エターナル

社会不適合者

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翌日、爆睡から目が覚めた戒斗は支度を済ませ、予定時刻より10分ほど早く合流場所に着いていた。〝うへぇ。干からびそうだ。炭化する〟戒斗はタンキングの真似事を無意識にしながら思った。暑い。突っ立っているだけで汗が流れていく。この殺人太陽から降り注ぐ光線はまるで、太陽が人を憎んでいるかのようだ。
しかし、それも仕方ないように思えてしまう。ヒトだけが環境に順応せず、この地球(ほし)におけるかけがえのない自然(たからもの)を破壊して、自らが暮らしていきやすいように改変しているのだから。
 今か今かと相手の到着を待ち望んでいた。来た。黒のバンだ。それを見た者達は一同に立ち止まり振り返った。だが、それだけだった。あまり興味のひくものではなかったのか。はたまた自身の予定が迫っていたのか。我関セズとばかりに踵(きびす)を返して歩き去っていった。バンは戒斗の前に到着した。
「お暑いところ、お待たせしてすいません。どうぞお使いください」
降りてきたスタッフは言った。その手には、タオルとペットボトルのアクエリがあった。
「ありがとうございます」戒斗はすぐさまその2つを受け取った。
 アクエリは一旦、持ってきていたバッグにしまった。タオルを両手に広げる。そのタオルはつい先程までクーラーボックスにでも入れていたかと思うくらいに冷たい。戒斗は間髪入れずその冷たさの中に顔を埋(うず)めた。
〝ふぃー生き返るぅ〟戒斗は続いて両腕と首周りを拭いた。
「ありがとうございます。助かりました」
「もう大丈夫ですか?」
「ひと口だけ、飲んでもいいですか? アクエリ」
「どうぞ」
そう促された戒斗は、バッグに入れたアクエリを取り出し、蓋(ふた)を開けて一息に飲んだ。
これも冷えに冷えている。全身が眠りから覚醒(さ)めるように冷気が駆け巡る。ひと口と言いつつ、ゴクゴクと三口も飲んでしまった。「ぷはぁ。もう大丈夫です」戒斗はそう言うと、アクエリの蓋を閉めて再びバッグにしまった。
「では、改めてお名前をフルネームでこちらの機械に向かってお応え下さい」
そう言うとスタッフは、スーツの内ポケットからスキャナーと思しき物を取り出し戒斗に向けた。ピピッ。スキャナーの電源が入った。
「時任戒斗です」ピピピッ。スキャナーが反応した。
「認証できました。では、これからとある施設へ向かいます。お乗りください」
「分かりました」そう言うなり、戒斗は車に乗った。
「出発する前にお願いがあります。この目隠しとヘッドホンを渡しますので着けてください」
「ナゼですか?」
「このシミュレーションVRの在処を他者に知られてしまうと危険が伴うのですよ。それも、命を脅(おびや)かす程に。なんせ極秘プロジェクトですから」
ごくり……。戒斗は生唾を飲んだ。怖い。が、恐怖より好奇心の方が勝ってしまった。「分かりました。着けます」と、震える声で何とか応えて、渡された2つを受け取った。
「それともう一つ。外すタイミングは私共で指示します。手順としてはまず、貴方の肩を叩きます。その合図でヘッドホンを外してください。それから降りてしばらく歩きます。その際には、手を引いて導きますので安心して歩いて下さい。施設の前に到着した時点で『着きました』とお伝えします。そうしたら目隠しを外してください。本当に危険なので合図があるまでは決して外さないで下さい。」
そう念を押すスタッフ目は少し怖かった。
「は、はい」〝『目は口ほどにモノを言う』とは正にこの事だな〟そう思いながら、戒斗は2つを着けた。何かの拍子で外れたり、ズレたりといったトラブルを考えて用心にと目を瞑(つむ)っておいた。念には念をってやつだ。
この時点で入ってくる情報(しげき)は、車からの振動とヘッドホンから聞こえるクラシック、カーエアコンの涼しさ。そして、車に置かれたコロンの匂いと4種類だけになった。『視界を奪われること』。それ自体が、これ程にも人を不安に陥れるものなのか。戒斗は妙な孤独感に囚われた。もしかしたら、すでに独りなのかもしれない、と。「す、すいません。手を握ってもらえませんか?」ダメ元で言ってみた。自身の声自体は喉が震えたから出てはいるはず。ただ……相手に伝わっている確信は何も無い。差し伸べてくれるのなら藁(わら)にだってすがりたい。そんな思いだ。
 そんな矢先、新たなシゲキが手から入ってきた。手を握られた感覚だ。温かい。温もりというものは、こんなにも安らぎを与えてくれるものなのか。戒斗は自身が独りではないというコトに安心感を覚えた。
 ヘッドホンからのクラシックと手から伝わる温もりから心の安堵を得た戒斗は、襲ってきた睡魔に抗うことなくそのまま眠った。
子供時代に戻ったかのように。


 爆睡から徐徐に現実へ引き戻される。肩を叩かれた。その優しい衝撃によって、戒斗は微睡(まどろ)みから抜け出した。「着きました。車からは降りますが、まだ目隠しの方は外さないで下さい。入り口までお連れ致しますので」
「分かりました」と戒斗は応えた。
ヘッドホンを外した。不安はない。疑念もない。手を握ってもらえたコトで戒斗とスタッフの間には、〈信頼〉という名を冠したキズナが生まれていた。
 ドアが開く音がして、手を再び握ってもらう。その音とほぼ同時のタイミングで新たな刺激が一気に増えた。皮膚に感じる吹き付ける風にジリジリとくる太陽からの熱。鼻を通る磯の匂い。〝この場所は海辺だろうか。はたまた崖に近いところだろうか。崖だったら怖いな〟戒斗の頬を伝う。
ザッザッザッザ……。戒斗とスタッフ数名の足音が聞こえる。今、戒斗は己にしか受けることの出来ない体験をする処へ足を運んでいる。会ったばかりの人たちと共に。
「入口に着きました。目隠しを外してください」
「分かりました」と返事をして、目隠しを外し、戒斗はスタッフに返した。
眩しい。遮られていた『視覚』の情報が飛び込んでくる。場所的には大まかに言って崖だ。昔見たことのある刑事ドラマのラストの場面でよく出てくるような崖。ほぼその先端に近い所にピラミッド型の建物がある。外観からして材質は太陽光発電に使うパネルに近いモノのようだ。となると、建物を使って電気を賄っているのか。
〝入り口の前なんだよなぁ。ドア無いけど〟戒斗は首を傾げ一人、困惑していた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
「では中へ入ります」戒斗の困惑を置き去りにして、スタッフはそう言うと、スーツのポケットからカードキーを取り出して正面から斜め上にかざした。
すると瞬く間に、真正面にあたる壁の一部分の色が変わり自動ドアのように開いた。どうやら、上部に埋め込まれた小型カメラにカードキーを読み込ませて開くシステムのようだ。
 戒斗は珍しいものを見るように、周りをキョロキョロと見渡している。スタッフに導かれ奥へ奥へと歩みを進める戒斗。その歩くスピードは外にいた時よりも遥かに上がっている。
〝そうか。下はトラベレーターのようなものになっているのか〟戒斗は自身を独りでに納得させていた。

