21 / 54
第十章 白き髪の戦士たち
七十七話 奴隷上がりの大頭目
しおりを挟む
千の山と万の里を流れると呼ばれる「緑江(りょくこう)」のほとり。
「ちち、ちちちち」
川べりで魚とか貝を食べ、そろそろ出発しようと思っている、そんな昼下がり。
嫌がられているのにお構いなしで旅の仲間に加わった星荷(せいか)さんが、鳥寄せを行っていた。
「チュチュン、チュン」
冬ヒバリとこちらで呼ばれる小鳥が、星荷さんが構えた指先に降り立った。
うわ、なにあれいいな、私もできるようになりたい。
でも彼から物を教わるのは癪なので、羨ましい素振りなんて見せないのであった。
「この川を下れば、神台邑(じんだいむら)に行けるんだな」
翔霏(しょうひ)が地図を広げ、ぽつりとつぶやく。
そう、私と翔霏が最初に会った、あの河川敷に、この川は繋がっている。
私たちが目にしている、翼州(よくしゅう)神台邑から遥か上流に位置する緑江の流れは、そのまま戌族(じゅつぞく)の黄指部(こうしぶ)と白髪部(はくはつぶ)の領域を分ける、境界線である。
「昂国(こうこく)に帰るときは、川下りでもすっか?」
軽螢(けいけい)が楽しげに言った。
うん、夏の盛りを前にした、いつかその日。
晴れ晴れとした気持ちで私たちは船に乗り、川の流れに乗って、ヨモギの草が満ちる翼州に帰ろう。
そのときを思うと泣きたくなるけれど、なんとかこらえて。
「じゃ、行こっか」
白髪部の領域へ向かうため、渡し船が構えられている位置まで、みんなで歩いた。
戌族の中では黄色部に次いで勢力が大きく人口も多い、白髪部。
覇聖鳳(はせお)たちの青牙部(せいがぶ)と、先祖を同じくすると伝えられている。
彼らも青牙部と同様に、尚武の気風を持つ、厳つい荒くれ者集団と聞いている。
「昂国の若いモンを乗せるなんて、こりゃ珍しいこともあるな」
筋骨隆々の船頭さんが私たちを見てそう言った。
することもない船上の時間だ、情報収集に充てることにしよう。
そう思った私は詳しい話を聞く。
「滅多にありませんか」
「いやあ、奴隷の行き来は珍しかねえけどよ。人買い連中は俺らのちんけな船なんて使ってくれねえからな」
へっ、と自嘲するように船頭さんは嗤った。
昂国ではキツイ肉体労働や家庭内の使用人として、奴隷に近い扱いを受けている人たちがいる。
奴婢や宦官と呼ばれる階層がそれだ。
けれど彼らも国民として戸籍を持っているし、財産の私有や相続を認められているので、制度の上では完全な奴隷でなく自由市民である。
例外があるとすれば、後宮を襲って返り討ちに遭った青牙部の兵士のように、刑囚として終身懲役を喰らった人たちだな。
しかし戌族、特に白髪部では公然と人間以下の扱い、奴隷の身分が存在する。
重犯罪者、破産者、みなしご、他部族との戦争で得た捕虜などが奴隷に身をやつす。
「今の白髪部の大統(だいとう)も、元は馬糞拾いの乞食、奴隷のようなもんじゃったはずじゃがの」
流れる雲を見つめながら、星荷さんが軽く言った。
白髪部の首領さんは、正式には大統という呼称を使っている。
一瞬、怒りにも似た不愉快な顔を船頭さんは見せたけれど。
「そんな身空からてっぺんに昇ったお方だ。武運天運では昂(こう)の天子さまにも負けちゃいねえ」
どこか自慢げにそう言い、変わった形の小さな笛を口に咥えて櫂を漕いだ。
甲高い音から成る、特徴的な旋律をBGMに、私は思う。
実力さえあれば、生まれ育ちがどうであっても、それこそ奴隷のような境遇からでものし上がることができる。
それが白髪部の社会であり、そこに属する民の誇りでもあるのだろう。
青牙部と同じく白髪部にも血統的な差別はないとのことなので、下層からでも夢を掴むことができるのだな。
一度は奴隷になったとしても、身分が固定し続けるとは限らないわけだ。
「軽螢は首領、大統さんをちらっと見たことあるって言ってたよね? どんな感じだった?」
「シブいおっちゃんだったよ」
情報量が少ないなあ。
いぶし銀のダンディくらい、戌族の土地でなくたって、いくらでも。
いや、私の周りには、いないな?
