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届かない太陽
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誠司は朝の通学路を歩いていた。隣の華はそわそわしている。
「きちんと試験は受けてね」
「うん」
歩きながら会話する。彼らを自転車に乗った高校生が追い越して行く。大学生もちらほら歩いていて、試験期間でもくだらない話をしている。
「華くん、終わったらうちに顔出して」
「うん」
大学の塀が見えたあたりで誠司は立ち止まった。大学に入るために許可は必要ないが、入口に警備員がいて誠司はそれを避けている。
「ここまででいい?」
まだ開店していない個人商店の前で華も立ち止まる。少しだけ歩道が広いからだ。
「うん。何か子供みたいだね。――ね、ぎゅっとして」
誠司は仕方なく華を抱き寄せた。肩をぽんぽんと叩く。
「大丈夫。書いててもきちんと声かけてね」
「うん」
華はすぐに離れた。大学に行くだけでこう扱われたのは初めてで戸惑う。
それから「行ってきます」と大学へと歩き出す。やはり手首は少し痛い。
「華ちゃん、あの」
澪は午後一の試験終わりに声をかけてきた。教授会があるためこれ以後のテストは両学部ともにない。
「澪ちゃん」
華は無理に笑顔を作る。
「昨日はごめん。無神経だった」
「気にしないで。私も……話さなきゃ良かった」
「違う!」と澪は声を上げた。それからはっとして顔をしかめた。
「でも朝見たんだ。あの人、なの?」
朝と言われ試験に追われていた華はしばらくピンと来てなかったが、誠司のことを思い出してうなずい。
「うん。そう。昨日ちょっと色々話して」
「セイジさん? リョウさん?」
「誠司さんだよ。あのつまりえっと」
澪は苦笑いする。
「ごめん、ちょっと見えた。そのハグ? 素敵そうな人だね。なんかイメージと違ったかも」
澪はもっと生々しい人間をイメージしていた。しかしそこにいたのは少し青白い顔の細身の男性で、ぱっと見た感じ、男性の性的な威圧感がない。むしろ雰囲気が中性的だった。
「誰かに、誠司さん紹介したことないから分かんないけど」
華は曖昧に返す。
「つ、付き合ってるカップルに見えたよ。付き合ってみれば?」
澪は誤魔化すように言った。
「誠司さんはね、多分そういうの嫌だと思う」
華は詳しく返せなかったが、どうにか言い訳した。
「華――を、その人は利用してるだけだと思ったけど見て違う気がして、ごめん」
性的な関係は澪にとっては利用だと感じていた。とくに付き合っていないという関係は責任がないように思うのだ。しかし、朝ハグを求めたのは華のほうに見えた。澪には分からない。形のない愛を理解できずにいる。
「本当に大丈夫だから。夏休み、練習見に行っていい?」
そう華は話を切り替えた。
「もちろん! お盆以外は私出るし」
澪はにこりと笑う。華は嬉しかった。初めて溶け込める可能性が出たのだ。
他愛のない話をしばらくして、華は「帰らなきゃ」と言った。
「せっかくなら買い物でもいきたいのに」
澪は少し残念そうに言う。
「心配かけちゃったみたいだから、寄って帰る。それに来週も試験あるし。もし落単したらふたりに悪いから」
華はぼそりと言った。
「なんでふたりに悪いの?」
華は自分の言葉を反芻して焦る。
「私勉強好きくらいしか取り柄がないし」
早口で華がそう言ったあと、澪はぽかんとしていた。実際口を滑らせそうになったことはそれではない。華の学費は誠司と亮が負担していた。給付型の奨学金は生活費にしている。ふたりが止めるのでアルバイトもしていなかった。
華が大学に行きたいと思った一番の理由は出会ったころの大学生のふたりを見てだった。ただ、高校で疎外感のあった彼女は同じ話ができる人と話したくて大学に入りたかった。ただ資金を出す家族などおらず、いっそ手早く風俗に行けば一年くらいで稼げるのではないかと思ってそれをそのまま口にしたらふたりは大反対した。そのときふたりは「好きな人とそういうことはすべき」と力説したし、今の華の価値観はそれに拠るものだ。
「華ちゃん、勉強好きなんだ。偉いなぁ。でも華ちゃんの取り柄ってたくさんあると思うよ。私からしたらめちゃくちゃ可愛いし。それも取り柄だよ!」
澪はそうフォローした。
「ううん。私は可愛くないよ。ちょっと変なだけ」
華はそれなりに可愛らしい容姿をしていた。その未成熟さは男性より女性に好まれやすくはあるが、大概の人は可愛いと言うだろう。華はそれに無自覚だ。彼女にとって自分の容姿は変でそれを受け入れてくれる誠司と亮がいればそれで良かった。
「そんなことない!」
「澪ちゃんのほうが、何か大人の人って感じで、私羨ましいよ」
澪はその卑下に不満だったがふと違うことを考えた。
「大人っていえば、華ちゃん、そういえば誕生日いつ?」
「えっ、五月」
澪は嬉しそうに言う。
「ならもう二十歳だよね。私来週なんだ。誕生日きたらさ、お酒飲むの試しに手伝って」
華は困惑した。
「私も飲んだことないよ!」
澪は何となく怖くて成人するまで酒に手を出せなかった。大学生の慣例的なルール破りに加担していないのだ。華もまた飲酒経験はない。
「なら一緒に飲んでみようよ。私のアパートで!」
本当に何気ない大学生の会話のなかに華はいた。渋々了承するころには、ただの大人の世界に足を踏み入れてみたい大学生でしかなかった。
誠司はパソコンに向かっていたが、ダイニングに華がたどり着くころには手を止めた。相変わらずどことなく汚い自室から顔を出す。
「どうだった?」
「ただいま。試験は大丈夫!」
そう華は抱きついた。変わりない誠司がそこにいて、彼が待っていて嬉しい。反面寂しい。
「おかえり。良かった。亮が昼営業終わって残り物置いていったからお食べ」
「うん」
誠司は固形物が苦手なので賄いやフードロスになったものを亮が置いていく食事は華のためだった。華はこの気まぐれの夕食が好きだ。
「誠司さん、あのね」
「なに?」
「今度同級生と、お酒飲んでみる」
そう華は楽しげに言った。誠司はしばらく華を見つめて、
「そういや、二十歳だもんね。楽しんで」
と笑った。
「誠司さん飲んでるとこ見たことない。亮さんはあるのに」
亮は時折家でビールを飲む。夕飯をもらうとき華はそれを見ていた。
「僕は飲まない。飲めないじゃなくて飲まない」
誠司は少し意地を張った。
「じゃあ今度一緒に飲もう?」
そう華は言うと、誠司は
「飲まないよ」
と突っ返した。
誠司は『同級生』が友達になればいいと思ったが、思わぬ攻撃をされて内心大学生という未熟な生き物にヒヤヒヤした。誠司は実のところ四年間大学生はしたが、記憶にある人間関係は亮だけで、飲み会には無縁ではなかったが記憶にほとんどなく、いわゆる飲みサークルで楽しむ同級生などからはかなり遠い存在だった。
「友達、なれそう?」
そう誠司はふと聞いた。華は少し照れて言う。
「うん」
ぽんぽんと頭を撫でて誠司は華を可愛がった。いつまでも華のままでいて欲しいが、時間は止まらない。いつかすっかり大人になってしまう。そう思うと少し寂しい。
「愛してるよ、華くん」
そう漏らす。
誠司は思う。多分この言葉に自分は何か欠けていると。
「きちんと試験は受けてね」
「うん」
歩きながら会話する。彼らを自転車に乗った高校生が追い越して行く。大学生もちらほら歩いていて、試験期間でもくだらない話をしている。
「華くん、終わったらうちに顔出して」
「うん」
大学の塀が見えたあたりで誠司は立ち止まった。大学に入るために許可は必要ないが、入口に警備員がいて誠司はそれを避けている。
「ここまででいい?」
まだ開店していない個人商店の前で華も立ち止まる。少しだけ歩道が広いからだ。
「うん。何か子供みたいだね。――ね、ぎゅっとして」
誠司は仕方なく華を抱き寄せた。肩をぽんぽんと叩く。
「大丈夫。書いててもきちんと声かけてね」
「うん」
華はすぐに離れた。大学に行くだけでこう扱われたのは初めてで戸惑う。
それから「行ってきます」と大学へと歩き出す。やはり手首は少し痛い。
「華ちゃん、あの」
澪は午後一の試験終わりに声をかけてきた。教授会があるためこれ以後のテストは両学部ともにない。
「澪ちゃん」
華は無理に笑顔を作る。
「昨日はごめん。無神経だった」
「気にしないで。私も……話さなきゃ良かった」
「違う!」と澪は声を上げた。それからはっとして顔をしかめた。
「でも朝見たんだ。あの人、なの?」
朝と言われ試験に追われていた華はしばらくピンと来てなかったが、誠司のことを思い出してうなずい。
「うん。そう。昨日ちょっと色々話して」
「セイジさん? リョウさん?」
「誠司さんだよ。あのつまりえっと」
澪は苦笑いする。
「ごめん、ちょっと見えた。そのハグ? 素敵そうな人だね。なんかイメージと違ったかも」
澪はもっと生々しい人間をイメージしていた。しかしそこにいたのは少し青白い顔の細身の男性で、ぱっと見た感じ、男性の性的な威圧感がない。むしろ雰囲気が中性的だった。
「誰かに、誠司さん紹介したことないから分かんないけど」
華は曖昧に返す。
「つ、付き合ってるカップルに見えたよ。付き合ってみれば?」
澪は誤魔化すように言った。
「誠司さんはね、多分そういうの嫌だと思う」
華は詳しく返せなかったが、どうにか言い訳した。
「華――を、その人は利用してるだけだと思ったけど見て違う気がして、ごめん」
性的な関係は澪にとっては利用だと感じていた。とくに付き合っていないという関係は責任がないように思うのだ。しかし、朝ハグを求めたのは華のほうに見えた。澪には分からない。形のない愛を理解できずにいる。
「本当に大丈夫だから。夏休み、練習見に行っていい?」
そう華は話を切り替えた。
「もちろん! お盆以外は私出るし」
澪はにこりと笑う。華は嬉しかった。初めて溶け込める可能性が出たのだ。
他愛のない話をしばらくして、華は「帰らなきゃ」と言った。
「せっかくなら買い物でもいきたいのに」
澪は少し残念そうに言う。
「心配かけちゃったみたいだから、寄って帰る。それに来週も試験あるし。もし落単したらふたりに悪いから」
華はぼそりと言った。
「なんでふたりに悪いの?」
華は自分の言葉を反芻して焦る。
「私勉強好きくらいしか取り柄がないし」
早口で華がそう言ったあと、澪はぽかんとしていた。実際口を滑らせそうになったことはそれではない。華の学費は誠司と亮が負担していた。給付型の奨学金は生活費にしている。ふたりが止めるのでアルバイトもしていなかった。
華が大学に行きたいと思った一番の理由は出会ったころの大学生のふたりを見てだった。ただ、高校で疎外感のあった彼女は同じ話ができる人と話したくて大学に入りたかった。ただ資金を出す家族などおらず、いっそ手早く風俗に行けば一年くらいで稼げるのではないかと思ってそれをそのまま口にしたらふたりは大反対した。そのときふたりは「好きな人とそういうことはすべき」と力説したし、今の華の価値観はそれに拠るものだ。
「華ちゃん、勉強好きなんだ。偉いなぁ。でも華ちゃんの取り柄ってたくさんあると思うよ。私からしたらめちゃくちゃ可愛いし。それも取り柄だよ!」
澪はそうフォローした。
「ううん。私は可愛くないよ。ちょっと変なだけ」
華はそれなりに可愛らしい容姿をしていた。その未成熟さは男性より女性に好まれやすくはあるが、大概の人は可愛いと言うだろう。華はそれに無自覚だ。彼女にとって自分の容姿は変でそれを受け入れてくれる誠司と亮がいればそれで良かった。
「そんなことない!」
「澪ちゃんのほうが、何か大人の人って感じで、私羨ましいよ」
澪はその卑下に不満だったがふと違うことを考えた。
「大人っていえば、華ちゃん、そういえば誕生日いつ?」
「えっ、五月」
澪は嬉しそうに言う。
「ならもう二十歳だよね。私来週なんだ。誕生日きたらさ、お酒飲むの試しに手伝って」
華は困惑した。
「私も飲んだことないよ!」
澪は何となく怖くて成人するまで酒に手を出せなかった。大学生の慣例的なルール破りに加担していないのだ。華もまた飲酒経験はない。
「なら一緒に飲んでみようよ。私のアパートで!」
本当に何気ない大学生の会話のなかに華はいた。渋々了承するころには、ただの大人の世界に足を踏み入れてみたい大学生でしかなかった。
誠司はパソコンに向かっていたが、ダイニングに華がたどり着くころには手を止めた。相変わらずどことなく汚い自室から顔を出す。
「どうだった?」
「ただいま。試験は大丈夫!」
そう華は抱きついた。変わりない誠司がそこにいて、彼が待っていて嬉しい。反面寂しい。
「おかえり。良かった。亮が昼営業終わって残り物置いていったからお食べ」
「うん」
誠司は固形物が苦手なので賄いやフードロスになったものを亮が置いていく食事は華のためだった。華はこの気まぐれの夕食が好きだ。
「誠司さん、あのね」
「なに?」
「今度同級生と、お酒飲んでみる」
そう華は楽しげに言った。誠司はしばらく華を見つめて、
「そういや、二十歳だもんね。楽しんで」
と笑った。
「誠司さん飲んでるとこ見たことない。亮さんはあるのに」
亮は時折家でビールを飲む。夕飯をもらうとき華はそれを見ていた。
「僕は飲まない。飲めないじゃなくて飲まない」
誠司は少し意地を張った。
「じゃあ今度一緒に飲もう?」
そう華は言うと、誠司は
「飲まないよ」
と突っ返した。
誠司は『同級生』が友達になればいいと思ったが、思わぬ攻撃をされて内心大学生という未熟な生き物にヒヤヒヤした。誠司は実のところ四年間大学生はしたが、記憶にある人間関係は亮だけで、飲み会には無縁ではなかったが記憶にほとんどなく、いわゆる飲みサークルで楽しむ同級生などからはかなり遠い存在だった。
「友達、なれそう?」
そう誠司はふと聞いた。華は少し照れて言う。
「うん」
ぽんぽんと頭を撫でて誠司は華を可愛がった。いつまでも華のままでいて欲しいが、時間は止まらない。いつかすっかり大人になってしまう。そう思うと少し寂しい。
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