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第139話 運命はただひとり
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ラダベルの捜索を開始してから、一週間後。ようやく彼女の足取りを掴むことに成功した。ラダベルは真冬の夜に城を出発して、あらかじめ用意した馬車に乗り、そのまま極東部最先端の駅がある方面へと移動を開始した。途中の宿で宿泊しつつ移動し続け、無事に駅に到着し、皇都を経由した西部に向かう一般客用の列車に乗り込んだという。その列車の車種や番号まで突き止めることに成功したが、この情報はそこまで役には立たないだろう。根っからの貴族ともあろうラダベルが、まさか一般客専用の列車に乗り込むとは。全室ひとり部屋だとは聞いているが、ジークルドは心配であった。
ラダベルへの不安が胸の内を渦巻く中、ジークルドは彼女を追うための準備を始めていた。ウィルに城と軍の指揮を任すことに決め、明朝、目立たぬよう数人の軍人を連れて出発する予定だ。本当は今からでも出発したいくらいだが、せめて朝まで待ってくれとウィルに泣きつかれてしまったのだ。今すぐ飛び出したい気持ちを殺しきり、寝室で過ごしていると、扉をノックする音が聞こえる。
「大将。オースター侯爵令嬢がお見えです」
見張りの軍人の声が紡いだ名に、ジークルドの機嫌は急降下する。苛立ちを覚えながら乱暴に扉を開けると、目の前には驚いた顔をした軍人と、そしてアナスタシアがいた。
「夜遅くにごめんなさい、ジークルド」
アナスタシアは、まったく悪びれていない様子で形ばかりの謝罪をした。あらわになった首元には、前日ジークルドがつけた痕が色濃く見えていた。キスマーク、などという甘いものではない。首を絞めた、痕だ。
「なんの用だ。ここで済ませろ」
ジークルドの口調は、厳しい。冷めきった彼の目を見てアナスタシアは怯えるが、なんとか笑みを取り繕った。
「人前では話しにくいことなの……。部屋の中に入れてもらえる? すぐに終わるから」
数秒間、思案したあと、ジークルドは扉を開けた。
「ありがとう!」
アナスタシアは喜色満面となり、寝室の中に足を踏み入れた。ジークルドは軍人に礼を言って、そっと扉を閉める。あえて鍵は、かけないでおいた。
「ねぇ、ジークルド。私たちが出会った頃のこと、覚えてる?」
そう問いかけられるも、ジークルドは答えない。すぐに終わる用事だと言っていたのは嘘だったのか、と内心舌打ちした。
「あなたは伝説の軍人のひとり息子として、私はオースター侯爵家の令嬢として顔を合わせたわよね? 私、その時からあなたのことが好きだった」
アナスタシアが振り向く。ベビーブルーの長髪がふわりと舞う。極北部出身の象徴である雪のように白い頬は、赤く染まっていた。
「私の運命の人は、ジークルドなんだって、ひと目見ただけで分かったの。あなたもそうだったでしょう?」
黙り込むジークルド。その沈黙は肯定だと安易に受け取ったアナスタシアは、彼に近寄る。一歩、また一歩と歩を進めた。
「ジークルド。私、あの時の決断は後悔していないわ。あなたが東部の領主、そして極東部の司令官になるためには、お父様とお母様、そして元夫の言うことを聞くしか、道はなかったの。あなたにとっては不本意な形になってしまったかもしれない。だけど私は、あなたが幸せになるならそれでいいと思ってたから。でもね、今は違う」
アナスタシアがジークルドの胸元に両手で触れる。夜中だというのに軍服を身に纏っている彼の胸板は、アナスタシアが知っているあの時の彼よりも、ずっと分厚かった。そのたくましい胸元に、顔を埋める。
「ジークルドは本来結ばれるべきはずだった私と結婚して、幸せな家庭を築くべきだと思ってるわ」
ジークルドの表情は、無に染まる。
「一度は結ばれることを諦めた私たちだけど……またこうして、巡り会えたのよ。これを運命と言わずして、なんと言うの?」
アナスタシアがジークルドの顔を見上げる。ジークルドの手が動き、彼女の肩に添えられた。アナスタシアは、彼がようやく首を縦に振ってくれるのだと歓喜にも似た期待を寄せる。しかし――。ジークルドは無情にもアナスタシアを引き剥がした。
「え?」
アナスタシアは間抜けな声を漏らしながら後退る。拒絶されたのだと理解するまでに、まだしばらく時間がかかるらしい。ジークルドは呆気に取られた彼女を待たずして、口を開く。
「誰と誰が運命だと? それを勘違いしているのはお前だけ。俺の運命はただひとり、ラダベルだけだ」
堂々たる宣言に、アナスタシアは目を見開いた。
「たとえ……ラダベルと結ばれなかったとしても、お前を妻に迎えることはない。思い上がるなよ、アナスタシア」