潤いが足りない理由はそれかあ。
もっと細かく教えろよという私の表情を察して、軽螢は言葉を重ねる。
「北方無二(ほっぽうむに)って呼ばれる褐毛の、立派な馬に乗っててサ。覇聖鳳たちみたいな鉄の刀じゃなくて、青銅の直剣を持ってンだ。俺もそれにあやかって、この剣を使ってるンだよ」
軽螢が持つ唯一の武器、使い古してデコボコが目立つ青銅剣。
鍔(つば)のない素朴な刀身を撫でながら、軽螢はニコニコと笑っていた。
馬の通称まで知ってるなんて、結構詳しいな。
神台邑育ちの軽螢にとって、国境を挟んですぐ向こうにいる白髪部のボスは、憧れの英雄なのかもしれない。
「坊主、見所があるじゃねえか。せいぜい大統みたいに偉くなって、俺を引き立ててくれよ」
「へへっ、俺がいつかでっかい船を買えるようになったら、兄さんに船長をお願いするさァ」
なにやら軽螢と船頭さんで意気投合し、その後は男子ワールドの他愛のない雑談が続いた。
どこ行ってもコミュ力高いなあ、コイツ。
ところで、乗船してから翔霏が一言も喋ってないけれど。
「大丈夫? 船酔いとかしてない?」
「……それは問題ない。が、そもそも船はどうして浮くんだ? 人は水に入れば沈むもののはずなのに」
あ、そっち系? そっち気にしちゃう系?
沈むという前提を持ってるってことは、翔霏はカナヅチなんだな。
はじめて! はじめて運動や体育系の分野で、翔霏に勝てる!
これでも25メートルくらいなら泳げますんでね!
「あ、船板に穴が」
「なんだと!?」
私がからかったら翔霏が本気で怖がって、船の縁にジャンプした。
鉄棍を持っている翔霏の総体重は、並の男性より重いので、船が急激に傾いた。
「お、おい! 嬢ちゃんたち! 大人しくしてくれねえかな! 無事に着けなくても知らねえぞ!」
怒られちゃったよぅ。
結局、翔霏は対岸に着くまでの間ずっと、私の衣服の端を掴んで過ごしたのでありましたとさ。
臆病な翔霏も可愛い、好き。
鉄棍を手放してくれない限り、もし船が転覆したら二人とも溺れるんだけどね。
船を怖がっているおかげで、翔霏が事故を装って星荷さんを川に突き落とさなくて済んだのが、なによりだった。
「いい商売のネタを見つけたら、俺にも教えてくれよ」
「ウン、また帰るときに寄るかも」
船頭さんに軽螢が別れを告げる。
白髪部の土地に降り立ったけれど、さりとていきなり物騒なことなどあるわけもなく。
わけもなく。
あれ?
「お前ら、今、河を渡って来たな」
「商人……には見えないが。沸(ふつ)の坊さんもいるのか」
気が付いたら、屈強な騎馬兵の群れに、周りを取り囲まれている!?
全員が手に武器を、体には革なめしと鉄片からなる軽装の鎧を装備していた。
河川敷で軍人に囲まれがちな、特殊な星の下に生まれた麗央那(れおな)さんとは私のことだ。
「麗央那、私が掻き回すから、ヤギに乗って一目散に逃げろ。荷物は置いて行け。あとでどうにでもなる」
「メェ……ッ!」
翔霏が、今までに見たことがないほどの警戒信号を発して、小声で囁く。
ヤギもなんか気合い入れてくれてる。
数百人からなる青牙部の荒武者たちに面しても、余裕の顔を崩さなかった翔霏が。
目の前に居並ぶ男たちを、それ以上の強敵だと認め、眼光を鋭く光らせている!
