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本編
第8話 ヒロインとヒーロー
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夏が到来する。
南部のリーユニアは一年を通して暖かく過ごしやすい気候だが、夏はカラッとした暑さに包まれる。暑い時にやることと言えば、海水浴だ。リーユニアの美しい海で夏を謳歌したいと考える者は多く、ベルガー帝国からはもちろん、傘下国や友好国からも毎年大勢の観光客が訪れる。一年の中でも夏は特に、リーユニアの観光業が栄える季節なのである。
夏のリーユニアを求めて多くの人々が訪れる中、エルヴァンクロー公爵城にもとある人物が訪れていた。
「どうして、あなたが、ここに……」
知性や信頼を表す青色で彩られた客間。サナの眼前には、信じがたい訪問客がいた。それも、ハッピーセットのおまけ付き。
「久々にお会いできて嬉しいです。お元気でしたか? サナ様」
鳥の囀りのような可憐な声色。ペールブルーの長髪は緩く巻かれ、青色のリボンで飾られている。乱れのない前髪の下、サファイア色の双眸が美しい。小動物を思わせるくりっとした大きな目だ。小さな鼻に、ピンク色の唇。まるで人形みたいな顔立ちをした女性の名は、リリアンナ・リーバー。18歳。リーバー伯爵夫人であり、この物語〝レオンに恋して〟のヒロインである。
前世にて大ファンであった物語。そのヒロインに再会した瞬間、感激すると同時に酷く動揺してしまった。
「………………」
サナはリリアンナの全身を見つめる。
サナ・ド・エルヴァンクローは、リリアンナと会うのは初めてではない。しかし前世の自分、照川紗南としてリリアンナに会うのはこれが初めてなのだ。大ファンだった物語のヒロインが目の前で実際に動いている様子は、感慨深いものがある。涙を堪え、リリアンナに笑いかけた、その瞬間――。
「随分と胡散臭い笑顔だな」
リリアンナのハッピーセットが発した言葉に、サナはカチリと固まる。リリアンナの隣にいるのは、見目麗しい男。ペールブラウンの髪は、ふわふわと揺れている。長い睫毛にシトリン色の瞳。唇は比較的分厚めだ。一般的に甘いマスクと呼ばれる顔立ちだろう。男の名は、レオン・リーバー。21歳。リーバー伯爵であり、リリアンナの夫。そして、何を隠そう彼こそが、〝レオンに恋して〟のヒーローなのだ。
リリアンナ同様、物語のヒーローが実際に動いている姿は、感動そのものd――。
「リリーに会いたくなかったという顔をしているが、さすがに失礼だとは思わないのか? はっ、貴様は相変わらず悪女に変わりないな。どうせこの城でも横暴な振る舞いをしているんだろう? 貴様の夫が可哀想に思えてくる」
前言撤回。まったく、本当にまったく、これっっっぽっっっちも感動しない。むしろ動いてくれないほうがマシだ。
あぁ、どうしてこんな野郎を好きになってしまったのか。悪役として仕方はないものの、本当に好きになる理由が分からない。
思い起こせば、サナはレオンから嫌われていた。神出鬼没のGと呼ばれる虫を嫌うかの如く、いいや、もしかしたらGに失礼かもしれない。レオンはG以上にサナを嫌悪していた。それでもサナは物語の悪役として、めげずに彼を想い続けたのだ。
〝レオンに恋して〟のファンであった照川紗南は、物語の中、ヒーローのレオンを見ていた。だが前世を思い出した今、当事者として改めて彼を見ると、信じがたい苛立ちを覚えてしまう。百年の恋も冷めるとはまさにこのことだろう。
そのため、レオンはヒーローではなくハッピーセット扱いで十分なのだ。サナにとってのヒーローは、アルベルクただひとりだから。レオンとリリアンナの恋物語という出来レースがなければ、サナの初恋はアルベルクだったというのに。
「リーバー伯爵夫人。再会できて光栄です。私はそれなりに元気にしておりましたが……伯爵夫人はお元気でしたか? 公爵家の夫人に向かって〝貴様〟と口にする野蛮な男性が隣にいては、気も休まらなかったのではないかと不安に思ってしまって……」
目元を押さえながら、ここぞとばかりに煽り散らかす。リリアンナを心配する、いかにも心優しい女性を気取って見せた。視界の端に追いやったレオンがグッと悔しげに唇を噛みしめる。
「まぁ……。サナ様、どうか夫のご無礼をお許しください」
「伯爵夫人が謝ることではございません」
サナはチラリとレオンを見遣る。レオンはあからさまに視線を逸らした。
「……あの、サナ様。先程から気になっていたのですが、私のことを、その……名前で……呼んでくださらないのですか?」
「………………???」
何を言っているのかこの子兎ちゃんは、と言いたげな目でリリアンナを凝視する。
「もしかして、お忘れに……」
「いえいえいえ、まさか。エルヴァンクロー公爵家の夫人である私が忘れ事などするはずありませんわ」
胸を張って答えると、リリアンナの表情が晴れ渡る。
「よかったです! 名前で呼び合うという約束をお忘れになったのではないかと不安になりましたが、覚えていてくださっているということで安心しました」
「あっ、あ~……不安にさせてしまい申し訳ございません。やはりまだ失礼かと思い伯爵夫人と呼ばせていただいたのですが……そういうことでしたら名前で呼ばせていただきますね。リリアンナ様」
恐らく、リリアンナに謝罪した時に交わした約束だろう。後頭部を打ちつけた後遺症からか、名前で呼び合う約束など本当はすっかり忘れていたのだが、なんとか覚えているふうに嘘を並べることに成功した。リリアンナが純粋でよかった、と安堵したのであった。
