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第2話 勝利のステップ

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 婚約破棄を宣言したラダベルは、帰宅するべく皇城の広い廊下を歩いていた。心の中は、爽快そうかい。もうこのまま天国に昇ってしまえるほど、ラダベルは浮かれに浮かれていた。今ならどんな障害物でも越えていけそうな錯覚さっかくおちいり始めた時、正面から歩いてくるひとりの女性の姿に気がつく。

「ティオーレ公爵令嬢」

 可愛らしく甲高い声。一瞬でだと分かる声色に、ラダベルの気分は見事に急降下してしまった。
 胸元までのモカブラウンの巻き髪に、切り揃えられた重めの前髪。短く薄い眉毛の下、くるっと光るウルトラマリンブルーの瞳子。男性の欲望を詰め込んだ分厚い唇は、男性を魅了みりょうする。体型こそ幼児体型と言われる部類には入るが、それがまた彼女の魅力みりょくでもあった。大量のフリルがあしらわれたエメラルドグリーンのドレスを纏った彼女の名は、カトリーナ・ルレ・リベラ・チェスター。チェスター伯爵はくしゃく家令嬢であり、17歳の少女だ。最近、社交界にて、アデルの新たな婚約相手だとうわさされている。

「ティオーレ公爵令嬢も第二皇子殿下に呼ばれたのですか? 実は、わたくしもですの。ふふ、なんのお話でしょうか。楽しみで楽しみでなりませんわ」

 カトリーナは、レースの手袋に包まれた小さな手を頬に当て、恍惚とした微笑みを浮かべる。反対に、最高の気分をカトリーナに邪魔されたラダベルは、無表情であった。無を体現することにおいては、今この瞬間、世界一を獲得できるだろう。

「ところで、ティオーレ公爵令嬢は第二皇子殿下とどのようなお話をされたのですの? まさか、婚約破棄、とか?」

 口紅を塗りたくり、一流の宝石にも負けぬ光沢感こうたくかんを出した唇がにんまりと弧を描く。本当は、ペラペラの布切れを掴み上げ、「こちとら今最高の気分だったんだよ。何邪魔してくれんだ? あ?」とキレ散らかしたい衝動に駆られるが、ラダベルはそれを抑え込む。彼女は、見事なあおりを見せるカトリーナに、最高級の微笑びしょうを向けた。

「えぇ。たった今、婚約破棄をして参りました。チェスター伯爵令嬢、第二皇子殿下に呼ばれているのならば早く参らなくてはなりませんよ。遅刻が原因で殿下に呆れられてしまえば、笑いものにすらなりませんもの」

 嫌味のこもった言葉を吐いたラダベルは、昂然こうぜんたる態度で立ち去った。カトリーナは暫し状況を理解できず、唖然あぜんとしたままその場に留まり続けたのであった。

(ラダベル・ラグナ・デ・ティオーレ。ティオーレ。やったわ! これで晴れて、死ななくて済む!)

 邪魔者を蹴散けちらし、再び歓喜となるラダベルは、不気味な笑い声を漏らした。
 ラダベル・ラグナ・デ・ティオーレは、根っからの悪女である。レイティーン帝国一の医者にも、治療法はないと突っぱねられるほどの。とてもではないが言葉には言い表せない、様々なあくどい事件を引き起こしてきた令嬢だ。そんな彼女は、第二皇子であるアデルに恋をし、彼を想い続け、皇帝を説得して無理やり婚約者の座に居座った。貴族界では、“近年稀に見る悪女”と絶妙ぜつみょうにセンスのない異名で呼ばれている。ところで、アデルに惚れに惚れ込んだ彼女が、アデルと婚約破棄をしてなぜこんなにも喜んでいるのだろうか。その理由は、彼女の真の正体に隠されている――。
 実は彼女の中に住み込むたましいは、つい最近、まったく別の異世界から転生した女性であるのだ。科学が発展したその世界で平凡に暮らしていたのだが、とある日急性の病気で亡くなった。そして気がついたら、見事なまでの悪女に転生してしまっていた。しかもこの世界は、彼女の魂が別の肉体と共に存在していた元の世界にて、大ヒットを記録した物語、映画としても上映され、幅広い世代に、そして人種に愛された物語の世界なのだ――。彼女は、そんな物語の脇役、悪女ラダベルとして転生を果たした。だがラダベルの末路は、アデルと結婚したあと、濡れ衣を着せられて殺害されてしまうのだ。物語の結末がどうなったかは、記憶が一部消滅しょうめつしたためかどうしても思い出せない。しかしラダベルの結末は知っている。アデルと結婚する前、一度婚約破棄を持ちかけられる先程の場で、なんとしてでも婚約破棄をする必要があったのだ。そしてラダベルは、たった今婚約破棄をすることに成功した。つまりは、死の危険を回避できたということ。これでラダベルは、死ぬ運命から逃れられたのだ。

(今夜はうたげね!)

 ひとりきりの暗い廊下。ラダベルは華麗かれいなステップを踏みながら、舞姫まいひめごとく踊ったのであった。
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