「は、話せばわかるんじゃねーかなァ……?」
軽螢も口ではそう言いながら、腰の剣に手をかけた。
へっぴり腰なのが丸見えであった。
「話は聞く。俺たちが一方的にだ」
「どこの間者だ? 覇聖鳳の小僧に言われて来たんなら、全身の生皮を剥いで送り返してやるか」
男たちは問答無用で、私たちを束縛、拘留しようと、カチャカチャ武器防具を鳴らせて、にじり寄って来る。
川一本を挟んだだけで、世界観が変わりすぎじゃねーかなこれ!?
白髪部の大統さんは、どこぞの世紀末覇王ですか!?
群れの後ろには、さっきまで私たちを船に乗せて、雑談していた船頭さんの姿も。
「悪ィな、嬢ちゃんたち。これも商売でね」
「あの笛の音、白髪部の軍隊に知らせるものだったんですか」
船の上で船頭さんが唐突に吹いた笛。
あれが対岸にいる人への、なにかしらの暗号や狼煙の役割を担っていたのだろう。
渡し守をしながら、素性の怪しいやつを見つけたら軍隊に引き渡すことも、船頭さんの仕事だったわけね。
「どうしたもんかな~」
光速で動け、私の脳細胞。
シナプスよ駆け廻れ。
ここで暴れて逃げることは、翔霏もいることだし、ギリギリ可能だと思う。
でもそれを選ぶと、今後、白髪部の領域を動き回るのに大きな障害を残すことになる。
私たちが散り散りになってしまうリスクも、考慮しなくてはならない。
星荷さんは、まあどうでもいいけど。
逆に、この場は大人しく捕まったとして。
目の前の相手が私たちを、安全で自由な状態に置く可能性は、極めて低い。
白髪部のみなさんは青牙部その他からのスパイにピリピリしており、私たちが肉体的な拷問を受けないとも限らない。
なにより、時間が無駄に奪われることは確実だ。
この思考の間、流れた時間は約1秒。
嘘、もっとかかった。
「不本意だけど、ごめんなさい!」
脱出を決意し、翔霏にゴーサインを出そうとした私。
その肩に、ポンと手が置かれた。
「そう気色ばむでないわ。どのみち、阿突羅(あつら)のところへは出向くつもりじゃったからのう。逃げも隠れもせんから案内せい」
星荷さんがいつもの糸目を見開き、赤い瞳を向けて白髪部の男たちに言った。
阿突羅というのは、彼らの首領、大統の名前である。
その名を出されて、明らかに目の前の男たちは顔に戸惑いの色を見せた。
「お館の名前を、軽々しく呼ぶなッ!」
「ま、待て、その紅眼(こうがん)、矮躯(わいく)……ま、まさか!?」
小さなおじさんに睨まれて、後ずさる屈強な騎馬武者たち。
彼らの前で、星荷さんは毅然とした振る舞いで、一喝した。
「僧号は星荷、親から授かった赤目(せきもく)としての名は斧烈機(ふれき)。おぬしらの親玉、阿突羅の嫁の兄じゃ。義弟と妹にワシが会いに来て、なにが悪いかッ」
堂々とした名乗りと、刺すような視線を受けて、男たちは揃って馬から降りる。
そして、腕時計を見るかのような、肘から拳を胸の前で水平に構えた姿勢を取った。
右拳平礼(うけんへいれい)と呼ばれる、相手に敬意を示す挨拶の一種だ。
武器を持つ右手を戒めることで、相手に敵意がないことを示すのである。
「お、大姐(おおあね)の御兄弟とはつゆ知らず、無礼を働きました!!」
「平に、平に容赦を賜りたく!!」
武骨な兵たちが一転、頭を並べて下げ、恐縮してかしずいている。
正体不明のクサレ坊主。
宗教人としての号を星荷、本名を斧烈機と名乗る彼は、赤目部(せきもくぶ)の大人(たいじん)の家系に連なる、名士であった。
赤目部から白髪部にお嫁さんに来たのが、星荷さんの妹ということになるか。
大姐と呼ばれているからには、きっとかなり位の高い、周囲から尊敬されている奥さまだろう。
そのことを、私たちははじめて知ったのである。
「なんなんだ、面白くもない」
まったく信用していない星荷さんに場を収められて、翔霏はむくれていた。
先に言えや、と私ももちろん、不愉快であった。
ううう、凄い人なのかもしれないけれど、尊敬したくねえ~~~~。
