くから安心しろ! のんびり拾いに来いって覇聖鳳に行っておけーーーーー!!」

 暴れるだけ暴れ、燃やせるだけ燃やして。
 私たちは怒涛のように奥宿を去る。
 覇聖鳳へのトドメをここで果たすことはできなかったけれど。
 私には考えと予感がある。
 その機会が近いことを、私は確信している。

「こ、こんな寒い中、山に置いて行かれたら死んでしまうよ~!」
「うっせーババア! 贅沢言える身分か!! 下らねえこと言ってると河の中に投げ込むよ!!」

 泣き言を口にする鼬梨都と、まだ名前を明かしてくれない間者未亡人のやり取りに、みんなが笑った。
 必死に逃げて走って距離を稼ぐ。
 奥宿の惨状と、人質に奪われた母のことを覇聖鳳が知れば。
 十中八九。
 いや、この場合は万が一、か。
 あの男は、万が一が好きなのだ。
 
「ねえ、怒りんぼの間者さん」
「なにさ、”央那(おうな)ちゃん”」

 姜さんに聞かされていたらしい名前を、そのまま呼ばれる。
 私は並んで走る彼女に、自分の中にある確信を告げる。

「覇聖鳳は、追いかけて来ますよ」
「こっちには母親がいるんだよ? 覇聖鳳が来ても、適当に脅しすかしてやり過ごせばいいさ。白髪部(はくはつぶ)との境界まではあんたらを逃がしてやるよ」

 そうじゃないんだ、と言う意志表示で私は目を閉じ、首を振る。

「一度火の点いた戦場(いくさば)なら、覇聖鳳は母親が人質に取られてたって容赦しません。私たち全員をブチ殺すつもりで、全力で追いかけて来ます」

 私の言葉に、間者さんより先に鼬梨都(ゆりと)が反論した。

「あ、あの子が母親を見殺しになんてしない! 私にずっと、この歳まで孝行してくれたんだよ! 孫が生まれるたびに、かあちゃん、まだ耄碌してる場合じゃないぞって、笑って私に孫を抱かせてくれるあの子が!!」

 だから私には人質の価値がある。
 無惨に打ち捨てないでくれ、という意味の懇願であろう。
 もちろんそんな打算を抜きにしても、覇聖鳳が母を見捨てることはないと鼬梨都は信じているだろう。
 しかし私は、母である鼬梨都が、戦士ではない女が知らない覇聖鳳の顔を知っている。
 丁寧に、それを教えてやるのだった。

「肉親や女と子どもに情が篤い覇聖鳳の性格は私も知っています。けれど、覇聖鳳はそれ以上に、戦(いくさ)を、戦闘と殺戮の昂揚に身をどっぷり浸からせてしまう男なんです。私たちを殺すのに邪魔なら、躊躇なく母親を殺します」

 私の説明に、翔霏が付け足す。

「片目の邸瑠魅(てるみ)を私にけしかけたようにな。邸瑠魅が瀕死でもあいつは助けようともしなかった。それが戦場に在って合理的な選択かどうかということしか、考えていないんだ。酒に酔うように、あいつは戦に酔うんだろう。戦から離れれば、また慈悲深い顔が戻るようだが……」

 そう、覇聖鳳の二重人格的な側面を私は上手く今まで掴み切れなかったけれど。
 翔霏が言うように、かつて白髪部の大統、阿突羅(あつら)さんが評したように。
 覇聖鳳は、戦場に酔っ払うのだ。
 普段は真面目な人が、お酒が入ると別人のように乱れたりするのと同じ。

「うわ、思ったより速えな。流石に馬の追い比べじゃ勝てねえか。つーか俺が乗ってるのはヤギだし……」
「メメェ!?」

 私たちが話していると、軽螢がげんなりして報告した。
 覇聖鳳が、猛烈な速度で追いかけてきている。 
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