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第十五話『侵入者 後編』

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「ヴゥウウウウウウウウウッ!」

 ――ミノタウロス。
 オーガのような【咆哮】こそ使用しないものの、その叫び声は熟練度の低い者が聞けば、恐慌状態に陥り、戦意を喪失させる。
 暗がりの森の中、唯一点赤黒くそびえ立ち、己の存在を主張する肉質的な巨躯は、オーガ以上に全身凶器と化す。
 
 オーガが銀等級冒険者にとって壁となる存在の魔物だとすれば、ミノタウロスは金等級冒険者にとって壁となる存在の魔物と言えるだろう。

「ヴゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
 ――来るッ!

 狂暴な雄叫びを発し、ミノタウロスが俺達目掛けて思い切り地を蹴りつけ、恐ろしい速度で間合いを詰める。
 想定外の速さに誰一人反応出来ていない。誰も動けていない。
 この位置だと、――エルリックが危ないッ

「兄さんっ!」

 エルリックは俺の声に反応したのか、咄嗟に剣を構えようとした。
 俺も何とかエルリックの前に出ようとするが、ミノタウロスの方が早い。
 間に合わない。
 あっという間に眼前に迫ったミノタウロスが、その巨大な両刃斧をエルリック目掛けて、横凪に振り回した。

「――ぐっ!?」
「――ぁ!?」

 俺の目の前でエルリックとエルザの身体が転がっていく。
 五回転、六回転とグルグル転がり、十メートル以上弾き飛ばされたところで、二人とも地面に倒れこむ。
 二人とも顔を歪め、小さく呻いている。
 地面に投げ出された衝撃か、頭から血を流してはいるが、致命傷には至っていないようだ。
 エルリックが剣を構えようとしたおかげだろう。
 しかし、そのせいで両刃斧をモロに受けた剣を握っていた右腕は、あらぬ方向に曲がってしまっていた。

 息をしていることにホッとしたのも束の間。
 まだ動けずにいる二人に迫り寄るミノタウロスを見て、俺は即座に地面を蹴る。
 ミノタウロスの側面まで近づき、思い切り剣を振り下ろすが、両刃斧によっていとも簡単に弾かれる。

「くっ!」

 瞬間、凶悪な牛面が眼前に迫る――!

「ヴゥゥン!」
「ッッッ!」

 飛びかかって振り下ろされた両刃斧の一撃を、俺は地を蹴り込んで右方に避ける。
 ミノタウロスの渾身の一撃を被った地面は、そこに生えていた草花など関係なく、見事なまでに抉られていた。
 眼前に出来上がった地割れに思わず汗が噴き出る。
 距離を取りたいところだが、ここだとまだ二人に近い。

「ヴヴゥゥゥアアアアアアアアアッ!」

 狂牛の強靭な下腿が地面を踏みしめる。
 蹴り込んだ瞬間、一気に間合いを詰められた。
 驚愕に目を見開いている俺に対して、ミノタウロスは両刃斧を思い切りフルスイングさせる。
 風が悲鳴をあげて近づいてくるが、俺は全力で後方へ退き、その恐ろしい一撃をやり過ごす。
 両刃斧が凄まじい勢いで、先程まで俺がいたところを通過する。
 あれをまともに受けていれば、二人と同じ状況に陥っていただろう。
 
「ヴウォオオオオ!」
「ちぃッ!」

 ミノタウロスは再度同じように距離を詰めようと、地面を蹴りつけた。
 一瞬で間合いが零になる。
 何者も粉砕する凄まじい怪力をもって、振り回される両刃斧は待機を震わせ、地面を抉りとる。
 間髪入れずに怒涛の猛攻が繰り出される。
 その一撃一撃が必殺。
 直撃すれば即致命傷という状況に、全て避けているにもかかわらず、俺の呼吸は次第に荒くなる。
 攻撃を避け続けたせいか、気がつくと俺の身体は擦り傷だらけになっていた――。