「ちち、ちちちち」
川べりで魚とか貝を食べ、そろそろ出発しようと思っている、そんな昼下がり。
嫌がられているのにお構いなしで旅の仲間に加わった星荷(せいか)さんが、鳥寄せを行っていた。
「チュチュン、チュン」
冬ヒバリとこちらで呼ばれる小鳥が、星荷さんが構えた指先に降り立った。
うわ、なにあれいいな、私もできるようになりたい。
でも彼から物を教わるのは癪なので、羨ましい素振りなんて見せないのであった。
「この川を下れば、神台邑(じんだいむら)に行けるんだな」
翔霏(しょうひ)が地図を広げ、ぽつりとつぶやく。
そう、私と翔霏が最初に会った、あの河川敷に、この川は繋がっている。
私たちが目にしている、翼州(よくしゅう)神台邑から遥か上流に位置する緑江の流れは、そのまま戌族(じゅつぞく)の黄指部(こうしぶ)と白髪部(はくはつぶ)の領域を分ける、境界線である。
「昂国(こうこく)に帰るときは、川下りでもすっか?」
軽螢(けいけい)が楽しげに言った。
うん、夏の盛りを前にした、いつかその日。
晴れ晴れとした気持ちで私たちは船に乗り、川の流れに乗って、ヨモギの草が満ちる翼州に帰ろう。
そのときを思うと泣きたくなるけれど、なんとかこらえて。
「じゃ、行こっか」
白髪部の領域へ向かうため、渡し船が構えられている位置まで、みんなで歩いた。
戌族の中では黄色部に次いで勢力が大きく人口も多い、白髪部。
覇聖鳳(はせお)たちの青牙部(せいがぶ)と、先祖を同じくすると伝えられている。
彼らも青牙部と同様に、尚武の気風を持つ、厳つい荒くれ者集団と聞いている。
「昂国の若いモンを乗せるなんて、こりゃ珍しいこともあるな」
筋骨隆々の船頭さんが私たちを見てそう言った。
することもない船上の時間だ、情報収集に充てることにしよう。
そう思った私は詳しい話を聞く。
「滅多にありませんか」
「いやあ、奴隷の行き来は珍しかねえけどよ。人買い連中は俺らのちんけな船なんて使ってくれねえからな」
へっ、と自嘲するように船頭さんは嗤った。
昂国ではキツイ肉体労働や家庭内の使用人として、奴隷に近い扱いを受けている人たちがいる。
奴婢や宦官と呼ばれる階層がそれだ。
けれど彼らも国民として戸籍を持っているし、財産の私有や相続を認められているので、制度の上では完全な奴隷でなく自由市民である。
例外があるとすれば、後宮を襲って返り討ちに遭った青牙部の兵士のように、刑囚として終身懲役を喰らった人たちだな。
しかし戌族、特に白髪部では公然と人間以下の扱い、奴隷の身分が存在する。
重犯罪者、破産者、みなしご、他部族との戦争で得た捕虜などが奴隷に身をやつす。
「今の白髪部の大統(だいとう)も、元は馬糞拾いの乞食、奴隷のようなもんじゃったはずじゃがの」
流れる雲を見つめながら、星荷さんが軽く言った。
白髪部の首領さんは、正式には大統という呼称を使っている。
一瞬、怒りにも似た不愉快な顔を船頭さんは見せたけれど。
「そんな身空からてっぺんに昇ったお方だ。武運天運では昂(こう)の天子さまにも負けちゃいねえ」
どこか自慢げにそう言い、変わった形の小さな笛を口に咥えて櫂を漕いだ。
甲高い音から成る、特徴的な旋律をBGMに、私は思う。
実力さえあれば、生まれ育ちがどうであっても、それこそ奴隷のような境遇からでものし上がることができる。
それが白髪部の社会であり、そこに属する民の誇りでもあるのだろう。
青牙部と同じく白髪部にも血統的な差別はないとのことなので、下層からでも夢を掴むことができるのだな。
一度は奴隷になったとしても、身分が固定し続けるとは限らないわけだ。
「軽螢は首領、大統さんをちらっと見たことあるって言ってたよね? どんな感じだった?」
「シブいおっちゃんだったよ」
情報量が少ないなあ。
いぶし銀のダンディくらい、戌族の土地でなくたって、いくらでも。
いや、私の周りには、いないな?
