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第十二章  皇太子妃への道

9  何か大切な事

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「ユーリが行方不明! まさか私との婚約が嫌になって逃げ出したのでは?」

 普段は立派な皇太子なのに、ユーリ関係になるとグレゴリウスは理性が吹っ飛ぶ。ある意味で恋愛至上主義のイルバニア王国に相応しい皇太子なのだが、今は冷静になって欲しいとジークフリート卿は溜息を押し殺す。

「仮にユーリ嬢が婚約を解消したいと思ったとしても、イリスを置いて逃げ出したりはされませんよ」

 聞いていた祖父のアリスト卿は『酷い!』と思ったが、グレゴリウスは打たれ強かった。

「そうだな! 竜馬鹿のユーリがイリスを置いて逃げ出したりはしないだろう。となれば、何か事故に巻き込まれたのか?」

 やっと冷静さを取り戻したグレゴリウス皇太子に、アリスト卿は部下のカルバン卿からの報告を伝える。

「孤児院にいたハンナという女の子を母親がいるタレーラン伯爵領の屋敷に送って行く途中、荷馬車が崖から落ちそうになったようです。ユーリはハンナを庇って崖から落ちたそうなんですが……大丈夫です。下には雪が積もっていたので、ユーリの命に別状は無いとは思うのですが……」