 中へ入って20分くらいだろうか、拓けた場所に出た。どうやら『目的地』に着いたみたいだ。その中央にはいかにもな見慣れない機械がある。〝もしや、あれが『エターナル』……〟戒斗はその近未来的な形状に目を奪われた。
「では、戒斗さん。我々は準備を始めます。念のため、この『エターナル』についての注意事項をお伝え致します。まず一つ目。エターナルは精密機械ですので金属及び磁気を帯びた物などの持ち込みは絶対に禁止です。続いて二つ目。この度、被験者として選ばれた戒斗さん。既に数回、我々の方で起動実験を済ませ、危険性に関してはある程度の把握は出来ました。ですが、人には個人差というものがあります。ですので、貴方自身にどういった影響を及ぼすかは私共には分かりかねます。異変や不調などを感じた時には、シミュレーション途中であっても『停止!』と叫んでください。責任を持って、我々が即座に止めます。以上、この2点が注意すべき内容になります。何か質問はございませんか?」
「いえ、特にありまぜん」
「では、準備をお願いします」
「分かりました」といって戒斗はバッグにスマホ、財布、少しだけ金属が使われているベルトを入れてスタッフに預けた。ベルトはファッションとして締めていただけだったから、外してもジーパンがずり下がるといった支障は無かった。
 スタッフが数人で合図を送りあっている。そろそろ準備が終わるんだろか。そんなことを漠然と考えていると、バッグを預けたスタッフと違うスタッフが一人、戒斗の許へ駆け寄った。
「それでは、準備できましたので『エターナル』に乗って下さい」
「はい」と言って、戒斗は『エターナル』に近づいた。
『エターナル』のハッチが開く。戒斗は『エターナル』乗り込んだ。ハッチが閉じ正面のスクリーンには、展開するシミュレーションのタイトルが横書きで縦に表示されていた。
「えーっと何々……『WIZE―人類監視システム』『自殺支援サイト―ノアの方舟』『青年の叛逆』『ウラヌス』『神の目(ゴッドアイ)』項目は5つか。じゃ、上からいきますか」戒斗は最初のタイトルを選んだ。


……あたりを見渡す。スーパーコンピューター然としたハードディスク群が有名店の行列の如く連なっている。それと、ホログラムというやつなのかモアイ像の顔のようなものが浮いている。
 急に頭の中へ多く情報が流れ込んできた。そうか。これがWIZE。人類を監視する人工知能なんだ。造ったのは父親の番(つがい)町司(まちつかさ)と他の有志数名。最終的には父の司が独りで完成までもっていったんだ。
 で、この世界での設定された名は番(つがい)町(まち)覚(さとる)。司の息子というワケだな。そして今、隣にいる人は彼女にあたる宮村莉菜(みやむらりな)か。こんな綺麗な娘がリアルで彼女なら男冥利に尽きるってもんだな。
「ちょっと、ボーっとしないで覚。あの人を止めないと人類が滅亡してしまう。」
そう言ってきた莉菜が指した方向に覚は目を向けた。〝え? な…ん…で……〟指し示された方向にいる黒幕の正体に愕然(がくぜん)とした。
黒幕は、就職祝いにと父から教えてもらった以来、覚が足繁(あししげ)く通っていた喫茶店『Thera(セラ)』のマスター。末胤(すえたね)。その人だった。仕事においての悩みやら愚痴やら相談事やら色々とさせてもらっていたのに。
マスターはかつて父とともにWIZEの製作と構築・開発に携わっていた。父の親友であって戦友。そして……良き理解者のはずだった。
だが、その人工知能を危うさに気がついてしまった彼は父に製作の中止を訴えた。しかし、父は出資者・協力者を裏切るような真似は出来ないと言い張り、使命感や義務感、責任感から造り上げてしまった。
 その事から彼は父と断絶した。そして、人のみが我が物顔で生存し続ける世界。ロボット、アンドロイド、システムといったものに何もかもが支配され監視される社会。人の意志なんぞ度外視で能率と効率、その二つの言葉のみを追い求め心の豊かさをかなぐり棄てた社会。そんな世の中に諦観と幻滅、疑問を持ってしまったマスターはたったひとり、反旗を翻(ひるがえ)した。
 彼が心に決めたコト。それは、人の意志が反映されない社会の壊滅と自身を含めた人間の駆逐。この2点。
「もう耐えられないんだ俺は。誰もかれもどこか機械的で心がそこに無い奴ばかり。遠い遥か昔には存在していた他の生物たちはヒトの過ちによって淘汰されてしまった。このまま、ヒトが我が物顔でのさばっていてはいつの日か自然が完全に駆逐され、この地球は死の星と化してしまう。だからこれは贖罪なんだ。俺を含めたヒト全てを滅ぼし、ヒトが侵した環境を一度リセットして、地球に返さなくてはいけない刻(とき)なんだ。WIZEはもう止まらない。あの暴走はヒトを全て滅ぼすまで続く」
そう言うと末胤は、ポケットからカプセルを取り出して飲み込んだ。そしてそのまま彼は倒れこんだ。


「わぁぁぁぁ!」戒斗は耐え切れず大声で叫んだ。「お疲れ様です。以上で第一のシミュレーションを終わります」機械的な音声が聞こえる。〝良かった。シミュレーションか〟ふぅっと胸を撫で下ろす。感情移入しすぎて途中すっかり忘れていた。シミュレーションだということを。
「如何でしたか? 『エターナル』のシミュレーションは」
バッグを預かっているスタッフが、戒斗の許に駆け寄り体験の感想を聞いた。〝シミュレーションといえど、情報が多量に入ってくる感覚といい、心をかき乱される感じといい、すぐにもう一度体験するのは危なそうだなぁ〟そう考えた戒斗はスタッフに相談した。
「すいません、その事なんですが。妙な疲れが出てきたので、今日のところはこれで終わりたいのですが」シミュレーションの体験前と後で自身の体における負担や体調の変化を感じ、戒斗は申し訳なさそうに伝えた。
「分かりました。どうやら貴方はシミュレーション内のキャラクターに対し自身を投影(トレース)する能力が高いようだ」「すいません」そうなのか? と疑問に思いつつも戒斗はもう一度謝った。〝ベルト、財布、スマホ、小説。よし、全部あるな〟癖になった指さし確認を終えた戒斗は、バッグからベルトを取り出しジーパンに通した。続いてスマホと財布をジーパンのポケットにねじ込んだ。
〝にしても狭いのな。中は〟

