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40 最悪な展開
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今年の1月。
私がそれまでにないほど忙しくなりはじめて良也と会う時間が極端に減った頃。
良也は会社の飲み会で木野さんと初めて知り合ったらしい。
話してみると意気投合して、向こうから誘ってくることをいいことに私と会えない寂しさを紛らわすのにそれから後何度か食事をしたという。
良也は何度か彼女と会う内に私に関する愚痴を言うようになった。
すると木野さんは優しくその話を聞いてくれて「私だったらそんなことは絶対にしないのに」と何度となく慰めてくれたのだそうだ。
「由香里は俺が陸から得られない部分の幸せを惜しげもなく与えてくれた。それで魔が差して――いつの間にか恋人みたいに会うようになってた」
忙しい彼女より近くの優しい女を選ぶのは仕方のないことかもしれない、と私は他人事のように考えた。
そして良也は木野さんを選ぶことを決意して4月に私と別れた。
「それから一時期は互いに満足していたんだ。けれども時間が経つに連れて齟齬があることに気がついた。俺は陸にない部分を由香里に求めて付き合ったのは事実だけれど、ただ由香里はそれだけだったんだ」
「それだけ?」
「陸にない部分は持ってるけど、陸とは本当に正反対で正式に付き合ってみたらそれ以外の部分が俺と中々噛み合わなかった。それに由香里の方も付き合う前はすごく積極的だったのに付き合いだしてからは気持ちが俺から離れていくのがありありとわかってさ。でも陸を押しのけて得た付き合いだったからお互いに別れるのに躊躇もあって、表面的に互いに愛想振りまいてそのままだらだら付き合ってたんだ。そんなときに社員旅行に誘われてさ。お互いの気分を変えるのに良いと思って参加したんだけど、逆効果だった」
「ビーチで会ったときは腕組んで楽しそうにしていたじゃない」
「あの時は良かったんだ。お互いにいつもと違う環境っていうこともあって普通に楽しめてた。けど、由香里が陸と榊課長を見つけて……」
「見つけて? 偶々ビーチバレーのコートに来たんじゃなかったの?」
「いや、もっと先に気がついてたよ。行きたくないって言うのに無理やり引っ張られて、何がしたいのかが最初はわからなかったんだけれど、アイツ陸に俺達のこと見せびらかしたかったんだと思う。多分そういう奴なんだ。けど、逆に俺達が見せびらかされる感じになっちゃって、由香里の奴あの後から凄く荒れたんだ」
「……見せびらかすって、こっちはそんなつもりまったく――」
「俺だってあの時はちょっと悔しかったけど、そんなに気にしてなかった。けど、由香里が荒れた上に急に榊課長、榊課長って言い出して。挙句の果てに晩飯のときは俺を置いて他の女たちに紛れて媚び売りに行くし、次の日俺といても上の空だし。それで喧嘩した。頭にきて色々言い合ったら、興奮してるんだけど頭のどこか冷静になってさ。由香里より陸と一緒にいた時の方が幸せだったって思った。そしたら偶々――」
私と課長が現れたという訳か。
元々二人の仲が冷え込んでいたことはわかった。
そして旅行中に木野さんのとった行動がより良也を傷付けたことも。
けれどもそれとこれとは話が別だ。
「何があったかはよく分かった。けれど、話を聞く限り良也は木野さんに対して意地を張ってるだけで、別に私のことなんて好きじゃないんだと思う。付き合いたいなんて本心では思ってないんでしょ?」
だからこそ、軽い調子で寄って来て気軽にやり直そうなどと言えるのだ。
「そんなことない! 何度も言うけど俺は本気だ。確かに突然榊課長になびいた由香里に対抗心が無かったとは言わない。けれど、それは自分の気持ちに気がつく切っ掛けになっただけで、ずっと持て余していたモヤモヤした気持ちが晴れてすっきりしたくらいなんだ。俺まだ陸のことが好きだよ、やり直してほしい。本気だ」
「……ごめん」
切羽詰まった主張はこれまでで一番伝わって来るものがあった。
だけれども、だからこそ、今の私に返せる答えは変わらない。
「何でだよ……。やっぱり俺のこと嫌いになった?」