「ユーリが崖から落ちた!」と騒ぎ立てるグレゴリウス皇太子を宥めながら、話を続ける。

「竜騎士を派遣して付近を捜索させていますから、ユーリもすぐに見つかるでしょう」

 竜騎士隊長のマキシウスは、イリスがユーリの場所を特定できない事が不安だったが、グレゴリウス皇太子を落ち着かせる為に冷静さを演じる。

「私も捜索に加わる!」

 婚約者が行方不明なのに、呑気にユングフラウで待っていられないとグレゴリウスは騎竜アラミスに飛び乗る。

「ジークフリート卿、お任せします」

 本当なら祖父のマキシウスが一番に孫娘のユーリを探しに行きたいのだが、ローラン王国との国境を見張る役目がある。

「ええ、ユーリ嬢を無事にお連れします」

 カルバン卿が先頭になり、二頭の竜が飛んで行くのをマキシウスは『ユーリ!』と無事を祈りながら見送った。



『ユーリ! ユーリ!』

 タレーラン伯爵領の付近をイリスは旋回しながら絆の竜騎士であるユーリを探していた。

『イリス!』

 ユングフラウからアラミスに乗ったグレゴリウスが到着し、一旦は陸に降りて話し合う事にする。

『ユーリがいないんだ!』

 絆の竜騎士とのコンタクトが取れなくなったイリスの悲壮な叫びにグレゴリウスとジークフリート卿も心が切り裂かれる。

『イリス、ユーリは絶対に見つけるからね!』

 グレゴリウスとアラミスの励ましで、イリスもほんの少しだけ落ち着く。

「兎に角、ユーリ嬢が落ちた崖を調べてみましょう」

 何度もカルバン卿も調べただろうが、一から捜索をやり直そうとジークフリート卿は提案する。

「ここで馬車が雪道でスリップしたのですね。車輪が片方壊れて……崖の下に降りてみましょう」

 グレゴリウスは、焦る気持ちを抑えて、アラミスと崖の下へと向かう。雪は何人もの捜索隊に踏み荒らされていた。

「ユーリ!」

 グレゴリウスは近くには居ないとわかっていても、大声で愛しい婚約者の名前を呼ぶ。

「この道は何処へ続くのですか? 何本か馬車の轍が残っています」

 捜索隊は馬で行動していたので、轍は前からあるのだろうとジークフリート卿は考えた。

「そうか! この道は南のモーゼルまで続いています。誰かがユーリ嬢を救護したのかもしれません」

 近隣の村は探索したが、もっと遠くの町まで探索の輪を広げようと竜騎士達は頷く。

「早くユーリを見つけないと、夜になってしまう!」

 暗くなった空に三頭の竜は舞い上がった。 


 旅の一座でお姫様役に抜擢されたユーリは、宿屋の一階の椅子に座って台本を読んでいた。台本といっても、髭もじゃのローズ団長が急いで書きなぐった粗筋に過ぎない。

「『きゃあ~! 助けて!』……これしか台詞は無いの? お姫様って、そんなにお馬鹿さんなのかしら?」

 素人のユーリでも劇の流れを壊さないように書かれた簡単な台詞を覚える。

「お姫様が悪者に拐かされて、それを恋人が救い出す物語なのね。ハッピーエンドは良いけど……ラブシーンとかは困るわ! 何故かしら? 絶対に駄目な気がする」

 ユーリの脳裏に金色の瞳が浮かぶ。

「何かしら? 凄く大事な事を忘れているような……兎に角、ラブシーンは困るわ!」

 団長にラブシーンは断ろうと、宿屋から出ようとしたユーリは、入ってきた女の人とぶつかる。

「失礼ね!」

「すみません。急いでいたもので……」

 ユーリは謝って外に出ようとしたが、女の人に止められる。

「ちょっとドレスが破れたわ!」

 確かにお姫様ドレスについている模造宝石のキラキラが女の人のドレスのレースに絡まったのか、糸を引いていた。

「ごめんなさい……」

 金髪を巻髪にして結い上げている美人は、安物のドレスを着たユーリを頭から爪先までジロジロと見る。

「あなたは旅の芸人なの? そんな人にこのドレスの値打ちはわからないのかも知れないけど、ユングフラウで作った物なのよ」

 ふん! と鼻を突き出す態度に見覚えがある。

「あのう、何処かで会っていませんか?」

「あんたなんか……もしかしてユーリ・キャシディ? あのど田舎のヒースヒルにいた貧乏な農家の娘?」

 失礼な言い草で、ユーリの記憶が蘇る。

「ハリエット・ジョーンズ! あの小麦倉庫の支配人の娘ね! なんだか年取ったわねぇ」

 ヒースヒルの小学校で、町に住んでいるハリエット達に田舎の子と馬鹿にされたのだ。ユーリは、子ども時代に記憶が飛んでいたので、大人になったハリエットに驚く。

「なんですって! 年を取った? 旅の芸人になったあなたに言われたくないわ。それに私は結婚して、ハリエット・マッケーンジー夫人になったのよ。夫は、ここら辺の大地主なんだから」

 相変わらず威張っているハリエットに出会ったお陰で『ユーリ・キャシディ』という名前を思い出したが、何故か違和感がある。

『まさか……結婚して苗字が変わったのかしら? どうやら結婚してもおかしくない年になっているみたいだし……』

 ユーリの心に心配そうな金色の瞳が浮かぶ。頭ががんがんと痛む。ふらついたユーリはハリエットにもたれかかる。

「ちょっと何をするのよ!」

 宿屋の出入口でユーリとハリエットが揉めていると、アマンダがやって来た。ふらつくユーリの肩を抱き寄せて、ハリエットに向かい合う。

「何か失礼でもしたのでしょうか?」

 アマンダは、地元の人と揉めたくないと、先ずは下手に出る。ハリエットは、自分より弱い立場だと思うと、より強気になる。

「このドレスを傷つけたのよ! 弁償して頂戴」

 ツンケンした態度にユーリはカッとした。アマンダの腕を振りほどいて、ハリエットに反論する。前からユーリは強く出る相手には、強く反発する癖があるのだ。記憶喪失になっても、本人の性格は変わっていない。

「何よ! ちょこっとレースの糸が引いただけでしょ。昔から性格は変わってないわね」

「貴女も無礼な態度は変わってないわね! 見てなさい! 主人に言いつけてやるわ!」

 ふん! と鼻を鳴らして出て行くハリエットにユーリは呆れる。しかし、アマンダは心配そうな顔をした。

「あの人と知り合いなのかい?」

「どうやら、私の名前はユーリ・キャシディみたいです。彼女とはヒースヒルの小学校で一緒だったの。でも、仲は良くなかったわ。あの頃から威張り屋だったから……それにしても私は何歳なのかしら? ハリエットは結婚しているみたいだけど……」

「あんたは未だ記憶が戻って無いんだね。でも名前がわかったのは良かったよ」

 それよりもユーリは大切な話があった。

「アマンダさん、この最後のラブシーンは困るんです。だって……絶対に駄目な気がするんですもの」

「何を言ってるんだい。ラブシーンといっても、抱きしめてキスするだけだよ。お姫様を助けたんだから、そのくらいしなきゃ芝居が盛り上がらないだろ?」

「キス! 彼が怒るわ!」

 反射的にユーリの口から言葉が飛び出す。

「何か思い出したのかい?」

 青ざめたユーリの肩を抱いて質問するが、首を横に振る。

「いいえ……でも、ラブシーンは絶対に駄目なの! ごめんなさい」

「そうかい。なら、手にキスぐらいで良いかもね」

 こんな調子では舞台に立つのも嫌がりそうだと、アマンダは妥協案をだす。

「まぁ、そのくらいなら……」

 ユーリは、思い出せそうなのに思い出せないもどかしさに苛々が募る。

「早く思い出さなきゃ! 私は何を忘れているの?」

 その時、空から『ユーリ!』という呼び声が聞こえた気がした。

 思わず空を見上げるユーリ。

「竜だわ!」

 激しい愛情がユーリの心の奥底から込み上げる。

『イリス!』

『ユーリ!』

 絆の竜騎士を見つけたイリスは町の宿屋を目指して一直線に舞い降りる。普段なら羽根で人や物を吹き飛ばさないように着地する時は気を使うのだが、今はそんな事に構っていられない。

