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第八章 八州と北方の境界

五十九話 豹人の謎かけ

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 岳浪(がくろう)という地名なだけはある。
 まるで切り立った岩山が、寄せては返す波のように連続する、独特の地形が広がっていた。
 私たちはその岩山の間を縫うように整備された、谷間の山道を歩いている。
 
「岩肌が柱みたいにカクカクしてるなあ。誰かが必死で彫ったンかな?」

 岩壁の偉容を大口開けて眺めながら、軽螢が感嘆した。
 軽螢が言うように、岩肌表面が、まるで人工物であるかのように美しい六角形に整えられ、並んでいる。

「柱状節理(ちゅうじょうせつり)って言って、火山の溶岩が冷えた跡だよ」
「へー」

 ドヤ顔で私が教えるも、軽螢がわかったのかどうか。
 そもそもこの話題に興味ないな、コイツ?
 地下で溶けていたマグマが地表に湧き出た場合、雨や空気で急激に冷やされる。
 その結果として、五角形や六角形の美しい柱のような形で固まることがあるのだ。
 私たちが今、目の前にしている地形は、遥か古代にあって活発な火山帯だったという証拠である。
 神台邑(じんだいむら)の周囲では見られない珍しい光景を前にして、翔霏も感想を漏らす。

「毛州(もうしゅう)と言うからには、もっと草木が生い茂っているものかと思っていたが、このあたりは禿げた岩山が多いんだな」
「そりゃ、毛はいつか抜けるからなあ……」
「メェ……」

 雷来(らいらい)おじいちゃんの孫と言う、つるっぱげ遺伝子を受け継ぐ軽蛍、哀しみのコメント。
 首都である河旭城(かきょくじょう)の周辺は、もっと植物が繁茂していた。
 しかしこのあたりは、背の低い木がまばらに生えるだけの岩山が続いている。
 毛は生えれば抜けるのだという無常観を、豊かな森林と禿山とが表す地名として、毛州と呼ぶのは実に示唆に富んでいるな。 
 そう思いながら、私たち三人がヤギを連れてのんびり、谷底の道を歩いていると。

「この道を行くは、いかなぶ、いかなるものか!」

 微妙に滑舌の悪い大声が、離れたところから聞こえた。
 大事なセリフを噛んでるんじゃねーよ。

「相手にするな、行くぞ」

 翔霏は、問いに答えるつもりもまったくナシに、ずんずんと先を進む。

「ま、待て待て! そのまま歩けば、おぬしらに災いが降りかかるぞ!!」
「どんな?」

 純粋な興味関心で、軽螢が尋ねる。
 素直に聞き返されると思っていなかったのか、相手は若干の沈黙をしたのちに。

「つ、吊り橋が、壊れたりするかもしれぬ」

 妙にリアリティのある返答をよこしてきた。
 いや、豹の怪魔に食い殺されるんじゃねーのかよ。
 けれど、その言葉を聞いて軽螢と翔霏ははっきりと、難しく考える顔をして。

「それは困る」
「ここの谷、深いからなあ」

 二人揃って、足を停めた。
 え、信じちゃうんだー。
 あ、そういえば。
 神台邑の人たちはみんな、建造物、構造物が壊れることを、ひどく気にするたちだった。
 いくら気を付けていても、万が一のことがあるからね。
 姿の見えない謎の声の主は、私たちが進行を止めたことに安心したのか、自信たっぷりな声で、言った。

「しかし、我が問いに答えられるのならば、おぬしらの道先に憂いはなくなるであろう」
「いったいなんだそれは。言うだけ言ってみろ。くだらない話ならお前を引きずり出して叩きのめしてやる」

 翔霏がそう返すと、少しの間があって。 
 
「汝往山中(なんじら山中を往き)、
 何視旅悠久(悠久を旅し何を視たのか)」

 先ごろ聞いた人食い豹の伝説の通り、詩文による問いかけをしてきたのだった。

「なにを見たって言われてもなァ。岩ばっかりだけど、ここら辺」 
「メエェ……」

 軽螢がぼやき、エサになる草が少ないことを嘆いたヤギが、切なげに鳴いた。

「どうでもいい。声の主を探すか。痛めつけてやれば聞き分けるだろう」
「翔霏、それは最後の手段に取っておこうね。穏便に事が済むならその方が良いし」

 蹴ったり叩いたりする方が手間がない、とでも言いたげな翔霏を抑えて、私は問い、謎かけの意味を考える。
 ここまで旅をしてきてなにを見たのか、という簡単な問いかけなら、正直に事実を答えればいい。
 けれど、わざわざ古めかしい詩文の形式で謎かけをしている以上、答える方も形式に則らなければいけない。

