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第68話 嵐が去りて
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「さて、わたくしはこれにて失礼させて頂きますわ」
スピアノが突然席を立つ。
あまりに急になことだったので、イジスも驚いている。
「時間や距離を考えると、今から街を発たれるというのはあまりおすすめしませんが?」
とはいえ、さすがにそこはまだ冷静だった。空模様を見ながら、イジスが考え直すように説得している。
「あら、ガーティス領の治安に自信がございませんこと?」
すると、スピアノは言い返してくる。イジスより10は若いようだが、お見合い中のやり取りを含めてきっちり意見を言えるタイプのようだ。
痛いところを突かれたのか、イジスはぐっと黙り込む。
「しかしだ。さすがに年頃の令嬢なのだから、少しは警戒した方がいい。行きがよくても、帰りもそうとは限らないからね」
イジスはそう言うと、ガーティスはランスに命じて領の境界までの護衛をつけるようにしておいた。近隣の領地とは付き合いが希薄とはいえ、何かあっては困る。噂というものは意外と簡単に広まってしまうのだ。
「お気遣いは感謝致しますわ」
ぺこりと頭を下げるスピアノ。
「ですが、これは婚姻に関して前向きな返事と取らせて頂きますわよ?」
「そんなのは関係ない。女性をぞんざいに扱うのは貴族として恥ずべき行為だ」
スピアノの言い分にきっぱりというイジスである。
その物言いに、隣で片付けを始めているモエは、少し胸に痛みを感じた。
(何でしょうか、今の……)
違和感を感じて胸を押さえるモエ。しかし、その痛みは一瞬でおさまってしまったので、モエはしばらく首を傾げていた。
「どうしたんだい、モエ」
完全によそを向いていたはずのイジスが、モエの方に振り向いている。本当にモエのことには敏感なようである。
「いえ、なんでもございません。私は片付けをして参ります」
首を横に振ってから、イジスにしっかりと返事をするモエ。だが、イジスはそれを許可しなかった。
「片付けは他のメイドにやらせてもいいだろう。モエも一緒にスピアノ嬢のお見送りをするぞ」
イジスから出てきた言葉に、目を丸くして驚くモエ。イジスの専属侍女ではあるものの、問題ないのだろうかとスピアノの方へと視線を送る。
モエの視線に気が付いたスピアノは、どこか気に食わなさそうな表情を浮かべるものの、モエの方へと顔を向けてきた。
「い、イジス様がそう仰られるのなら、そのメイドも見送りに来て頂いても構いませんわよ」
腕組みをしながら直視しないところを見ると、イジスが言うから仕方がないわねといった感情のようである。よっぽどモエの事が気に食わないようだ。
とはいえ、お見合いに来た身であるために、スピアノは特に波風を立てないように穏便にガーティス邸を発っていく。イジスがつけた護衛を伴いながら、領地へと帰っていった。
スピアノの乗る馬車が完全に見えなくなると、イジスはようやく安心したのか大きなため息を吐く。
「やれやれ、断っていれば大丈夫と思っていたのに、まさか向こうから来るなんてな……。すっかり今の状況に安心してしまっていたようだね」
イジスは首を左右に振りながら、困ったように言葉を漏らす。
「イジス様も、いよいよ奥様を迎えられるのですか?」
イジスの急な発言に、一緒に隣で見送っていたモエがイジスに問い掛ける。
「そうだな。私の年齢的にも、迎えておいた方が父上も安心できるだろうからね」
「そうで、ございますよね……」
少し下を向きながら、ため息まじりに喋るモエ。その姿に、イジスは小さく微笑む。
「モエは、私が妻を迎えるのが嫌なのかい?」
「えっと、わ、私は……」
急に質問をぶつけられて、モエは顔を赤くしながら答えに窮している。
「ふふっ、ははっ。モエの顔が笠のように赤くなっているな」
その様子を見たイジスは急に大きな声で笑い始めた。これにはモエもさすがにカチンと来ている。
「ちょ、ちょっとイジス様?」
ぎろりとものすごい剣幕でイジスに迫るモエ。
「はははっ、悪い悪い。そうやって反応を見ていると、モエもやっぱり女性なんだな」
「イージースーさーまー?」
イジスの失言にモエは本気で怒り始めていた。そのモエの勢いに、さすがにイジスもたじたじにうろたえていた。
「いや、悪い……。なんでそこまで怒っているんだよ、モエ」
「知りません!」
慌てるイジスに、怒ったまま顔を背けるモエ。
この時この場にいた他の使用人たちはみなこう思ったらしい。
(お二人ともとっととくっついて下さい)
使用人たちの心が一つになった瞬間だった。
他領から令嬢がやって来てどうなるかとハラハラしていたガーティス子爵邸の使用人たち。
結局のところ、いつも通りの光景を見てほっと胸を撫で下ろしたようだった。
しかし、当のイジスとモエの間の進展は思ったより見られないようで、その点ではやきもきしているようである。
