観測者と僕達システム

しろ

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観測

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観測したらそのものの現象が確定することをシュレディンガーの猫というらしいが、それは人間目線での死の確定、世界からはすでに観測されているのではないのか?だから死という定義はどこにでも起こり得るのだろう、不幸は起こり得るのだろう?観測者なんてどこにでもいて全ては見えていない、それを見ているのが世界なのだから、ならまず1人が迷子になり両親が森の奥で獣に食われたと思った、でも少年は生きている、それは何故だ?何故それは生は確立する?どこからか観測されているからだろう?人間の目では確かに生と死は半々なのかもしれない、でも僕たちは世界に生きる住人だ、世界が僕たちを見ているんだ、大地から空から海から自然から、全て見ているのだろうね、でも人間目線の理論としての場合は確立してしまう理論だ、だって正直わからないだろう?生きて死んでいるかなんて、でも理論上はしんでるんだよ、密室、それで何もない、ただの毒、それで生きている方がおかしいと思う、その猫が普通だった場合だけど、確かに目で見るのは大切だ、でも目で見たところで何も変わらないことがあり時間の無駄になってしまう、だから僕たちは理論で考え何事も決める、理論上可能でもできないことはもちろんあるがな
  

なら君たちはなんと考える?見ているのだろう、ぼくからしたら君たちが世界になってしまうわけだ、君たちは何を見て何を考える?何を観測しているのかな?それは世界の全容だ、この物語の全容を把握しているだろう?それと同じことをいってるのさ、世界に意識はないだろう?意識なんてなくてもいい、ただ見てるだけでいいのだから、認識はしなくてもいいんだ、存在を見てくれればいい、それだけで世界は観測者となりうる、いわばシステムだ


だって君たちからしたら僕は何をいってるのか意味不明だろうね、これは僕の一意見だからね、僕の価値観だよ、正確には僕の意見の一つだ、それは理解してほしい、それすら理解できないようじゃそっちの世界でもあれだと思うけどね

話が逸れてしまったな、では海とは全ての生命の源だろう?ならそれを置いているのは何だ?世界だろう、この世界の基盤には大地や海、空が存在しうる、太陽はなんだって?あれは宇宙のものだね、あれも一応観測という観点では地球という星を観測しているのだろう、ただやはり寿命というのは存在してしまう、もし、幾億年生きようとも自分ではなく世界に寿命が来ることもあるだろう、それは自然の摂理なんだ、しょうがないことだね、それに抗うのが人間だというのだろう、物理法則を利用し、理を破ろうとするんだ、時間は無限にある、そう無限に、でもそれは周りを構成する終わりというものが来なかったらの話、時間とは時間を感じさせるものができね初めて成立してしまうんだよ、なら運命とはなにか?僕は前にもいったようにあれは軌道をたどっている、人間には理解できないよ、これは人間には干渉できえない、だから運命は軌道をたどって最後には同じ道を辿る、何もかも同じ、それがこの世界線だ、違う世界線があるのだろうか?時間という概念はいくつも存在する、だから空想にも時間は存在してしまう、それは創造が生む時間創造でもあるのかもしれない、頭の中で考えるだけで世界は作られる、でもそれはみんなの世界ではない、何も他には何もない、成立する条件すら整っていない世界が何故か存在してしまう、それを頭の中で作れるのがすごいと思うんだ、その作れないのに作れるという他の部分は何が補っているのだろうね?

世界は不思議だ、何かが介入して初めて作られるものがある、その何者かが何かは知らないが、それは観測者でもあるのだろうね、これで僕の考察、いや、空想は終わりを告げる、これで僕の話は終わりにしよう、君の話を聞かせてくれるかい?君たちの世界はどんなだろうね?どんなものが周りにあるのか、人がいるのか、家族のこと、友達のこと、全てが同じとは限らないよ、何かがずれている可能性すらあるんだ、一定空間の時間がズレ、そしてわずかさ誤差が発生してる可能性すらもあり得るんだよ、だから僕たちはいつ死ぬんだろうか?と可能性はいくらでもあるんだ、ではさようならだ、また会おうじゃないか観測者たち
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