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従わない相手に慈悲は必要ありません

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  次の瞬間。

 ユーグの両手は膨大な魔力で覆われた。
 そのまま、自分の体の前で両手を組む。

 ユーグの顔をした人物は周囲に向けると、小さくため息を吐いた。

「なるほど。これが貴方の答えというわけですね」

「……そういうことだ」

 ユーグの顔をした人物の周囲には、光り輝く格子で覆われていた。
 
 ユーグの魔力によって創り出された拘束具だ。

 魔王の弟にかけた呪いを解く方法を、ユーグは確かに知っている。
 
 だが、それを教えることはできない、できるはずがない。

 邪神の復活は、リブルグランツに生きるすべての亜人たちにとっての悲願である。

 いかに目の前の敵が得体のしれない力を持つ相手だろうとも、自分の命が大事だからと教えることはしない。

 かといって、一戦も交えることなく逃げるわけにもいかない。

 それは己の魔力に絶対の自信を持っているユーグにとって、許されることではなかった。

 力量の読めない相手に対してどうすればよいか、答えは一つしかない。

 つまり、やられる前にやれ、である。

 通常、魔法の威力や強度は注いだ魔力の量に比例する。
 創り出した拘束具も同様だ。

 ユーグの魔力量の3分の1を注ぎ込んでいる。

 7つの種族の代表者だろうと、破ることは容易ではない。
 例え相手が魔王であっても通用するだろう。

 ユーグは目の前の人物をそれほどの脅威だと認識していた。

 だが――。

「なっ……!」

 ユーグの顔をした人物が格子に触れると、一瞬にして粒子となって消えた。

「残念ですが、私には無意味です」

「バカなッ!?」

 ユーグは驚愕する。

 触れただけで消し去るだとっ!?
 いったいどんな手を使ったというのだ!

