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02.Girls
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時刻は少し遡り、朝の7時半過ぎの、とある安ホテルの廊下。日差しが宙に舞う埃を小さく、チカチカと光らせていて、床はいつ崩れて足を踏み外してもおかしくはない。そんな廊下を、二人の少女がゆっくりと歩いていた。
「ねえ、あの話……聞いた?」
片方の、ウェーブのかかった髪を携えた小柄な少女が、もう片方に聞いた。ミニスカートをフリフリと揺らしながら、少々溜めて聞くものだから、きっとそれは言いにくい類のものなのだろう。
「……なにが? またポルノ映画に男を誘ってフラれた女の話?」
そう聞く片方は金髪のショートヘア。その容姿と相まって、ジャケットにジーンズというラフな格好なものだから、一見すると美少年にも見えるだろう。
「違うって。イト、知らないの? うちらのグループのやつが、ロジーのババアのオトコに手ぇ出して、ワニのいる池に突き落とされた話」
「あぁー、嫌んなるくらいよく聞いたよ。それが?」
心底辟易したように、イトと呼ばれたショートヘアの少女は相づちを打つ。ロジーとは、彼女らのパトロン。いわば、大ボスのようなものである。
彼女ら二人は、いわゆるストリートキッズと呼ばれる子供たちだ。身寄りもなく、頼れるものもなく、日銭を稼ぐために大人たちの危ないお使いをこなすだけの存在。毎日毎日、ただただひたすらにドブをさらうような日々。今回彼女らが、こうやってホテルの廊下を歩いているのも、その『危ないお使い』のためなのだ。あるいは、イトのその態度は、そんな現状を鑑みてのものかもしれない。
「なんでも、健康法だか何だかって言って、男に指のマッサージをしてたら、ババアに見つかったんだってさ。バカもいいとこ」
「……なに? ちょっと待て、ルーラ。手ぇ出したって、指をマッサージしただけ? それで『手を出した』って?」
「そうだよ、何さ?」
何を当然のことを聞いてるんだと言わんばかりに、ルーラと呼ばれた、ウェーブの髪の少女は首を傾げる。それを見て、イトは頭痛がしてきたのか、こめかみを指で抑えた。
こんなやり取りをしているが、この世界ではルーラの反応こそが一般的だ。彼女らがいる世界において、若く綺麗な男は、希少性と有用性が高い『商品』であり、人が当然に持てる自由や権利など、望むべくもなかった。件の少女の行いは、マフィアの大切な『商品』に、無断で手垢をつけたに等しい。
この世界の社会と歴史は、『力』を持った女が作っている。
「なあなあなあなあ、ちょっと、じゃあなに? 私たちは今、男の指を触ったからって、貰えるはずだった50ラルをふいにして、ベーグルを食べることも我慢してこんな朝っぱらから馬鹿みたいに歩いてるわけだ? たったそれだけのことにあのババアは癇癪起こして、払うべき金も払わねえわけだ! あの油ぎったクソババアはよぉ!」
「声がでかい、バカ! しょうがないじゃん、断ったら何されるか、散々見てきたでしょうよ」
「ッ……ああ、クソ!」
相当苛立ったのだろう。イトは壁を勢いよく殴った。
前述の通り、彼女らはストリートキッズだ。彼女らが死んで騒ぐ遺族など居るはずもない。それ故に、俗に言う法に触れる仕事、とりわけ命の保証がないような仕事に、パトロンたちは彼女らをよく使っていた。
学もなく、地位も保証もなく、そして消えればむしろ、社会から感謝されるような存在だ。そんな彼女らを、大人たちが積極的に使わないはずがなかった。
「イト……」
癇癪を起こしたイトに、ルーラは呆れたような、それとも心配したような声色で、イトを見る。
「……悪いルーラ、落ち着いた。さっさと終わらせよう」
「はぁ……終わったらさ、ベーグル御馳走するから。ほら、リバーサイドのレストランの」
ルーラが溜息をつきながらそういうと、イトは呆れたような目で彼女を見た。
「あのチョコを掛け過ぎてベッタベタの?」
「そう、あの異常にくどい」
そう言い合うと、二人はお互いに、乾いたような笑顔を見せた。それはどこか、現実を少しだけでも忘れられるようにと、そう願っているような、ある種の虚しさが潜んでいた。
イトとルーラはそれ以上何も喋らず、廊下を抜けてエレベータのボタンを押した。
