上 下
64 / 158

第64話 アデルの涙

しおりを挟む
 アデルが城にやって来たことにかなり驚いていたラダベルだが、ジークルドがいない今、城の主はラダベルである。軍の事実上のトップであり、帝国の第二皇子であるアデルに無体を働くことは許されていない。だがそれでも、さっさと皇都に帰還させてやりたいと目論んでいた。

「質素だがなかなかに美味いじゃないか」

 来客用に用意された宮の食卓の間。豪華絢爛の一室には、アデルが座っていた。彼とラダベルは、城の料理人が作った料理を食している。食卓の間には、ラダベルとアデルのふたりきり。アデルが側近たちを追い出してしまったのだ。地獄の雰囲気にラダベルは、今にも胃に入れた物が全て出てきてしまいそうなほどの気持ち悪さを覚えていた。

「手が進んでいないぞ、ラダベル」

(誰のせいだと思っているのよこの男)

 ラダベルはアデルを睥睨する。氷のように冷たい目に、アデルは僅かに恐れた。ラダベルは大きく溜息を吐いて、ナイフとフォークをそっと置く。そして、白い布で口元を拭った。

「おい、もう終わるのか?」
「はい。もうよろしいですよね? この宮は来客用ですので好きに使っていただいて構いません。困ったことがあれば執事や侍女に申しつけてください。では」

 ラダベルは席を立ち、間を出るための扉に向かう。これ以上、アデルと一緒の空間にいたくはなかった。今さら、花束をプレゼントしてくれたりとよく分からない行動が多いが、そんなことをされたところで、ラダベルの思いは揺らがない。アデルに気持ちが傾くなど、万にひとつもありえないのだから。
 ラダベルが扉の取っ手に手をかけようとすると、腕を引かれそれを防がれる。咄嗟に振り向くと、切羽詰まったアデルの顔が目の前に。かつて、転生前のラダベルが心底惚れ込んだ美顔。ラダベルは、目を奪われた。

「僕と……一緒にいるのは、嫌か?」
「………………離してください」

 ラダベルは、アデルから逃れようとする。しかし軍人としてのアデルに勝てるはずがない。失敗に終わり、先程よりも強く動きを封じられてしまった。

「質問に答えろ、ラダベル」

 ウォーターブルーの瞳が細められる。金色の睫毛が震えていた。下手な彫刻よりも美しい顔面の破壊力に、ラダベルは顔を背ける。

「答えずとも、分かっているのではないですか?」
「っ……」
「あえて私の口から聞きたいのなら、教えて差し上げましょう」

 ラダベルはアデルを見上げる。意志の強いトパーズ色の眼に、アデルは息を呑んだ。

「嫌です」

 一言。はっきり。下手したら、人斬りに特化したジークルドの愛刀よりも、斬れ味がいいかもしれない。ラダベルの言葉は、アデルの心を深く切り刻んだ。

「嫌に決まっているじゃないですか。私とあなた様は元婚約者です。幼き頃より健気にあなた様を想い続けて参りましたが、今ではその想いも無駄であったと実感しています。百年の恋も冷めるというものですよ」

 ラダベルは若干、呆れ交じりにそう言った。アデルを好きだったのは、今のラダベルではない。アデルに恋していた時の記憶はあれど、感情に覚えはないのだ。それに今では、ラダベルはジークルドに淡い恋心を向けている。アデルの出る幕はない。お呼びではないのだ。

「………………」

 アデルは黙りこくる。彼の異変を察知したラダベルは、眉間に皺を寄せながら、恐る恐る彼の美貌を見上げた。そして唖然とする。空の青さと同様の色味を持つ彼の瞳は、涙で潤んでしまっていた。一筋、シャンデリアの光に照らされた美しい涙がこぼれ落ちる。初めて見た、アデルの泣き顔。その顔に、ラダベルは愕然とした。

(どうして、泣いているの? 演技? でも、第二皇子殿下は演技で泣けるような器用な人間じゃないわよね?)

 ラダベルの心中は、非常に複雑であった。一言では言い表しようのない様々な感情がグルグルと渦巻いている。

「本当に……本当にもう、お前は僕のことを、好きではないんだな」

 アデルは声を絞り出す。ラダベルは、何も言わない。ではなく、何も言えなかった。
 アデルは彼女から離れ、涙で濡れた目元を拭う。彼女の前で泣いてしまったことが、途方もなく恥ずかしいようだ。しかしそれ以上に、ショックなのだろう。ラダベルにもう、想われていないという真実が。
 ラダベルはアデルを置き去りにして、踵を巡らし部屋を出る。アデルの部下たちが彼女を一斉に見遣るか、ラダベルは無視をしてその場を去った。

(知らない、あんな弱気な第二皇子殿下なんて、知らない……)

