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10.性教育

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 さて、ルーファスが涙ながらに宝石を差し出してきたあの日から、何度か閨の特訓のような日々があった。閨どころか、抱擁にも涙目、共寝もできない状態だから、まずは触れ合いの特訓というところだが。

 そうしてルーファスとはまたしばらくの間、夕食の時しか顔を合わさない日々が続いていた。
 そんな彼の研究が一息ついたと聞いたのは、今日の朝。
 久しぶりの夫との逢瀬に、セリスは気合十分で挑んでいた。

「さて夫殿、一週間ぶりだな」
「は……はいぃ……」
「怖がらなくていい。まずは前回のおさらいだ。抱擁してもいいか?」
「う……あの、お願いします……」

 そうして真っ赤になってうつむきながら、こちらに向かってルーファスが手を広げた。
 緊張のためか指先が強張って、変な角度で固まったままプルプルと震えている。
 あぁ可愛い。
 セリスはこみ上げる想いを抑えながら、ゆっくりとルーファスの広げた腕の中に身体をうずめた。
 怖がらせないように、そっとゆっくり。セリスが近づくとすぐに逃げて行ってしまう小動物を思いだし、慎重に慎重に近づいた。

「っ……、っ……」

 そしてゆっくりとルーファスの胸元に顔を寄せると、ルーファスは声にならないうめき声をあげた。

「ふふ、慣れてきたかな」
「ひゃ、ひゃい」

 ルーファスの体温も匂いも心地いい。
 おっかなびっくりしているルーファスに体重を寄せてみるが、誰かに身体を預けたことなどない身体は、勝手に加減してしまう。
 なかなかまだ難しい。
 そうして本日の抱擁を終えると、夫婦ふたりで並んで寝台に腰掛けた。

「夫殿はこの一週間、何か閨については勉強していたか?」
「あ……はい、空いた時間に何冊か書物を読みました。恐らく大体の知識は仕入れられたと思うのですが」
「そうか、知識は大事だものな。どんな本を読んでいたんだ?」

 一瞬、セリスの脳裏に騎士団で見つけたことのある淫らな本が浮かんだ。
 それは煽情的な恰好の女性たちが数人で、ひとりの男性にしなだれかかっている姿が表紙に描かれていた。
 まさかとは思うが、ルーファスがもしああいった本から知識を得ていたら、自分に対応できるかどうか。
 妻ひとりで満足できないと言われたらどうしよう。もし、もうひとり妻を迎えたいと言われたら。
 そんなことがあったら、セリスにはとても対応できない、そう思った。
 ――だが世の中には自分自身の意思では到底抗うことのできない、性癖というものが存在するらしい。
 それが夫殿の性癖だとするならば、善処することもやぶさかではない。
 夫殿がどんな閨を求めているのか。
 読んできた書物の内容を思い出そうと書き付けをめくる夫の姿を、セリスは覚悟を決めながらじっと答えを待った。

「やはり基本から学ばねばならないと思い、解剖学と人体の生理学、原点にかえって創世記から始めてみました」
「そ、……?」
「はい。イザークとイザーナの国つくりの交わりを、あの、読みました。解釈に違いがあるといけないので、新約と旧約と」
「……それで、何かわかった?」
「うーん、挿絵が抽象的でよく……。途中で燃え盛る赤子を産み落とした所くらいから、よく分からなくなってしまいました。でも、あの二柱が裸になって抱き合ってましたね。だからきっと裸で重なって寝ればいいのかなって!」

 ルーファスの笑顔が眩しい。
 貴族には閨事の教育が、実施で行われるらしい。庶民は年頃になると、当然とそういった事に触れ、初体験を済ます年齢も随分と低いと聞く。
 だが興味もなくひたすら勉学に邁進していると、この程度の性知識しか得られない我が国は、果たして大丈夫なのだろうか。
 本人の興味や資質に頼らず、王立学園できちんとした性教育の授業を行なうよう、進言してみようかとセリスは遠い目になる。
 しばしの現実逃避の後、少し痛むこめかみをもみこんでから、セリスはルーファスの手を握った。

「うん。勉強してくれてありがとう、夫殿」
「え、えへへ……」
「でも私の読んでいた本の方が、もう少し詳しく書いてあるようだったから、そちらを試してみてもいいだろうか。神々の国つくりと、人間の性交は些か趣がちがうようだよ」
「へーそうなんですね。じゃあ走ってこなくても大丈夫ですか?」
「走る? なぜ?」
「あの、互いの熱を交わらせると書いてあったので。体温を上げていたほうがより効率的なのかと……」
「――うん、それはしなくても良い」

 そうなんですねえ、セリスさんは物知りだなぁそう言いながら微笑みを向ける可愛い夫の尊厳を守るべく、新妻によるにわか仕込みの性教育の授業が幕を開けた。


「えーとまず、こちらが出産に関する本で、これが貴族子弟向けに使われる房術の本、これが夜の蝶を描いた小説だ」
「夜に飛ぶ蝶が何か性交に関係あるんですか? そういった薬効が得られるとか?」
「あぁ、すまない。娼妓……えーと、性交とそれにまつわるサービスを提供することを職業にしているひとのことだ。今回のこれは女性だな」
「ほ、ほおぉ……」

 とりあえず近隣の街に赴いた時に、目に付くそういった本を大体買い求めてきた。それを次々とルーファスの前に積み上げていく。
 ルーファスは魔術の研究に熱心なだけあって、きっと実践に移る前に知識を必要とするタイプだと思われた。
 セリスの思っていた通り、ルーファスは本の山を前にして慄くどころか目を輝かせている。

「あとこちらの方が、一般庶民のもとで出回っている春本だ。あー春本っていうのは、性欲を駆り立てる目的で作られた本という解釈でいいと思う。……でもこれは私もよくわからなかったから、こういうものがあるという参考程度でいいと思う」
「わからなかったというのは?」
「これは女性の相手が人間ではなく、タコだった」

 メモをとりながら耳を傾けていたルーファスの動きがぴたりと止まった。
 無理もないことだとセリスは思う。
 自分でも言っていて何のことなのかよくわからない。

「たこ? タコというと、蛸?」
「この本によると、触手を操り女性の精を餌にする蛸型の魔物がいるらしい」

 だが、荒唐無稽が過ぎるから御伽噺かもしれないな。
 そう付け足して、改めてその本に視線を落とした。
 そこにはあられもない姿の女性と、どこかいやらしい顔をしてグロテスクに触手を操る蛸。
 ……そんな魔物がいるなんて聞いたこともない。セリスも自信がなくなってきた。

「ちなみにこっちの本のこれは、男性の精を求めて現れる淫魔というのが描かれている。買いはしなかったが、水辺に潜み、通りかかった者の尻からシリコダマという精気を抜くという、頭に皿があり、背に甲羅を背負った魔物の本もあった」
「……恐ろしいですね……。でもとてもじゃないですが、それで性欲が掻き立てられるんでしょうか? 卑猥な本ではなくて、全国のギルドに討伐依頼を出すべき危険な魔物の生態を描いているのでは?」
「うーん、確かにそれもあり得るかもしれないな……。棚が間違っていたのかもしれない。これらの本はじゃあ私のほうで処分しておく」
「はい。じゃあ僕はこちらの本から読ませていただきますね」

 そして、最後にもう一度ぎこちない抱擁を交わし、それぞれの寝室で休むために、夫婦の寝室を後にした。
 枕元には本を山積みにし、新しい知識を詰め込みながら満ち足りた気持ちで眠りについたというのに、その夜見たのは頭に皿を乗せ背に甲羅を背負った緑色の魔物が出てくる悪夢だった。
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