「……そりゃ、当時は怒ったし悲しかったし嫌いになったよ。それに無神経によりを戻したいなんて言うなんてどうかしていると思ってた」
今度は良也が俯いて「ごめん」と呟く。
私はそれに対して「いいよ」と言うしかなかった。
「うん、もういいよ。私の中で良也と付き合っていた日々はもう終わったの。もう好きも嫌いもない。ただの同僚だよ」
「これからまた俺を見てくれるってことは――」
「それはない」
私の心は決まっている。良也とのごたごたは今日ここできっぱり終わりにする。私にはもう他に向き合わなくちゃいけない相手がいるんだ。
「……榊課長と付き合うのか?」
「えっ」
ぴたりと頭の中に思い浮かべた人物と耳に入った名前が一致して私は一瞬戸惑った。
そこから自分でもまだ受け入れきれていない気持ちが心の端から漏れて冷静さが崩れ、頬が熱くなる。
「えっ、別に課長は関係ないよ」
「嘘言うなよ。明らかに動揺してるじゃん」
「そんなことない」
「そんなことある」
良也は強く断言すると、腰かけていた机から立ち上がり私の正面に立つ。
まっすぐ前から今までにないくらい強い眼差しで見つめられ、堪らず目を逸らした。
「何?」
「名前を出しただけでそんなに動揺すんのな。やっぱり見た目も良くて仕事が出来る男っていうのはモテるんだな」
「別にそういうわけじゃ――」
私は課長のそういうところに心惹かれた訳じゃない。もしそうだとしたら、入社したときから恋に落ちていた。
私が惹かれたのは完璧無血の課長じゃなくて、仕事モードから切り替わった割と普通の男の人。
そんな姿を知ってから惹かれたんだ。
でも、そんなことをここで語る必要はない。
そもそも良也は私に言葉を発する隙を与えなかった。
「真っ赤になっちゃってさ。俺の前でそんな顔見せたことあったっけ?」
良也の気配をより近くに感じた。
逸らした視線を戻そうとすると見えるはずの正面にあるはずの顔が見えず、代わりに向こう側の資料室の白い壁が目に入る。
あれ、と思ったときにはより近くに、いや、痛い程近くに良也を感じた。
私はきつく抱きしめられ、腕ごと体の自由を奪われていた。
「ちょっと、良也。冗談よしてっ、離して」
「嫌だ」
抵抗しようにもあまりに強い力で押さえつけられているせいで身動きもとれない。
「離して。どうしたの? こんなことしないで」
「俺やっぱり陸が好きだ」
「だから――」
「もう、陸が俺になんて興味ないってわかってる。でも、他の男――あの男に取られるなんてっ。こんなこと思う資格ないってわかってるけど許せないっ」
「馬鹿なこと言わないでっ。離してっ」
「嫌だ!」
身長がほとんど変わらないにも関わらず、まったく良也の力に歯が立たない。
悔しい。
こんなことされるために私は話を聞きにきた訳じゃないのに。
歯が立たないなりに抵抗を止める気にもなれず、悪あがきをしていると、より一層状況が悪くなる。
扉の向こうから人が歩いてくる気配がした。
会話が僅かに聞こえるから2人以上でこちらに向かってきている。
休日出勤している社員なんて滅多にいない。
いるとしたらほとんど一課の人間だ。
となれば当然用があるのはここ、第一資料室。
良也も人が近づいてくる気配が分かったのか、僅かだが腕の力が緩む。
チャンスだとばかりに腕を振りほどこうとしたけれど、そう上手くはいかなかった。
逆に腕を掴まれて、資料室の奥へと連れていかれる。
「ちょっと、何、どうするつもり!?」
「このまま誰かが来て、終わりにできるか!」
「何言って――」
再び抵抗しようとしたけれど、寝不足と食欲不振が続いた体は自分の言うことをきかず、足がもつれて良也に引かれるぎがままに動く。
第一資料室の奥、映像資料室の扉が良也によって開かれると、そこにあるソファに放り投げるかのように押されて、私はそのまま倒れこんだ。
「陸は知ってた? ここの部屋に一課のエリートさん達が仕事の気晴らしのために女をしょっちゅう連れ込んでるっていう噂があること」
良也は後ろ手にドアを閉めて内鍵を回す。私は身の危険と共に怒りを感じてソファから起き上がって抗議しようとした。
「そんな訳な――」
「しっ、黙って。ほら、今来たのも男と女だ」
「――――!」
私は扉の向こうから聞こえてきた声に言葉を失った。
――なんでこのタイミングで!?