潤いが足りない理由はそれかあ。
もっと細かく教えろよという私の表情を察して、軽螢は言葉を重ねる。
「北方無二(ほっぽうむに)って呼ばれる褐毛の、立派な馬に乗っててサ。覇聖鳳たちみたいな鉄の刀じゃなくて、青銅の直剣を持ってンだ。俺もそれにあやかって、この剣を使ってるンだよ」
軽螢が持つ唯一の武器、使い古してデコボコが目立つ青銅剣。
鍔(つば)のない素朴な刀身を撫でながら、軽螢はニコニコと笑っていた。
馬の通称まで知ってるなんて、結構詳しいな。
神台邑育ちの軽螢にとって、国境を挟んですぐ向こうにいる白髪部のボスは、憧れの英雄なのかもしれない。
「坊主、見所があるじゃねえか。せいぜい大統みたいに偉くなって、俺を引き立ててくれよ」
「へへっ、俺がいつかでっかい船を買えるようになったら、兄さんに船長をお願いするさァ」
なにやら軽螢と船頭さんで意気投合し、その後は男子ワールドの他愛のない雑談が続いた。
どこ行ってもコミュ力高いなあ、コイツ。
ところで、乗船してから翔霏が一言も喋ってないけれど。
「大丈夫? 船酔いとかしてない?」
「……それは問題ない。が、そもそも船はどうして浮くんだ? 人は水に入れば沈むもののはずなのに」
あ、そっち系? そっち気にしちゃう系?
沈むという前提を持ってるってことは、翔霏はカナヅチなんだな。
はじめて! はじめて運動や体育系の分野で、翔霏に勝てる!
これでも25メートルくらいなら泳げますんでね!
「あ、船板に穴が」
「なんだと!?」
私がからかったら翔霏が本気で怖がって、船の縁にジャンプした。
鉄棍を持っている翔霏の総体重は、並の男性より重いので、船が急激に傾いた。
「お、おい! 嬢ちゃんたち! 大人しくしてくれねえかな! 無事に着けなくても知らねえぞ!」
怒られちゃったよぅ。
結局、翔霏は対岸に着くまでの間ずっと、私の衣服の端を掴んで過ごしたのでありましたとさ。
臆病な翔霏も可愛い、好き。
鉄棍を手放してくれない限り、もし船が転覆したら二人とも溺れるんだけどね。
船を怖がっているおかげで、翔霏が事故を装って星荷さんを川に突き落とさなくて済んだのが、なによりだった。
「いい商売のネタを見つけたら、俺にも教えてくれよ」
「ウン、また帰るときに寄るかも」
船頭さんに軽螢が別れを告げる。
白髪部の土地に降り立ったけれど、さりとていきなり物騒なことなどあるわけもなく。
わけもなく。
あれ?
「お前ら、今、河を渡って来たな」
「商人……には見えないが。沸(ふつ)の坊さんもいるのか」
気が付いたら、屈強な騎馬兵の群れに、周りを取り囲まれている!?
全員が手に武器を、体には革なめしと鉄片からなる軽装の鎧を装備していた。
河川敷で軍人に囲まれがちな、特殊な星の下に生まれた麗央那(れおな)さんとは私のことだ。
「麗央那、私が掻き回すから、ヤギに乗って一目散に逃げろ。荷物は置いて行け。あとでどうにでもなる」
「メェ……ッ!」
翔霏が、今までに見たことがないほどの警戒信号を発して、小声で囁く。
ヤギもなんか気合い入れてくれてる。
数百人からなる青牙部の荒武者たちに面しても、余裕の顔を崩さなかった翔霏が。
目の前に居並ぶ男たちを、それ以上の強敵だと認め、眼光を鋭く光らせている!
「は、話せばわかるんじゃねーかなァ……?」
軽螢も口ではそう言いながら、腰の剣に手をかけた。
へっぴり腰なのが丸見えであった。
「話は聞く。俺たちが一方的にだ」
「どこの間者だ? 覇聖鳳の小僧に言われて来たんなら、全身の生皮を剥いで送り返してやるか」
男たちは問答無用で、私たちを束縛、拘留しようと、カチャカチャ武器防具を鳴らせて、にじり寄って来る。
川一本を挟んだだけで、世界観が変わりすぎじゃねーかなこれ!?