「古い詩の本に『段詩』って形式があったなあ」

 私は河旭の中書堂で借りて読んだ本を思い出す。
 段詩と言うのは、句が進むにつれて文字数が増えていく形式の詩歌である。
 最初の一人が四言、五言の詩句を詠んで、それを受けた二人目が六言、七言の二句からなる詩を返す、という文芸の遊びだ。
 階段のように文字数が増えていくから、段詩と呼ばれる。
 人数が増えるほど最終的な文字数が増え、難易度が上がるという、それなりに言葉のセンスや語彙力が必要な遊びである。
 私は頭の中で字句を組み立てて、謎の声の主にそれを発する。

「昔視鳥近遊墜(むかし、近くを遊ぶ鳥が墜ちるのを視た)。
 応行為止佳人涙(さあこれから、よき人の涙を止めに行こう)」

 今までの道のりで私が見たのは、楽しいことも、哀しいことも半々だ。
 この先の旅では、大事な人の笑顔を得ることができますように。
 環(かん)貴人に会いに行く決意を、詩に乗せて表現したのだ。
 答えるときも二句である必要があるため、今までの旅で見たことと、これからの旅で見ること、その二つを答えるのが正解の一つではないかと思った。
 相手が詠んだ詩も、末尾で韻を踏んでいたので、こっちからの返句も韻を踏んでおいたぞ。
 さあ、この私の答えに、相手はどう出るか?

「へえ……」

 微かにそんな声が岩陰の奥から聞こえて。
 数人の若者が、道の死角から姿を現した。
 野盗だとかやくざものには見えないくらいに、全員が綺麗な服を着ている。

「なんだ、まだ子供じゃないか。岳浪に勉強に来た学生か?」

 リーダー格らしい、女物と見紛うような華やかな絹の衣を着た男が言った。
 声が違うので、謎かけをしてきた滑舌の悪いやつとは別人だろう。
 一面に豹柄の斑紋が刺繍されている、大層な金のかかっていそうな服だった。
 バッチリと大きく見開いた多重まぶたを持つ、かなりの美男子である。
 食うに困って道行く旅人から強盗やカツアゲをしているようには思えない。

「なんだってこんな真似をする。こっちも暇じゃないんだ。答えようによっては少し思い知ることになるぞ」

 呆れた声で棍の先をトントンと地面に打ち鳴らしながら、翔霏が言う。
 翔霏が神経を尖らせていないのは雰囲気でわかるので、相手はそれほど腕に覚えのある連中ではないらしい。
 見たところお仲間もそれなりに上品そうないでたちで、武器はあっても構える気配がない。
 彼らに敵意はないようで、私は安心。
 まぁまぁ、メェメェ、と軽螢、ヤギも翔霏のイラつきをなだめる。

「こう言っておけば、たまに臆病な旅人が小銭を置いて行ってくれるんでね。ま、人間観察ついでの、暇つぶしさ」

 女男は悪びれずに言った。
 どこかで見たことがあるような気がする顔だったけど。
 誰に似てるんだっけか、ちょっと思い出せない。
 年の頃は、私たちより少しばかり上くらいだろうか。

「なるほど、人食い豹のお伽噺を信じた旅人を、ここで脅かして金をせしめてるんだな。頭いいな」
「軽螢は感心すんな」
 
 仲間に入れてくれとか言いだされても困るよ、ホント。
 私たちのやり取りをクックと笑って見ていた女男は、改めて私を見て言った。

「ただの旅人や商人って雰囲気じゃないし、丸っきりのバカでもなさそうだ。しかし学生にも見えんな。岳浪にはどんな用で来た?」
「ええと、環家のお屋敷があるって聞いたから、近くに来たついでに見物でもと思って」

 当たり障りのないことを言っておく。
 私の言葉を聞いた女男は、へえ、と少し面白そうな表情を浮かべて。

「それなら館の門番にこいつを渡しな。土産話程度のことは聞かせてくれるはずだ」

 薄い木の板、木札に墨筆でなにか書いて、私によこした。

「椿珠許」

 とそこには記されている。

「椿珠(ちんじゅ)さんって、あなたの名前?」
「気にすんな。さっさと行っちまえ。俺たちは次に通りがかるバカをからかうのに忙しいんだ」

 笑って、豹柄の女男は、仲間を引き連れてどこへともなく去って行った。

「豹の怪物より、人間の方がよほど得体が知れないな」

 ずっと不審な目つきで彼らを見ていた翔霏が、そうまとめた。
 その後しばらく歩いて、岳浪の街に着き、門をくぐった私たち。
 ただちに環貴人のご実家の場所を聞き、そこに辿り着く。

「これ、本当に人の家かよ。州公サマとかのお城じゃねえの?」

 傾斜地に切り石の土台、いわゆる石垣を備えてそびえ立つその館。
 皇都の役所や後宮に勝るとも劣らない、高い塀で囲われた建物が、私たちを圧倒するのだった。   
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