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第十章 白き髪の戦士たち

八十五話 在りし日の夢

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 緋瑠魅(ひるみ)を撃退し、なんとかギリギリのところで命を繋いだ私たち。

「まさかこれほど躊躇なく死んでみせるとはな……」

 翔霏(しょうひ)が強敵のまぶたを閉ざしてあげて、感嘆の念も籠ったように言う。

「俺か麗央那(れおな)が、口を割らせる術とか薬とか使うかも、って思ったンかね」

 軽螢(けいけい)が話すように、自白剤とか自白術とか、探せばどこかに使い手がいるのかもしれないな。
 終わってみれば全員、プラスしてヤギも無事と言う最高の結果だけれど、空気は重い。
 危なかった、本当に危なかった。
 
「メェェ……」

 地べたに座って息を整えていたら、ヤギくんが寄って来た。
 涙に濡れた私の顔を、ぺろん、ぺろりん、と優しく舐めてくれる。
 癒されるけれど、ちょっとケモノ臭い。

「うん、ありがとう。もう大丈夫、大丈夫」

 魔法の言葉で自分を奮い立たせ、私は減ってしまった毒串の数を確認する。
 あと五本。
 
「恒教(こうきょう)的に、五は縁起が悪いんだよなあ」

 偶数、特に二の累乗数を聖なるものとして扱う恒教の哲学。
 中でも「四」は「始」に繋がり、世界を秩序立てた神の数でもあって、とても縁起が良い。
 逆に「五」は「誤」を連想させる忌むべき数であり、生活の中でもできる限り避けた方が良いとされる。
 言っても人間の指は五本なので、避けようもない事態は多いのだけれど。

「ゲン担ぎに一本、捨てちゃおうかな」
「それなら私が一つ貰おう。恐ろしいほどの効き目だったな」

 疲れた顔で笑い、翔霏が言った。
 彼女がこれほどの消耗を私たちに見せるなんて、今までなかったこと。
 褒められた毒串は自信作だったけれど、実際に使って効果を確かめたのは、これがはじめてだ。
 うん、不安要素も、苦しいことも沢山あるけれど。
 私たちはやれる、まだまだやって行けるぞと、胸の奥で強く繰り返した。

「頂戴した服のおかげで、もう昂国(こうこく)からの旅人にも見られなくなったよな」

 食料と飲み水を確保するために立ち寄った、半農半牧の小さな邑。
 どこか懐かしさを感じる目で、軽螢が言った。
 私たちは刺客から奪った服や沓、帽子や装飾品を手分けして身に付けて、パッと見では戌族(じゅつぞく)の若者となんら変わらない姿に化けている。
 誰も私たちに特別な注意を払わず、畑を焼いたり、獣の革をなめしたり、羊や山羊を追い回していた。

「軽螢は白髪部(はくはつぶ)のみなさんともウマが合ってるみたいだし、将来は引っ越してきたら?」

 大統の阿突羅(あつら)さんをあれだけ尊敬している軽螢のことだ。
 持ち前のコミュ力と人当たりの良さを発揮して、きっと上手くやるに違いない。
 私がなんとなく言ったそのセリフに、軽螢は珍しくムスッと険しい顔をした。

「俺が北方に来ちゃったら、誰が神台邑(じんだいむら)を建て直すんだよ」
「あ」
「神台邑の土地も天気も、あそこで育つ作物も、俺が一番よく知ってンだ。なんなら俺一人でだって、小さい畑とヤギくらい面倒見れる。俺の他になんて……」
「ご、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないの。わかってる。わかってるよ。本当にごめん……」

 軽はずみにくだらないことを言ってしまい、私は自分を呪った。
 そうだ、彼以上に神台邑の記憶を、長老たちから受け継いだ知恵を伝え残せる人間は、もう誰一人として、残っていないのだ。
 なんか前にもこんなふうに、不用意な発言で軽螢を傷つけてしまったことが、あった気がする。
 くそう、私はまだまだ、配慮も気遣いも足りないクソガキなんだなあ。
 学習しろよ、北原麗央那!!