 『エターナル』は卵形で自らがハッチを開けて中に座るそんな構造だった。ちょうど乗用車の助手席、運転席を少しねかせた感じというべきか。とにかくそんな状態でしかも、シミュレーション中は怪我防止のためなのか体はベルトで固定されていた。いつ、装着したのか分からないが恐らく仮想世界へダイブする間に巻きついて固定したのだろう。
とりあえず、そんな状態で体験するもんだから体がこわばって仕方がない。戒斗はバッグを床に置き柔軟体操を始めた。そして、先ほど体験したシミュレーションを考える。
〝あのシミュレーション、変に現実味帯びてたな。確かに、このまま人工知能に学習プログラム入れて、まして感情まで持たせたら危ない世界が待っているかもしれないな〟
 
しばらくするとスタッフが一人、戒斗の許へ来た。「仕度が終わりました。行きましょう」
『エターナル』が置かれた広間を出、来た時の道をスタッフとともに戻る戒斗。心理時間というものなのか。入り口=出口にはあっという間に着いた。
「戒斗さん、すいません。また着けてもらうことになります」
スタッフの一人が、申し訳なさそうに声を発し目隠しを差し出した。「分かりました」と言って戒斗はすぐさま承諾した。目隠しを受け取る。いや、訂正。受け取ろうとした。
 その時、ちょうどスマホが鳴りだした。
「すいません」「どうぞ」
戒斗はポケットからスマホを取り出した。ただのアラームだった。機能を切り忘れていたようだ。
〝あれ? ここ、圏外なんだ〟戒斗は、スマホの圏外の文字から何故か目が離せなかった。
「もう良いですか?」「す、すいませんもう終わります」慌ててスマホの電源を切り乱暴にバッグへ突っ込んだ。それから差し出された目隠しを受け取った。
来た時と同じく、目隠しを着けて手を掴んでもらい車のある所までその状態で歩いた。
〝また休みの日に来よう〟戒斗は車に乗りヘッドホンを付けた。


「着きました。これから降ります」「分かりました」
車のドアが開く音がする。ヘッドホンを外され、スタッフに手を引かれる形で降りた戒斗は嗅ぎ慣れた匂いに変わっているコトに気がついた。
〝あれ? この匂い。そうか。戻ってきたんだな。現実に〟あのSFチックな場所から戻ったのだ。自身が生きる現実(せかい)に。
「では、我々はこれにて。それと、今回見たこと体験したことは他言無用でお願いします」
「分かりました。すいません、シミュレーション全て終わらせられなくて」
「いえ。貴方が特別なんです。あのシミュレーション中は、体験した者にしか分からない負担がある上に、その負担には個人差があると我々も聞き及んでおります。またお時間が出来ましたら連絡ください」
一人のスタッフが小さく折られた紙を戒斗に渡した。
 車はスタッフ全員が乗り込むと足早に去っていった。車が見えなくなったのを確かめた戒斗は、渡された紙を広げた。そこには携帯の電話番号が小さく書かれていた。そして、『スマホにご自身のみが分かる形で登録し、この紙は文字が判別出来なくなるように処分の程お願いします』と一文記されていた。
 広げた紙を再び小さく折り内ポケットに入れる。帰路を急ぐ戒斗。湿度が高めだが行きよりか日差しも和らいで、風が戦(そよ)ぎ丁度良い涼しさになっていた。
自身の部屋に着いた戒斗はすぐさま番号をスマホに登録して、部屋を借りた時から既に置かれていた灰皿を棚から取り出し、用済みとなった紙を灰皿に置いて引出しからコンロを使う時くらいしか使い道の無いマッチを手に取り火を着けた。
〝これで良いんだよな〟戒斗は、紙がメラメラと炎をあげ燃えていく様を見ながら思った。部屋にはその匂いが立ち込める。もし処分していなかったらどうなるのか、と妙考が浮かんだが時間遡行(タイム・スリップ)技術がまだ確立されていない現状では確かめようが無かった。
 網戸のある窓を開け、空気を入れ換える。
〝とりま、また明日からまた仕事だし、切り替えますかね〟そう考え、戒斗は早々に寝間着に着替え床に就いた。