ジークルドがアナスタシアを威嚇する。愛する人から敵意を向けられたアナスタシアは、言い表しようのない怒りに震えた。
「そう……。それがあなたの答えなの。なら、私も手段を選んでいる暇はないわね」
アナスタシアは悪女さながらの笑みを浮かべた。そこにジークルドが惹かれた、かつての優しい微笑みはどこにもなかった。
「あの女を殺すわ」
ラダベルへの不安が胸の内を渦巻く中、ジークルドは彼女を追うための準備を始めていた。ウィルに城と軍の指揮を任すことに決め、明朝、目立たぬよう数人の軍人を連れて出発する予定だ。本当は今からでも出発したいくらいだが、せめて朝まで待ってくれとウィルに泣きつかれてしまったのだ。今すぐ飛び出したい気持ちを殺しきり、寝室で過ごしていると、扉をノックする音が聞こえる。
「大将。オースター侯爵令嬢がお見えです」
見張りの軍人の声が紡いだ名に、ジークルドの機嫌は急降下する。苛立ちを覚えながら乱暴に扉を開けると、目の前には驚いた顔をした軍人と、そしてアナスタシアがいた。
「夜遅くにごめんなさい、ジークルド」
アナスタシアは、まったく悪びれていない様子で形ばかりの謝罪をした。あらわになった首元には、前日ジークルドがつけた痕が色濃く見えていた。キスマーク、などという甘いものではない。首を絞めた、痕だ。
「なんの用だ。ここで済ませろ」
ジークルドの口調は、厳しい。冷めきった彼の目を見てアナスタシアは怯えるが、なんとか笑みを取り繕った。
「人前では話しにくいことなの……。部屋の中に入れてもらえる? すぐに終わるから」
数秒間、思案したあと、ジークルドは扉を開けた。
「ありがとう!」
アナスタシアは喜色満面となり、寝室の中に足を踏み入れた。ジークルドは軍人に礼を言って、そっと扉を閉める。あえて鍵は、かけないでおいた。
「ねぇ、ジークルド。私たちが出会った頃のこと、覚えてる?」
そう問いかけられるも、ジークルドは答えない。すぐに終わる用事だと言っていたのは嘘だったのか、と内心舌打ちした。
「あなたは伝説の軍人のひとり息子として、私はオースター侯爵家の令嬢として顔を合わせたわよね? 私、その時からあなたのことが好きだった」
アナスタシアが振り向く。ベビーブルーの長髪がふわりと舞う。極北部出身の象徴である雪のように白い頬は、赤く染まっていた。
「私の運命の人は、ジークルドなんだって、ひと目見ただけで分かったの。あなたもそうだったでしょう?」
黙り込むジークルド。その沈黙は肯定だと安易に受け取ったアナスタシアは、彼に近寄る。一歩、また一歩と歩を進めた。
「ジークルド。私、あの時の決断は後悔していないわ。あなたが東部の領主、そして極東部の司令官になるためには、お父様とお母様、そして元夫の言うことを聞くしか、道はなかったの。あなたにとっては不本意な形になってしまったかもしれない。だけど私は、あなたが幸せになるならそれでいいと思ってたから。でもね、今は違う」
アナスタシアがジークルドの胸元に両手で触れる。夜中だというのに軍服を身に纏っている彼の胸板は、アナスタシアが知っているあの時の彼よりも、ずっと分厚かった。そのたくましい胸元に、顔を埋める。
「ジークルドは本来結ばれるべきはずだった私と結婚して、幸せな家庭を築くべきだと思ってるわ」
ジークルドの表情は、無に染まる。
「一度は結ばれることを諦めた私たちだけど……またこうして、巡り会えたのよ。これを運命と言わずして、なんと言うの?」
アナスタシアがジークルドの顔を見上げる。ジークルドの手が動き、彼女の肩に添えられた。アナスタシアは、彼がようやく首を縦に振ってくれるのだと歓喜にも似た期待を寄せる。しかし――。ジークルドは無情にもアナスタシアを引き剥がした。
「え?」
アナスタシアは間抜けな声を漏らしながら後退る。拒絶されたのだと理解するまでに、まだしばらく時間がかかるらしい。ジークルドは呆気に取られた彼女を待たずして、口を開く。
「誰と誰が運命だと? それを勘違いしているのはお前だけ。俺の運命はただひとり、ラダベルだけだ」
堂々たる宣言に、アナスタシアは目を見開いた。
「たとえ……ラダベルと結ばれなかったとしても、お前を妻に迎えることはない。思い上がるなよ、アナスタシア」
ジークルドがアナスタシアを威嚇する。愛する人から敵意を向けられたアナスタシアは、言い表しようのない怒りに震えた。
「そう……。それがあなたの答えなの。なら、私も手段を選んでいる暇はないわね」
アナスタシアは悪女さながらの笑みを浮かべた。そこにジークルドが惹かれた、かつての優しい微笑みはどこにもなかった。
「あの女を殺すわ」
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