「疲れているんだ。今日くらい、しっかり休もう」

 私と軽螢の頭をポンポンして、翔霏が邑の人に一宿のお願いをしに行った。
 二人が見ていない隙に、私は自分の頭を何度もゲンコツで叩いた。
 心も頭も、痛い。
 ともあれ、無事に農家の納屋を貸していただくことができて、何日かぶりにゆっくりと、横になって寝られた。
 それは良いのだけれど。

「うわ、しばらく治まってたと思ったのに、またか」

 私は、寺か神社か、はたまたお城か判別しにくい、古びた木造建築物の中にいた。
 板張りのひたすら長い廊下を、果てしなく、素足でぺたぺたと歩いている。
 出口があるのかないのか、まったく分からない、長い廊下を。

「夢遊病、久しぶりだなあ。一年ぶりくらい?」

 そう、私が見ているのは夢だ。
 眠りながらでも夢であることを自覚している、いわゆる明晰夢というやつである。
 受験勉強と進路判断のクライマックス、去年の冬頃によく発症した。
 夢の外の私は今、寝床で這うような、泳ぐような、歩くような気持ちの悪い動きをしているはずだ。
 お母さんが最初にそれを見たとき絶叫して、その声に驚いて目覚めたのは今でも忘れない。

「薄暗い廊下をひたすら歩くだけで、特に嫌な夢でもないんだよねこれ。不安っちゃあ不安だけど」

 夢の中、一本道を歩くことしかできない私。
 当時を振り返る。
 何度か夢遊病が続いてから、もちろんお医者さんにも相談に行った。

「日常生活に支障がないなら、少し様子を見ましょう。眠りが深くなるお薬を出しておきましょうね」

 そう診断されて、多少の安定剤と睡眠薬を処方して貰っただけだった。
 次第にお母さんも慣れてしまい、

「今日も必死に泳いでたよ。ダイエットになるかもね」

 と、朝食のときに報告するようになった。
 泳いでるんじゃなくて、歩いてるんだけどな。
 人の脳や身体というのは正直なもので、高校に受かり、ストレスから解放された時点で、夢遊病はぱったりと止んだ。
 あのとき以来の、感触のない板廊下を私は歩き続ける。
 出口があるとしたら、きっと、そこには。

「う~寒っ!」
 
 現実の冷気に、私は夢から引き起こされた。
 もそもそと荷物の中から、なにか羽織れるものを探す。
 隣にいるはずの翔霏がいない。
 おトイレだろうか。
 私の無様なうなされ具合を見られなくて良かった、と思いながら、戸板の向こうを確認しに立ち上がる。 

「……ハッキリ言ってやればいいじゃないか」
「なにをだよ」

 外から微かに話し声が漏れてくる。
 翔霏と軽螢がなにか相談事でもしているのだろうか。
 定番のお行儀悪で、私は隙間に耳を当てて、二人の会話をこっそりと拾う。

「麗央那にも、神台邑の再建を手伝ってほしい、とな。本心ではアテにしているくせに、なにを格好つけているんだ」
「うるせー、カッコつけてるわけじゃねえよ。でも麗央那は地元の母ちゃんところに、いずれ帰らなきゃならないだろ。神台邑に引き留めるわけにはいかねえからなァ」
「確かにな。延び延びになってしまったが、このままで良いわけはない。待っている家族がいるのなら……」

 二人がどんな顔をして話しているのか、ここからは見えないけれど。
 私の顔は、崩壊してぐしゃぐしゃだよ。
 いつか必ず来てしまうお別れの瞬間を、私は脳内から追い出して、必死で涙を止めるように努める。
 徒労であり、涙は止まらない。
 そして戸を開け放ち、空気を読まずに二人の間に飛び出して。

「ざっけんなコラー!」

 思いっきり、軽螢にダイビングタックルをかまして、二人ともゴロゴロと地面を転がった。

「な、なんだなんだ!?」
「水臭いんだよこんちくしょー! 畑くらいナンボでも手伝っちゃるわーい! 豊作になりすぎてデブっても知らねーからなー!?」

 わんわん泣きながら、私は神台邑の復興計画を軽螢に押し売りする。
 仇討ちが終わったからって、覇聖鳳(はせお)を無事に倒し終わったからって。
 それで終わりなわけないだろ、バカヤロコノヤロー!!

