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16.キースの独り言

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「ふー……、さすがに疲れたな……」

 制服のジャケットを無造作に椅子に投げ捨てる。取り出したタバコに魔石で火をつけ、タイを緩めた。大の大人が寝転んでもまだ余裕のある大きなソファーに、乱暴に腰を下ろす。
 任務を終えて自室に戻ったころ、時計は3時を回っていた。

(さっきのあの二人……気になるな……、特にあのセレーネ・アイルス……)

 脳裏に、先ほどの茶色のふわふわした髪がちらつく。

(そういえば、この間の魔石のペンダントの礼、できなかったな……)

 先日もらった癒しの魔石のペンダント、エリーゼは最近、記憶こそ戻らないものの、感情が表れるようになった。今の精神年齢はまるで子どものようだ。俺を認識し、領地に戻る度に笑顔で迎えてくれるようになった。
 見た目とのアンバランスさに心は痛くなる。だが、それでも一点を見つめ、人形のように表情も動かさず、息をしているかも不安になるほどだった頃からすれば、見違える程の回復だ。

 カサ……

 胸元から、紙切れを取り出す。キーになる術式の魔力を通すと、真っ白だったそれに字が浮かび上がってくる。
 今日、学園の倉庫で女から預かったものだ。学園でとりまいてくる女生徒の一人に、王都で大きな商店を営む家の娘がいた。今日はアルレーヌは王城に上がっていて不在だった。そのタイミングで、その娘が父親からの情報を持って、接触してくる手筈になっていた。今は竜使いの一族も王都に来ている。今後の任務についての情報交換にはうってつけのタイミングだった。

 ――近々東の港で大きな取引がある――

「―――!」

 もたらされた情報に、紙片を握る手に力がこもる。
 なかなか尻尾を現さない、取引の現場。事前に知ることが出来たのは大きい。しかも情報によると用意されている船はかなりの大きさだ。
 もし本当ならこの規模の取引を、木端貴族が行えるはずがない。今度こそ、黒幕の尻尾を掴むことが出来るかもしれない。
 はやる気持ちを抑え、紙片をタバコの火で燃やし尽くす。

 元々礼儀とは無縁な粗雑な育ちの自分に、近衛騎士だなんて堅苦しいことこの上ない。あのアルレーヌの監視役だなんて、この特別な任務に関係なければ断りたかったところだ。
 しかもあいつは、表面はにこやかにしているが、内面は何を考えているか、見当もつかない。自分自身が美しいということもあって、特定の美しいものにしか興味をもたないように見える。

(でもさっきはあの子に、興味を持ったようだったか……?)

 いつも通り深夜に寮に戻ってくるアルレーヌを迎えに校門にでていた時、何か魔力の動きを感じて咄嗟に向かった。
 周囲には夜にも関わらず、花の蜜のような、透き通った甘い香りが漂っていた。高位の魔力保持者同士にだけわかる、大きな魔力を行使した後に残る僅かな残り香。
 そしてそこには、竜使いの一族のライと、セレーネがいた。何を思ったのか、平素のアルレーヌからすると、寮まで送るだなんて、言い出すとは意外だった。

「……ふー……」

 揺蕩う紫煙を、ぼんやりと眺める。

(前にも思ったけど、あのふわふわとした茶色の髪……どこかで……?)

 ……何かがさっきから、記憶の片隅に引っかかる。

 茶色の髪、甘い香り、

 ……血、泣き声、白い光……。

 ……村? ……そうだ、これは村にいた頃の記憶だ。

 ――俺は生まれながらに魔力が強く、王都から離れた貧しい村では浮いた存在だった。
 母さんと、俺と、1歳年下の妹のエリーゼ。俺は産まれながらに青い髪、エリーゼは水色の髪を持っていた。
 父さんはエリーゼが産まれてすぐに、狩りで亡くなった。3人でどうにか暮らしていたけれど、俺が6歳を過ぎた頃、大きな魔力を持つ子供の噂を聞きつけた貴族が、頻繁に村に訪れるようになった。
 母さんはいつも断っていたけれど、俺のことを無理やり攫おうとするやつもいて、身体の弱い母さんとの3人の暮らしも限界に近づいていた。