私の動きが止まった隙を逃がさず良也が私に覆いかぶさり、私の口を押える。
ただ押さえられただけなのにそのタイミングで私の息は止まった。
「おい、何だ。わざわざうちの資料室で木野が何を調べたいっていうんだ?」
「はい。ちょっと、どうしても気になる調べ事がありまして――」
嫌だ。こんな状況最悪だ。
けれども、私の身体は金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。
耳元で良也の声がする。
「俺も榊課長と由香里が何を話すか気になる。少しの間静かにしてよう」
ああ、もう、最悪以上だ。
私がそれまでにないほど忙しくなりはじめて良也と会う時間が極端に減った頃。
良也は会社の飲み会で木野さんと初めて知り合ったらしい。
話してみると意気投合して、向こうから誘ってくることをいいことに私と会えない寂しさを紛らわすのにそれから後何度か食事をしたという。
良也は何度か彼女と会う内に私に関する愚痴を言うようになった。
すると木野さんは優しくその話を聞いてくれて「私だったらそんなことは絶対にしないのに」と何度となく慰めてくれたのだそうだ。
「由香里は俺が陸から得られない部分の幸せを惜しげもなく与えてくれた。それで魔が差して――いつの間にか恋人みたいに会うようになってた」
忙しい彼女より近くの優しい女を選ぶのは仕方のないことかもしれない、と私は他人事のように考えた。
そして良也は木野さんを選ぶことを決意して4月に私と別れた。
「それから一時期は互いに満足していたんだ。けれども時間が経つに連れて齟齬があることに気がついた。俺は陸にない部分を由香里に求めて付き合ったのは事実だけれど、ただ由香里はそれだけだったんだ」
「それだけ?」
「陸にない部分は持ってるけど、陸とは本当に正反対で正式に付き合ってみたらそれ以外の部分が俺と中々噛み合わなかった。それに由香里の方も付き合う前はすごく積極的だったのに付き合いだしてからは気持ちが俺から離れていくのがありありとわかってさ。でも陸を押しのけて得た付き合いだったからお互いに別れるのに躊躇もあって、表面的に互いに愛想振りまいてそのままだらだら付き合ってたんだ。そんなときに社員旅行に誘われてさ。お互いの気分を変えるのに良いと思って参加したんだけど、逆効果だった」
「ビーチで会ったときは腕組んで楽しそうにしていたじゃない」
「あの時は良かったんだ。お互いにいつもと違う環境っていうこともあって普通に楽しめてた。けど、由香里が陸と榊課長を見つけて……」
「見つけて? 偶々ビーチバレーのコートに来たんじゃなかったの?」
「いや、もっと先に気がついてたよ。行きたくないって言うのに無理やり引っ張られて、何がしたいのかが最初はわからなかったんだけれど、アイツ陸に俺達のこと見せびらかしたかったんだと思う。多分そういう奴なんだ。けど、逆に俺達が見せびらかされる感じになっちゃって、由香里の奴あの後から凄く荒れたんだ」
「……見せびらかすって、こっちはそんなつもりまったく――」
「俺だってあの時はちょっと悔しかったけど、そんなに気にしてなかった。けど、由香里が荒れた上に急に榊課長、榊課長って言い出して。挙句の果てに晩飯のときは俺を置いて他の女たちに紛れて媚び売りに行くし、次の日俺といても上の空だし。それで喧嘩した。頭にきて色々言い合ったら、興奮してるんだけど頭のどこか冷静になってさ。由香里より陸と一緒にいた時の方が幸せだったって思った。そしたら偶々――」
私と課長が現れたという訳か。
元々二人の仲が冷え込んでいたことはわかった。
そして旅行中に木野さんのとった行動がより良也を傷付けたことも。
けれどもそれとこれとは話が別だ。
「何があったかはよく分かった。けれど、話を聞く限り良也は木野さんに対して意地を張ってるだけで、別に私のことなんて好きじゃないんだと思う。付き合いたいなんて本心では思ってないんでしょ?」
だからこそ、軽い調子で寄って来て気軽にやり直そうなどと言えるのだ。
「そんなことない! 何度も言うけど俺は本気だ。確かに突然榊課長になびいた由香里に対抗心が無かったとは言わない。けれど、それは自分の気持ちに気がつく切っ掛けになっただけで、ずっと持て余していたモヤモヤした気持ちが晴れてすっきりしたくらいなんだ。俺まだ陸のことが好きだよ、やり直してほしい。本気だ」
「……ごめん」
切羽詰まった主張はこれまでで一番伝わって来るものがあった。
だけれども、だからこそ、今の私に返せる答えは変わらない。
「何でだよ……。やっぱり俺のこと嫌いになった?」
「……そりゃ、当時は怒ったし悲しかったし嫌いになったよ。それに無神経によりを戻したいなんて言うなんてどうかしていると思ってた」
今度は良也が俯いて「ごめん」と呟く。
私はそれに対して「いいよ」と言うしかなかった。
