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第124話 そんなわけがない

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「十年前、リーデル帝国との大戦争が終わりを迎えた頃、俺が東部の領主、極東部の司令官となる話が持ち上がった。それに反対を示したのが、サレオン公爵やオースター先代侯爵だ」

 既に故人となったサレオン公爵とオースター先代侯爵は、ジークルドが東部の領主、さらには司令官となることに反対していたのだという。サレオン公爵家もオースター侯爵家も、どちらもルドルガー伯爵家と比べ一族としての歴史が段違いに長い。血統や歴史を重んじる彼らと、新興貴族のジークルドとでは、もとから相性が悪かったのだろう。

「それからしばらく、協議が行われたが……彼らは突然、なんの前触れもなく異議を取り下げた。そして俺が正式に東部の領主となり極東部の司令官を継いだ時、サレオン公爵とアナスタシアの結婚が発表され、同時期に、アナスタシアから別れを告げられたんだ。今思えば、全部仕組まれていたことだったんだろう」

 ジークルドは長い瞬きを繰り返した。
 全て、仕組まれていたこと。アナスタシアに惚れ込んでいたサレオン公爵は、彼女やオースター先代侯爵に、アナスタシアを妻とする代わりに、ジークルドの東部領主、極東部司令官就任を認めると取引をもちかけたのだ。オースター先代侯爵は、サレオン公爵ならば愛娘のアナスタシアを嫁がせてもいいと判断したのだろう。そしてアナスタシアは、ジークルドが極東部の司令官となることができるよう、自らの恋心を殺したのだ。彼を愛しているからこそ、離れたのだ。その時のアナスタシアの思いを想像したラダベルは、今にも胸が張り裂けそうな感覚に陥った。だからこそ、理解できなかった。

「サレオン公爵夫人を想っていたならば……なぜ、抗議をしなかったのですな? なぜ、もっと早く彼女を迎えに行ってさしあげなかったのですか!?」

 ラダベルは悲痛絶望とした面持ちで訴える。熱く燃え上がる怒りをどうすることもできず、ジークルドにぶつけた彼女は、ジークルドの諦めに近い笑みを見て、黙する。

「アナスタシアの選択に、反対はした。だが彼女はそれを聞き入れなかった。それに……俺自身もどうにもならないと分かっていたんだ。サレオン公爵は、影響力が凄まじい人だったからな。新興貴族の俺とは違い、サレオン公爵の一族は歴史も長く権力も大きい。あの時の非力な俺が刃向かったとしても、どうにもならなかったはずだ」

 ジークルドの言い分は正しい。何も間違っていない。冷静な判断だ。

「何度かアナスタシアから手紙は届いたが、それに返事を出したことはない。軍の調和を乱してまで、アナスタシアを取り戻そうとは思わなかった。何より……自分の身を売ってまで、心を殺してまで、俺の出世を手助けしたあいつの行動に、心底幻滅げんめつした」

 ジークルドは拳を握った。
 本当に気持ちがあるのであれば、サレオン公爵の交渉を跳ね除けてでも、己を選べということか。ジークルドの考えに、ラダベルは恐れ慄く。好きだからこそ、愛しているからこそ、ジークルドのために死力を尽くしたアナスタシアの思いとは、真逆の考え方だ。ふたりは、力を向けるベクトルが違ったのだ。ならばなおさら、ふたりは共に在らねばならないのではないか。すれ違いをなくすために、平行線を交差させるために――。
 ラダベルは震える唇を噛む。

「だが一番に言えるのは……俺のあいつへの想いも、その程度だったのかもしれない、ということだ」

 そんなはずはない。
 そんなわけがない。
 アナスタシアへの想いを「その程度」という一言で片づけてしまえるのならば、そんな悲しい顔はしないはず。拳も握らないはずだし、自分とも目も合わせるはずだ。ラダベルは、ジークルドが妻である自分のために無理をしている、嘘をついているのだと察してしまった。


「ジークルド様は、嘘つきですね」


 ラダベルが呟く。その一言に、ジークルドが信じられないとでも言いたげな面様で彼女を見つめた。

「ジークルド様が私のことを信じてくださるから、私もジークルド様のことを信じたいと、そう思っていました。でも、今はそれができそうにありません」

(たとえジークルド様の心が私に向いていなかったとしても、あなたの隣にいられるのであれば、それで構わないと思っていました。でも、)

「ごめんなさい、ジークルド様」

(あなたの心を、望んでしまったのです)

 ラダベルはジークルドと目を合わせずして謝罪を口にすると、重い腰を上げる。寝室から出ようと扉に向かうと、腕を掴まれた。状況が把握できないまま、ベッドに連れていかれ押し倒される。顎に手を添えられ半ば強引にキスされた。彼のもう片方の手が体をまさぐり始める。
 以前も、こうして激しく抱かれた時があった。彼を受け入れなければ、何かが崩れ落ちてしまうと思っていたけど、もう既にその時には、壊れていたみたいだ。
 彼と一緒になれない。彼と歩む未来はない。その現実を突きつけられ、ラダベルの目から涙がこぼれた。それを見たジークルドが動きを止める。自分は何をしているのだと自問自答するかのような酷い形相であった。

「すまない、ラダベル……」

 ジークルドはすぐにラダベルから離れ彼女に毛布を被せると、ベッドを下りる。

「少し、頭を冷やしてくる」

 扉が閉まる、音がした。
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