南部のリーユニアは一年を通して暖かく過ごしやすい気候だが、夏はカラッとした暑さに包まれる。暑い時にやることと言えば、海水浴だ。リーユニアの美しい海で夏を謳歌したいと考える者は多く、ベルガー帝国からはもちろん、傘下国や友好国からも毎年大勢の観光客が訪れる。一年の中でも夏は特に、リーユニアの観光業が栄える季節なのである。
夏のリーユニアを求めて多くの人々が訪れる中、エルヴァンクロー公爵城にもとある人物が訪れていた。
「どうして、あなたが、ここに……」
知性や信頼を表す青色で彩られた客間。サナの眼前には、信じがたい訪問客がいた。それも、ハッピーセットのおまけ付き。
「久々にお会いできて嬉しいです。お元気でしたか? サナ様」
鳥の囀りのような可憐な声色。ペールブルーの長髪は緩く巻かれ、青色のリボンで飾られている。乱れのない前髪の下、サファイア色の双眸が美しい。小動物を思わせるくりっとした大きな目だ。小さな鼻に、ピンク色の唇。まるで人形みたいな顔立ちをした女性の名は、リリアンナ・リーバー。18歳。リーバー伯爵夫人であり、この物語〝レオンに恋して〟のヒロインである。
前世にて大ファンであった物語。そのヒロインに再会した瞬間、感激すると同時に酷く動揺してしまった。
「………………」
サナはリリアンナの全身を見つめる。
サナ・ド・エルヴァンクローは、リリアンナと会うのは初めてではない。しかし前世の自分、照川紗南としてリリアンナに会うのはこれが初めてなのだ。大ファンだった物語のヒロインが目の前で実際に動いている様子は、感慨深いものがある。涙を堪え、リリアンナに笑いかけた、その瞬間――。
「随分と胡散臭い笑顔だな」
リリアンナのハッピーセットが発した言葉に、サナはカチリと固まる。リリアンナの隣にいるのは、見目麗しい男。ペールブラウンの髪は、ふわふわと揺れている。長い睫毛にシトリン色の瞳。唇は比較的分厚めだ。一般的に甘いマスクと呼ばれる顔立ちだろう。男の名は、レオン・リーバー。21歳。リーバー伯爵であり、リリアンナの夫。そして、何を隠そう彼こそが、〝レオンに恋して〟のヒーローなのだ。
リリアンナ同様、物語のヒーローが実際に動いている姿は、感動そのものd――。
「リリーに会いたくなかったという顔をしているが、さすがに失礼だとは思わないのか? はっ、貴様は相変わらず悪女に変わりないな。どうせこの城でも横暴な振る舞いをしているんだろう? 貴様の夫が可哀想に思えてくる」
前言撤回。まったく、本当にまったく、これっっっぽっっっちも感動しない。むしろ動いてくれないほうがマシだ。
あぁ、どうしてこんな野郎を好きになってしまったのか。悪役として仕方はないものの、本当に好きになる理由が分からない。
思い起こせば、サナはレオンから嫌われていた。神出鬼没のGと呼ばれる虫を嫌うかの如く、いいや、もしかしたらGに失礼かもしれない。レオンはG以上にサナを嫌悪していた。それでもサナは物語の悪役として、めげずに彼を想い続けたのだ。
〝レオンに恋して〟のファンであった照川紗南は、物語の中、ヒーローのレオンを見ていた。だが前世を思い出した今、当事者として改めて彼を見ると、信じがたい苛立ちを覚えてしまう。百年の恋も冷めるとはまさにこのことだろう。
そのため、レオンはヒーローではなくハッピーセット扱いで十分なのだ。サナにとってのヒーローは、アルベルクただひとりだから。レオンとリリアンナの恋物語という出来レースがなければ、サナの初恋はアルベルクだったというのに。
「リーバー伯爵夫人。再会できて光栄です。私はそれなりに元気にしておりましたが……伯爵夫人はお元気でしたか? 公爵家の夫人に向かって〝貴様〟と口にする野蛮な男性が隣にいては、気も休まらなかったのではないかと不安に思ってしまって……」
目元を押さえながら、ここぞとばかりに煽り散らかす。リリアンナを心配する、いかにも心優しい女性を気取って見せた。視界の端に追いやったレオンがグッと悔しげに唇を噛みしめる。
「まぁ……。サナ様、どうか夫のご無礼をお許しください」
「伯爵夫人が謝ることではございません」
サナはチラリとレオンを見遣る。レオンはあからさまに視線を逸らした。
「……あの、サナ様。先程から気になっていたのですが、私のことを、その……名前で……呼んでくださらないのですか?」
「………………???」
何を言っているのかこの子兎ちゃんは、と言いたげな目でリリアンナを凝視する。
「もしかして、お忘れに……」
「いえいえいえ、まさか。エルヴァンクロー公爵家の夫人である私が忘れ事などするはずありませんわ」
胸を張って答えると、リリアンナの表情が晴れ渡る。
「よかったです! 名前で呼び合うという約束をお忘れになったのではないかと不安になりましたが、覚えていてくださっているということで安心しました」
「あっ、あ~……不安にさせてしまい申し訳ございません。やはりまだ失礼かと思い伯爵夫人と呼ばせていただいたのですが……そういうことでしたら名前で呼ばせていただきますね。リリアンナ様」
恐らく、リリアンナに謝罪した時に交わした約束だろう。後頭部を打ちつけた後遺症からか、名前で呼び合う約束など本当はすっかり忘れていたのだが、なんとか覚えているふうに嘘を並べることに成功した。リリアンナが純粋でよかった、と安堵したのであった。
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