(……いつまで、こんな生活しなきゃならないんだろうか)
エレベータを待っている間、イトはふとそんなことを考えていた。
こんな、一歩間違えれば死体も残らないような仕事を毎日していて、手に入るのは、貰えないよりはマシな程度の金だけだ。
そんな風に、昨日一緒に愚痴っていた仲間が、今日は下水道に浮いている。
少し前は、明日は自分の番じゃないかと考えて、眠れなくなった日も少なくなかった。
最近はそれに加えて、よしんば生き残ったとして、歳をとって老婆になってもこの生活なのか? と、それはある意味死ぬより恐ろしいように思えて、より大きな不安が頭を支配する。
不安が無かった日など、果たして自分の十数年の人生であっただろうか。イトは、自嘲でもするようにそんなことを考えた。
イトは、変化が欲しかった。
なんでもいい、この生活が一変するような、そんな変化なら、なんでも。
エレベータの到着した音がフロアに響く。イトはその音を聞いて、ひとまずそれ以上考えることを辞めた。二人は中に誰もいないことを確認して、エレベータに乗った。
「……ルーラ、準備」
「うん……」
イトは腰の部分に、ルーラはジャケットの懐にそれぞれ手を回した。
彼女らは手にした『錠剤』を一粒だけ飲み込んだ。
イトがリボルバーを。ルーラがオートマチックの拳銃を抜き出す。
弾倉の弾を見る。イトは6発のマグナムを、ルーラは7発のパラベラムを。
ルーラはセーフティを外す。
イトは撃鉄を引き、ワンアクションで撃てるようにする。
お互いが銃を再びしまった頃、ちょうど、エレベータの表示が目的の階になる。
チン、と、エレベータがついた音がした。
イトが、ロジーから聞いた部屋番号の場所へ向かう。
「……237号室、あれだよ、イト」
「……嫌な数字の並びだぜ」
それは望んでも無いのにすぐ見つかり、二人はその扉の前にそうっと忍び寄る。
「いくよ」
「OK」
ルーラの承諾を聞いて、イトは扉を3回、そして少し間をおいて4回、ロジーに聞いた通りのリズムでノックする。すると、中からロックを外した音が聞こえた。
扉が開く、その時点でイトからは、扉を開けた老婆と、そして朝食をとっている小太りの中年女性が見えた。
「おはよう、朝食中に失礼」
イトは憮然とした態度でそう言って、中に入っていく。
中に入ったとき、彼女はあるものを見て、動揺したように、目を見開いた。
黒髪黒瞳の、若い青年がいたのだ。
「ねえ、あの話……聞いた?」
片方の、ウェーブのかかった髪を携えた小柄な少女が、もう片方に聞いた。ミニスカートをフリフリと揺らしながら、少々溜めて聞くものだから、きっとそれは言いにくい類のものなのだろう。
「……なにが? またポルノ映画に男を誘ってフラれた女の話?」
そう聞く片方は金髪のショートヘア。その容姿と相まって、ジャケットにジーンズというラフな格好なものだから、一見すると美少年にも見えるだろう。
「違うって。イト、知らないの? うちらのグループのやつが、ロジーのババアのオトコに手ぇ出して、ワニのいる池に突き落とされた話」
「あぁー、嫌んなるくらいよく聞いたよ。それが?」
心底辟易したように、イトと呼ばれたショートヘアの少女は相づちを打つ。ロジーとは、彼女らのパトロン。いわば、大ボスのようなものである。
彼女ら二人は、いわゆるストリートキッズと呼ばれる子供たちだ。身寄りもなく、頼れるものもなく、日銭を稼ぐために大人たちの危ないお使いをこなすだけの存在。毎日毎日、ただただひたすらにドブをさらうような日々。今回彼女らが、こうやってホテルの廊下を歩いているのも、その『危ないお使い』のためなのだ。あるいは、イトのその態度は、そんな現状を鑑みてのものかもしれない。
「なんでも、健康法だか何だかって言って、男に指のマッサージをしてたら、ババアに見つかったんだってさ。バカもいいとこ」
「……なに? ちょっと待て、ルーラ。手ぇ出したって、指をマッサージしただけ? それで『手を出した』って?」
「そうだよ、何さ?」
何を当然のことを聞いてるんだと言わんばかりに、ルーラと呼ばれた、ウェーブの髪の少女は首を傾げる。それを見て、イトは頭痛がしてきたのか、こめかみを指で抑えた。
こんなやり取りをしているが、この世界ではルーラの反応こそが一般的だ。彼女らがいる世界において、若く綺麗な男は、希少性と有用性が高い『商品』であり、人が当然に持てる自由や権利など、望むべくもなかった。件の少女の行いは、マフィアの大切な『商品』に、無断で手垢をつけたに等しい。
