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本編
第2話 前世を思い出したけどもう遅いみたい
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ベルガー帝国。名門エルヴァンクロー公爵家の夫人。サナ・ド・エルヴァンクロー。
結婚前の名は、サナ・バルテル。バルテル伯爵家の令嬢だった。〝レオンに恋して〟のヒーロー、レオンに一目惚れして彼を追いかけ回し、ヒロインに嫌がらせをしていた悪役だ。物語の最後、サナ・バルテルは、結ばれたヒロインとヒーローに心から謝罪したあと、他国の貴族に嫁入りした。しかし現実では、他国ではなく、物語の舞台であるベルガー帝国の名門中の名門エルヴァンクロー公爵家に嫁いでいたのだ。
サナは前世を思い出し、今自分が生きている世界が前世で流行った物語の世界なのだと理解した。そして自分が数々の悪事を働いた悪役だということも。彼女は、過去の自分を思い出す。前世で読んだ物語とまったく同様に、レオンに惚れ込み、彼と結ばれるためにリリアンナを虐めていた過去の自分を……。
「なんてバカなことを……」
ヒロインをいじめるのは悪役として当然の役目と言える。だが悪役の宿命とはいえ、恥ずかしくて仕方がない。
物語では描かれていないサナの結婚。結婚後、自分でも驚くくらいにレオンへの恋心がすっかり冷めていた。周囲からもようやくレオンを諦めたのかと噂されるほど。たとえ夫との夫婦生活が上手くいっていなかったとしても、それなりに充実した日々を送っていたのだ。
なぜあんなに恋焦がれていたレオンへの想いが役目を終えたティッシュのように、不必要なものに感じられたのか。サナ自身が悪役としての任期満了を迎えたから、悪役の時期に育んでいた感情も同時に役目を終えたのだ。
「まぁ、今となっては過去のことだし、別にどうだっていいけれど……なんだか虚しいわね」
苦笑しながら呟いた。
できれば、結婚する前に前世を思い出したかった。そうすれば、父であるバルテル伯爵によって嫁がされることもなかったかもしれないのに。愛のない夫婦生活に苦しむことも、なかったかもしれない――。
そう、サナは夫であるエルヴァンクロー公爵と上手くいっていない。公爵に愛されていないのだ。バルテル伯爵家にだけ利益がある結婚のため、なぜエルヴァンクロー公爵がサナを娶ったのかもよく分からない。実家の力も弱い、何か秀でた才能があるわけでもない、平凡に生きればいいものを悪女として名を轟かせてしまった見た目しか取り柄のない令嬢。エルヴァンクローの家門からは、きっと「☆1」と酷評されているはずだ。
サナは盛大な溜息をつく。できるだけ城の中で夫と鉢合わせないよう、意識して生活しているのだが、それももう疲れてしまった。鏡から離れ、窓辺に向かう。カーテンを大きく開けて、巨大な窓の鍵を解錠する。勢いよく開けてバルコニーに出ると、柵を両手で掴んで、大きく息を吸った。今の時間帯は夜だが、どうか許してほしい……。
「離婚しようかしら~~~~~!!!」
大声で叫ぶと、「かしら~! かしら~ かしら~……」とやまびこが聞こえた。
離婚するなど、もちろん冗談だが、叫びたくなったのだ。
清々しい感情と春の夜風に浸っていると、何やら騒がしい音や声がする。夜中に騒いだことがバレてしまったのか、と危惧した時、部屋の扉が開かれた。
「奥様っ!!!!! 目覚められたのですね!?!?」
白髪の老人が現れる。漆黒の執事服を着こなした執事の名は、ハルク・リットナー。エルヴァンクロー公爵家の執事長である。ミントグリーンの瞳は眼鏡の奥に隠れてしまっているが、とても美しい。
