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第98話 ラダベルの覚悟

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 アデルが戦争に向かった後日。正午を過ぎる前。
 ラダベルは自室にいるようセリーヌに言われたが、いても経ってもいられなくなり、自分にもできることはないかと軍施設にひとりでやって来ていた。
 閑散とした空間。人は見当たらない。だが、医療施設は何やら騒がしかった。目を凝らすと、侍女たちが忙しそうに出入りしているのが見えた。その瞬間、素早く隣を駆け抜ける何か。そこに視線を向けると、負傷した軍人が運ばれていく様子が見える。ラダベルは瞠目した。嫌な予感が体を取り巻く。彼女はドレスをたくし上げて走る。負傷した軍人のあとに続いて、施設内に足を踏み入れた。立ち並ぶ病室を片っ端から覗いていく。病室内には、目も当てられないほどに痛々しい怪我を負った軍人たちが治療を施されていた。片腕がない者、足がない者、この先日常生活もままならないであろう者まで……。戦争という現実を前にして、ラダベルは恐れ慄く。

「包帯をっ!」

 ひとりの侍女が叫ぶ。しかしほかの侍女たちも多忙で、手が空かない様子。ラダベルは咄嗟に、入口付近に置かれた台から包帯を掴むと、侍女に手渡した。

「ありが……お、奥様っ!? なぜここにっ!?」

 侍女が手を止めて叫ぶ。彼女の叫び声に、ほかの侍女たちも意識がある負傷者たちも皆、ラダベルに注目した。

「治療を続けてください」

 ラダベルは冷静さを保ちながら、それだけ告げるとそそくさと病室を出る。彼女の表情は、誰ひとりとして見たこともないほど、強ばっていた。眉間に深く皺が寄っている。だいぶ払拭できた悪女というレッテルも、復活してしまいそうな勢いであった。
 行き交う侍女たちや医者の見習いたちがラダベルの姿に驚愕する中、彼女はひとりの男を探していた。

「うぐぁぁぁぁっ!!!」

 苦痛に満ちた軍人の悲鳴が聞こえる。絶叫が聞こえてきたすぐ傍の病室を覗き込んだ。するとその病室には、耐えがたい激痛に悶え苦しむ軍人の治療を施す白衣の男がいた。数秒、叫んだあと、負傷した軍人は死ぬように眠りについた。どうやら治療は終わったらしい。白衣の男は、大息を吐いて額の汗を拭った。小さな手から手袋を取り外しながら振り向く。眼鏡の奥、大きなマゼンタの瞳が瞬いた。ライトクリーム色のふわふわの髪が揺れる。

「セドリック」

 ラダベルが白衣の男の名を呼んだ。かつてラダベルに二日酔いの薬を授けた軍医であった。

「夫人……どうしてここに……」
「私にも何か手伝わせてほしいの」

 ラダベルの頼みに、セドリックは険しい顔をする。拳を握り、覚悟を決める。

「夫人。ご無礼を承知で申し上げます。負傷者の治療というものは、そんなに甘いものではありません。四肢しし欠損けっそんした者も、あとは死にゆくだけの者もいます。失礼ながら、夫人に耐えられるものではないかと」

 セドリックは慈悲の心を殺して、ラダベルに現実を突きつけた。
 何から何までセドリックの言う通り。ラダベルにできることは雑用と簡単な治療だけ。役に立つかどうかは、分からない。きっと、セドリックの目には血もろくに見たことのないか弱な小娘に映っていることだろう。
 だがしかしラダベルとてここで引くわけにはいかない。愛するジークルドが、かつての婚約者アデルが、必死に戦場で剣を振るっているというのに、自分ひとりだけ部屋に閉じこもっていろというのか。安全な場所で大人しくしていろというのか。そんなの、本当にただのお飾りの妻でしかない。ラダベルが軍人ではないから、弱く見られるのか。だとしても、彼女とて譲れない信念がある。
 ラダベルは緩徐に、面を上げる。トパーズ色の瞳が閃いた。もうそこには、一寸の迷いもない。

「私は、ラダベル・ラグナ・イルミニア・ルドルガー。レイティーン帝国軍極東部司令官ジークルド・レオ・イルミニア・ルドルガー大将の妻です。誇り高き夫を持つ者として、そして東部の女主人として、この現状を打破しなければならないのです。私自身がそのかなめとはなり得ないでしょうが、そのかてとなることはできます」

 ラダベルの堂々たる宣言に、セドリックは気圧される。ラダベルの背後に、偉大いだいなる王の姿が垣間見えた気がした。セドリックは、彼女の説得に納得したのか、柔和な笑みを浮かべる。

「そこまで仰るのならば、僕も覚悟を決めましょう。夫人、よろしくお願いいたします」

 ラダベルに頭を下げたのであった。
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