 ――後少しで!
 ミノタウロスと倒れている二人との距離はかなり開いていた。
 これなら二人に回復魔法をかける時間が取れるかもしれない。
 もう何度目になったか分からない狂牛の一撃に、満身創痍の身体に鞭打って一歩踏み出す。
 スレスレのところで両刃斧を避け、勢いそのままに一気に二人の傍へ行く。
 
 二人を確認するが、間近で見るとかなり酷い状態だ。
 このままではどれだけ時間をかけても自力で動くことは難しいだろう。
 【生命癒術】を掛ければ、戦線に復帰出来なくはないだろうが、常時【英雄領域】を発動している俺ですら、この有様だ。
 二人では戦力差がありすぎる。
 ミノタウロスの攻撃を避けることが出来ればいいが、直撃せずとも武器に当たっただけでダメージを受けるのだ。
 戦うのであれば、俺一人でやるしかない。

「ォォオオオオオオオオオオオオ!」

 眼前で吠えるミノタウロスに自然と手が震える。
 正直に言ってしまえば怖い。怖くて堪らない。
 一人であれば逃げ出していたかもしれないし、きっと逃げていただろう。

 だが、今この場にはエルザとエルリックがいる。逃げたことで二人を死なせるのは――――俺の心が許さないっ!
 と、そこに辛うじて意識を取り戻したエルザが呟く。

「カー……マイ、ン」
「――エルザ、ここは俺に任せろ。お前は兄さんとファラと一緒に後ろに下がっているんだ」

 俺自身と二人に【生命癒術】をかける。
 負っていた傷がみるみる内に消え去り、完全に回復していく。
 その様子を見た狂牛は、目を大きく見開いた。
 
「カーマイン、私達だってまだ戦えるわっ!」
「ああ、まだやれる!」
「駄目だ。――奴の攻撃は掠っただけでもかなりのダメージを受ける。
 それは喰らった二人が一番良く分かってるはずだ」
「そ、それはそうだけど……」
「だからと言って、カーマインだけに任せる訳にはっ」
「……頼む。ここは俺に任せてほしい。――それに、目の前のミノタウロス程度も倒せないようじゃ、リルを助けるなんて出来るはずがない」
「カーマイン、貴方……」
「だから、下がれ。早く下がるんだっ!!」

 俺の叫びに気圧されたかのように、二人はファラと一緒に後方へ下がる。
 俺は二人とファラが下がったことに軽く息を吐き、そしてミノタウロスに目をやる。 

 そうだ。目の前にある、この程度の障害を乗り越えられない男が、俺の夢・・・を叶えるなど、出来るはずがない!
 でなければ、王族という身分を、名前を捨ててまで城を出た意味などないではないか。
 カーマインよ、覚悟を決めろ! 目の前の狂牛を倒すのだ。
 さぁ! 敵を倒して道を切り開け!!

「おおあああぁぁァッ!」

 腹の底から叫んで剣を構え、眼前の狂牛を睨みつける。
 ミノタウロスはその双眸を見開き、そして獰猛な笑みを浮かべた。



 【英雄領域】だけでは奴に致命傷を与えることは出来ない。
 【生命癒術】で瞬時に回復出来るとはいえ、魔力量にも限りはある。
 となると、俺に出来ることはただ一つ――。
 ……新たな能力を使うしかない。

 俺はこれまでの冒険で、七つの能力の内、四つ使用している。
 【英雄領域】と【生命癒術】、【光の加護】、それに能力名は言っていないがドミニクの時に使用した【真実の瞳トゥルー・アイ】。
 【真実の瞳】の効果については、他人が真実を言っているかどうか、嘘を吐いていないかどうかが一目で分かる。
 真実を言っていれば相手の身体全体が緑色のオーラで包まれ、反対に嘘を言っていれば赤色のオーラで包まれるというように俺の目に映る。
 戦闘向きではないが真偽を見抜くことが出来るという点で、この能力はかなり有用だ。