「ハルク。こんばんは」
「優雅にご挨拶とは……。意識を失ったと聞いた時は、どれほど心配したことか……。とにかくご無事で何よりです」
ハルクはずれた眼鏡をかけ直して、一礼する。直後、眼鏡の縁が光り輝いた。
「ところで先程、離婚、と聞こえましたが……」
肩を跳ね上がらせる。ハルクから目を逸らし、下手な口笛を吹いて誤魔化す。ジト目を向けられているのを横目で確認しながら、「へへ、へへ」と気の抜けた笑い方をした。
「奥様……。奥様がエルヴァンクロー公爵家へと嫁いでこられてから六ヶ月が経ちました。旦那様となかなか打ち解けられない状況も、奥様の心中もお察しいたします。しかし、少しずつでも良いので話してみてはいかがですか?」
「………………」
「挨拶だけでも良いのです。何かしら言葉を交わすことによって、誤解も解けるかもしれません。お互いの心を理解する第一歩を、踏み出してみては?」
「………………」
「旦那様にも、私からお伝えしておきます」
ハルクに諭されたサナは、溜息をついた。
エルヴァンクロー公爵家の夫人となってから半年。ろくに顔も合わせていないし、夫婦の部屋も使用していない。ふたりの寝室には、初夜以来、一度も足を運んでいないのだ。なぜなら、結婚初夜、夫であるエルヴァンクロー公爵は夫婦の寝室に姿を見せなかったから――。
実を言うとサナは、大きな期待を寄せていた。夫婦の初夜、それも美丈夫で貴族令嬢の憧れの的であるエルヴァンクロー公爵と夜を共にすることに。結婚式で彼の姿を見て、目も心も奪われたのだから。
しかし、待てど暮らせど彼は来ない。気づいたら、朝になっていた。激怒したサナは、夫のもとを訪れ問い質したが、「無理をしてまで体を交えなければならないわけではない」と冷静に言われたのだ。自尊心を傷つけられたサナは、初夜以来、トラウマの部屋には足を運んでいない。
憎たらしいくらい美しい顔で冷たくあしらってきた夫の姿を脳裏に浮かべ、恐る恐る首を縦に振ったのであった。
結婚前の名は、サナ・バルテル。バルテル伯爵家の令嬢だった。〝レオンに恋して〟のヒーロー、レオンに一目惚れして彼を追いかけ回し、ヒロインに嫌がらせをしていた悪役だ。物語の最後、サナ・バルテルは、結ばれたヒロインとヒーローに心から謝罪したあと、他国の貴族に嫁入りした。しかし現実では、他国ではなく、物語の舞台であるベルガー帝国の名門中の名門エルヴァンクロー公爵家に嫁いでいたのだ。
サナは前世を思い出し、今自分が生きている世界が前世で流行った物語の世界なのだと理解した。そして自分が数々の悪事を働いた悪役だということも。彼女は、過去の自分を思い出す。前世で読んだ物語とまったく同様に、レオンに惚れ込み、彼と結ばれるためにリリアンナを虐めていた過去の自分を……。
「なんてバカなことを……」
ヒロインをいじめるのは悪役として当然の役目と言える。だが悪役の宿命とはいえ、恥ずかしくて仕方がない。
物語では描かれていないサナの結婚。結婚後、自分でも驚くくらいにレオンへの恋心がすっかり冷めていた。周囲からもようやくレオンを諦めたのかと噂されるほど。たとえ夫との夫婦生活が上手くいっていなかったとしても、それなりに充実した日々を送っていたのだ。
なぜあんなに恋焦がれていたレオンへの想いが役目を終えたティッシュのように、不必要なものに感じられたのか。サナ自身が悪役としての任期満了を迎えたから、悪役の時期に育んでいた感情も同時に役目を終えたのだ。
「まぁ、今となっては過去のことだし、別にどうだっていいけれど……なんだか虚しいわね」
苦笑しながら呟いた。
できれば、結婚する前に前世を思い出したかった。そうすれば、父であるバルテル伯爵によって嫁がされることもなかったかもしれないのに。愛のない夫婦生活に苦しむことも、なかったかもしれない――。
