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第一章 護衛になりたい田舎娘

6.「中央門を開けてやる」

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 常日頃お世話になっている店に迷惑はかけたくない。目を付けられた自らのせいで生じる迷惑なら尚更だ。その上、皇太子殿下を馬鹿にする奴をのさばらせておくのはよろしくない。感情的になっていたかと後から誰かに問わればば、そうだと答える他ない状態にだった。

 、大の男三人が地べたに転がっているのを目の当たりにしたレオーナは自らが相当酔っていることを自覚した。普段は絡まれたからといってここまではしない。つい熱くなってしまったと、ジフが倒れた男達を見て度肝を抜かれている横で静かに反省する。

「何がどうなってこうなった!?」

 問われたところでジフにも手の内を明かすつもりはない。なので、突然倒れたからびっくりしたと何食わぬ顔で言っておく。そんな都合のよい話があるわけないので、当然懐疑的な目で見られるが、素知らぬ顔を突き通す。憲兵が来た時に果たして同じ言い訳が通用するかどうか。多少の不安はあったが、女が男三人を倒したという現実より、人が三人同時に突然倒れる事態の方が信じられる世の中だと把握済みなので、然程の心配はしていなかった。

 ジフ一家も酒場の客達も裏路地の光景を見た者達は皆この場で三人同時に倒れる原因を考えている。毒でも使ったかと客の一人に心外なことを問われたが、喧嘩腰の相手に毒物を飲ませる方法がないし、揮発性の毒ならば自分だって避けられないと答えておく。あっさりと信じられ、再び考えはじめる野次馬達からレオーナはさり気なく距離を取った。

「意識が戻った時に少しは反省してくれればいいけど」

 器物損壊に暴行。見て見ぬふりをされ慣れ、自らが強いと信じて疑わない強者主義者が心を改めることはあまりない。レオーナとしては当然の反省をバルック達三人がするとは思えず、期待できない現状に肩が落ちる。

「レオーナ」

 人の気配を感じていなかった背後から突然呼びかけられて驚いて振り返る。するとそこにはジフを呼びに行ってから姿が見えなかったテッドがいた。

「あら、荒っぽいことが済んだからやっと出て来たんですか?」

「そうそう、恐くて一歩も動けなくなっちゃった」

 通じるかどうか判断に迷う冗談口をたたけば、さらりとのってきたテッド。軍人の中でも精鋭である国軍所属兵が一般人のゴロツキに遅れを取るはずがない。よってテッドがバルック達を恐れる理由はない。にもかかわらず、デューアの男であれば強がって当然の場面でまるで自分が臆病者の様に振舞うテッド。

「私が言うの何ですけど、テッドさんも相当変わった人ですよね」

「ははっ、ありがとう」

「いや、褒めてな――ん? この場合は褒めてるか」
 
 気軽なやり取りに僅かに落ち込んでいた気持ちが浮上した。憲兵が来るまでテッドと話して待つかと体の向きを変える。すると、予想外の提案をされた。

「レオーナ、ちょっと来てくれる?」

「えっ、でも憲兵が」

 状況的に確実に取り調べ対象になるであろう自分がこの場を離れるわけにはいかない。そんなこと言わなくてもテッドにはわかるだろうと視線を向ける。

「その辺はどうとでもなるから大丈夫」

 だから来て、と少々強引に促される。どうとでもなるのか、と疑問に思ってもそれを口にする間もなく歩き出してしまったテッドにとりあえずついて行く。

 少し歩いて辿り着いたのは幾筋か通りを横切って入った路地裏。店の騒ぎが耳にも目にも届かない。表通りの明かりが僅かしか届かず、一般人なら目を凝らさしても奥に何があるのかよく見えない。けれども、レオーナは路地の奥に目を向けた瞬間からそこに人がいることがわかった。

「お待たせしました」

 聞きなれないテッドの敬語。その声に反応した奥の人物がもたれ掛っていた壁から背を離す。そして何も言わずにこちらに向き直った。

 誰だろうと考えてすぐ、酒場でしたテッドとの会話を思い出す。

「あっ、もしかしてテッドさんのお知り合いの方ですか?」

 折角自らの話に興味を持って店までわざわざ来たのに、大騒ぎで中に入ってこられなかったのかもしれない。テッドが姿を消したのは、この人物を巻き込まないように店の裏口から出て中の状況を知らせていたのかもと予測する。