 「皆さん、この一週間お疲れ様でした。十分に体を休め、また月曜から頑張りましょう」
戒斗が身を置く仕事現場のリーダーの締めで月曜から金曜に渡る激務が終わった。
 〝やれやれ、やっと終わったか。外注生産だから忙しさのバランスがどうもおかしいんだよなぁ。暇な時はめちゃんこ暇だし。何とかならんもんかね〟心の中で戒斗は愚痴をこぼした。
 週末最後の平日となる金曜日の仕事を、滞りなく終わらせた(とはいっても、カンバンと呼ばれるノルマの量が殺人的なんだよな。これが)戒斗は更衣室で私服に着替えバッグを持ち仕事場をあとにした。休日の予定を考えつつ家路を急ぐ。
〝久々に彼女でも誘ってカラオケと馳せ参じますかね? 予定合わん時はどうしよ? とりま、近くのカラオケ屋を調べておくか〟
戒斗はコンビニへ立ち寄った。聞きなれたBGMとともに入店する。おもむろに買い物カゴを取って、弁当(麦飯の上に肉が乗っかったもの)とペットボトルの飲み物をカゴへ入れる。
 レジへ並ぶと、先客がカゴ1ついっぱいに商品を入れていたので中々終わらず自分の番が来なかった。戒斗の後にも一人、また一人と並び始めた。〝こりゃちょっとまずいかな・・・〟一抹の焦りを戒斗は感じた。
「二番目にお待ちのお客様、こちらへどうぞ」バックヤードにいた店員が駆け足で出てきて、慌ててもう片方のレジを空ける。それから、戒斗がカゴを目の前に置いた瞬間手早くハンドスキャナーで送品のバーコードを読み取った。
「498円になります。弁当は温めますか?」
「熱めでお願いします」
「分かりました」スキャンし終えた店員は、すぐさま弁当を電子レンジに入れて温めのスイッチを押した。
「とりあえず、1000円チャージで」猛スピードでレジ対応をする店員を他所に、千円札を出して戒斗は言った。
「分かりました」店員は札を受け取りレジの操作をした。その間に財布をカードスキャナーにかざす戒斗。ティロリン。チャージ完了を知らせる音が鳴った。「続いて支払いです」店員がそう言ってレジ操作をすると、先ほどと同じ音が鳴った。今度は支払い完了の音だ。ペットボトルを先に受け取る。
 店員はレンジから温め終わった弁当を取り出し、備品の箸と一緒に専用のレジ袋に入れだした。
「あ、袋要らないすよ。食べてくんで」イートインコーナーを軽く指さし、戒斗は言った。
「すいません。ありがとうございます。レシートは?」店員は袋から出した弁当と箸を戒斗に渡して聞いた。
「ください」と言って戒斗はペットボトルを上着のポケットに突っ込み、弁当と箸を片手に持った。手の皮が厚かったためなのか、それとも、熱さに慣れたのか定かではないが弁当を熱いと感じなかった。「どうぞ」と店員が言って渡してきたレシートにさっと目を通し、不要レシート箱に入れる。
 イートインヘ向かう。座る席は大体決まって一番奥の席だ。少しだけ壁に寄り掛かれるし、なにしろ落ち着く。一呼吸おき、戒斗は買った物を並べ席に着いた。
〝便利なもんだねしかし。あるとあるで使いたくなるのか人の心理ってやつは。したっけ、それは店側の経営戦略にまんまと嵌(は)められてる訳だわな〟弁当の蓋を開けながら、そんなことを戒斗は考えた。
 箸を取り出す。弁当の匂いが鼻腔(びこう)に到達してから空腹という楽器は鳴りっぱなしだ。
弁当を食べ進めつつ、本来の目的であるカラオケ屋を調べるコトにした。道中、バッグからカーゴパンツのポケットに移したスマホを取り出して、コンビニのWiFiポイントに繋(つな)ぐ。『接続済み』の文字が見えた。インターネットのアプリを開く。主に使っている検索エンジンはYahoo!だ。
 と、調べ始める前にトップページの載っている記事の文が目に留(と)まった。
『ロボットに学習機能と感情を持たせる実験に成功』
〝あーぁ〟戒斗はシミュレーションで体験した内容と酷似した状況が近い内に来る予感がして得体のしれない恐怖を覚えた。
 同時に、『エターナル』が導きだした解答を知らなくてはいけないとも思った。実験を成功させた教授は、『近い将来、人間がロボットを今のペットみたく連れて歩くようになるかもしれません』とコメントしている。
 その記事の文章全てに目を通し終えた戒斗は寒さを感じ身震いした。腕には鳥肌がびっしり立っている。〝いや、ダメだろ。んな世界。怖すぎる〟頭の中からは、最早カラオケの事も彼女の事も飛んでしまっていた。〝もう、体験した以上は全ての解答を知らなきゃいけないんだ。後戻りは利かない。残されたシミュレーションを体験すること。それこそが自身に課せられた義務であり使命なんだ〟
 戒斗は教えてもらった番号に連絡をした。声が響かないよう口元を隠す形をとって。
「もしもし」
「お待ちしておりました。時間は空きそうですか?」
「はい。明日、シミュレーションを受けたいです」伝わるギリギリの声量で伝えた。
「では、またお迎えにあがります。13時に以前と同じ場所にて合流しましょう」
「分かりました」会話は終わった。

 翌日、戒斗は歩きなのにも関わらず合流場所に早く着いていた。それが、義務感からか、はたまた使命感からか、全くの見当違いで単なる興味からか、そんなことは定かではない。
〝12:30か。ちと早いな〟
 心臓の鼓動が若干速い。まぁこれが、次のシミュレーションに対して淡い期待を持ち合わせているからなのか自身にも良く分からないコトなのだが。
 汗が滲み出てきた。太陽光線が殺人的なせいだ。
〝暑いな。アクエリ買ってこよ〟 周りを見渡した。あった。
コンビニだ。戒斗はコンビニに駆け込んだ。自動ドアが観音(かんのん)開きで開く。
 当たり前の光景なんだろうが、よくよく考えてみるとこれも一種、店側の経営戦略なんではなかろうか。ドアが開くのと同時に身体を通り抜ける涼しい風。なんだか招待されている気分だ。さらに店員からの『いらっっしゃいませ』という声。これに気分を害する者はそうはいないだろう。もしいるとするなら、その者はかなりの偏屈者(へんくつもの)だ。
〝さながら砂漠の中のオアシスだな。外にでるのを躊躇(ためら)ってしまう〟戒斗はその思いに、心のキャパシティを二割ほど譲っていた。
小腹もすいたし、食べ物も買うか。と、ペットボトルのあるコーナーへ向かった。一目散(いちもくさん)に100円のアクエリを手に取った。そして、そのままオニギリ売り場に向かう。すると隣にはサンドイッチがあるではないか。タマゴのサンドイッチには目が無い戒斗は少し悩んだ。
〝うーん。イクラのオニギリにしようか、タマゴのサンドイッチにしようか。考えどころだなぁ〟
小銭入れのガマ口を開ける。以前はお札も小銭もいっしょくたにして長財布1つに入れていたが、僅かながらも煩わしさを覚えてからは、すぐ使えるように小銭入れを持ち歩くようになったのだ。
 〝よし、朝飯はパンだったからエネルギー補給も兼ねてオニギリだな〟脳内の会議に答を出した戒斗は、イクラのオニギリを取りレジへ向かった。
 レジ付近は、時間的なものか運が良かったのか、それとも元々あまり客の来ない店だったのか、待つこともなくすんなりと勘定に入れた。閑散とした店内にピッピッっとハンドスキャナーの機械音が鳴り響いている。
「340円になります」店員からそう言われた戒斗は小銭入れを漁り、ちょうどの金額を店員に渡した。「袋は要らないっす」
「分かりました。どうぞ」
商品を受け取りコンビニを出る。〝ふぃー。やっぱ外は暑いな〟コンビニの影があるおかげで、太陽光線自体は避けられたが、外にでた事ですぐさま襲ってくるむわっとした熱気そのものはどうしても避けようがない。
 スマホの時間を確認し、後10分と差し迫っている実状に気付いた戒斗は急いで腹ごしらえを始めた。店を出る時、バッグに入れたアクエリを取りだしフタを開け一口飲む。フタを閉めて、再びバッグに入れて、それからオニギリを取りだしその封を切る。だがここには一つの障害があった。
それは、スムーズに切れないという障害。時間制限のある中でこれに当たってしまうのは致命的だった。〝もうちょい包装が切れやすいと良いんだけどなぁ〟心でボヤキを入れつつ、戒斗は若干焦った。
なんとか海苔が砕けてしまうコトなく封を切ることに成功した。待ちきれんとばかりに、口を大きく開け、包装から解き放たれたソレを口いっぱいに頬張った。
途端に味覚のセンサーが暴れだす。イクラのプチっと弾ける食感。その度に口の中全体に広がる醤油の香ばしく芳醇な香りと海苔の芳しい風味。〝うん。包装はハズレたけど、オニギリ自体は当りだな〟不気味な笑みがこぼれそうになる。なんと表現するべきか、まるで古来から脈々と受け継がれているDNAが喜んでいるようだ。
〟おっと、危ないアブナイ〟なんとかその前に口を隠せた。そして再び、バッグからアクエリを取りだし、今度は飲み干した。〝よし、落ち着いた〟一口残ったオニギリを放り込むこれで昼飯の時間は終わった。スマホで時間を確かめる。
〝時間まで残り3分。余裕だな〟
再度、店内を訪れ、備えられているゴミ箱へペットボトルとオニギリの包装を捨てた。小走りで合流地点へ戻ると、ちょうど相手方の車も到着した。
「お待たせしました」スタッフが一人降りてきて会釈をする。いえ、大丈夫です。と、戒斗も返した。
双方の会釈が終わると、そのスタッフは目隠しとヘッドホンを渡してきた。〝あ、これはかわあらないのな。ま、しょうがないか。こっちの安全を考慮してくれているんだし〟甘んじて受け入れ装着する。
またあのシミュレーションマシンで体験をする。平日の合間を縫いながら、調べて分かった事といえば、大勢の応募者がいたのにも関わらず当選したのは自分自身だけということだ。そこも気になるところだが、それよりもこの世が歩んでいる運命(みち)の危うさを知らなくてはならない。それは、この立場になった今では自身に課せられた宿命。そんなふうに捉え始めた戒斗は、他の者達とは一線を画(かく)す今まで感じた特別な感覚、『優越感』といったものに酔いしれ、燃えた。

