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第167話 プロポーズ
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暑中。ヴィオレッタの誕生日がやって来る。ヴィオレッタの意向により、誕生パーティーは行われないこととなった。マナは最後まで渋っていたが、仕事を理由にして半ば無理やり落とし込むことに成功した。
ヴィオレッタとルカの結婚式は、秋頃に執り行われる予定となった。そのため、長期の休暇に合わせて、猛スピードで膨大な仕事量をこなしているのだ。片づけても片づけても、お先真っ暗。一向に終わる気配はない。そのせいで、ヴィオレッタの精神は極限まですり減らされていた。彼女は、元々体力があるわけでもない。毎晩徹夜で仕事をしたことなど、人生において初めての体験なのだ。想像の域を遥かに超えた肉体的にも精神的にも過酷な現状に、ヴィオレッタは今にも音を上げそうになってしまっていた。それも仕方がない。精神安定剤、疲労回復剤のルカと、会えていないのだから――。
ヴィオレッタはとうとう力尽きたのか、ペンを手放し、書類の上に伏せる。もぞもぞと動き、顔にフィットする場所を探した。壁にかけられた大きな時計に目が行く。時刻は、深夜を回ろうとしている。ヴィオレッタの誕生日は、あと数分で終焉の鐘を鳴らす。夜勤担当の騎士や侍女以外は、夢の中へと彷徨っている頃合だろう。
「ルカ、会いたい……」
深夜のテンションということもあり、センチメンタルとなっているヴィオレッタが呟いたのは、ルカの名前だった。会えるわけがないのに、会いたいと願っている。以前、重要な書類をルカへ届けた際、彼に「今年のお前の誕生日、一緒に過ごせるか分からねぇ」とはっきり言われているのだ。分からないとはすなわち、一緒に過ごせない可能性が圧倒的に高いということ。ヴィオレッタはまずもって期待などしていなかったのだが、寂しいものは寂しい。
寂しいという気持ちを自覚した途端、目頭が熱くなる。ヴィオレッタは唇を噛みしめ、必死に我慢をした。
「ルカ……」
憂いに満ちた声で、再度名前を呼んだその瞬刻のこと――。突然に執務室の扉が開く。ヴィオレッタが顔を上げると、そこには肩で大きく息を繰り返すルカがいた。ついに限界を迎えてしまったため、幻覚まで見えるようになってしまったのか? とヴィオレッタは自身に問いかける。その幻覚を消すため、何度か目を擦り頭を冴えさせるも、幻覚はなくならない。幻覚ではないとするなら、実際に彼女の目の前に、ルカがいるということだ。呆然とするヴィオレッタの元に、ルカはズカズカと歩み寄り、彼女を強く抱きしめた。
「ヴィオレッタ、誕生日おめでとう」
耳元で響く、待ち望んだ人の声。汗ばんだ匂い。ヴィオレッタの涙腺は崩壊する。プリムローズイエローの瞳から溢れ出る涙はルカの肩口に吸い込まれていった。ルカはそっと離れ、跪く。そしてポケットから何かを取り出すと、ヴィオレッタの左手を握った。漆黒の前髪の隙間から、澄んだ眼が現れ、ヴィオレッタをまっすぐに貫く。
「俺と、結婚しろ」
たった一言は、ヴィオレッタの心に強く響いた。ルカは真剣な面持ちで彼女を見つめる。既にふたりの結婚式の日程は決まっているものの、今思えばはっきりとした意思表示は互いにしていなかった。ヴィオレッタはルカの気持ちを聞けただけで満足であったが、どうやらルカは「結婚してほしい」と伝えていないことに大きな心残りがあったみたいだ。あと二週間もしないうちに開催される騎士団の昇級試験の影響で、多忙を極めているはずなのに、ヴィオレッタの誕生日になんとか間に合わせてくる辺り、さすがはルカだ。しかもヴィオレッタを、号泣させるほどに喜ばせるとは。
ヴィオレッタは明確な返事を返すべく、頬の涙を乱暴に拭い、頷いた。
「はい」
ルカの顔が晴れ渡る。極限の疲労、さらには号泣までしているのに、幸せそうに微笑むヴィオレッタの顔は、とても美しかった。ルカはそんなヴィオレッタの左手の薬指に、流れ星の如く輝くシンプルなデザインの指輪をはめる。「結婚してくれ」ではなく、「結婚しろ」という辺りルカらしいと、ヴィオレッタは笑い、ルカに思いっきり抱きついた。ルカはそれを難なく受け止める。
「間に合ってよかった……」
「いつから計画していたの?」
「あ? 計画なんてしてねぇよ。そりゃ結婚式までには、プロポーズしてぇって思ってたが、今日できるとは俺も思ってなかった」
ヴィオレッタは短い笑いをこぼし、ルカの赤くなった耳に口づけを落とした。するとルカは彼女から離れる。見つめ合い、自然と近づいていく。重なった唇。触れるだけのキスは、ヴィオレッタに物足りなさを覚えさせる。ルカは、彼女が座る席に乗り上げ、自身の襟元のボタンを乱暴に取った。
「明日の早朝には帰らなきゃならねぇ。さっさと終わらせるぞ」
「終わらせるものなら終わらせてみなさい」
