あなたの檻の扉をひらいて

瑞月

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1.思い出した苦い過去

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「こっちこっちー!」
「あ! リコ久しぶりー!」  

 私は入口の暖簾をくぐったアリスに、手を振って場所を知らせた。
 ここの個室は入口からは分かりづらいところにあるから、入ってきてすぐに声をかけることができてよかった。
 先ほど降り始めた雪で、アリスの肩口は少し濡れている。大判のストールをぐるぐると巻いて、鼻を少し赤らめた顔は外の寒さを物語っていた。  

「このお店すぐわかった? 最近ここよく来てるんだ」
「地図アプリでなんとか。すごいね、雰囲気いいねぇ、ここ」  

 そう言うとアリスはコートを脱ぎながら、店内をぐるりと見回した。
 店内の内装は漆喰の白壁と濃い茶色の建具がメインだ。そこに鮮やかな色の小物の数々が彩りを添えていて、オシャレで可愛らしい。
 ひとりでも気兼ねなく入れる雰囲気のお店で、同僚に教えてもらってからというもの度々訪れていた。  

「いらっしゃいませ。オーダーはテーブルのタブレットからどうぞ」  

 すっかり見知った顔の店員さんが、アリスにおしぼりとひざ掛けを持ってきてくれた。
 その姿に私が会釈すると、金髪を緩く首筋で結んだ彼はにこりと微笑んで「いつもありがとうございます」と囁いて去っていった。
 アリスと向かいあって座ると、まずは机のタブレットを操作して飲み物を選びはじめる。
 私はまずはビールかな。
「うーん、あ、わたしこれにしよ~。金魚サワーってやつ。かわいい~」
 画面には、ブルーのカクテルに金魚にみたてた赤い実が浮いてる写真が映っていた。

「アリスと会うのいつぶりだっけ? 元気にしてた?」  

 手元のメニュータブレットで前菜のページをスワイプしながら、私はアリスに尋ねた。
 今日の飲み会の誘いはアリスからだった。
 中学の頃からの友達のアリスとはもう10年以上の付き合いになる。
 アリスは大体何かやらかした時に私を誘ってくることが多い。前回誘われた時は、同僚と酔った勢いでセックスしてしまって気まずいという相談だったはずだ。
 ……というのも、その後仕事の愚痴大会になって酔いつぶれて、肝心の相談内容はあまり覚えていないんだけれど。

(そういえばあの話どうなったんだろ。今日もあの話の続きかな?)

 今日のアリスは栗色の明るい地毛を緩く胸元に下ろして、ふわふわの白いニットワンピースを着ていた。
 面倒くさがりで髪を肩より長くは伸ばせない私とは違って、アリスはいつも可愛いくしている。
 アリスはそんなふんわりした見た目だけど、資格をとって専門職で働くしっかりした面もあって、私と違っていつも恋の話に事欠くことがない。 
  
「う、うん。元気……にはしてた」
「? またなんかあったの? まずはかんぱー……、あれ? アリス指輪してる?」
「うっ」
「おおっ左手薬指! 彼氏できたのー? いつから? ってかそのリング、石すっごく大きくない?」
「うぅ……」  

 私が目ざとく発見したアリスの指に嵌められたリングは、鮮やかな空色の石が主張する大きなものだった。

「前に会ったのが寒くなり始めだったよね、10月だったっけ。付き合ってどれくらい? 前に言ってた職場のひと? リングってもしかしてもう結婚の話とか出てるの?」  

 お通しのガーリック枝豆を摘まみながらそう聞くと、アリスはいよいよもって複雑な表情を浮かべた。
 ステムのないグラスに入ったカクテルをぎゅっと包み込むように握りしめて、次々置かれていく料理にも手をつけようとしない。  

「……アリス?」
「リコ……、あの……今日は聞いてもらいたいことがあって……」
「うん、聞くよ? どうしたの? なんかあった?」  

 アリスのこの表情。
 なんだろう、彼氏はヤのつくご職業とかじゃないでしょうね? え、まさかDV?
 強ばった表情のアリスに、自然と私のグラスを握る手にも力がこもるのを感じた。  

「……リコって、結構あの、性に奔放なとこ、あったよね。だから引かないで聞いてくれると思うんだけど……」
「はぁ!?」
「あぁ、怒んないで! 高校の時とかほら、彼氏と何回もしたとか、寝かしてくれなかったとか言ってたじゃん」
「……いつの話してんのよ」  