 「着きました。降りて下さい」最初と同じ手順でスタッフに手を引かれ降りる。ヘッドホンを外す。
施設の前へ着き、目隠しを外す。一度しか見ていない光景だが、戒斗にとっては既に見慣れたものに成り変わっていた。初めて見た時はその近未来的光景から辺りをキョロキョロとまるで子供のように見渡したものだがもうしない。
 知りたいのは残り一つだけとなっているシミュレーションの内容だ。興味そそるタイトル。一つからあの現実じみた衝撃(こたえ)。
最早、戒斗はその内容を知るという事に対し、『探究者』や『隷属者』といった存在にジョブチェンジしていた。
「準備が整いました。お願いします」
「分かりました」
貴重品類をバッグへ入れて、スタッフに預ける。マシンの方へ歩みを進める。
ハッチが開き、流れるように戒斗は中へ座った。座り心地が良くなっている。中の空間的にも伸びが出来る程とはいかないが、広くなっているようだ。これなら身体が凝らなくて済みそうだ。腰痛を患っている自身にとっては有難きチューンナップと言えるだろう。
 和んだ気持ちで戒斗は二番目にあたるタイトルを選択した。


 場所は、どうやら病院のようだ。病院特有の薬品的な独特な臭いが立ち込めている。そしてなんだか妙に薄暗い。
 だんだんに目が慣れてきた。それと同時に周りの状況も徐々に判ってきた。
戒斗と対峙するようにいるのは医者だ。白衣が見えた。結構、歳いってるな。と、勝手に邪推した。そして、隣に立つのは女性で、20代後半に見えるところからおそらくは同年代だろう。長髪で
スタイル良く、まさに『ビジネスウーマン』さながらといった風貌だ。
 と、ここで『例のアレ』が来た。シミュレーション世界における情報の流入だ。
〝ぐ・・・!〟
戒斗は耐えた。吐き気を催す程の情報量だったが、なんとか耐えきった。そして、把握した。

このシミュレーション世界での名は柏谷琉壱(かしわだにりゅういち)。隣の女性は、琉壱の元彼女(モトカノ)にあたる仲内茉莉(なかうちまつり)という名だ。
でもって、眼前の白衣を着たご老人はこの病院の院長を務めている仲内裕造(なかうちゆうぞう)。茉莉の祖父でもある人物だ。
琉壱は、友の裏切りや茉莉との別れなどから孤独に苛(さいな)まれ、自殺支援サイト『ノアの方舟(はこぶね)』にアクセスしてしまった。一方、琉壱と別れてからの茉莉は、仕事上における派閥争いやそれに伴う人間関係、度重なる様々なハラスメント、癒しを求めて登録したサイトでの詐欺、両親の他界と心が壊れてしまう程の不幸に続く不幸の大連続に、人間不信に陥りサイトにアクセスしてしまった。
だが、サイトの自殺イベント当日に奇跡の邂逅(かいこう)を果たした二人は、再出発を決意して逃避行を始めた。
 そして、サイトの運営に携わる黒幕が仲内裕造である残酷な真実に辿り着いてしまった。
彼は、表では大病院の心優しき院長として誰からも慕われており、人気が高かった。琉壱も、茉莉と一緒にプライベートで会いなにかとお世話になっていた。一時期は年を取った時の理想的な人物像に掲げていた。
 そんな聖人みたいな人が、裏では人が決して踏み込んではいけない『人命コントロール』をしていた。聖人は既に自らその神聖な羽を捥(も)いで、身勝手極まりない傲慢な支配者に堕ちていたのだ。
 彼が関わっていた深淵(ダークサイド)は想像出来る範疇を遥かに超えていた。人類世界が抱える闇そのものだった。
 支援者は、メディア等で顔を見る機会の多い政財界の重鎮の名が大多数を占めていた。中には、『時の人』と謳われた人の名まで記されていた。

 裕造は、深呼吸をしてゆっくり事のあらましを語り始めた。
「目的は『人類の繁栄と不老不死』。この2点だ。カラクリとしてはまず、サイトにアクセスした自殺志願者を1箇所に集め集団自殺をさせる。練炭、首吊り、その他あらゆる方法でな。次に、予(あらかじ)め雇っておいた金の亡者達を使い、遺体の回収と目的地への搬送を行う。アルバイトを雇うのはすこぶる容易だった。『超高額アルバイト』と銘打っておけば、貧乏蝿共が何の疑いもせず応募してくる訳だからな。人手は簡単に確保できたのだよ。大型の掲示板等にも根回しをして、別で雇ったサクラを使い『稼げるバイト』として広げる。こっちのほうは一度、火種を撒けば自然と拡散してくれる。あとの作業は、私の病院の地下にある極秘の部屋で使える死体と使えない死体に分ける。それこそ、ゴミの分別をするようにな。人体製造、人体実験、遺伝子操作、認可の下りてない臓器移植に臓器売買、それに雇ったアルバイトの中でも死体搬送役から何名か人身売買もした。きゃつら、他言無用だってのにここのコトを言いふらそうとするんだからな。当然、SNSも管理下に置いた。出資者の中には世界を裏から牛耳るフィクサー的存在の人がいるんだよ。言うなればまさに都市伝説を超える『世界伝説』とでもいえる存在がな。その人の力でもって、SNSを管理下に置くエシュロンや多岐に渡る自殺方法、その他にも知恵と知識を与えてもらった。サイトを用いた死体の調達方法やインターネットを管理下に置くシステム。『エシュロン』。あれは良い。『利便性に対する免疫の消滅』が利用できる。今や、インターネットだのSNSだのといった利便性に長けたツールを敬遠する変者(かわりもの)はそういないからな。SNS等のツールを使えばこっちにプライバシーは筒抜けだ。人類の繁栄に関してはどうでもいいが、不老不死は一医学者として興味があってだな、研究はしてみたかったが倫理やこの世のルールに雁字搦めにされている状態では手が出せなかったのだよ。医学を志す者にとっての最大の夢は『不老不死の実現』と常々思っていたからな。支援者が現れた時には、研究者の魂が騒ぎ出した。もう火蓋は切って落とされたのだよ。今、ここで私が命を絶とうとも必ずや後継者が現れるだろう。止めるコトなぞ出来る訳がないのだよ。何人たりともな。何故ならば、全世界の夢という名を騙った『この世の暗黒面』なのだからな。さて、私は見つかってしまった以上、消される運命(みち)しか残されていないのだから自らの手で終止符を打つとするよ。茉莉。こんな闇に染まっていた爺ちゃんの孫でごめんな。それでも爺ちゃん、孫が生まれたと聞いた時には嬉しかった。今でも心のそこから喜んだ当時を思い出せる。一体、どこでどう違えてしまったんだろな、儂の道は。ではな、茉莉」