白髪部の大統さんは、どこぞの世紀末覇王ですか!?
群れの後ろには、さっきまで私たちを船に乗せて、雑談していた船頭さんの姿も。
「悪ィな、嬢ちゃんたち。これも商売でね」
「あの笛の音、白髪部の軍隊に知らせるものだったんですか」
船の上で船頭さんが唐突に吹いた笛。
あれが対岸にいる人への、なにかしらの暗号や狼煙の役割を担っていたのだろう。
渡し守をしながら、素性の怪しいやつを見つけたら軍隊に引き渡すことも、船頭さんの仕事だったわけね。
「どうしたもんかな~」
光速で動け、私の脳細胞。
シナプスよ駆け廻れ。
ここで暴れて逃げることは、翔霏もいることだし、ギリギリ可能だと思う。
でもそれを選ぶと、今後、白髪部の領域を動き回るのに大きな障害を残すことになる。
私たちが散り散りになってしまうリスクも、考慮しなくてはならない。
星荷さんは、まあどうでもいいけど。
逆に、この場は大人しく捕まったとして。
目の前の相手が私たちを、安全で自由な状態に置く可能性は、極めて低い。
白髪部のみなさんは青牙部その他からのスパイにピリピリしており、私たちが肉体的な拷問を受けないとも限らない。
なにより、時間が無駄に奪われることは確実だ。
この思考の間、流れた時間は約1秒。
嘘、もっとかかった。
「不本意だけど、ごめんなさい!」
脱出を決意し、翔霏にゴーサインを出そうとした私。
その肩に、ポンと手が置かれた。
「そう気色ばむでないわ。どのみち、阿突羅(あつら)のところへは出向くつもりじゃったからのう。逃げも隠れもせんから案内せい」
星荷さんがいつもの糸目を見開き、赤い瞳を向けて白髪部の男たちに言った。
阿突羅というのは、彼らの首領、大統の名前である。
その名を出されて、明らかに目の前の男たちは顔に戸惑いの色を見せた。
「お館の名前を、軽々しく呼ぶなッ!」
「ま、待て、その紅眼(こうがん)、矮躯(わいく)……ま、まさか!?」
小さなおじさんに睨まれて、後ずさる屈強な騎馬武者たち。
彼らの前で、星荷さんは毅然とした振る舞いで、一喝した。
「僧号は星荷、親から授かった赤目(せきもく)としての名は斧烈機(ふれき)。おぬしらの親玉、阿突羅の嫁の兄じゃ。義弟と妹にワシが会いに来て、なにが悪いかッ」
堂々とした名乗りと、刺すような視線を受けて、男たちは揃って馬から降りる。
そして、腕時計を見るかのような、肘から拳を胸の前で水平に構えた姿勢を取った。
右拳平礼(うけんへいれい)と呼ばれる、相手に敬意を示す挨拶の一種だ。
武器を持つ右手を戒めることで、相手に敵意がないことを示すのである。
「お、大姐(おおあね)の御兄弟とはつゆ知らず、無礼を働きました!!」
「平に、平に容赦を賜りたく!!」
武骨な兵たちが一転、頭を並べて下げ、恐縮してかしずいている。
正体不明のクサレ坊主。
宗教人としての号を星荷、本名を斧烈機と名乗る彼は、赤目部(せきもくぶ)の大人(たいじん)の家系に連なる、名士であった。
赤目部から白髪部にお嫁さんに来たのが、星荷さんの妹ということになるか。
大姐と呼ばれているからには、きっとかなり位の高い、周囲から尊敬されている奥さまだろう。
そのことを、私たちははじめて知ったのである。
「なんなんだ、面白くもない」
まったく信用していない星荷さんに場を収められて、翔霏はむくれていた。
先に言えや、と私ももちろん、不愉快であった。
ううう、凄い人なのかもしれないけれど、尊敬したくねえ~~~~。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
アルゴノートのおんがえし
朝食ダンゴ
ファンタジー
『完結済!』【続編製作中!】
『アルゴノート』
そう呼ばれる者達が台頭し始めたのは、半世紀以上前のことである。
元来アルゴノートとは、自然や古代遺跡、ダンジョンと呼ばれる迷宮で採集や狩猟を行う者達の総称である。
彼らを侵略戦争の尖兵として登用したロードルシアは、その勢力を急速に拡大。
二度に渡る大侵略を経て、ロードルシアは大陸に覇を唱える一大帝国となった。
かつて英雄として名を馳せたアルゴノート。その名が持つ価値は、いつしか劣化の一途辿ることになる。
時は、記念すべき帝国歴五十年の佳節。
アルゴノートは、今や荒くれ者の代名詞と成り下がっていた。
『アルゴノート』の少年セスは、ひょんなことから貴族令嬢シルキィの護衛任務を引き受けることに。
典型的な貴族の例に漏れず大のアルゴノート嫌いであるシルキィはセスを邪険に扱うが、そんな彼女をセスは命懸けで守る決意をする。
