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第87話 消えた悪女
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「話したいこと、ですか? 今さら……」
ラダベルは、肩にかかった長い髪を払い除ける。ひとつに括った髪が揺れる。
今さら話がしたいなど、さすがに虫がいい。ラダベルには、父親であるティオーレ公爵と話すことなど何もないのだ。なんとかしてこの場から去りたいと思った彼女は、傍らに立つエリアスに視線を送る。しかしエリアスは素知らぬ顔をして、ティオーレ公爵に敬礼している。ラダベルは、裏切り者めと彼を睨みつけた。
「行くぞ、ラダベル」
「行きません」
ティオーレ公爵の促す言葉に、ラダベルはきっぱりと断った。ティオーレ公爵が彼女を睥睨する。眼鏡のレンズの奥で光る眼光に、ラダベルはほんの少しだけ萎縮した。
「大事な話だ。聞きたくないのか? ラダベル」
「…………脅し、ですか?」
「人聞きが悪い。提案だ」
ラダベルは長嘆息を吐いた。どうやら、彼女に拒否権はないらしい。心底行きたくないければ、ティオーレ公爵と話したくもない。今この瞬間さえも、苦痛なのだ。できれば、この先一生関わりたくない。それでも、彼がいう「話」というのは気になる。彼についていくという道しか、残されていないのか。ラダベルは、瞳を伏せる。
「分かりました……。バート少尉」
「………………」
エリアスは頷くと一礼して、ラダベルとティオーレ公爵のもとを去っていった。
「ふたりで話ができる場所に行こう」
ティオーレ公爵にそう言われ、渋々頷いた。
行きつけのお気に入りのガゼボには案内したくないため、ほかの庭園に向かう。ラダベルは、秋の光が存分にあたる開放感のあるガゼボに案内した。ふたりは席につく。正面に座ったティオーレ公爵の視線が騒がしい気がする。何を話すわけでもなく、ただただ黙って見つめてくる。気味が悪い、とラダベルは感じる。小さな溜息を吐いて、ティオーレ公爵を睨む。
「話とはなんでしょう」
なんの前置きもなく、早速本題に入るラダベル。ティオーレ公爵は、我に返った。ごほんと軽く咳払いをした。それを見て、ラダベルは身構える。準備はできている。どこからでもかかってこい。どんな質問をされても、どんな話をされても大丈夫。
ティオーレ公爵は、眼鏡をかけ直す。
「ルドルガー伯爵とは上手くやっているか?」
「………………」
斜め上からの質問に、ラダベルはぽかんと口を開ける。何を言っているのかこの人は、とでも言いたげな表情である。対してティオーレ公爵は、どことなく気まずい面様をしていた。
「いきなり何を話すかと思えば、そんなことですか? 心配なさらずとも、ジークルド様とは良い夫婦関係を築くことができています」
ラダベルが胸を張って告げる。ティオーレ公爵は「それならよかった」とひと息ついた。
優良物件だと言って、勝手にラダベルを嫁がせたくせに、今さら心配するとは。一体何を考えているのだろうか、この毒親は。ラダベルは、今にも人間不信に陥ってしまいそうだった。
「お前の噂は皇都でも聞いている。悪女ではなくなった、とな」
「……そうですか」
「この噂は、真実か?」
ティオーレ公爵の問いかけが、癇に障る。やはり噂が真実かどうか確かめるために、わざわざ東部まで訪ねてきたのだ。
ラダベルは若干諦念を抱きながら、目を開く。黄金に光り輝く瞳が美しかった。
「事実です。私はもう、あなた方が知っている悪女ラダベルではありません」
ラダベルは宣言した。強気の彼女を前にして、ティオーレ公爵は喫驚する。ラダベルの強気な態度。亡くなったティオーレ公爵夫人を彷彿とさせる威風堂々たる姿に、暫し気を取られていた。
「第二皇子殿下を愛していた頃の私はもういません。ジークルド様のもとに嫁いで、多くのことを学んだのです。あのお方は私の傷ついた心を癒してくださいました。ですから私も、できる限りあのお方の妻として、そして伯爵夫人としてふさわしい人間になりたいと思ったのです」