 今但し、この四つの能力では眼前のミノタウロスに、致命傷を与えることは出来ない。
 五つ目の能力を使う必要があるのだが……。

 五つ目の能力を使用する事で、恐らく奴を倒すことは出来る。
 それだけの力がある能力なのだが、故に他の能力に比べて、使用後の反動が凄まじい。
 今の俺の熟練度では、使用後は暫く動くことすらままならない状態になってしまうだろう。
 ……反動が大きい? 動くことすらままならない?
「――ふふっ」

「ヴォ?」

 どうやら俺は気づかぬうちに、自然と笑っていたらしい。
 それを目にしたミノタウロスは、首を傾げる仕草を見せた。
 一体何がおかしくて笑ってしまったのか? ――答えは簡単だ。
 俺は冒険者になったと言いながら、その実、冒険していなかった。
 これまでのゴブリン討伐にしろ、護衛任務にしろ、今の戦闘にしろ、俺はここまでなら大丈夫だというリスクの低い範囲でしか力を使用していない。
 全てを捨てる覚悟で城を出たつもりが、覚悟を決めていなかったのだ。

 ――俺はバカか! 今の俺はスレイン公国第三王子カイル・フォン・スレインなどではない。
 唯の一人の冒険者、カーマインだ。
 冒険者が冒険しないでどうするというのだッ!
 目をカッと見開き、眼前に対峙するミノタウロスを睨みながら、俺は第五の能力を口にする。

「行くぞ! 『限界突破リミット・オーバー!!』」
 
 叫ぶと同時に俺はミノタウロスに向かい、スタートを切る。
 その速度は【英雄領域】の比ではない。

「――――!?」
「うおおおおおおおおおおっ!」

 あまりの速さにミノタウロスの対処が遅れる。
 勢いそのままにミスリルの剣を握った右手を突き出す。
 狂牛は目の色を変えて、両刃斧で防御しようとする。
 今しかないッ!
 俺は両刃斧に触れる直前で方向転換をし、ミノタウロスの側面につく。
 狂牛は信じられないものを見たと言わんばかりに、目一杯に双眸を見開いているが既に遅い。

「喰らえええええええええええええええええッ!!」
「グヴウゥッ!?」

 防御しようと両刃斧を正面に構えた為に無防備になっている脇腹に、思い切り剣を振り払う。
 ズパッ、とミスリルの美しい刃が狂牛の脇腹に吸い込まれ、肉も骨も断ち切る。
 周囲に飛び散る血飛沫とともに、苦悶の鳴き声を上げるミノタウロス。

「グヴォオオオオオオオオオオッ!?」

 ここで初めてミノタウロスが後ろへ退避するが、最大の好機を逃すわけにはいかない。
 俺は自身の下腿に力を入れて、その場を踏みつける。
 その俺に反応して、ミノタウロスは目を真っ赤にしつつも力を振り絞り、出血する胴などお構いなしに、両刃斧を俺目掛けて振り下ろす。
 しかし、その一撃ですら俺を捉えることは出来ない。
 地面に突き刺さる両刃斧をすり抜け、俺はトドメとばかりにミノタウロスの心臓目掛けて、渾身の刺突を繰り出す。
 ミスリルの剣は天然の鎧と化した、巨躯の肉体を貫き、そして生命の動力源である心臓を貫通する。

「おおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
「ヴオォッ!? ガハァッッ……!? グッッ……ヴゥ……ォォォォォッ!?」

 ――暴虐の塊であった狂牛は、その動きを完全に止めた。
 剣を引き抜くと、ミノタウロスの巨躯はぐらりとその場に崩れ落ちる。
 その肉体からとめどなく溢れる血。

「ぐぅぅぅッ!?」
 ……【限界突破】の反動が始まったようだ。
 全身から力が抜け落ち、身体中の筋肉という筋肉が悲鳴を上げている。
 その場に崩れ落ちそうになるが、地面に剣を突き立て必死に堪える。
 遠くからエルザとエルリック、それにファラが叫びながら近づいているようだ。
 分かりづらいが目に涙を浮かべているようにも見える。

 俺の意識が保てたのはそこまでだった――。

 
 
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