両腕を組んだまま頬を膨らませているモエと、一生懸命に宥めようとしているイジスの姿に、使用人たちはしばらく微笑ましく見つめていたのだった。
スピアノが突然席を立つ。
あまりに急になことだったので、イジスも驚いている。
「時間や距離を考えると、今から街を発たれるというのはあまりおすすめしませんが?」
とはいえ、さすがにそこはまだ冷静だった。空模様を見ながら、イジスが考え直すように説得している。
「あら、ガーティス領の治安に自信がございませんこと?」
すると、スピアノは言い返してくる。イジスより10は若いようだが、お見合い中のやり取りを含めてきっちり意見を言えるタイプのようだ。
痛いところを突かれたのか、イジスはぐっと黙り込む。
「しかしだ。さすがに年頃の令嬢なのだから、少しは警戒した方がいい。行きがよくても、帰りもそうとは限らないからね」
イジスはそう言うと、ガーティスはランスに命じて領の境界までの護衛をつけるようにしておいた。近隣の領地とは付き合いが希薄とはいえ、何かあっては困る。噂というものは意外と簡単に広まってしまうのだ。
「お気遣いは感謝致しますわ」
ぺこりと頭を下げるスピアノ。
「ですが、これは婚姻に関して前向きな返事と取らせて頂きますわよ?」
「そんなのは関係ない。女性をぞんざいに扱うのは貴族として恥ずべき行為だ」
スピアノの言い分にきっぱりというイジスである。
その物言いに、隣で片付けを始めているモエは、少し胸に痛みを感じた。
(何でしょうか、今の……)
違和感を感じて胸を押さえるモエ。しかし、その痛みは一瞬でおさまってしまったので、モエはしばらく首を傾げていた。
「どうしたんだい、モエ」
完全によそを向いていたはずのイジスが、モエの方に振り向いている。本当にモエのことには敏感なようである。
「いえ、なんでもございません。私は片付けをして参ります」
首を横に振ってから、イジスにしっかりと返事をするモエ。だが、イジスはそれを許可しなかった。
「片付けは他のメイドにやらせてもいいだろう。モエも一緒にスピアノ嬢のお見送りをするぞ」
イジスから出てきた言葉に、目を丸くして驚くモエ。イジスの専属侍女ではあるものの、問題ないのだろうかとスピアノの方へと視線を送る。
モエの視線に気が付いたスピアノは、どこか気に食わなさそうな表情を浮かべるものの、モエの方へと顔を向けてきた。
「い、イジス様がそう仰られるのなら、そのメイドも見送りに来て頂いても構いませんわよ」
腕組みをしながら直視しないところを見ると、イジスが言うから仕方がないわねといった感情のようである。よっぽどモエの事が気に食わないようだ。
とはいえ、お見合いに来た身であるために、スピアノは特に波風を立てないように穏便にガーティス邸を発っていく。イジスがつけた護衛を伴いながら、領地へと帰っていった。
スピアノの乗る馬車が完全に見えなくなると、イジスはようやく安心したのか大きなため息を吐く。
「やれやれ、断っていれば大丈夫と思っていたのに、まさか向こうから来るなんてな……。すっかり今の状況に安心してしまっていたようだね」
イジスは首を左右に振りながら、困ったように言葉を漏らす。
「イジス様も、いよいよ奥様を迎えられるのですか?」
イジスの急な発言に、一緒に隣で見送っていたモエがイジスに問い掛ける。
「そうだな。私の年齢的にも、迎えておいた方が父上も安心できるだろうからね」
「そうで、ございますよね……」
少し下を向きながら、ため息まじりに喋るモエ。その姿に、イジスは小さく微笑む。
「モエは、私が妻を迎えるのが嫌なのかい?」
「えっと、わ、私は……」
急に質問をぶつけられて、モエは顔を赤くしながら答えに窮している。
「ふふっ、ははっ。モエの顔が笠のように赤くなっているな」
その様子を見たイジスは急に大きな声で笑い始めた。これにはモエもさすがにカチンと来ている。
「ちょ、ちょっとイジス様?」
ぎろりとものすごい剣幕でイジスに迫るモエ。
「はははっ、悪い悪い。そうやって反応を見ていると、モエもやっぱり女性なんだな」
「イージースーさーまー?」
イジスの失言にモエは本気で怒り始めていた。そのモエの勢いに、さすがにイジスもたじたじにうろたえていた。
「いや、悪い……。なんでそこまで怒っているんだよ、モエ」
「知りません!」
慌てるイジスに、怒ったまま顔を背けるモエ。
この時この場にいた他の使用人たちはみなこう思ったらしい。
(お二人ともとっととくっついて下さい)
使用人たちの心が一つになった瞬間だった。
他領から令嬢がやって来てどうなるかとハラハラしていたガーティス子爵邸の使用人たち。
結局のところ、いつも通りの光景を見てほっと胸を撫で下ろしたようだった。
しかし、当のイジスとモエの間の進展は思ったより見られないようで、その点ではやきもきしているようである。
両腕を組んだまま頬を膨らませているモエと、一生懸命に宥めようとしているイジスの姿に、使用人たちはしばらく微笑ましく見つめていたのだった。
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