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勝った!と思ったときが一番危ない

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 バルキエル。
 善人よしとの前に現れた魔物の名である。

 レベル90の善人の攻撃にも耐え、鍛え抜かれた善人を吹き飛ばすほどの、異形の化け物。

 それを現実に目の当たりにして、膝を屈する者を責めることが、誰にできるだろうか。

 強靭な肉体や長い寿命を持つ魔物や魔族、亜人に比べれば、人間はあまりにもひ弱な生き物だ。

 それは、善人とともに戦ってきたバッツたちも同様である。

 善人に向かって魔物の無慈悲な一撃が振り下ろされているというのに、彼らはただ悲痛な叫び声を上げるのみで、一歩も動けないでいた。

 だが、善人は違う。
 彼の根底にあるのは「みんなを守れる存在になる」、この一点だ。

 異世界ベルガストに召喚された今でも、その考えは変わっていない。
 いや、むしろ地球にいた頃よりも想いは強くなっているほどだ。

 みんなを守れる存在になるために今まで頑張ってきた。
 目の前の魔物が強いことは既に分かっている。

 だが、それがなんだというのだ。
 己の夢の妨げになるというのであれば、取り除けばいい。

「はああああっ!!」

 善人は、気合とともに『英雄の剣』を振るう。
 魔物の攻撃を防ぐことに成功する。

 即座に後退し、魔物と距離を置く。

 重く、そして硬い。

 全力で振り抜いたというのに、善人の一撃は魔物の腕を押し戻すことしかできておらず、小さな傷が一つだけ。

「一度ならず二度までも俺に傷をつけるとは……」

 魔物は大きな口を開くと、善人たちが体を震わせるほどの咆哮を放つ。
 それは、恐るべき殺人予告のように聞こえた。
 翼を広げ、善人に襲い掛かった。

 これほど強い魔物と戦ったのは、善人も初めてのことだった。

 もし倒すとすれば――いや、今の自分でこの魔物を倒すことができるのか。
 『英雄の剣』でもほんの僅かな傷しか与えていないというのに。

 だが、目の前の魔物は考える時間など与えてはくれない。

 善人は一瞬で間合いを詰めてきた魔物に向けて、『英雄の剣』を前に出す。

 こんなところで、僕は死んでしまうのか?
 せっかくレベル90まで上がって、これから魔王城へ向かおうというときに。
 
 ――そうだ。
 こんなところで死ぬわけにはいかない。

 僕は魔王を倒すんだ。
 魔王を倒して、ベルガストの人々が心から安心して生きていける日々を取り戻す。
 そのために、今まで頑張ってきたんじゃないか。

 でも……今は、それよりも――。

 善人は後ろへ立ちすくむ仲間たちを見つめた。
 僕が死んだら、次はきっとみんなの番だ。

 ……そんなことは絶対にさせない!

 善人は『英雄の剣』を構える。

「僕が時間を稼ぐから、その間にみんなは出口を探すんだ!」

「ヨシト!」

「なにを言ってるんだい!」

「私たちも戦いますっ」

「駄目だ!」

 善人と仲間たちのレベルには差がある。
 魔物の攻撃をまともに食らえば、たった一撃でも致命傷になりかねない。

「早く行くんだ!」

 善人が叫ぶ。
 彼が仲間に対して大声を出すことは今までなかった。

「……くっ、死ぬんじゃねーぞ!」

 バッツたちは後ろを振り向き、その場を離れようとした。

「一人たりとも逃がさんぞ」

 魔物が背を向けたバッツたちへ意識を向ける。

「させるかっ!!」

 善人が魔物に向かっていき、『英雄の剣』で攻撃する。
 先ほどまでと違い、溜めの小さい振りだ。
 その代わり、手数が多い。

 善人の攻撃が次々と魔物の体に命中する。
 当然だが、だが魔物にダメージを与えることはできない。

「ええい、うっとおしいわ!」

 魔物の腕が善人に迫る。
 その攻撃を躱すと、また連続攻撃を再開した。
 そうして、魔物の意識が自分に向くように仕向ける。

「いいだろう、奴らは後回しだ。まずは貴様から始末してくれるッ!!」

 狙い通り、魔物の意識は完全に善人へ向けられた。

「!?」

 次の瞬間、魔物の尻尾が背後に回り込んで襲ってきた。
 それを振り向きざまに『英雄の剣』で弾く。

 そして、後ろへ飛んで距離を稼ごうとした。
 魔物はすかさず追いかけて、腕と尻尾で怒涛の連撃を仕掛けてくる。

 善人は魔物の攻撃を『英雄の剣』ですべて叩き返してみせるが、あまりに速い攻撃の前に、防戦一方だ。

 善人が魔物に攻撃したスピードも十分速かったが、魔物のそれはさらに速く、重い。

 息つく間もなく繰り出される魔物の攻撃が善人の防御を叩き、ついに善人の体勢がぐらりと乱れた。

 マズい!
 