そう、サナは夫であるエルヴァンクロー公爵と上手くいっていない。公爵に愛されていないのだ。バルテル伯爵家にだけ利益がある結婚のため、なぜエルヴァンクロー公爵がサナを娶ったのかもよく分からない。実家の力も弱い、何か秀でた才能があるわけでもない、平凡に生きればいいものを悪女として名を轟かせてしまった見た目しか取り柄のない令嬢。エルヴァンクローの家門からは、きっと「☆1」と酷評されているはずだ。
サナは盛大な溜息をつく。できるだけ城の中で夫と鉢合わせないよう、意識して生活しているのだが、それももう疲れてしまった。鏡から離れ、窓辺に向かう。カーテンを大きく開けて、巨大な窓の鍵を解錠する。勢いよく開けてバルコニーに出ると、柵を両手で掴んで、大きく息を吸った。今の時間帯は夜だが、どうか許してほしい……。
「離婚しようかしら~~~~~!!!」
大声で叫ぶと、「かしら~! かしら~ かしら~……」とやまびこが聞こえた。
離婚するなど、もちろん冗談だが、叫びたくなったのだ。
清々しい感情と春の夜風に浸っていると、何やら騒がしい音や声がする。夜中に騒いだことがバレてしまったのか、と危惧した時、部屋の扉が開かれた。
「奥様っ!!!!! 目覚められたのですね!?!?」
白髪の老人が現れる。漆黒の執事服を着こなした執事の名は、ハルク・リットナー。エルヴァンクロー公爵家の執事長である。ミントグリーンの瞳は眼鏡の奥に隠れてしまっているが、とても美しい。
「ハルク。こんばんは」
「優雅にご挨拶とは……。意識を失ったと聞いた時は、どれほど心配したことか……。とにかくご無事で何よりです」
ハルクはずれた眼鏡をかけ直して、一礼する。直後、眼鏡の縁が光り輝いた。
「ところで先程、離婚、と聞こえましたが……」
肩を跳ね上がらせる。ハルクから目を逸らし、下手な口笛を吹いて誤魔化す。ジト目を向けられているのを横目で確認しながら、「へへ、へへ」と気の抜けた笑い方をした。
「奥様……。奥様がエルヴァンクロー公爵家へと嫁いでこられてから六ヶ月が経ちました。旦那様となかなか打ち解けられない状況も、奥様の心中もお察しいたします。しかし、少しずつでも良いので話してみてはいかがですか?」
「………………」
「挨拶だけでも良いのです。何かしら言葉を交わすことによって、誤解も解けるかもしれません。お互いの心を理解する第一歩を、踏み出してみては?」
「………………」
「旦那様にも、私からお伝えしておきます」
ハルクに諭されたサナは、溜息をついた。
エルヴァンクロー公爵家の夫人となってから半年。ろくに顔も合わせていないし、夫婦の部屋も使用していない。ふたりの寝室には、初夜以来、一度も足を運んでいないのだ。なぜなら、結婚初夜、夫であるエルヴァンクロー公爵は夫婦の寝室に姿を見せなかったから――。
実を言うとサナは、大きな期待を寄せていた。夫婦の初夜、それも美丈夫で貴族令嬢の憧れの的であるエルヴァンクロー公爵と夜を共にすることに。結婚式で彼の姿を見て、目も心も奪われたのだから。
しかし、待てど暮らせど彼は来ない。気づいたら、朝になっていた。激怒したサナは、夫のもとを訪れ問い質したが、「無理をしてまで体を交えなければならないわけではない」と冷静に言われたのだ。自尊心を傷つけられたサナは、初夜以来、トラウマの部屋には足を運んでいない。
憎たらしいくらい美しい顔で冷たくあしらってきた夫の姿を脳裏に浮かべ、恐る恐る首を縦に振ったのであった。
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