 そんな時、たまに来る教会の炊き出しに、見慣れない子がいた。
 名前はなんだったろう……? 一生懸命教会の仕事を手伝う、その姿は茶色いふわふわした髪、肌は真っ白で、薔薇色の頬、澄んだ綺麗な目をしていた。

「あんたは可愛いねぇ。髪がそんな色じゃなかったら、キースみたいに貴族様に望まれただろうにね」

 なんて隣のおばさんが話していたのを覚えている。
 エリーゼと年の近かったその子は仕事の合間をみて、よく一緒に遊んでいるようだった。

 あれはあの子に会って何度目かの炊き出しの日。
 ーー……そうだ、あの時いなくなったエリーゼとあの子を探しに入った森の中で、|双頭の熊コクトーベアに襲われたんだ。

 コクトーベアの襲撃を、どうにか氷の魔法で退けたけど、負った傷の深さと初めて使う大きな魔力に酔って、俺はそのままその場に倒れ伏した。

 朦朧とする意識、熱い身体、苦しい鼓動。
 泣きわめくエリーゼの声を聞きながら、目を閉じようとしたとき、誰かが俺の手を握った。その時に確かに感じた、白銀の光、甘い香り、癒しの風……。

 気が付くと家のベッドの上で、俺の身体には、コクトーベアからの傷はなかった。
 傷を負っていたことを知らない大人たちからは『コクトーベアに相対して無傷だなんて』『運が良かった』『流石の氷の魔力だ』そう言われて、そのまま記憶を辿ることもしなかった。

 そして、その年の冬に母さんが亡くなって、エリーゼと共に侯爵家に養子に出た俺は、もうその子に会うことはなかった。

 今日、セレーネ・アイルスに会うまで忘れていた、幼い日の出来事。

 今まで思い出すこともなかった。

(……あの、少女が、セレーネだとしたら……)

 ドクン

「まさか……」

 あの祈りの力のこもった魔石のネックレス。
 驚く程エリーゼは回復してきている。……あれが単なる祈りの力? ……癒しの力?

 高揚感に皮膚が粟立つ。
 今年18歳を迎えた茶色い髪の少女。

 甘い香りを放つ、教会の娘。

 自分の中でパズルのピースがカチッとハマるのを感じた。もうずっと失くしていた一欠けら。

(おいおい、今日のあの甘い魔力の残り香……何に月の魔力を使ったのか知らないけれど、学園でそんなことするなんて、迂闊すぎるだろう……!)

 この国でその存在を知らない者などいない。俺自身も、今の任務に就くまで伝承の中にしか存在していないと思っていたが……。そして今、この時に王家にその存在を知られる訳には、いかない。

 ピシリッ……

 気が付くと、知らぬ間に己から漏れ出た魔力が、手の煙草を凍らせていた。

 俺はソファーをたつと、窓辺にもたれかかった。
 カーテンの隙間から徐々に東の空が白んでくるのが見える。

 ……そうだ、あの日、俺はエリーゼを庇って傷を負って恐怖に立ちすくんでいた。なのにあの子は近くの木の棒を持って、コクトーベアの前に立ちはだかった。
 あの子は小さな身体で魔力なんかないのに、俺たちを庇ったんだ。
 俺はこんな小さな女の子に守られてちゃだめだって我に返って、なんとかコクトーベアを追い払ったけど……。

(普通は木の棒で立ち向かうなんてこと、できないよな)

 苦笑が漏れる。

 そんな娘が、あの”月の乙女”だとは。

「……恩を返すよ、セレーネ」

 昇ってきた朝日を感じながら、そう呟いた。
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