 ローズ一座の馬たちはいななき、舞台に改装された荷馬車は風に揺られる。

「何事だ?」髭もじゃのローズ団長は、折角の舞台装置が滅茶苦茶だと腹を立てた。他の団員は、目の前に舞い降りた巨大な竜に怯えながらも『何故? こんな田舎町に竜が竜騎士も乗せずにやってきたのだ?』と疑問で一杯だった。

 ユーリは、竜を遠巻きにしている群衆をかき分けて『イリス!』と駆け寄った。

『ユーリ!』嬉しそうにイリスは咆える。やっと絆の竜騎士に再会できたのだ。しかし、周りの人達は怯えて馬車の影や、宿屋に逃げ込んだ。

『どうして私を置いていったのさぁ。心配したんだよ!』

 責められてユーリの記憶は混乱する。

『ええっと……イリス、なのよね? 何故、私はあなたの名前を知っているのかしら? それに愛情を感じるの』

『えっ? ユーリは私と絆を結んだ竜騎士なんだよ。私はユーリと一緒の時を過ごすんだ! 覚えてないの?』

『絆の竜騎士?』ユーリは頭ががんがんする。とても大事なことも忘れていそうだ。

『ユーリ! 思い出して!』

 イリスの金色の瞳を見ていると、両親の死、フォン・フォレストのお祖母様の屋敷に引き取られたこと、庭にイリスが舞い降りて絆を結んだこと、竜騎士の学校リューデンハイムの日々、そして喧嘩ばかりしていた金色の瞳の少年。

『そうだわ! 私はユーリ・フォン・フォレスト。あなたは私の騎竜イリスね!』

 騎竜の魔力で頭痛は消え去ったが、両親の死を受け入れて、ユーリは涙を流す。

『お父さんもお母さんも何年も前に亡くなったのね』

 ユーリが泣き虫なのはイリスは慣れている。絆の竜騎士と一緒にいると、ハッピーな気分になる。

「なぁ、ユーリ……その大きな竜をどけてくれないかい? 今夜の巡業の準備をしなきゃいけないんだ」

 ローズ団長の頭をアタンダが小突く。

「あんた、劇のことよりユーリが竜騎士だって事はどうするのさぁ」

「えっ、ユーリは竜騎士なのか?」

「当たり前じゃないの! この子が竜騎士じゃなければ、この竜は何故ここにいるのよ!」

 ユーリは、自分が竜騎士であること、目の前のイリスと絆を結んだことは思い出していた。

「ええ、私はどうやら竜騎士みたいです。あと、名前はユーリ・フォン・フォレストです。でも、未だ重大な事を思い出してないようなの……」

 イリスはユーリを見つけた安堵で、ポォッとする。必死で行方を捜しているグレゴリウスやジークフリートに報告するなんて、幸せボケしたイリスは考えもしなかった。

「まぁ、記憶はおいおい戻るだろう。それより、今夜の劇なんだけど、出てくれないかな? チラシを配った時に、若い女の子が出るなら観に来るって連中が多かったんだ。あんたが出ないとブーイングがおこりそうでさぁ」

 ユーリは、助けてくれた団長の頼みごとに応えることにする。

「今晩の劇にはでます。でも、ラブシーンは困るんです」

「えっ、ラブシーンは駄目なのか? まぁ、良いや。竜騎士が劇に出てくれるだけで宣伝になるし」

「話が決まったなら、そこの竜をどけておくれ。邪魔で仕方ないよ」

 イリスに宿屋の裏に移動してもらい、着地の影響を受けて吹き飛ばされた大道具や小道具を荷馬車の舞台に配置し直す。

 かがり火が宿屋の前を明るく照らし、舞台からランタンが広場に向かって吊るされると陽気な雰囲気になる。

「もうちょっと化粧しよう」

 アマンダに化粧をして貰いながら、ユーリは金色の瞳の少年のことばかり考えていた。

『グレゴリウス……』
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