ラダベルは胸に手を当てて、瞳を閉じながらそう言った。ふたりの間を爽籟が吹き抜ける。聖女の如く美しい彼女。もう既に、悪女はそこにいなかった。
ラダベルは、肩にかかった長い髪を払い除ける。ひとつに括った髪が揺れる。
今さら話がしたいなど、さすがに虫がいい。ラダベルには、父親であるティオーレ公爵と話すことなど何もないのだ。なんとかしてこの場から去りたいと思った彼女は、傍らに立つエリアスに視線を送る。しかしエリアスは素知らぬ顔をして、ティオーレ公爵に敬礼している。ラダベルは、裏切り者めと彼を睨みつけた。
「行くぞ、ラダベル」
「行きません」
ティオーレ公爵の促す言葉に、ラダベルはきっぱりと断った。ティオーレ公爵が彼女を睥睨する。眼鏡のレンズの奥で光る眼光に、ラダベルはほんの少しだけ萎縮した。
「大事な話だ。聞きたくないのか? ラダベル」
「…………脅し、ですか?」
「人聞きが悪い。提案だ」
ラダベルは長嘆息を吐いた。どうやら、彼女に拒否権はないらしい。心底行きたくないければ、ティオーレ公爵と話したくもない。今この瞬間さえも、苦痛なのだ。できれば、この先一生関わりたくない。それでも、彼がいう「話」というのは気になる。彼についていくという道しか、残されていないのか。ラダベルは、瞳を伏せる。
「分かりました……。バート少尉」
「………………」
エリアスは頷くと一礼して、ラダベルとティオーレ公爵のもとを去っていった。
「ふたりで話ができる場所に行こう」
ティオーレ公爵にそう言われ、渋々頷いた。
行きつけのお気に入りのガゼボには案内したくないため、ほかの庭園に向かう。ラダベルは、秋の光が存分にあたる開放感のあるガゼボに案内した。ふたりは席につく。正面に座ったティオーレ公爵の視線が騒がしい気がする。何を話すわけでもなく、ただただ黙って見つめてくる。気味が悪い、とラダベルは感じる。小さな溜息を吐いて、ティオーレ公爵を睨む。
「話とはなんでしょう」
なんの前置きもなく、早速本題に入るラダベル。ティオーレ公爵は、我に返った。ごほんと軽く咳払いをした。それを見て、ラダベルは身構える。準備はできている。どこからでもかかってこい。どんな質問をされても、どんな話をされても大丈夫。
ティオーレ公爵は、眼鏡をかけ直す。
「ルドルガー伯爵とは上手くやっているか?」
「………………」
斜め上からの質問に、ラダベルはぽかんと口を開ける。何を言っているのかこの人は、とでも言いたげな表情である。対してティオーレ公爵は、どことなく気まずい面様をしていた。
「いきなり何を話すかと思えば、そんなことですか? 心配なさらずとも、ジークルド様とは良い夫婦関係を築くことができています」
ラダベルが胸を張って告げる。ティオーレ公爵は「それならよかった」とひと息ついた。
優良物件だと言って、勝手にラダベルを嫁がせたくせに、今さら心配するとは。一体何を考えているのだろうか、この毒親は。ラダベルは、今にも人間不信に陥ってしまいそうだった。
「お前の噂は皇都でも聞いている。悪女ではなくなった、とな」
「……そうですか」
「この噂は、真実か?」
ティオーレ公爵の問いかけが、癇に障る。やはり噂が真実かどうか確かめるために、わざわざ東部まで訪ねてきたのだ。
ラダベルは若干諦念を抱きながら、目を開く。黄金に光り輝く瞳が美しかった。
「事実です。私はもう、あなた方が知っている悪女ラダベルではありません」
ラダベルは宣言した。強気の彼女を前にして、ティオーレ公爵は喫驚する。ラダベルの強気な態度。亡くなったティオーレ公爵夫人を彷彿とさせる威風堂々たる姿に、暫し気を取られていた。
「第二皇子殿下を愛していた頃の私はもういません。ジークルド様のもとに嫁いで、多くのことを学んだのです。あのお方は私の傷ついた心を癒してくださいました。ですから私も、できる限りあのお方の妻として、そして伯爵夫人としてふさわしい人間になりたいと思ったのです」
ラダベルは胸に手を当てて、瞳を閉じながらそう言った。ふたりの間を爽籟が吹き抜ける。聖女の如く美しい彼女。もう既に、悪女はそこにいなかった。
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