シルキィのメイド、ティアを伴い帝都を目指す一行は、その道中で国家を巻き込んだ陰謀に巻き込まれてしまう。
セスとシルキィに秘められた過去。
歴史の闇に葬られた亡国の怨恨。
容赦なく襲いかかる戦火。
ーー苦難に立ち向かえ。生きることは、戦いだ。
それぞれの運命が絡み合う本格派ファンタジー開幕。
苦難のなかには生きる人にこそ読んで頂きたい一作。
○表紙イラスト:119 様
※本作は他サイトにも投稿しております。
翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~
西川 旭
ファンタジー
バイト先は後宮、胸に抱える目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~
の続編です。
前編までのリンクは概要欄下記に。
中華風ファンタジー、ごった煮エンターテインメント。
知と和と祈りの壮大な叙事詩をあなたへ。
登場人物
北原麗央那(きたはら・れおな) 後宮の侍女でガリ勉
司午翠蝶(しご・すいちょう) 後宮での麗央那の主人
応軽螢(おう・けいけい) 麗央那が世話になった邑のリーダー
紺翔霏(こん・しょうひ) 軽螢の姉貴分で武術の達人
銀月奴(ぎんげつやっこ) 年かさの情報通な宦官
巌力奴(がんりきやっこ) 休職中の怪力宦官
司午玄霧(しご・げんむ) 翠蝶の兄で謹直な武官
司午想雲(しご・そうん) 玄霧の息子で清廉な少年
環椿珠(かん・ちんじゅ) 金持ちのドラ息子
環玉楊(かん・ぎょくよう) 巌力の主人で椿珠の異母妹
斗羅畏(とらい) 東北草原の若き首領
突骨無(とごん) 斗羅畏の叔父で中北草原の大統
阿突羅(あつら) 大統を引退した斗羅畏の祖父
星荷(せいか) 赤目部出身の僧侶で突骨無の伯父
除葛姜(じょかつ・きょう) 旧王族傍流の天才軍師
一部
https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/437803662
二部
https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/758818960
三部
https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/178880261
3.5部
https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/368887769
酒見賢一先生のご霊前に捧ぐ
No One's Glory -もうひとりの物語-
はっくまん2XL
SF
異世界転生も転移もしない異世界物語……(. . `)
よろしくお願い申し上げます
男は過眠症で日々の生活に空白を持っていた。
医師の診断では、睡眠無呼吸から来る睡眠障害とのことであったが、男には疑いがあった。
男は常に、同じ世界、同じ人物の夢を見ていたのだ。それも、非常に生々しく……
手触り感すらあるその世界で、男は別人格として、「採掘師」という仕事を生業としていた。
採掘師とは、遺跡に眠るストレージから、マップや暗号鍵、設計図などの有用な情報を発掘し、マーケットに流す仕事である。
各地に点在する遺跡を巡り、時折マーケットのある都市、集落に訪れる生活の中で、時折感じる自身の中の他者の魂が幻でないと気づいた時、彼らの旅は混迷を増した……
申し訳ございませんm(_ _)m
不定期投稿になります。
本業多忙のため、しばらく連載休止します。
異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜
山いい奈
ファンタジー
味噌蔵の跡継ぎで修行中の相葉壱。
息抜きに動物園に行った時、仔カピバラに噛まれ、気付けば見知らぬ場所にいた。
壱を連れて来た仔カピバラに付いて行くと、着いた先は食堂で、そこには10年前に行方不明になった祖父、茂造がいた。
茂造は言う。「ここはいわゆる異世界なのじゃ」と。
そして、「この食堂を継いで欲しいんじゃ」と。
明かされる村の成り立ち。そして村人たちの公然の秘め事。
しかし壱は徐々にそれに慣れ親しんで行く。
仔カピバラのサユリのチート魔法に助けられながら、味噌などの和食などを作る壱。
そして一癖も二癖もある食堂の従業員やコンシャリド村の人たちが繰り広げる、騒がしくもスローな日々のお話です。
人間とはなんだ?治療において『神の領域』は存在しない~遺伝子改造治療~究極の選択を迫られたとき人間であり続けますか?進化を選びますか?