「うん、もういいよ。私の中で良也と付き合っていた日々はもう終わったの。もう好きも嫌いもない。ただの同僚だよ」
「これからまた俺を見てくれるってことは――」
「それはない」
私の心は決まっている。良也とのごたごたは今日ここできっぱり終わりにする。私にはもう他に向き合わなくちゃいけない相手がいるんだ。
「……榊課長と付き合うのか?」
「えっ」
ぴたりと頭の中に思い浮かべた人物と耳に入った名前が一致して私は一瞬戸惑った。
そこから自分でもまだ受け入れきれていない気持ちが心の端から漏れて冷静さが崩れ、頬が熱くなる。
「えっ、別に課長は関係ないよ」
「嘘言うなよ。明らかに動揺してるじゃん」
「そんなことない」
「そんなことある」
良也は強く断言すると、腰かけていた机から立ち上がり私の正面に立つ。
まっすぐ前から今までにないくらい強い眼差しで見つめられ、堪らず目を逸らした。
「何?」
「名前を出しただけでそんなに動揺すんのな。やっぱり見た目も良くて仕事が出来る男っていうのはモテるんだな」
「別にそういうわけじゃ――」
私は課長のそういうところに心惹かれた訳じゃない。もしそうだとしたら、入社したときから恋に落ちていた。
私が惹かれたのは完璧無血の課長じゃなくて、仕事モードから切り替わった割と普通の男の人。
そんな姿を知ってから惹かれたんだ。
でも、そんなことをここで語る必要はない。
そもそも良也は私に言葉を発する隙を与えなかった。
「真っ赤になっちゃってさ。俺の前でそんな顔見せたことあったっけ?」
良也の気配をより近くに感じた。
逸らした視線を戻そうとすると見えるはずの正面にあるはずの顔が見えず、代わりに向こう側の資料室の白い壁が目に入る。
あれ、と思ったときにはより近くに、いや、痛い程近くに良也を感じた。
私はきつく抱きしめられ、腕ごと体の自由を奪われていた。
「ちょっと、良也。冗談よしてっ、離して」
「嫌だ」
抵抗しようにもあまりに強い力で押さえつけられているせいで身動きもとれない。
「離して。どうしたの? こんなことしないで」
「俺やっぱり陸が好きだ」
「だから――」
「もう、陸が俺になんて興味ないってわかってる。でも、他の男――あの男に取られるなんてっ。こんなこと思う資格ないってわかってるけど許せないっ」
「馬鹿なこと言わないでっ。離してっ」
「嫌だ!」
身長がほとんど変わらないにも関わらず、まったく良也の力に歯が立たない。
悔しい。
こんなことされるために私は話を聞きにきた訳じゃないのに。
歯が立たないなりに抵抗を止める気にもなれず、悪あがきをしていると、より一層状況が悪くなる。
扉の向こうから人が歩いてくる気配がした。
会話が僅かに聞こえるから2人以上でこちらに向かってきている。
休日出勤している社員なんて滅多にいない。
いるとしたらほとんど一課の人間だ。
となれば当然用があるのはここ、第一資料室。
良也も人が近づいてくる気配が分かったのか、僅かだが腕の力が緩む。
チャンスだとばかりに腕を振りほどこうとしたけれど、そう上手くはいかなかった。
逆に腕を掴まれて、資料室の奥へと連れていかれる。
「ちょっと、何、どうするつもり!?」
「このまま誰かが来て、終わりにできるか!」
「何言って――」
再び抵抗しようとしたけれど、寝不足と食欲不振が続いた体は自分の言うことをきかず、足がもつれて良也に引かれるぎがままに動く。
第一資料室の奥、映像資料室の扉が良也によって開かれると、そこにあるソファに放り投げるかのように押されて、私はそのまま倒れこんだ。
「陸は知ってた? ここの部屋に一課のエリートさん達が仕事の気晴らしのために女をしょっちゅう連れ込んでるっていう噂があること」
良也は後ろ手にドアを閉めて内鍵を回す。私は身の危険と共に怒りを感じてソファから起き上がって抗議しようとした。
「そんな訳な――」
「しっ、黙って。ほら、今来たのも男と女だ」
「――――!」
私は扉の向こうから聞こえてきた声に言葉を失った。
――なんでこのタイミングで!?
私の動きが止まった隙を逃がさず良也が私に覆いかぶさり、私の口を押える。
ただ押さえられただけなのにそのタイミングで私の息は止まった。
「おい、何だ。わざわざうちの資料室で木野が何を調べたいっていうんだ?」
「はい。ちょっと、どうしても気になる調べ事がありまして――」
嫌だ。こんな状況最悪だ。
けれども、私の身体は金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。
耳元で良也の声がする。
「俺も榊課長と由香里が何を話すか気になる。少しの間静かにしてよう」
ああ、もう、最悪以上だ。
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