 魔力によるものではない。
 もし、魔力を使ったのであればユーグが気づかないはずがないのだ。

 では、力づくで抜け出したかと言われると、それも考えにくい。

 奴は手で触れただけだ、そっと優しく。

 意味が分からない。
 自分が持っている知識にはない、何かによって破られたのだ。
 
 それだけは辛うじて理解することができた。

 ユーグは直ぐに意識を切り替えた。

 拘束を解いたからといって、状況が不利になったわけではない。
 そう、負けたわけではないのだ。

 ユーグは両脚に魔力を込めて前傾姿勢をとると、一気に走り出した。

 その手には、いつの間にか白刃の剣が握られている。

 異様な速さで接近するユーグは、まるで背中に羽が生えているかのようだった。

 目の前の侵入者はユーグの速さに反応できていないのか、構えることなく、ただその場に立っているだけだ。

 ユーグの剣が相手の胸を貫く。

 繰り出した一撃はあまりにも強力だった。
 ユーグの顔をした人物の体は血飛沫をまき散らしながら扉を破壊し、廊下まで吹き飛ばされ、そして壁に激突した。

「こんなものか……?」

 ユーグは首を傾げる。
 
 相対した時からずっと、得体のしれない何かを感じていた。
 底が見えない相手に恐れを抱いていたのだ。

 だからこそ、ユーグの持つ全力で攻撃を仕掛けた。
 結果は瞬殺。

 正直、拍子抜けもいいところだ。

 なぜ魔王の弟の呪いを解こうとしたのか、いったい何者なのかは知ることはできなかったが、まあいい。

 ユーグと同じ顔をしていたのは魔法によるものだろう。
 ということは、死ねば魔法は解けて元の姿になっているはずだ。

 どんな顔をしているか見てやろう。

 そう考えたユーグは剣を収めると、廊下に向かって歩き出した。

 しかし、廊下に出た瞬間。

 そこにはユーグと同じ顔をした人物ではなく、純白のドレスを身に纏う1人の美しい少女がいた。

「ッ……!? 貴様、何者だ」

 ユーグは剣を構えた。

「私は二階堂エリカと申します」

「ニカイドウ……エリカ……? まさか、女神どもが召喚した勇者か? いや、待てよ……」

 女神が異世界から勇者となる者を召喚しているのは知っていた。

 だが、内通者の情報では召喚されたのは3人で、3人とも男だと聞いている。

 目の前の『ニカイドウエリカ』と名乗る少女は、どう見ても男には見えない。

 エリカはユーグに向かってニッコリと微笑む。
 その笑顔は上品な貴婦人のようでもあり、また清楚な少女のようでもあった。

「私は勇者ではありません。まったく関係がないとまでは言えませんが」

「勇者と繋がりがあるかないかはこの際どうでもいい。それよりも……なぜだ?」

「なぜ、と仰られても何を指しているのか分かりかねます」

 エリカが可愛らしく小首を傾げる。
 一瞬、その仕草に見惚れてしまいそうになった自分に苛立ちを覚えつつ、ユーグは小さく舌打ちをした。

「今まで姿を偽っていた貴様が、なぜ今になって本当の姿を見せ、名を明かしたのかと聞いているのだ」

「ああ、そういうことですか」

 エリカはやっと得心したかのように軽く頷いてみせた。

「答えは簡単です。隠す必要がなくなったからですよ」

「隠す必要がない、だと?」

 ユーグはエリカの言葉をすぐに理解できなかった。

「ええ。貴方にはここで消えていただきますから」

「なッ……!?」

「ですので、私の顔や名前が知られたところで何の問題もないというわけです。ねっ、簡単でしょう?」

 そう言うと、エリカはもう一度あでやかに微笑んでみせた。

「この私を消す、だと? いいだろう。やれるものならやってみるがいい」

 ユーグは懐から赤黒い液体の入った小瓶を取り出し、一気に飲み干した。

「本来、これは私たち亜人が飲んでこそ真価を発揮するのだ」

 ユーグの体が眩い光に包まれたかと思うと、膨大な魔力が溢れ出す。

 ユーグの額には、五芒星が浮かび上がっていた。
 背中には黒く染まった鋭いはねが2枚。
 妖精の羽というよりは昆虫の翅と言うべきものが伸びている。
 
「フ、ハハハハハッ! 見たか、これこそが亜人の真の力だ! すべてを凌駕する魔力だッ!!」

 ユーグは不敵に笑った。

「私の前に現れたことを悔やみながら逝くといい」

 予備動作ひとつなく、ユーグが動いた。

 ビュン! と空気を切り裂く音だけ鳴らし、姿が消えた。

 次の瞬間には、右に大きく振りかぶった剣が宙に白い弧を描き、背後から少女に襲い掛かる。

 エリカが立っていた地面は抉られ、窪みができていた。
 
 ユーグが振り返る。
 そこにはエリカが悠然と立っていた。

「ほう、これを避けるか。だが、次はどうかな」

 再びユーグの姿が消える。

 何重もの白い剣閃が見えたその直後。
 ガガガッ! という音が立て続けに響いた。

 そのたびに地面は形を変えていく。

 しかし、ユーグが繰り出した強烈な連続攻撃は、エリカを捉えることができない。

「ちっ、逃げ足だけは速いようだな」

「まさか……この程度で終わり、ということはありませんわよね?」

「ぐッ、当然だ!」

 ユーグが両手で剣を構える。
 
「オオオオオオオオオォォォッ!!」

 雄叫びとともに剣が白光を帯びる。
 ユーグが己の魔力を注ぎ込んでいるのだ。

 刀身は凄まじい魔力を含み、目を開けていられないほどの輝きを放っている。

 瞬間、剣を小細工抜きの大上段に構え――。

 ゴッ! という大音響とともに、真正面から撃ち込んだ。

 この一撃で終わりだ。

 しかし。

 ユーグの願いが叶うことはなかった。

 ユーグが繰り出した最高の一撃は、いとも簡単に受け止められてしまったのだ。
 
 エリカの手によって。

「なッ……バカな!?」

 力を解放した状態で放った全力の攻撃を、素手で受け止めただと!

 ありえない。

 エリカはそのままユーグの剣を奪い取ると、刀身を眺める。

「刃こぼれもしていない、見事な剣ですわね」

「ば、化け物め……」

「私に会った方は必ずそう仰いますけど、不本意ですわ。ただのか弱い女の子ですのに」

 ――どこがだっ!

 そう言おうとしたユーグだったが、その言葉を口にすることはできなかった。

 なぜなら。

「私には必要ないものですのでお返ししますね」

 ユーグの胸を白刃が貫いていた。

「……ごふッ……!」

 ユーグの口から血が流れ落ちる。

 ……こんなところで私が死ぬ、だと。

「み……とめ、ん……!」

 ユーグは胸を貫く剣を掴んで抗おうとするが、白刃がユーグの体を更に深く貫いた。

「ガッ……‼」

 剣を掴んでいたユーグの手はだらんと下がり、徐々に目の光が失われていく。

「抵抗せずに素直に教えていただければ命を奪うつもりはなかったんですけれど……まあ、運が悪かったと諦めてください。ああ、死んだら呪いを解く方法が分からないと思っていらっしゃる? 安心してください。蘇生魔法を使えますから」

 エリカは微笑を湛えながら告げるが、ユーグの耳に届くことはなかった。
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