「麗央那、まだ夜中だ。大声を出すな。目立つ真似はいけない」
「うううう……」

 翔霏に正論を言われて、気持ちを落ち着けざるを得ない私。
 このままのテンションの方が、恥ずかしいことも言えちゃったのにな。
 でも、これだけは言っておきたかった。

「仲間外れにしないでよぅ。私だって、また神台邑に、人が、集まって、それで……倉庫番だって、桑の葉摘みだって、できるんだから……」

 ぐずぐず泣きながら、べしょ濡れの顔を軽螢の服に押し付ける。
 泣いている子どもをあやすように、いや、比喩じゃなくてそのまんまの行動で、軽螢が私の背中をポンポンと優しく叩いた。

「わかった、わかったよ。大丈夫、大丈夫、のけものになんかしねえから。そうだな、麗央那がいねえと、面倒事を押し付けられねーからなァ」
「他に言い方はないのか、まったく」

 泣いてる私と、ズルい軽螢と、呆れる翔霏。
 私たちはほんの少しだけすれ違い、それ以上にほんの少しだけ、前よりも分かり合って。
 また、新しい朝を迎えるのであった。
 私たちの些細なドラマに関与することなく、家々から人が起きて出て来て、それぞれの仕事のために動き出す。
 出発前、邑人さんたちの噂話をさりげなく収集する私たち。

「東都(とうと)の票は、斗羅畏(とらい)さまがまとめたって話だね」
「この辺りはだいたいそうだろ。しっかし、お館(やかた)が戦(いくさ)を始めるかもしれねえしな」
「今回の輝留戴(きるたい)は見通しが立たん」
「アタシは、末っ子の突骨無(とごん)さんが、良い男っぷりだと思うけどねえ」

 数人が集まって、まさに井戸端会議をしていた。
 話題の中心はやはり、近く迫る部族長選挙、輝留戴についてだ。
 白髪部の領域、東側の票数は計略通りに斗羅畏さんが集中して確保したようだ。
 少し面白い話も、加えて聞けた。

「昂国(こうこく)から来た若い子たちが、水に中(あた)って死んじゃったってさ」
「ありゃりゃ、やっぱり街のモンは、腹が弱いのかねえ」
「沸かして飲まなかったのかな。バカなやつらだ」

 無知な愚か者扱いされているのは癪だけれど、良い感じにリアリティのある死に方が広まっておるぞ? 
 しめしめ、と思いながら、怪しまれない程度に距離を保ち情報収集ののち、私たちも作戦会議である。

「せっかく死亡を偽装しても、緋瑠魅(ひるみ)が返り討ちにされたことを覇聖鳳(はせお)が確信したら、余計に警戒心を高めちゃうね」

 神台邑三人衆は死んだはずなのに、緋瑠魅が帰って来ないとすれば、覇聖鳳は当然、怪しがるだろう。
 緋瑠魅の死体は念入りに隠した。
 生死不明か、私たちを探し回りながら暗殺の実行中であるか、覇聖鳳が判断を迷ってくれればありがたい。
 私の言葉に翔霏は頷き、こう返した。

「なら覇聖鳳がその確信を持つ前に叩けばいい。速さはすべてに勝る」

 ここは熟考の上、突撃であります。
 なにより速さが足りないとダメなんだって、昔のアニメで言ってた気がするな。
 
「俺らは東の境の邑に急ぐ、ってことか。覇聖鳳がまだ来てなかったらどうすンだ?」

 軽螢の質問に、私は自信を持って答える。

「それこそ願ってもないことだね。近辺に潜んで待てばいいよ」

 予見して待ち構える側がどれほど有利なことか、私は後宮で痛い辛い思いをしながら学んだのだ。
 さあ、いざいざ。
 行くぞ、東へ!
 覇聖鳳の横暴に振り回される哀しい邑を、これ以上、増やしてたまるものか!
 なあんて偉そうな大義は、私たちの抱えられることじゃないけれどね。
 そっちは白髪部のイケおじイケメン集団が、解決してくれると信じましょう。
 私たち三人が狙うのは覇聖鳳の首、たった一つだけ。
 決して、贅沢な望みではないはずだ。
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