 裕造は一気呵成に語り終えると、白衣から通常サイズより一回りか小さい注射器を取りだすと、自身の頸動脈に刺した。その中の液体が裕造の体へ取り込まれる。そして、入りきったのと時同じくしてその体は崩れるように倒れた。
 「おじいちゃん!」気丈に保っていた茉莉は、甲高い声をあげ裕造に駆け寄り抱きかかえた。
「残念だのう。サイトさえ創らなければ、そのうち曾孫の顔も見れたかもしれんのに。茉莉、本当にごめんな。孫に生まれてきてアリガトな。願わくば、曾孫の顔が見たかった・・・」
 裕造はそう言い残し息絶えた。それも、茉莉の腕に抱えられながら。茉莉は周りを破壊しそうな大音量の声をあげて泣いた。おそらく病院の一階にも響いてしまった事だろう。
 〝無理もない。肉親がこうも次々と亡くなってしまっては俺だってこうなる〟琉壱は目を閉じ、泣かずまいと、歯を食いしばり両(りょう)拳(こぶし)を握りしめた。
「サイト運営を継ぐわ。琉ちゃんも協力して。いつの日か、時間はかかるけど私の一生を懸けてでもお爺ちゃんを甦らせる。そうすれば、曾孫を見せてあげられるわ」
ひとしきり涙した茉莉は、亡くなった裕造を腕から降ろして、決心を固めたのようにすっくと立ち上がり言った。そう言う彼女の瞳からは希望の光が失せていた。再び、話を始める彼女。
「結局、人の最期は孤独(ひとり)なのよ。残酷な話だけど。此岸(しがん)に絶望して、生きていくコトに意味や価値を見出せないのなら自殺もやむを得ないわ。耐えられない所まで来てしまったのなら逃げるしかないのよ。このサイトは必要悪なのよ。最期の最後の『逃げ道』としてね」
彼女の止まることなく語るその態は、まるで自身に無理矢理言い聞かせているかのようだった。瞳には泪がうっすらと浮かび上がっている。
〝無理しやがって・・・〟彼女の真の声なき声を察した琉壱は、コートのポケットに両手を入れ彼女に近づきながら話しだした。左のポケットには小さな箱が入っている。その箱を握って近づく。箱からエネルギーを貰うように。
「神話世界におけるパンドラの匣だな、このサイトは。確かに、創ってしまったのは君の祖父だ。沢山の犠牲と絶望が生まれてしまった。けど、それでもその奥底にはか細いながらも確かな一筋の希望(ひかり)があったんだ。俺は、それを見つけた。茉莉、君こそが俺にとっての光そのものだったんだ」
「もう、手遅れなのよ」茉莉は、感情が昂ぶり聞く耳すら持てないほどに心が乱されていた。
「そうかもしれない。でも、これだけは聞いてほしい」琉壱はなだめつつ話を続けた。
既に茉莉との距離は、手を伸ばせば届く距離になっていた。
片膝をつき、ポケットの中から小箱を取り出す。

「まさか、それって・・・」琉壱の優しい声に、少し落ち着きを取り戻した茉莉の眼には光が戻り潤んでいる。

「やっと分かったんだ。一番大事に大切にしたい人が誰なのか。結婚してくれ。一緒に幸せになろう。茉莉、俺には君が必要なんだ」そう言い切ると、琉壱は箱を開けた。

 指環があった。それは、かつて茉莉が一目惚れをし、欲しい。と、琉壱にねだった指環だった。当初、『高すぎるから無理』と言われたその指環だった。
 別れてしまい半ば諦めかけていたプレゼントが、今ここに結婚の言葉(プロポーズ)とともに在る。
茉莉の心は決まっていた。
「シミュレーションは終了しました。」スピーカーから無機質な音声が聞こえる。
〝良かったね。茉莉さん〟
そんなふうに思って、戒斗の目は感動のあまり涙で滲んでいた。
「戒斗さん。あと残りは3つとなりましたが、他のも体験されていかれますか? それとも後日にしますか?」スタッフは作り笑顔で戒斗に選択を迫った。
「このまま続けます」自身がやらなきゃいけないという義務感を一身に背負ってしまった戒斗は即決した。
「承知しました」スタッフがそう言い離れると再びハッチが閉まり、正面のモニターにタイトルのリストが現れた。
戒斗は何を思ったのか、試しに一番上のタイトルを選択してみた。反応しない。二番目のも選んでみた。こちらも同じく反応しなかった。一度体験したものはロックかかってしまうようだ。
〝仕方ないな。次のを選びますかね〟一度深呼吸をして、戒斗は三番目にあたるタイトルを選択した。