 あまり時間は取れないけれど、挨拶だけでもしっかりしよう。そう歩み寄ろうとした時だった。

「お前が中央門の女だな」

 低い声だった。だけれど妙なくらいに耳にしっかりと音が残った。気軽に歩み寄ろうとしていた足が止まる。

「今し方そこの酒場の路地裏で大の男三人が数秒で地に沈んだ。これは希有な幸運からの偶然か、それとも個の能力でもぎ取った必然か?」

 中央門に通っている女だと断定され、先程までの出来事を語る暗闇の中の男。見ていたのか、それともテッドから事の次第を聞いたのか。まるで尋問の様な空気にレオーナの警戒心が高まる。

「貴方がどこのどなたか存じませんが、先に質問をしたのはこちらです。それに、自己紹介もまだですよ。ちょっと気が早くないですか?」

 言いつつ、レオーナは中途半端に立ち止まっていた体勢を整えて真っ直ぐ立った。

「私はレオーナ・オーブリル。貴方がご存知の通り皇城の中央門に毎日通ってるのは私です。はい、それでは、今度はそちらが名乗って下さい」

 テッドが敬語を使った時点で相手がそれなりに地位の高い人物である可能性は頭に浮かんでいだ。それでも、少しばかり不躾な態度に、名乗られる前くらいは尊大に振る舞ってもバチは当たらないと強気に出る。すると、背後にいるテッドが大袈裟なくらいな大きさで吹き出した。

「ふはっ、流石レオーナっ。強者主義者が闊歩するデューアで初対面の男相手のその態度で臨めるのは本当に凄いっ。希有っていうなら男が三人都合よく倒れる事態よりレオーナの方が希有だよ」

 手で口を覆って笑いを堪えようとしているようだが、全く堪えられていない。言われていることは全くもってその通りなのは認める。しかしだ。

「なんでそんなに笑っているんですか?」

 不服からついいつもの様に頬を膨らませて軽くテッドを睨めば、手を挙げて謝罪の意を表される。けれども、笑いは収まっていない。

「いやぁ、この後の展開を思うと楽しくなっちゃって」

 あははっ、と最後に一笑いしてなんとか自らを落ち着かせたテッドが不自然なくらいにっこりと笑顔を作った。

「皇太子殿下が君を護衛にしたいと思えるように誘導することなんて不可能、とは言ったけど、口利きしないとは俺言ってないんだよね」

 意味深な台詞に秘められた部分を理解するより先に、レオーナの視線の先でテッドは奥の男に声を掛ける。

「さて、公私どちらでいきますか?」

「ここは当然公だろう」

 意味不明なやり取り。ただ奥の男が先程の威圧的な雰囲気を緩めて軽く笑んだ気配がした。その雰囲気の緩和にほんの僅かにレオーナの気も緩んだ瞬間、目の前に立っていたテッドが突然しゃがんだ。否、跪いた。

「ご命令通り、ここに件の娘レオーナ・オーブリルをお連れ致しました」

「ああ、ご苦労だった」

 突然の貴族的なやり取りにレオーナが面食らっている内に暗闇の中の男が歩み出す。

「レオーナ・オーブリル。お前は随分皇太子について詳しいらしいな」

 あっという間に増した圧は先ほどよりも強い。無意識に半歩下がった自らの脚に気が付くと、レオーナは唇を引き結んでその場にとどまるように心がけた。まだ名乗られてはいない。気圧されてたまるかと気を張る。

「詳しいですけど」

「ならば、公式な場で貴族や軍人が王族に面した時の礼儀について知っているか?」

「えっ、それはまぁ。他の貴族や権力者との差を付けるために、跪いて頭を下げ左腕を左腿、右腕を背中につける一般的な敬礼ではなく、右の拳を地につくことによって、自身がより下位な者だと示す……」

 自らの発言にハッとしてレオーナは振り返ってテッドを見た。

 跪いている――――右拳を地につけて。

 勢いよく正面に向き直ったそのとき、表通りの僅かな光でも目の前の人物の顔立ちがわかる範囲に男が立った。

「平民にはあまり縁がない知識だが正解だ。いずれ、と対面するつもりだったのは本当のようだな」

 レオーナの見開いた瞳に飛び込んで来たのは、歳月を積み重ねた貫録を纏った、十年前に故郷で出会った青年の姿。

 あまりのことに思考も体の機能も急停止。呆然と立ち尽くすレオーナを見下ろして、男は軽く笑った。

「俺の護衛になりたいらしいな。話はお望み通り聞いてやる。明日、皇城に来い。――――中央門を開けてやる」

 三か月間、固く閉ざされ続けた中央門。

 様々な段階をすっとばし、その奥に踏み込む権利が降って湧いた。
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