 善人がそう思うよりも早く、魔物は攻撃を繰り出していた。

「死ねえええ!」

 魔物は勝利を確信し、善人の胸を貫くべく、太く強靭な腕を突き出した。

 そう、確かに突いたはずだった。

「な……」

 魔物の腕に、手応えはない。

「……貴様、何者だ」

 魔物の腕は、2本の角を生やした、淡い紫色の髪の男の手に掴まれていた。

 助けられた善人も、心の中で「誰だ?」と思っていた。

 見覚えがないのだ。
 角が生えている時点で人間ではない。
 ベルガストで角が生えている種族は魔族か亜人のどちらかだと、アシュタルテ様から教わっている。

 そして、彼は魔族や亜人を実際に見たことがない。
 今、初めて目の当たりにしているのだ。

「……ふん、我を知らんとは愚かな」

 男はまるで「やれやれ」と言わんばかりに、頭を振った。

 魔物は男を視界に収め考える。

 どうやってここに現れた?
 
 少なくとも正規のルート――転移門を通ってきたわけではないことは確かだが……。

 いや、誰であろうと構うものか。

 俺が守護するこの場所に侵入してきた以上、すべて排除するのみ。

「聖域に足を踏み入れたからには、貴様も生かして帰すわけにはいかん」

「ほう? ならばどうする?」

「もちろん……死んでもらう!!」

 尻尾がムチのようにしなり、鉤状の先端が男に襲い掛かる。
 掴まれていた腕の感触が無くなった次の瞬間。

「な……ッ!?」

 気づけば、男の姿は消えていた。

「どこを見ている」

 背後から男の声が聞こえる。
 魔物の肩が震えた。

 この俺が見えなかっただと。

 魔物は動揺を隠すように、勢いよく強靭な腕を振りながら後ろを向く。

 しかし、そこにいるはずの男の姿はなかった。

 背筋がぞくりとする。
 魔物は己の直感を信じ、振り返ると同時に両腕を交差させて防御した。

 バキィッッ!! 
 凄まじい衝撃音とともに、魔物は吹き飛ばされた。
 ふらふらとよろめきながら、魔物が立ち上がる。

 男は濃い金色の瞳を細めて言う。

「どうした、生かして帰すわけにはいかんのだろう?」

「ぐぅッ……お、おのれェ!!」

 苦痛を漏らす魔物の姿に、善人は驚きを隠せない。
 自分があれほど苦戦した魔物が、まるで赤子扱いだ。
 これほどの力を持つこの男は、いったい……。

「いいだろう。貴様は強い、それは認めてやる」

 魔物は覚悟を決める。

 悔しいが、目の前の男は力も速さも自分より上だ。
 たった一度の攻撃で、足がふらつくほどのダメージを受けてしまった。

 だが、耐えられないというわけではない。
 勝機はそこにある、と魔物は考えていた。

 こちらの攻撃さえ当てることができれば……必ず勝てる。

 男の攻撃を敢えて受ける。
 その瞬間こそが、男に渾身の一撃をぶつけるチャンスだ。

 たった一撃でいい。
 そうすれば俺の勝ちだ。

 そのためには敢えて隙を見せる。
 奴が攻撃をしやすいように。

「ガアアアァッ!!」

 魔物は怒り狂ったふりをして、大振りの一撃を男に繰り出した。
 攻撃は当たることなく、男の姿が忽然と消えた。

 次の瞬間、魔物の腹部に男の拳がめり込む。

 ドスッ! と、重い音がしたが、魔物は吹き飛ばされることなく、その場で耐える。

「捕まえたぞ」

 魔物の左手が、男の右手を掴む。
 これでちょこまかと逃げられる心配はなくなった。

 勝った!

 魔物は勝利を確信した。

 盛り上がった強靭な右腕に力を込め、男の頭目掛けて振り抜いた。

 この距離だ、頭は吹き飛ぶだろう。
 そう思っていた。

「は……?」

 魔物は呆然とした。
 攻撃は男の頭に当たったのだ。
 右手には確かな手応えも感じた。

 それなのに……。

「これで貴様の全力か?」

 男の頭は吹き飛ぶどころか、綺麗なままだ。
 煌々と輝く金の瞳が、魔物を捉えている。

 この瞬間、魔物は理解した。

 目の前の男は、自分よりも遥かに上の存在なのだと。

 いつの間にか、男の左手には漆黒の剣が握られていた。
 そして、魔物に男の剣が迫る。

 吸い込まれるように近づいていき……そのまま魔物の体を深々と貫いた。

「申し訳、ございません……アマルディアナ、様……」

 その言葉を最後に、魔物は消滅した。
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