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憂鬱な転生【カノンの場合】

2.ヒロインの光と影 2

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 初めてする乙女ゲームには、すごくのめりこんだ。
 素敵なイラスト、色々なキャラクターのイヤホン越しの甘い美声、難しい能力値パラメーター上げ、先の読めない展開に、寝る間を惜しんでプレイしているところだった。

 現実では男のひとと親しく話したことも、手を握ったこともない。
 素敵なひとに憧れることはあっても、そのひとが自分なんかに興味をもつはずがないと思っていたし、そして実際その通りだった。
 携帯電話も持たせてもらえなかった高校時代。一度そんな彼女に手紙をくれたひとがいたけれど、それがうっかり母親に見つかってしまって、大声で罵りながら破かれてしまったことがあった。
 何がそんなに気に食わなかったのかはわからない。言われた内容は覚えていないけれど、その時の説教はいつにもましてひどく長かったことは覚えている。

 昨年、我が家を支配していた祖父が亡くなった。
 それと機を同じくして早期退職をした父親が、単身赴任先から戻ってきた。
 そうして、物心ついてから初めての、十数年ぶりの親子3人の生活が始まった。
 だがその期待と不安をよそに、父親はたくさんの水槽を買い込んで、日がな一日熱帯魚の飼育に没頭している。
 父親と母親がたいした会話をしているところを見たことはない。
 会話をしていないくせに毎日のように、仕事から帰ってきた彼女に、母親は父親の愚痴を吹き込んできた。
 あの日は、いつものようにその愚痴を聞き流して、興味もないテレビを眺めていた。
 そうしていつの間にかリビングで眠ってしまっていた。そのはずなのに。

 カノンは、はぁっとため息を吐きだした。

 ――…私には荷が重すぎる…。

 自分以外になりたいとは願っていた。そう、ここではないどこかに行ってしまいたいって。でもまさかこのゲームで、しかもヒロインじゃなくても…。
 この世界だとしても、主人公なんかでなければ、もっとこの状況を楽しめたかもしれないのに。

 これはいわゆる転生というのだろうか。
 舞宮カノンとして生まれ、育ってきたこれまでの記憶は確かにあるけれど、それにしては今は以前の自分自身であった時の記憶のほうが色濃い。


◇◇◇◇◇


 このゲームは、主人公である舞宮カノンが音楽学園に編入し、ヴァイオリンの腕を磨きながら、素敵な男の子たちと恋愛をするという物語だ。
 プロローグでは父親を病気で亡くした幼いカノンが、家のクローゼットのなかで、父親の形見であるヴァイオリンを見つけるところから始まる。

 カノンの父親は、休日にはいつも母親とカノンにヴァイオリンを聞かせてくれていた。
 その腕前も、仕事の傍ら市民交響楽団でコンサート・マスターを務めるくらいのもので、小さいカノンは父親と一緒に見よう見まねでヴァイオリンを鳴らすのが大好きだった。
 いつも家族一緒で、音楽が傍にある楽しい時間。
 だがある日、父親の病気が発覚する。たった数か月の闘病の後、誰の心の準備ができる間もなく、父親はこの世を去ってしまった。

 家のなかから音が消えた。

 目まぐるしく環境が変わるなか、悲しみと共に仕舞い込まれてしまったヴァイオリン。そして、幼いカノンはずっとそれを探していた。

「やっと見つけた――……」

 小さな身体で、ヴァイオリンを抱きしめた。
 それはカノンにとっては、大事な父親との再会だった。

 そうしてカノンは、母親の仕事の帰りを待つ時間を、ヴァイオリンを奏でて待つようになった。
 ヴァイオリンの音色は彼女に寄り添い、淋しさを埋めてくれる唯一だった。
 いつしか音楽の道を夢見るが、ひとり親で苦労する母親には、どうしてもそのことを言い出せない。

 そんな思いを抱えながら16歳の誕生日を迎えたある日、学校から帰ると、自室の机の上に小さなプレゼントの箱が置かれているのを見つけた。
 メッセージカードには『パパより。16歳のカノンへ』の文字。
 その箱に入っていたのは、円を描くように中心から外側に向かって小さな星屑が散りばめられたブローチだった。
 そのブローチをつけて演奏すると、それまでにない素晴らしい音色を奏でることができて――……。


◇◇◇◇◇


 そこからとんとん拍子に音楽学園への道が開けて、今日という日を迎えたのだ。

 門をくぐると、特徴的な天使のモニュメントを象った噴水がある。そこから右手には、ミッション系である学園を象徴する大きな鐘塔のある礼拝堂。
 そして噴水から真っ直ぐすすむと、学園の正面玄関がある。そこにはゲームのオープニングそのままの光景が広がっていた。

 ――あぁ、この桜の花びらが舞う学園の門、オープニングの曲が聞こえるようだわ……。

 そんなことを考えながら、この麗華音楽学園の門をくぐった。
 今は特別な行事の時にしか鳴らすことのない、鐘塔の鐘。鐘の鳴っている時に告白するとその恋は叶うという、いかにもな言い伝えがある。
 中途ゲームオーバーが多いこのゲームで、見事ゲームのエンディングを迎えられると、鐘の音を聞くことができる。
 それを目指して頑張ろうと、鐘塔を仰ぎ見ながらぎゅっと拳を握りしめた。

 職員室で先生方に挨拶をしながら、いちおう胸元のブローチをポケットに隠した。ゲームのパッケージにもこのブローチを付けたカノンが描かれていたし、特に校則的にも問題はないのだろうけれど。
 このブローチが魔法のアイテムのようで、このブローチをつけて奏でるヴァイオリンは周囲の人に感動を与える、という設定だ。
 学園ではいつ演奏することになるかわからない。カノンのヴァイオリンは誰に師事したこともない全くの独学であったし、自分自身の腕前といえば、小さいころに数年習っていただけのものだ。聴衆を魅了するような、ヒロイン足る実力は持っていない。
 だから、ブローチは欠かすことができない。

「君が編入生の舞宮カノンさん?俺、3年の萌木玲央!俺さ、ヴィオラ弾くんだー仲良くしよー!」

 職員室を出たところで話しかけてきた、子犬のように無邪気にほほ笑む玲央の顔に、言いようもない感情がこみ上げた。

 ――入学早々、攻略対象か…。そりゃあそうか、ヒロインだもんね…。
 やっぱりシナリオ通り進行するんだ。自分がカノンとしてここに存在する意味はなんだろう。ヒロインとして、必要されているからだろうか。

「……はい、編入したてで心細かったので、声をかけていただけて嬉しいです。よろしくお願いします!」

 カノンは精一杯の笑顔を浮かべた。いつか見た画面の中の女の子を思い浮かべて。主人公らしい精一杯の、戸惑いと、よろこびを浮かべた笑顔。

 自分にはヒロインなんて無理だと思った。いっそのこと学園への編入を取り消してもらおうとした。だが、それも叶わなかった。
 もう、この世界の理は、ゲームは始まってしまったのだ。

 そして私はその主人公。それなら、いっそシナリオ通りに振舞うしかない。
 そう、舞宮カノンヒロイン らしく。
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