この世界の社会と歴史は、『力』を持った女が作っている。
「なあなあなあなあ、ちょっと、じゃあなに? 私たちは今、男の指を触ったからって、貰えるはずだった50ラルをふいにして、ベーグルを食べることも我慢してこんな朝っぱらから馬鹿みたいに歩いてるわけだ? たったそれだけのことにあのババアは癇癪起こして、払うべき金も払わねえわけだ! あの油ぎったクソババアはよぉ!」
「声がでかい、バカ! しょうがないじゃん、断ったら何されるか、散々見てきたでしょうよ」
「ッ……ああ、クソ!」
相当苛立ったのだろう。イトは壁を勢いよく殴った。
前述の通り、彼女らはストリートキッズだ。彼女らが死んで騒ぐ遺族など居るはずもない。それ故に、俗に言う法に触れる仕事、とりわけ命の保証がないような仕事に、パトロンたちは彼女らをよく使っていた。
学もなく、地位も保証もなく、そして消えればむしろ、社会から感謝されるような存在だ。そんな彼女らを、大人たちが積極的に使わないはずがなかった。
「イト……」
癇癪を起こしたイトに、ルーラは呆れたような、それとも心配したような声色で、イトを見る。
「……悪いルーラ、落ち着いた。さっさと終わらせよう」
「はぁ……終わったらさ、ベーグル御馳走するから。ほら、リバーサイドのレストランの」
ルーラが溜息をつきながらそういうと、イトは呆れたような目で彼女を見た。
「あのチョコを掛け過ぎてベッタベタの?」
「そう、あの異常にくどい」
そう言い合うと、二人はお互いに、乾いたような笑顔を見せた。それはどこか、現実を少しだけでも忘れられるようにと、そう願っているような、ある種の虚しさが潜んでいた。
イトとルーラはそれ以上何も喋らず、廊下を抜けてエレベータのボタンを押した。
(……いつまで、こんな生活しなきゃならないんだろうか)
エレベータを待っている間、イトはふとそんなことを考えていた。
こんな、一歩間違えれば死体も残らないような仕事を毎日していて、手に入るのは、貰えないよりはマシな程度の金だけだ。
そんな風に、昨日一緒に愚痴っていた仲間が、今日は下水道に浮いている。
少し前は、明日は自分の番じゃないかと考えて、眠れなくなった日も少なくなかった。
最近はそれに加えて、よしんば生き残ったとして、歳をとって老婆になってもこの生活なのか? と、それはある意味死ぬより恐ろしいように思えて、より大きな不安が頭を支配する。
不安が無かった日など、果たして自分の十数年の人生であっただろうか。イトは、自嘲でもするようにそんなことを考えた。
イトは、変化が欲しかった。
なんでもいい、この生活が一変するような、そんな変化なら、なんでも。
エレベータの到着した音がフロアに響く。イトはその音を聞いて、ひとまずそれ以上考えることを辞めた。二人は中に誰もいないことを確認して、エレベータに乗った。
「……ルーラ、準備」
「うん……」
イトは腰の部分に、ルーラはジャケットの懐にそれぞれ手を回した。
彼女らは手にした『錠剤』を一粒だけ飲み込んだ。
イトがリボルバーを。ルーラがオートマチックの拳銃を抜き出す。
弾倉の弾を見る。イトは6発のマグナムを、ルーラは7発のパラベラムを。
ルーラはセーフティを外す。
イトは撃鉄を引き、ワンアクションで撃てるようにする。
お互いが銃を再びしまった頃、ちょうど、エレベータの表示が目的の階になる。
チン、と、エレベータがついた音がした。
イトが、ロジーから聞いた部屋番号の場所へ向かう。
「……237号室、あれだよ、イト」
「……嫌な数字の並びだぜ」
それは望んでも無いのにすぐ見つかり、二人はその扉の前にそうっと忍び寄る。
「いくよ」
「OK」
ルーラの承諾を聞いて、イトは扉を3回、そして少し間をおいて4回、ロジーに聞いた通りのリズムでノックする。すると、中からロックを外した音が聞こえた。
扉が開く、その時点でイトからは、扉を開けた老婆と、そして朝食をとっている小太りの中年女性が見えた。
「おはよう、朝食中に失礼」
イトは憮然とした態度でそう言って、中に入っていく。
中に入ったとき、彼女はあるものを見て、動揺したように、目を見開いた。
黒髪黒瞳の、若い青年がいたのだ。
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