 ラダベルはそう思いながら、宮に帰る道を急ぐ。雪白の頬が赤く染まっているとも知らずして――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私の愛する人は、私ではない人を愛しています

ハナミズキ
恋愛
代々王宮医師を輩出しているオルディアン伯爵家の双子の妹として生まれたヴィオラ。 物心ついた頃から病弱の双子の兄を溺愛する母に冷遇されていた。王族の専属侍医である父は王宮に常駐し、領地の邸には不在がちなため、誰も夫人によるヴィオラへの仕打ちを諫められる者はいなかった。 母に拒絶され続け、冷たい日々の中でヴィオラを支えたのは幼き頃の初恋の相手であり、婚約者であるフォルスター侯爵家嫡男ルカディオとの約束だった。 『俺が騎士になったらすぐにヴィオを迎えに行くから待っていて。ヴィオの事は俺が一生守るから』 だが、その約束は守られる事はなかった。 15歳の時、愛するルカディオと再会したヴィオラは残酷な現実を知り、心が壊れていく。 そんなヴィオラに、1人の青年が近づき、やがて国を巻き込む運命が廻り出す。 『約束する。お前の心も身体も、俺が守るから。だからもう頑張らなくていい』 それは誰の声だったか。 でもヴィオラの壊れた心にその声は届かない。 もうヴィオラは約束なんてしない。 信じたって最後には裏切られるのだ。 だってこれは既に決まっているシナリオだから。 そう。『悪役令嬢』の私は、破滅する為だけに生まれてきた、ただの当て馬なのだから。

【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない

かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。 女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。 設定ゆるいです。 出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。 ちょいR18には※を付けます。 本番R18には☆つけます。 ※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。 苦手な方はお戻りください。 基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。

【R18】翡翠の鎖

環名
ファンタジー
ここは異階。六皇家の一角――翠一族、その本流であるウィリデコルヌ家のリーファは、【翠の疫病神】という異名を持つようになった。嫁した相手が不幸に見舞われ続け、ついには命を落としたからだ。だが、その葬儀の夜、喧嘩別れしたと思っていた翠一族当主・ヴェルドライトがリーファを迎えに来た。「貴女は【幸運の運び手】だよ」と言って――…。 ※R18描写あり→*

前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜 ――『偽聖女を処刑しろっ!』 民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。 何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。 人々の歓声に包まれながら私は処刑された。 そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。 ――持たなければ、失うこともない。 だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。 『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』 基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。 ※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)

【R18】ショタが無表情オートマタに結婚強要逆レイプされてお婿さんになっちゃう話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

今夜中に婚約破棄してもらわナイト

待鳥園子
恋愛
気がつけば私、悪役令嬢に転生してしまったらしい。 不幸なことに記憶を取り戻したのが、なんと断罪不可避の婚約破棄される予定の、その日の朝だった! けど、後日談に書かれていた悪役令嬢の末路は珍しくぬるい。都会好きで派手好きな彼女はヒロインをいじめた罰として、都会を離れて静かな田舎で暮らすことになるだけ。 前世から筋金入りの陰キャな私は、華やかな社交界なんか興味ないし、のんびり田舎暮らしも悪くない。罰でもなく、単なるご褒美。文句など一言も言わずに、潔く婚約破棄されましょう。 ……えっ! ヒロインも探しているし、私の婚約者会場に不在なんだけど……私と婚約破棄する予定の王子様、どこに行ったのか、誰か知りませんか?!

誕生日当日、親友に裏切られて婚約破棄された勢いでヤケ酒をしましたら

Rohdea
恋愛
───酔っ払って人を踏みつけたら……いつしか恋になりました!? 政略結婚で王子を婚約者に持つ侯爵令嬢のガーネット。 十八歳の誕生日、開かれていたパーティーで親友に裏切られて冤罪を着せられてしまう。 さらにその場で王子から婚約破棄をされた挙句、その親友に王子の婚約者の座も奪われることに。 (───よくも、やってくれたわね?) 親友と婚約者に復讐を誓いながらも、嵌められた苛立ちが止まらず、 パーティーで浴びるようにヤケ酒をし続けたガーネット。 そんな中、熱を冷まそうと出た庭先で、 (邪魔よっ!) 目の前に転がっていた“邪魔な何か”を思いっきり踏みつけた。 しかし、その“邪魔な何か”は、物ではなく────…… ★リクエストの多かった、~踏まれて始まる恋~ 『結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが』 こちらの話のヒーローの父と母の馴れ初め話です。

ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました

中七七三
恋愛
わたしっておかしいの? 小さいころからエッチなことが大好きだった。 そして、小学校のときに起こしてしまった事件。 「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」 その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。 エッチじゃいけないの? でも、エッチは大好きなのに。 それでも…… わたしは、男の人と付き合えない―― だって、男の人がドン引きするぐらい エッチだったから。 嫌われるのが怖いから。

処理中です...