 突然アリスが始めた高校生の頃の話に、思わず眉間に皺が寄るのを感じた。
 高校の頃の話なんて思い出したくもない。
 高校に入学してすぐにできた初めての彼氏は、猿か! って言いたくなるようなガッツきっぷりで、確かに時間があればセックスしていた。
 若さって恐ろしい。
 でも大学進学して遠距離恋愛になってからは、会う時間もなくなって色々あって別れてしまった。
 ……ついでに、それきりもう5年ばかし彼氏もできていない。
 学生時代の苦い思い出を浮かべたグラスなんて、呷っても変な酔いが回りそうだ。
 私はグラスを遠ざけた。

「私の昔の話なんて今いいでしょ。アリスはどうしたのよ」  

 あービールはダメだ。次は日本酒でもいこっかなー。でもチャンポンすると悪酔いするんだよなぁ。やっぱり次もビールかな。
 ドリンクメニューに視線を走らせながらアリスにそう声をかけると、しょんぼりと小さくなっている。
 だからさっきから、どうしたというんだろう?  

「……あの……、あのね、彼氏ができたの。2ヶ月くらい前、なんだけど」
「うん」  

 あ、この今月の新メニューの砂肝ネギまみれ美味しいなー。次はつくねも頼もっと。肉食べよ、肉。  

「たまたまうちのドラッグストアに来て、接客したのが切っ掛けだったんだよね。それでその……彼が、すごく、あのなんて言うんだろ、……あっちが強くて」
「……セックスが?」
「あぁあ、ハッキリ言わないで! 恥ずかしい!」  

 さっき私に性が奔放だとか言い放ったのはそっちでしょうよ。私は砂肝をもぎゅもぎゅ噛みながら、じとっと睨めつけた。
 私なんかよりよっぽど経験が多いのに、セックスの一つも口にだして言えないアリスは、ぷるぷる赤い顔をして一生懸命にその彼氏の話を始めた。 

「あの、彼はね、ルツって言うんだけど、ルツは獣人だったのよね」

「あーー……」  

 獣人。
 アリスから発せられたその単語で、私はアリスの態度のあらかたを納得した。
 というか、私の若気の至りを、獣人の番に対する執着と一緒にしてもらっては困る。
 獣人はもともと500年程前に新大陸で発見された、獣の特性を色濃く受け継ぐ人たちだ。
 発見された当初は迫害を受けた歴史や支配しようとする大国との戦争もあったようだけれど、現代ではその能力の高さ、そしてその優れた容姿にむしろ羨望の的になることのほうが多い。
 いまこの国では獣人のひとも、混血のひともたくさん住んでいる。
 純血のひとは獣化する力があるというけれど、普段の見た目は普通のヒトそのものだから、存在を意識することは少ない。
 確かに存在しているし、実際は多いんだろうけど、能力がすごいな、とか綺麗なひとだなと思ったら獣人で、あーそうなんだー成程ってくらい。  

 それよりもよく人々の口に上るのは、獣人の番への甘い恋物語だ。
 昔は獣人の番への執着から事件も多かったそうだけれど、ヒトと交わるにつれ、その獣人特有の傾向も薄れてきていると聞く。
 でも出会った瞬間に雷に打たれたかのように恋に落ちて、ただ一人を愛しぬくという獣人の恋には憧れるひとが多いし、実際モチーフにした小説やドラマや映画が、いつもどこかでやっている。 

「それでその、彼はその特に、番、あの私に対する執着が、強いみたいで」  

 アリスは恥ずかしそうに顔を伏せて小さく呟いた。ようやく、今日アリスが私を呼び出した理由がわかった。

「だろうねぇ。よく2ヶ月やそこらでこうやって外出できてるね? うちの同僚、獣人に見初められて3ヶ月近く監禁されたらしいよ」
「か、監禁……! いや、そうなのよ、そうなのよ! 最初のうちはルツが獣人だって聞いてなくて、あれこのひとちょっと嫉妬深いのかな? て思ってたんだけど、その内あれ? なんかこれって度を越してない? て思い始めて……」  

 聞けば出会ったその日のうちに飲みに行くことになり、そのまま彼の部屋へ。
 そうして付き合うようになったものの、素敵な彼の熱心な求愛に、アリスも夢見心地だったそうだ。
 そしてラブラブでアリスも目が曇ってる1ヶ月が過ぎ、あれ、随分と熱烈過ぎないかな?とやっと気がついた。
 こんなに朝まで何回もどろどろになるまでセックスすることや、お風呂から食事まで全ての面倒をみようとする彼に、いつまでこれが続くの? と冷静になってきてしまったそうだ。
 極めつきはアリスの仕事。
 アリスは薬剤師として今はドラッグストアの中の調剤薬局で働いているのだが、『男のいる職場には行かないでほしい』ときたものだ。
 そこで、これじゃあダメだと侃々諤々、丁々発止の話し合いがおこなわれたらしい。
 いわば獣人の習性と女性の権利との戦い。
 そして、アリスはその戦いに勝利した。

「それは頑張ったねぇ……、アリス本当によく今日飲みに来られたね?」
「これ……」  

 伏し目がちにアリスは私の前にスマホを出した。画面の中には、2つの丸がピコピコ光ってる。  

「ん? なんのアプリ? ……これ、GPS?」
「会話を盗聴するのだけはやめてもらった」
「おぉ…………、ってかこれルツさん近くにいるよね? 店の外?」
「うん。お迎えにスタンバイしてる」
「えええ? それは中に入ってもらったほうがいいんじゃないの? 外いま雪じゃん!」

「大丈夫、ルツは犬の獣人だから。それに寒くなったらさすがにどっか中に入っているよ」  

 もう慣れているのだろうか、アリスはそう言ってけらけらと笑った。
 なにが大丈夫なのかよく分からないけどそう言われてしまうと、とりあえず私もそっかぁと頷いておいた。
 あ、イタリアンチーズつくね冷めちゃった、残念。  

「それでわたしもうこんなに人生でえっちするの初めてで! それでそういえばリコは昔凄かったなって思い出したのよね。高校の時の彼氏の……うーんとなんだっけ、あ、エリウス君だっけ? エリウス君て獣人だったの?」
「えー? あれはただの思春期の猿でしょ」
「そっかぁ、猿の獣人かぁ。納得。いやーリコの高校の頃はすごかったよねぇ~。リコに話しかけるな、リコを見るなで大変だったもんね。でも今思えば、あんなに執着されてたのによく別れられたよね」  
「いやいやいや。……うーん、なんか別れる時随分と揉めた気はするけど。あれはただエルが女々しかっただけだよ」  

『――わかった。25になってもひとりだったら、俺と結婚してよ。約束して。約束してくれるなら別れてもいい』  

 私の高校卒業後の進路で、とにかくエルと揉めて。
 説得を試みたものの、私と違って地元の大学を志望していたエルとはどこまでいっても平行線だった。
 結局反対を押し切ってこの街の大学に進学したものの、毎日何をしていたかの報告も兼ねた電話が段々苦痛になってきて。
 エルも不安で、私も不安で。それは不満になってどんどん積み重なっていった。  

『わたしはもっと他のひととも遊びたいし、エルに承諾を得ずにどこへでも行きたいの!』  

 あの頃の私はエルにだけ縛られるのが嫌で、そんなことを言った気がする。
 見えないエルの檻に囚われているようで、苦しかった。
 エルと別れたかった訳じゃない、でも話し合いがどこまでいっても平行線で、どうしようもない状態が3か月も経った頃、その時エルが言ったんだ。
 約束してくれるなら別れてもいい、って。
 25歳というのはその時エルと計算した期間。
 大学を卒業して22歳、就職をして、社会の見聞を深めて、自分のお金で旅行して。
 まぁ少し早いけど25歳くらいになったら落ち着いて結婚してもいいかなっていう年齢。
 まぁその頃になったら、私にもエルにも他の相手ができているかもしれないし。
 そうだったら、その時は潔く諦めることも約束して。
   
 ――気がつけばひとりの生活を謳歌しようとしたものの、私は全くモテず鳴かず飛ばず、結局今までひとりで過ごしてきてしまった。 
  
「……私、来週25だ」  

 ポツリと思わず私がそう漏らすと、アリスもため息をついた。  

「同い年だから当たり前だけど、わたしもだよぉー。大人になったもんだよねぇ。……わたしは近いうちにとりあえず籍だけいれることになりそう、かな。ルツが心配で仕方ないみたいだから。あ、次はこのいちご杏仁サワーにしようかな」
「アリスってば、ルツさん待たせてるのに、そんな飲んでていいの?」
「ふふ、あと一杯だけ」
   
 ふわふわなアリスは甘ったるいお酒ばかりを頼んでいる。
 なんだかんだと今日の話も結局は惚気だったなぁ、突然の呼び出しはそんなことだろうと思ったけど。
 アリスは愛され上手で可愛らしくて、いつもキラキラしてて。
 そんなアリスの空色の指輪を眺めながら飲んだビールは、ぬるくて随分と苦く感じた。
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