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第129話 いつでもお前だけ

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 ジークルドは、足音を激しく立てながら歩く。
 どうして、どうしてすぐ、こんなふうになってしまうのだろうか。ラダベルと結婚してから、上手くいかないことが多くなった。彼女が悪いのではない。ジークルドが彼女に魅了され、そして翻弄されすぎてしまっているからだ。些細なことでも、不安になってしまう。ラダベルにはほかの男がいるのではないか、アデルに心が戻りつつあるのではないか、と。
 ジークルドは、歯ぎしりして悔しさを滲ませた。
 彼は、ラダベルに酷く執着心を寄せている。単純な恋や愛だけでは片づけきれない想いがあるのだ。飄々としておきながら、その心の内には彼女に見せられないドロドロの黒い愛情が隠されている。万が一にでも、黒い愛情を見せてしまえば、彼女に拒絶されるかもしれない。それが何よりも、怖いのだ。
 ラダベルは自分のことなど、微塵も好きではないだろう。ティオーレ公爵とその子息ラディオルが訪ねてきた時も……。

『私は強制的に結婚させられたというのに……』

 ラダベルはそう言っていた。偶然それを聞いてしまったジークルドは、自身の想いが一方通行であることを悟ってしまった。
 ラダベルはジークルドと離婚し、本来の愛する人であるアデルと結婚したいのではないか。ラダベルを本当に想うならば、彼女を心の底から諦めるべきであり、おりから解放してあげるべきだ。
 だがそれは、できない。
 したくない、のだ。
 彼女のいない人生などもう考えられない。
 離したくない。
 自分のものにしたい。
 封印していたはずの感情が溢れ出そうになるのを耐える。背後から誰かが近づく気配を感じ取った。腕を強く掴まれるが、咄嗟にそれを振り払う。

「痛っ……」

 小さな声を上げたのは、アナスタシアだった。彼女はジークルドに振り払われた手を押さえながら、痛みに苦しむ顔をする。それを見たジークルドは、絶対零度ぜったいれいどの目を向けた。

「おかしなものね……。時間が経つと、こうも人は変わるのかしら?」

 アナスタシアは悲しそうに呟く。

「昔は、私が怪我をしようものならば……すぐさま駆け寄って心配してくれたというのに、今ではそんな素振りすら見せてくれないなんて……。ジークルド、私は悲しいわ」

 ゴールデンパール色の眸子を潤ませる。男共の庇護欲を掻き立てる表情をしているが、ジークルドはまったくなびかない。それどころか、むしろ冷淡れいたんな態度をして見せた。

(この女に悩まされるのも、少しの辛抱だ。ラダベル、すまない。それまで待っていてほしい)

 ジークルドは瞳を伏せて、心の中でラダベルに謝る。

(だからまたいつか、一緒に過ごそう。紅茶を飲むだけの時間を取って、くだらない話をするだけの時間を作って、以前よりももっともっと、互いの時間を大事にしよう。ラダベルは嫌かもしれないが、もうこの政略結婚生活に痺れを切らしているかもしれないが、離婚以外ならばなんでも叶えてやる。俺ができることならば、なんでも――)

 ジークルドは、まだ見ぬ未来に思いを馳せた。ラダベルを想っているのだろうと自然と察したアナスタシアは、口端を吊り上げて笑った。

「私に冷たくするなら、伯爵夫人にを言っちゃおうかしら」

 先程までの悲しい表情はどこへやら。悪女よりも悪女している顔容を見て、ジークルドは憤慨しそうになる。爆発しそうな怒りを理性で鎮める。

「ふざけるな……。城に滞在させる代わりに……秘密は言わない約束だろう」
「だからって冷たく接していいわけではないでしょう?」

 アナスタシアはジークルドに擦り寄った。彼の太い腕に自身の腕を絡め、ご自慢の豊満な胸を押しつける。きつめの香水が漂い、ジークルドは眉間に皺を寄せた。

「ねぇ、ジークルド。私ももう、子供じゃないの」
「………………」
「ほら、昔はあんなに仲が良かったじゃない。ね?」

 アナスタシアがジークルドに顔を寄せる。唇が触れ合う寸前、彼女は動きを止めた。ジークルドの美しく澄んだ瞳に映るのは、無だった。美女であり、かつての想い人であるアナスタシアに言い寄られても触れられても、少しも動揺しない。それは、ジークルドの中で彼女という存在がどれだけちっぽけなのかを如実に物語っていた。

「なんで、そんな顔をするのよ……。私には、もう興味なくなった?」

 ジークルドは何も答えない。アナスタシアは彼から離れる。

「だって、仕方がなかったじゃないの……。あなたのために、私、頑張ったのに」
「強行したのは誰だ? お前と、お前の両親だろう。俺は少しも、頼んでいない」

 ジークルドは踵を巡らす。

「追ってきてくれなかったじゃないっ! 私のことを本当に、本当に愛していたならっ!!!」

 アナスタシアは悲痛に絶叫するが、ジークルドは足を止めない。まるで、愛していたのではないとでも言いたげな背中に、アナスタシアはひとりその場に佇み続けたのであった。
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