常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
大衆娯楽
『神の領域』と言われた遺伝子操作技術を手に入れてしまった主人公は、難病に苦しむ愛する子供たちを救うべく、遺伝子治療を行った。
そして、成功したことで世界に公表をする。
すべての病に苦しむ人を助けたくて。
『神の領域』として禁じられた技術、『遺伝子書換』『遺伝子改造』その技術を使えば全ての病を克服することが出来る。
しかし、それを阻む勢力がいた・・・・・・。
近未来、必ずやってくるであろう遺伝子治療の世界。
助からなかった病が助かるようになる。
その時あなたは、その治療法を『神の領域』と言いますか?
あなたの大切な家族が、恋人が、友人が助かる時に『倫理』と言う言葉を使って否定しますか?
これは『神の領域』に踏み込んだ世界の近未来物語です。
きっとあなたも、選択の時が来る。少しだけ本気で考えてみませんか?
人間が今の人間であり続ける理由は、どこにあります?
科学が進めばもうすぐ、いや、現在進行形で目前まで来ている遺伝子改造技術、使わない理由はなんですか?
♦♦♦
特定の病名は避けさせていただきます。
決して難しい話ではないと思います。
また、現在の時節を入れた物語ですが、フィクションです。
病名・国名・人名、すべて架空の物語です。
コンテスト中、完結します。
5月31日最終回公開予約設定済み。
異世界転移したら、死んだはずの妹が敵国の将軍に転生していた件
有沢天水
ファンタジー
立花烈はある日、不思議な鏡と出会う。鏡の中には死んだはずの妹によく似た少女が写っていた。烈が鏡に手を触れると、閃光に包まれ、気を失ってしまう。烈が目を覚ますと、そこは自分の知らない世界であった。困惑する烈が辺りを散策すると、多数の屈強な男に囲まれる一人の少女と出会う。烈は助けようとするが、その少女は瞬く間に屈強な男たちを倒してしまった。唖然とする烈に少女はにやっと笑う。彼の目に真っ赤に燃える赤髪と、金色に光る瞳を灼き付けて。王国の存亡を左右する少年と少女の物語はここから始まった!
蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜
二階堂まりい
ファンタジー
メソポタミア辺りのオリエント神話がモチーフの、ダークな異能バトルものローファンタジーです。以下あらすじ
超能力を持つ男子高校生、鎮神は独自の信仰を持つ二ツ河島へ連れて来られて自身のの父方が二ツ河島の信仰を統べる一族であったことを知らされる。そして鎮神は、異母姉(兄?)にあたる両性具有の美形、宇津僚真祈に結婚を迫られて島に拘束される。
同時期に、島と関わりがある赤い瞳の青年、赤松深夜美は、二ツ河島の信仰に興味を持ったと言って宇津僚家のハウスキーパーとして住み込みで働き始める。しかし彼も能力を秘めており、暗躍を始める。
42歳メジャーリーガー、異世界に転生。チートは無いけど、魔法と元日本最高級の豪速球で無双したいと思います。
町島航太
ファンタジー
かつて日本最強投手と持て囃され、MLBでも大活躍した佐久間隼人。
しかし、老化による衰えと3度の靭帯損傷により、引退を余儀なくされてしまう。
失意の中、歩いていると球団の熱狂的ファンからポストシーズンに行けなかった理由と決めつけられ、刺し殺されてしまう。
だが、目を再び開くと、魔法が存在する世界『異世界』に転生していた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる