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第三十七話『宿屋にて』

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「おう! ここだここだ。この宿屋なら馬車も見てくれるから安心だぞ」

 ひとしきり帝都を見て回り陽も沈み始めたので、今日の宿を探そうという話になった。
 そこでクーガーが顔なじみだという宿屋を案内してくれると言ってくれたので、俺達はその場所まで案内してもらう。
 目の前に見える宿屋は最高級という感じではないものの、外観は綺麗にしてあり、清潔な印象だ。
 三階建ての建物の隣には馬車を停めておく場所も確保されており、馬車を監視している人間がいるのが見える。

「助かるよ、俺達は帝都に来るのが初めてだから、どこに何があるのかも分からないからな」
「なに、気にすることはないさ」

 そう言ってクーガーは片手を上げてヒラヒラさせた。
 馬車を下りた俺達は馬車を監視している人間に馬車を任せ、宿屋の入口の前で靴に付いた泥を軽く落としてから、店内に入る。
 店内は窓が多い為か、思っていたよりも明るい。
 室内を見渡すとかなり広いようだ。
 どうやら一階は酒場になっているようで、奥にはカウンターが見える。
 カウンターの後ろには三段ほどの棚が備え付けてあり、数十本の酒瓶が並んでいた。
 酒場の右側に二階へ続く階段がある。
 恐らく二階と三階が宿屋の役割を果たしているんだろうな。

 酒場には四角いテーブルがいくつもあり、客の姿がちらほらと見られる。
 多くは冒険者に見える格好をしているが、男性ばかりというわけではなく、女性の姿もあった。
 入ってきた俺達にいくつもの視線が向けられている。
 そこには敵意や悪意と言ったものは全く感じられないのだが、興味に満ちた視線であることは感じ取れた。
 視線の先を辿って見ると、男性の視線の先はエルザやアニエス、女性の視線の先は何故か俺のようだ。
 何か興味を引くものでも持っていただろうか、と俺はエルザの方に顔を向ける。
 すると、エルザはいきなり俺の腕に抱きついてきた。
 近づいたことで女の子特有の甘い香りがする。

「ちょ!? エルザっ、一体何を!?」
「……何となくよっ! 悪い?」
「いや、悪くはないんだが……」
「ならいいでしょ」

 エルザは俺から離れようとしない。
 一体どうしたというんだ……。
 エルリックに助けを求めようとするが、エルリックの表情は苦笑混じりだ。
 と、クーガーが大声で笑い出す。

「ハッハッハ! エルザの嬢ちゃんはな、女の視線を集めてるカーマインが他の女に取られやしないか心配なのさ」
「へっ?」
「ちょっと! クーガー、余計な事は言わないでよっ!」
「っと、悪い悪い。何とも微笑ましくてな」
「もぅっ」

 クーガーの言葉にエルザはプリプリ怒っているように見えるが、それは恥ずかしさを紛らわせているようにも見える。
 
 確かに何故か女性の視線は俺に集中してるようだが、それで何でエルザが心配するんだ?
 思わず首を傾げる俺に、エルリックが溜息混じりに口を挟む。

「クーガー。カーマインは女性と接する機会が殆どなくてね。困ったことに女性に対して超がつくほど鈍感なんだ」
「おいおい、マジか?」
「あぁ。多分クーガーが今言った事も殆ど理解できていないと思うよ。……困った弟さ」
「お前さんも色々と苦労してるみたいだな」
「分かってくれるかい!」

 クーガーとエルリックがガシっと手を取り合って意気投合しているようだが、サッパリ訳が分からない。
 そんな二人を眺めていた俺だったが、不意に反対側の腕に柔らかい感触が。
 視線を向けるとアニエスがエルザと同じように抱きついていた。
 アニエスっ! お前もか!?
 驚きのあまり声が出ない俺に対してアニエスが、「……エルザがするなら私もする」と言いながら、更にギュっと腕に力を込める。
 アニエスからもエルザとはまた違った良い匂いが。

「ちょっと、アニエス!? 貴女までしなくていいのよっ。離しなさい!」
「……ヤダ」
「ヤダって……」
「……エルザが離したら私も離す」
「ぐっ!?」

 そう言われたエルザは引くに引けないのか、俺の腕に抱きついたまま離れようとしない。
 当然アニエスも同じように離れようとしない。
 いつの間にかリルまで俺の肩に乗って離れようとしないし、それを見たクーガーとエルリックは何故か腹を抱えて笑い出す始末。
 俺達に視線を向けていた男性も女性も、生暖かい視線に変わっていた。
 何なんだこれは……。

 このままでは埒があかないので、俺は仕方なく二人に抱きつかれたままで、奥のカウンターに座っている宿屋の主人であろう男性に近づく。
 四十代後半くらいに見える男性の金髪は所々に白髪が混じっているが、短髪で揃えられていた。
 清潔感溢れる前掛けをした男性の表情は朗らかな笑みを浮かべているものの、視線は周囲と同様に生暖かいように感じる。
 
「いらっしゃい。酒場の利用かい? それとも宿泊かな?」

 優しそうな声色で話しかけてきた男性に俺は手を上げて答えようとするが、両腕ともに塞がっている為どうすることも出来ない。
 と、クーガーが笑いを堪えつつ、助け舟を出してくれた。

「よう、ジャン。酒場も利用するが宿も頼む。一泊でな」
「クーガーじゃないか! 久しぶりだなぁ。お前さんがパーティーを組むなんて珍しいんじゃないか?」
「あ~、ちょいと縁があってな。三人部屋と二人部屋がいいんだが空いてるかい?」
「三人部屋と二人部屋か……ちょうど空きがあるから大丈夫だ。一泊でいいんだな?」
「あぁ、それで頼む。っと、馬車も停めさせてもらってるからそれ込みで頼む」

 そう言ってクーガーは男性に代金を支払う。

「確かに。それじゃこいつが部屋のカギだ。二階に上がって右側の一番奥の二部屋だから、間違えないようにな」
「おぅ。ほれエルザ。こっちがお前とアニエスが寝る部屋用のカギだ」

 クーガーが男性から二本のカギを受け取ると、そのうちの一本をエルザに投げ渡す。

「ちょっ! 投げないでよっ」

 エルザが投げ渡されたカギを慌てて両手で受け取ったおかげで、俺の片方の手が自由になった。

「全くもう……。あ! アニエス、私が離れたんだから貴女もカーマインから離れなさい!」
「……名残惜しいけど、分かった」

 そう言ってアニエスが俺の腕から手を離す。
 助かった……。
 ようやく両手が自由になった俺は軽く背伸びをして、クーガーに向き直る。

「クーガー、宿代は後で払うよ」
「なぁに、助けてもらった礼だと思えばいいさ。気にすんな」

 クーガーはニッっと笑って軽く手を振ると、そのまま二階へ上がっていく。
 俺達はその後に続いて階段を上がる。



 荷物を部屋に置いた俺達は一階の酒場で少し早めの夕食を摂った。
 クーガーが勧めてくれた宿屋だけあって、出されたものはどれも美味しそうだ。
 焼きたてのパンに、焼き目のついた分厚い肉にはソースがかけられ、強烈な食欲を誘う。
 同じ皿には付け合わせのコーンと野菜が添えられていた。
 実際に食べてみるとどれも見た目通りの美味さだ。

 一緒に出された麦酒に目をやる。
 グラスを手にとって一口飲むと爽やかな麦の香りが鼻腔いっぱいに広がるのが分かる。
 よく冷えており喉越しも良い。

「くぅ~! やっぱり疲れた時は冷えた麦酒にかぎるな!!」
「クーガー、言い方が何かおっさんみたいだぞ?」
「あぁん? いいんだよ、俺はおっさんなんだからな。お前らも飲める時に飲んどけよ。ジャン! おかわりだっ」
「あいよっ」

 クーガーは宿屋の主人が持ってきた麦酒を受け取り、ゴクゴクと飲んでいく。
 どうやらかなりの酒豪のようだ。
 エルザとアニエスは酒じゃなく果実を絞ったものを飲ませている。
 アニエスはどうか分からないが、エルザの方は帝都に来て初日で酔わせる訳にはいかないからな……。
 
 飲んでる最中に【栄光ある五色の将】の話題があがったので、他にどんな人物がいるのかクーガーに尋ねてみた。

「【栄光ある五色の将】か……確かイライザにはネイラーン砦で会ったんだったな?」
「あぁ。五色って言うくらいだから後四人いるんだろ?」
「そうだ。他は赤のカイン・アストレア、青のギリアム・ベルンハルト、緑のウェイン・ライオネル。そして最後の一人が……」
「最後の一人が?」
「黒のディートリヒ・フォン・グリフィンシェルだ」
「……グリフィンシェル? まさか……!?」

 俺達が驚きで目を見開くと、クーガーはニヤリと口の端を上げてみせた。

「そう。現皇帝陛下が【栄光ある五色の将】の一人ってわけだ。言っとくが皇帝だからって只の飾りって訳じゃないぞ? 五人の中じゃ一番強いって話だ。【栄光ある五色の将】を束ねるペンタクルナイツ・マスターとも黒の皇帝とも呼ばれてる」

 ……帝国の頂点に立つ皇帝が帝国で一番強いとか、何というか反則だな。
 だが、国を背負って立つ者が一番強いというのは、ある意味理にかなっているか。
 城の玉座でふんぞり返ってただ指示を出すだけの王と、何事も先陣をきって進んでいく王とでは、後者の方が指導力カリスマがあると思われるだろう。

 ――確か武闘大会に優勝したら謁見出来るんだったな。
 クーガーの話を聞きながら、俺は冷えた麦酒を片手にそんな事を考えるのだった。
 
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