目の前には重々しい門があった。それが重低音を鳴り響かせながら、独りでに開くと、砂漠が現れた。ちょうどそのど真ん中に三角錐型の建物がある。戒斗が扮した彼は疾走(かけだ)した。
三角錐の建物まであと半分の距離というところまでさしかかった時、建物の後ろに最初からいたのか、太いVの字のような戦闘機が飛び出し、地面からは銃器を背負ったロボットが次々と湧き出した。
 飛び出したV字戦闘機から小銃が撃たれる。わっと、戒斗は驚き眼をふさごうとしたがダイブ中は特に意味を成さない。戒斗が成り変った彼はソレを見切って交わし、戦闘機に向かって左手に持った剣を振る。剣閃が光となり、一閃のもとに戦闘機を破壊する。襲ってくるロボットの攻撃をかわし、ロボットの向きを強引に変えて他のロボットを破壊しつくす。世話になったロボットで戦闘機の破壊が終わると、ひと思いにロボットの頭上から剣を突きたて全てを壊した。爆発を起き、辺りには残骸が転がる。
 ようやく、敵のアジトに到着した。
 すると、ここで『情報の流入』が始まった。
戒斗扮する彼の名は皹木恭也(ひびききょうや)。連れ去られた妹の救出が目的だ。彼の世界では『カミサマ』と呼ばれる人工知能群が『神子』と呼ばれる存在を介し、世界を監視・支配していた。妹の柚葉は神子の後継者として連れ去られてしまった。両親を殺され、血の繋がる存在は柚葉だけだ。
「カミサマには逆らえない」。そんなこと、知った事か。
あいつを救えるのは、守れるのは…俺だけだ。
 自動ドアが開く。恭也はすぐさま走り出した。少しでも早く柚葉のもとに行くために。少しでも早く救うために。
 カミサマが神子を通し、数十基に及ぶ攻撃システムに命令し操る。
 恭也は放たれるレーザーを次々と避け、一基ずつ確実に撃破していった、
「ヌゥ……」カミサマが、計算から導き出した展開にならず、スピーカーからは声ならぬ声が漏れだす。
よし!いける、とそう思った。最後の一基となる攻撃システムからレーザーが放たれる。恭也は見事に交わした。こいつで最後だ、と思った矢先、思わぬ方向からレーザーが飛んできた。先程かわした筈のレーザーが壁に当たって跳ね返り、左腕を吹き飛ばした。
「がっ!?」恭也はその衝撃でアジトの入り口まで吹っ飛んだ。
「フハハハハハハ……」
「う、うるせえ……」恭也はよろよろと立ちあがり、笑い声を遮った。
「ソンナ、ガラクタノカラダニナッテマデ、オノガウンメイニアラガウカ!」
「当たり前だ。妹は返してもらうぞ。」そう言い返した恭也は残された右手で剣を拾い、雄叫びをあげた。「うぉぉぉぉぉ!」ありったけの力を込めて飛ぶ。狙いは神子に繋がれたコードだ。

「うぉぉぉぉぉぉ……」戒斗はシミュレーションの中の彼と同じく雄叫びを上げていた。自然とハッチが開き、スタッフが一人寄って来る。
「返しやがれー!」戒斗はそう叫びながらそのスタッフに飛びつき、あろうことかその者の首を締め始めた。
襲われたスタッフは苦悶の表情を浮かべた。これはまずい、と他の作業をしていたスタッフが駆け寄ってきた。「私は……大…丈夫…です。」首を絞められたスタッフは駆け寄って来るスタッフに手を向けてそのスタッフ達の足を止めた。心配そうに見ているスタッフ達をよそに、彼は力ずくで戒斗の手を首から離すと戒斗にのしかかれたマウンティングの状態から脱却した。
 それでも、何故か戒斗は自身の身体を操られるようにまた襲いかかってしまった。今度は相手の方が上手(うわて)だった。
 その間隙、相手は戒斗の襲撃を風に揺らめく葉の如くかわしたのだ。それもかわしただけではなく、かわしざまに戒斗の首へ手刀をとん、と、たったの一撃かました。
 戒斗は人体の弱点を的確に衝くその一撃で気絶した。


 「う、うーん」頭がいたい。さすがに立て続けで体験したのはまずかったか……
戒斗はズキンズキンという痛みのくる頭を片手で押えつつそんなことを思った。
ここはどこだろう、休憩室なのだろうか。辺りを見渡した。その問いは一人の人物が戒斗に声をかけたことで徐々に解決した。
「大丈夫ですか?」スライドドアを開けた人物がそう言ってきた。
「は、はい……」戒斗はよく分からないままに言った。
「びっくりしました。ここまでの感情移入を見せるとは。私は隣の部屋にいますので、用があったら呼んで下さい」……?。戒斗はその人が言った事を後半しか理解できなかった。
〝感情移入?何のことだ?〟もしかして自身が何かとんでもないことをしてしまったんじゃないか。
思い出せ!……何が起きた? 手で目を塞ぎ、糸口になりそうなコトを考えた。
〝感情移入で思い当たることは……ゲーム、アニメ、ドラマあたりだが……ゲームはあらかたクリアしてから全くやってない……アニメ、ドラマだってテレビがポンコツだから観たくても観れないし……〟戒斗の学の無いその頭でオーバーヒートするほど考えを巡らした。
〝となると、だ。この普遍的人生に劇薬が投げ込まれたのか。ここ最近だと…『あの当選』か…〟
たしか『シミュレーションVRの体験』だったはず……!
 あ…! 戒斗は頭の中にある記憶のジェラルミンケースを開けることに成功した。
そうだ…。二つ目を受けた後に続けて三つめを受けたんだ…。その体験した内容があまりにも残酷だったから気持ちが入りこんでしまったんだ…。体験が終わってからも『皹木恭也』のままだったんだ…。あの時は『目とココロ』以外を誰かに乗っ取られた感覚だったな…。「もう止めてくれ!」とココロで叫んでいたのに。
 戒斗は先程の者に自分が何をしてしまったのかを完全に思い出した。謝らなくちゃ。そう思い、隣の部屋に駆け出す戒斗。
「すいませんでした!」となりの部屋に入るやいなや、戒斗は心を込めて誠心誠意、謝った。
「戒斗さんは悪くありませんよ。こちらも既に人物投影力が強いと知っていたんですから。我々のほうで続けて体験しようとする戒斗さんを先に止めるべきでした。こちらこそ、止めないですいません」そう言うと、その男は深々とゆっくり頭を下げた。男は続けて話した。
「あの状態は非常に危険なんです。名前を明かすことはできませんが、『開発者』に報告しましたら、私を含めスタッフ全員が怒られました。「何で止めなかった?精神バランスが崩壊するぞっ!」という感じで」
「それでも、すいません……」戒斗は頑なに謝った。
それは、この男(ひと)こそ『視覚』の情報が遮られていた時に、孤独感に苛まされた時に手を握ってくれて『安らぎ』を与えてくれた人だったからだ。過失とはいえ、大恩を仇で返してしまった……。戒斗はもう受けないでおこうかなと、落胆した。
「大丈夫です。そんなに気を落とさないでください。次は事前に止めますんで」優しさを顔に浮かべ、スタッフは言った。「すいません…。ありがとうございます…」『すいません』という言葉が、口癖のように戒斗の口を突いて出た。過失であれ、自身の犯した『罪』から救われた…。そう思った戒斗は涙を一筋、流した。
「さあ、行きましょう! 戒斗さんには戒斗さんの。私共にはそれぞれの生活があります」おもむろに手をつなぎ、スタッフは力強く言った。
 戒斗は涙を拭い、「はいっ!」と強くこたえた。