「クソッ……! 煽った責任は取れよ……!」
ルカはキレ気味になりながら、ヴィオレッタに覆い被さった。夏の暑さに支配されるがまま、ふたりは熱帯夜に溺れた。
ヴィオレッタとルカの結婚式は、秋頃に執り行われる予定となった。そのため、長期の休暇に合わせて、猛スピードで膨大な仕事量をこなしているのだ。片づけても片づけても、お先真っ暗。一向に終わる気配はない。そのせいで、ヴィオレッタの精神は極限まですり減らされていた。彼女は、元々体力があるわけでもない。毎晩徹夜で仕事をしたことなど、人生において初めての体験なのだ。想像の域を遥かに超えた肉体的にも精神的にも過酷な現状に、ヴィオレッタは今にも音を上げそうになってしまっていた。それも仕方がない。精神安定剤、疲労回復剤のルカと、会えていないのだから――。
ヴィオレッタはとうとう力尽きたのか、ペンを手放し、書類の上に伏せる。もぞもぞと動き、顔にフィットする場所を探した。壁にかけられた大きな時計に目が行く。時刻は、深夜を回ろうとしている。ヴィオレッタの誕生日は、あと数分で終焉の鐘を鳴らす。夜勤担当の騎士や侍女以外は、夢の中へと彷徨っている頃合だろう。
「ルカ、会いたい……」
深夜のテンションということもあり、センチメンタルとなっているヴィオレッタが呟いたのは、ルカの名前だった。会えるわけがないのに、会いたいと願っている。以前、重要な書類をルカへ届けた際、彼に「今年のお前の誕生日、一緒に過ごせるか分からねぇ」とはっきり言われているのだ。分からないとはすなわち、一緒に過ごせない可能性が圧倒的に高いということ。ヴィオレッタはまずもって期待などしていなかったのだが、寂しいものは寂しい。
寂しいという気持ちを自覚した途端、目頭が熱くなる。ヴィオレッタは唇を噛みしめ、必死に我慢をした。
「ルカ……」
憂いに満ちた声で、再度名前を呼んだその瞬刻のこと――。突然に執務室の扉が開く。ヴィオレッタが顔を上げると、そこには肩で大きく息を繰り返すルカがいた。ついに限界を迎えてしまったため、幻覚まで見えるようになってしまったのか? とヴィオレッタは自身に問いかける。その幻覚を消すため、何度か目を擦り頭を冴えさせるも、幻覚はなくならない。幻覚ではないとするなら、実際に彼女の目の前に、ルカがいるということだ。呆然とするヴィオレッタの元に、ルカはズカズカと歩み寄り、彼女を強く抱きしめた。
「ヴィオレッタ、誕生日おめでとう」
耳元で響く、待ち望んだ人の声。汗ばんだ匂い。ヴィオレッタの涙腺は崩壊する。プリムローズイエローの瞳から溢れ出る涙はルカの肩口に吸い込まれていった。ルカはそっと離れ、跪く。そしてポケットから何かを取り出すと、ヴィオレッタの左手を握った。漆黒の前髪の隙間から、澄んだ眼が現れ、ヴィオレッタをまっすぐに貫く。
「俺と、結婚しろ」
たった一言は、ヴィオレッタの心に強く響いた。ルカは真剣な面持ちで彼女を見つめる。既にふたりの結婚式の日程は決まっているものの、今思えばはっきりとした意思表示は互いにしていなかった。ヴィオレッタはルカの気持ちを聞けただけで満足であったが、どうやらルカは「結婚してほしい」と伝えていないことに大きな心残りがあったみたいだ。あと二週間もしないうちに開催される騎士団の昇級試験の影響で、多忙を極めているはずなのに、ヴィオレッタの誕生日になんとか間に合わせてくる辺り、さすがはルカだ。しかもヴィオレッタを、号泣させるほどに喜ばせるとは。
ヴィオレッタは明確な返事を返すべく、頬の涙を乱暴に拭い、頷いた。
「はい」
ルカの顔が晴れ渡る。極限の疲労、さらには号泣までしているのに、幸せそうに微笑むヴィオレッタの顔は、とても美しかった。ルカはそんなヴィオレッタの左手の薬指に、流れ星の如く輝くシンプルなデザインの指輪をはめる。「結婚してくれ」ではなく、「結婚しろ」という辺りルカらしいと、ヴィオレッタは笑い、ルカに思いっきり抱きついた。ルカはそれを難なく受け止める。
「間に合ってよかった……」
「いつから計画していたの?」
「あ? 計画なんてしてねぇよ。そりゃ結婚式までには、プロポーズしてぇって思ってたが、今日できるとは俺も思ってなかった」
ヴィオレッタは短い笑いをこぼし、ルカの赤くなった耳に口づけを落とした。するとルカは彼女から離れる。見つめ合い、自然と近づいていく。重なった唇。触れるだけのキスは、ヴィオレッタに物足りなさを覚えさせる。ルカは、彼女が座る席に乗り上げ、自身の襟元のボタンを乱暴に取った。
「明日の早朝には帰らなきゃならねぇ。さっさと終わらせるぞ」
「終わらせるものなら終わらせてみなさい」
「クソッ……! 煽った責任は取れよ……!」
ルカはキレ気味になりながら、ヴィオレッタに覆い被さった。夏の暑さに支配されるがまま、ふたりは熱帯夜に溺れた。
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