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第79話 哀れな令嬢

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「僕と婚約できると、本気で思っていたのか?」

 アデルは嘲笑する。人として、ひとりの男として最低な言葉を投げかけた彼に、ラダベルは驚愕する。アデルの口から紡がれた最低最悪の言葉に、カトリーナは憤怒と悲哀に染まった表情となった。もはやこの状況下において、何も言えないらしい。

「出任せに決まってるだろう? 適当な言葉を本気で受け取るとはな。救いようのないバカがいたものだ」

 アデルは足を組み、凝り固まった首の関節を鳴らす。微塵も悪いと思っていないらしい。そんな彼を前にして、カトリーナは絶望に打ちひしがれていた。怒り、悲しみ、嘆き、愛、様々な感情が混じり合い、彼女の心は混沌こんとんと化していた。一言では表せない心の内。その中からひとつの感情を汲み取って声にするには、困難を極める。無理もない、と溜息をついたラダベルの前、震えていたカトリーナが顔を上げる。

「わたくしと、わたくしと、結婚してくださると言ったではないですかっ……!?」

 カトリーナが悲痛に叫ぶ。

「だからそれを本気にしたのかと言っただろうが。僕はお前と結婚する気はさらさらない。諦めろ」

 アデルは無情に告げる。ラダベルは彼を見遣る。どこか、面倒そうな面様をしている。最初から結婚する気など、少しもなかったのか。ならなぜ、アデルはカトリーナに対して、思わせぶりな発言をしたのだろう。
 ラダベルがアデルに婚約破棄をされた夜、カトリーナはアデルに呼び出されていた。婚約締結の話をするものだと思い込んでいたが、数ヶ月経った今も婚約の噂は聞かない。それどころか、カトリーナはアデルに弄ばれたのだという噂が出回っている。アデルは悪女ラダベルを捨てて、カトリーナを選んだはず。それなのに、アデルはカトリーナと結婚する気はないとはっきり言った。それはどうしてか。噂通り、アデルはカトリーナの恋心を弄んだのだろうか。ラダベルは、アデルをどうしようもない最低男だと心中で罵った。だがしかし、カトリーナを庇う義理はない。ラダベルは、沈黙を貫くことにした。

「わたくしは、ルドルガー伯爵夫人と婚約破棄するためだけの道具として……使われたのですの?」
用途ようとは違うが……道具という認識は間違ってないな」

 アデルは再びカトリーナを罵る。屈辱的くつじょくてきな扱いを受けたカトリーナは、ご自慢のぷるぷるの唇に血が滲むほどに噛みしめる。
 アデルは別に、自身と婚約破棄するためにカトリーナを利用したわけではないのか。ますます、アデルの心情が分からなくなる。ならば一体なんのつもりで……。いいや、これ以上考えるのはやめよう。ラダベルはアデルの心の内など、分かるはずもないと結論づけて、紅茶をひと口飲んだ。
 遥々、極東までやって来て、得ることができたギフトが予想もしていなかったアデルの本音とは。カトリーナも可哀想なものだとラダベルは思った。

「……酷いですわ、あんまりですわ……。わたくしの淡い恋心を弄ぶなんて、最低ですわっ!!!」

 カトリーナは勢いよく立ち上がる。その際に、彼女の足がテーブルに当たり、ガタンとテーブルが揺れる。その拍子にカップから紅茶が少しこぼれてしまった。レイティーン皇族の御前でのみにくい無礼。本来ならば許されない愚行だが、謝罪するほどの心の余裕はカトリーナにはなかった。

「最低だと? 僕を最低と罵るならば、ラダベルの悪評を流していたお前も同類だ」

 アデルの鋭い指摘に、カトリーナはヒュッと喉を鳴らす。ラダベルの顔色に、変化は見られない。自身の悪評の原因が誰かなど、正直に言ってどうでもいい。どうせ、社交界全員が敵であることに変わりはないのだから。あることないこと噂して、心底楽しんでいるのだろう。今さら言及する気などない。

「何……?」

 ラダベルは隣に座るジークルドを見る。ジークルドは、カトリーナに殺意を向けていた。

「きゃっ……!」

 カトリーナは叫び声を上げる。腰を抜かしたのか、またもソファーに座った。か弱い令嬢が恐れる姿を目の前にするも、ジークルドは止まらない。

「チェスター伯爵令嬢。我が妻を愚弄したのか」
「ちが……違いますっ!」
「元帥の言葉は事実無根じじつむこんであると?」
「っ…………」

 否定すれば、レイティーン皇族のアデルが言っていることは嘘であると証言しているようなもの。だからと言って肯定しても、ジークルドの怒りを煽るだけ。さて、カトリーナはどうするのか。

「みんな……みんな言っておりますわっ! その女が悪女だとっ! 気に入らない貴族は隠密おんみつに殺すほどの社交界の害悪がいあくであるとっ!!!」

 カトリーナはラダベルに指をさしてそう言った。アデルの言葉を認め、ジークルドを敵に回すのか。ラダベルはそれは得策ではないと瞳を伏せた。

「口を慎め、カトリーナ・ルレ・リベラ・チェスター。誰を前にしてものを言っている。俺の前で妻を愚弄することは許さない」
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