中心に位置する場所に『エターナル』が置かれたところへ戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「戒斗さん。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか?戒斗さん」
作業をしていた他のスタッフ達が、心配そうに次々話しかける。ステレオスピーカーさながらのその様子は、かの偉人、聖徳太子が民の相談をいっぺんにきく光景に似ていた。
 戒斗はインタビューに答える芸能人ばりに「大丈夫です」と「すいません」を繰り返しいった。


戒斗にとっては、もはやおなじみとなった『目隠し』『ヘッドホン』をかけた状態で、自身の生活世界に戻ってきた。辺りはまだ明るい。
「また、お時間出来ましたらご連絡ください」一番、絆が深まったスタッフが丁寧な口調でそう言った。戒斗ははい、と言った。
それと同時に、あぁ……。あとニ回の体験で終わりなんだな、という虚しさや切なさといった感情にも囚われていた。
〝ええい!ぐちぐち考えてもしょうがない。他の事考えよう〟戒斗はモノにあたるようにバッグの中を漁った。スマホを手にとり、ジーンズのポケットに入れる。たしか、少し歩いた所にコンビニがあったはずだ。飲み物だけ買って、そこのイートインで気晴らしがてらスマホのゲームでもするか。戒斗はそう思い、歩く速さをちょっとだけ上げた。

 しばらく歩くと、コンビニが見えてきた。そのとたんに、腹の虫が鳴りだした。
人間とは不思議なものだ。ついさっきまで腹が減っていたわけでもないのに、食べ物を見たり、それが売っている店を見ると何故か急に腹が減る。なんでだ?
 戒斗はその現象を不思議に思いつつも、当初の計画に腹の虫を黙らせる目的も追加して入店した。自動スライドドアが開き、心地よいBGMとともに招かれる。先にレジへ寄り、コンビニで使うカードの残高を確かめる。確認すると、多少の余裕があった。
その事が分かったので、税込100円のパン、それと同等の値段の飲み物を選んでレジへ戒斗は持っていった。
商品を置き、「袋は要りません」と伝え、スキャナーに財布をあてがう。店員は「分かりました」と返し、カードでの支払いへとレジを操作する。完了の音が鳴る。
「どうぞ」と言われ、「どうも」と言い、イートインへ向かった。

 コーナーの奥まで行き、片手を塞いでいた商品をテーブルに置いて隣の席にバッグを置き端の席へ座る。
ジーンズのポケットからスマホを取りだし、wifiを繋げる。『接続完了』の文字を確かめ、アプリストアを開く。
 キーワードに「無料 RPG」と入れて検索する。
すると、高校生の頃にやっていたパソコンゲーム、に出てくるキャラクターが活躍するRPGを見つけた。
 おっこれは、と意気揚々に戒斗はダウンロードを始めた。スマホをテーブルに置き、買った飲み物のストローを差し込み口に刺し、パンの袋を開けて一つ食べる。
ダウンロードが終わり、戒斗は再びスマホを持って操作した。あらすじとなる文章が横文字で流れる。それが終わると最初のパートナーを選ぶ。それこそ出た当初、社会現象にまで発展した『ポケモン』のように。
 属性は火、水、地、風の4属性と、光、闇、無を含めた計7属性で成り立っているようだ。4属性の中では4すくみが構成されていて、光闇はともに光にとっての弱点が闇。闇の弱点が光となっていて、唯一、無属性だけが弱点なしとなっている。
 選べるキャラは光が4人と偏ったものになっていたが、それぞれに特徴があって、攻撃力の高いキャラ、レベルを上げるにつれてサポートの出来るスキルを覚えていくキャラ、素早さが高いキャラ、妨害系のスキルを覚えるキャラと分かれていく個々の説明に載っていた。
〝ここは断然、サポキャラっしょ!〟戒斗は迷うことなくサポートスキルを習得できるキャラを選択した。
 戦いの流れや強制戦闘になるイベントが終わり、戦利品となるキャラのチケットを貰い、強制的に使用する。
水属性のキャラが手に入った。敵が火属性多いから助かる、と思い新たな仲間を前衛にして、最初に選んだキャラを後衛に陣形をとった。
 スマホを片手で操作しながら、もう一方の手で買ったジュースを取り、ひと飲みして、パンを一つ食べる。またジュースを飲む。そしてまたパンを食べる。
 パンの本数が半分になったところで、スマホの操作を一旦止め、パンの袋を閉めて、バッグに入れた。虫は騒いでもそこまで腹は減っていなかったようだ
 ジュースを飲みほし、ゲームプリの強制イベントがあらかた済んで、自由が利くようになったので、アプリを閉じた。イベントが終わったあとは『どこでもセーブ』的機能があるから助かる。
 戒斗はスマホの電源を切って、ジーンズのポケットに捻じ込むと席から立ち上がった。
隣の席に置いたバッグを肩にかけ、空の紙パックを持つ。『燃えるゴミ』と書かれたゴミ箱へ紙パックを捨てる。
〝ストロー。中に突っ込んだけど大丈夫かな?〟紙パックを手放したところでそう思った。
 しょうがないか、大丈夫だろ、と戒斗は自身に都合よく考え店をあとにした。


 帰る方向に向かいつつも、戒斗の中ではもやもやした何とも言えない感情が渦巻いていた。
発散したい。発散といえば『ストレス』なのだろうけど、なんか違う。
 叫びたい。うん。そんな感じだ。自身の中で合点のいった戒斗は、先程ポケットにねじ込んだスマホを取りだしすぐさま電源を入れた。
 『電話』の機能を開き、彼女の名を探す。名前は『陽月香那(ひづきかな)』だ。
彼女の名前が出た所で、受話器のマークをタップして電話をかける。戒斗が今まで相手の予定を考えずに連絡したことはなかった。
「もしもし」
「どしたの?」彼女に繋がった。その声に戒斗は彼女のきょとんとした顔を思い浮かべた。
「あ、いや。そうだ。来週どっか時間空いてる?」
「来週?」
「出来れば土日。久しぶりにカラオケでもどうかなって」
「まぁ、土曜日なら…良いけど…」
「じゃ、費用はこっちが持つから行こうよ」
「ちょ、ちょっとまって。急にどうしたの?」
「なんか会いたくなった」
「なにそれ(笑)。とか言った私も会いたかったりして」戒斗はその言葉に彼女の恥じらいを感じ取った。彼女の気持ちが伝染する。それを感じとられたくなかった戒斗は、焦って「充電切れそうだから、後はメールかLINEする」と言って一方的に切ってしまった。

久しぶりに彼女と話したせいか鼓動のテンポがまだ早いままだ。
『彼女との久しぶりのデート』。
戒斗はその響きに思わずにやけ面を晒してしまいそうになった。慌てて下を見ながらトイレへ駆け込む。
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