たぶん君のまうしろに

黒い白クマ

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視野

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sideA:僕の視野

「大地!なんであんたって奴はこういう重要なタイミングで風邪だの熱だの体調崩すのよ!」

耳元に受話器を当てた瞬間、放たれた大声に思わず受話器を落としそうになる。行けないってメールしたのを見てから僕に電話をかけるまでのその素早さには脱帽。あーあ、具合が悪くてベッドから出られませんって居留守決め込めば良かった。まぁ受話器を取ってしまった以上、後の祭りってやつだけども。イライラと動き回る彼女が目の前に見えて、精一杯ため息を飲み込んだ。今ため息なんてしてみろ。きっと次会った時、重い一撃じゃ済まないぞ。

「悪かったって。風邪ひいちゃったんだから、なんていうか、その……不可抗力だろ。」

出来る限り落ち着いた声を出す。こういう時は、とにかく刺激しないのが一番。

「その割には元気そうな声じゃない。」
「まぁ、たかだが微熱だからね。あぁ、でもうつしたら悪いじゃないか。」

穏やかな声で返事をしたつもりだ。取り敢えず来たる衝撃に備えて受話器を少し耳から離して握り直す。

「そうは言っても……ああもう、私と由紀さんの気持ちも考えてよ!どう転んでもやりにくいじゃない!そんなに修羅場が見たいわけ?」

ほら、さっきの五倍くらいの声量が僕を責め立てる。二重の意味で耳が痛い。

受話器の向こうにいるのが、今の彼女。付き合ってそろそろ一年くらいで、それなりに仲は良好、だと思う。名前は沙織。それで、今まさに沙織のマンションに向かっている、というかマンション前にいるのが、前の彼女で今の友達。名前は由紀。

由紀と別れる時、僕らは一番の友達でいることを約束した。……まぁ、いろいろあったんだよ。こういうことってよくあるだろ。ないのかな。ともかく、一番の友達に結婚相手を紹介しないわけにはいかない。そういうことで、今日は来月僕と結婚することになった沙織を、由紀に紹介する予定だった。

そう、予定だった、のだけれども。

二人とも会うことに抵抗はないし、むしろ楽しみにしていた。けど、それはあくまでも僕が間に立つから。僕が風邪なんてひいてこのザマだから、沙織はたいそうイライラしているって話。

確かに、沙織がイラつくのも仕方ない。僕が逆の立場だったら同じように怒る。高みの見物かよって。実際高みの見物なんだけども。

相変わらず部屋を行ったり来たりしながら沙織が色々と文句を並べているのをぼんやりと聞き流していたら、耳元からチャイムの音がした。沙織の部屋に由紀がついたからだ。

「んもう、後からでもいいから来れそうなら来てよ!」

と叫んで沙織は受話器を叩きつけた。走って玄関に向かう彼女に取り敢えず心の中で頭を下げておく。許せ、風邪を恨んでくれ。

***

sideB:私の視野

「いらっしゃい。」

彼女の第一印象は、綺麗な方。初対面の沙織さんは、彼氏の元カノである私を笑顔で迎えてくれた。

「初めまして、宮野由紀です。」
「桜居沙織です。由紀ちゃん、でいいかな?」

お互い玄関先でペコリとお辞儀する。大地君から事前に聞いていた通り、背が高くてすらっとした、かっこいい女性だった。

「はい。」
「どうぞ上がって。」
「お邪魔します。あの、大地君は?」
「ああ、あいつ風邪ひいちゃって、二人になっちゃったの。ごめんね?」

修羅場になってもおかしくない状況だな、とちらりと思う。でも彼女はとても穏やかだった。確か、同級生である私と大地君よりも二つほど年上だったっけ。見た目も中身も私なんかより出来た人だなと感心してしまう。大地君にはもったいない、なんて言ったら逆に失礼かな。

「この度はご結婚おめでとうございます。」
「ありがとう。あ、そうだ、招待状!今日渡す予定だったわよね。ちょっと待ってて。」

結婚式の招待状は手渡すから、と昨日の連絡でも伝えられていた。招待状とは、おそらくそれだろう。

「あっれ、あいつどこ仕舞ったんだ?人ん家の棚に勝手に入れるんだからあいつ……ごめん、電話かけていい?」
「はい、お気になさらず。」
「ありがと、なにからなにまでごめんね。」

招待状が見つけられなかったらしく、沙織さんは慣れた手つきでボタンを押して電話をかけた。

「大地?……ああいいよ、もう怒ってない。由紀ちゃんに渡す招待状、今私から見てどのへんにある?」

思わず、顔を上げた。私から見て、と聞こえたが。

「いやこの棚なのは分かってんの、昨日入れてんの見た。どっち?……え?もー、あんた今日どこから見てんの?いつもの部屋だよね?」
「は……?」
「ここ?二段目?……あ、あった。ん、今度は勝手に仕舞わずに私に渡して。じゃーね。……ふぅ。ごめんね、これこれ。」

笑顔で招待状を渡してきた沙織さんにどう言葉を返すべきか迷う。さっきの、どういうことだろう。見ている?大地くんが?というか、これは私が聞いていい話なの?

「ありがとうございます、えっと、あの、見てるって……」
「ああ、もしかして今の電話の話?てっきり前からだと思ってたんだけど。」

聞かれたという気まずさや戸惑いは一切ない。ニッコリと微笑んで沙織さんは私の前に腰掛けた。

「前から?」
「そ、前から。監視グセ、無かったの?」

かんしぐせ……言葉として認識するのに数秒、受け入れるのにさらに数秒。その間も沙織さんは変わらず笑顔で話し続ける。

「そっか、私からだったのね。良かったぁ、見られたくない子達どうしてたんだろって気になってたの。私だけだったなら良かった。」
「あ、の……それつまり、沙織さんは嫌じゃないってことですか?」

ああ、声が擦れる。一体これは、この人達は何だろう。私、大地君のことを知らな過ぎたみたいだ。

「うん。だって盗聴されているわけでもないし。やましいこともないし。むしろ生活態度改善されたわよぉ、好きな人に見られてると思えば。良いことの方が多いわ。」

徐に立ち上がり、彼女は窓の前に立つ。

「大体、部屋のカーテン全部閉じれば覗かれることもないもの。やり方が原始的なのよねぇ。……ほら、あのマンションよ、彼が住んでいるの。」

ひらひらと窓の外に手を振る彼女に、きっと向こうで彼が手を振り返しているのだろう。まるで、そう、ごく普通の逢瀬のように。
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