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二十七.整理整頓
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二学期の始まりは、始業式などはなどく、通常通りのスクーリングスケジュールの授業で幕開けする。先頭打者はまるで計ったように担任・工藤の授業だった。いつものごとく、気合なく始まる。
長引きやすい夏風邪は念入りに治してきたつもりの工藤だ。万が一にも校内にウィルスを撒き散らす訳にはいかない。黒板に数式を解きながら、授業の進み具合と同時に体の具合も再確認していると、
くしゅん。
他の生徒に迷惑のかかる行為にだけは厳しいがため、私語にだけは一つもない静かな授業中の教室内に、くしゃみが一つ上がった。
仕方のない生理現象に誰も気に留める者はいないが、工藤だけは反射的に後ろを振り返る。
鼻を鳴らしたのは里見玲子だった。嫌な予感がしている工藤の内心など何も知らず、バッグの中をまさぐって取り出しだしたポケットティッシュをカサカサと鳴らして開封する。大きくかむほどではなく、軽く鼻周りを拭っただけだった。
教壇から工藤に怪しい目を向けられているのにも気づきもせず、黒板をノートにも取らずに、取り出したテッシュペーパーを丁寧に小さく折り畳んでいる。
もはや授業態度を悔い改めろとは望んでいない工藤だ。前期テストで赤点は免れていたし、他の文系の教科はそこそこの点数なので、数学は単に食わず嫌いされてしまっているだけだろう。そんな時、工藤は決まってピーマンの気持ちになる。
授業が終わると生徒たちは授業前に渡された出席票を教壇まで教師に手渡してから、教室の外なりどこへなりと消えて行く。
「鼻が出るのか?」
「出たら悪いんですか?」
玲子の出席票を受け取りながらボソリと聞くと、逆に質問返しされた工藤だ。風邪かと思ったが、くしゃみ一つで疑うにはまだ早く、生徒たちにまとわりつかれながら工藤は教室を後にした。そろそろ進学の悩み相談なども入ってくる時期で、三学年を受け持つ担任は忙しくなる。
◇
昼休み。校庭にある木陰にて。チンッ。と玲子が音を鳴らしたので、正剛は「今の、くしゃみですか?」と念のために確認を取ると同時に、工藤のくしゃみを思い出す。
先週の目生神社からの帰り、出発地点と同じショッピングセンターにポイッと捨てるよう工藤に下ろされた正剛は、その後、面倒見の良い優しいお姉さん──梨奈に天丼を奢ってもらって満足なお腹で帰路へと着いたのだった。
「うん、誰かウワサかなぁ?」
「ことわざにありますね。一に褒められ、二に憎まれ、三に惚れられ、四に風邪引くでしたっけ?」
「あっ、このことわざは知ってる? 思い、思われ、ふり、ふられ」
と、正剛の額、顎、右頬、左頬を順番に指差す。古いニキビ占いだ。
「それは初耳ですけど、俺は誰かにフラれているという事ですね?」
ちょうどできていた左頬のニキビを触りながら、「それなら同時に額にもできるはずですよね? 思っているから、フラれるんですよね?」と哲学的に論じた後、話を元に戻そうか。と、どちらともなく言った。
二人は仲つむまじく昼食を食べていた訳ではなく、あの工藤の一件について話していた最中だった。
「……そうですか。あの守護霊の真由子さんは目生神社を訪れたことがあったんですか。あのピンク色の御守りを買いに来た人だった……と? それをどうして工藤先生が持ってるんでしょう? いや、え、それほんの二、三年前なんですよね? 真由子さんは若くしてお亡くなりに……これ、えぐりましたか? 工藤先生の傷心を」
「さぁあ?」と無情に玲子は答え、弁当の焼うどんをツルッとすすって話を続ける。
「何にせよ、真由子は現世の死をちゃんと受け止めて、守護霊にまでなってるし、大したもん。私が気になるのは、あの邪霊の中に視えた霊魂の方。工藤の邪気に囚われてしまっているように視える……」
「死んで間もない死者の霊魂が、生者の悔やみに足を引っ張られて成仏しようにもしきれないってのはよくありますよ。誰でしょう? ご身内でも亡くされたんでしょうか? 真由子さんに次ぎ……不幸が続くと堪えますからねぇ」しんみりと、コンビニの昆布おにぎりにかぐりつく。
「……もし、その霊魂が囚われつつも、その中で居心地良く眠っていたら?」
「えらい束縛が好きな霊魂ですね。……いや、そうじゃなくて、そうなんですか? それは危険ですよ。未練を残した生者と死者が互いに共依存なんて、共に破滅です。死者は地獄へと落ち悪霊に、生者は……」
「精神むしばんで病んで……あいつ、命絶っちゃうかもね」
「わーっ、また何てことをっ。工藤先生の性格からして全く想像つきませんが、可能性はありますよ? あ、だから守護霊さんが降りて来たんですかね?」
今は真由子があの霊魂を説得中なのだろう。だが、真由子とて守護霊としては新参者だ。救済できるほどの力はそうないはずだ。
──由衣子を助けて
真由子が言っていたのは、こういう事なのだろう。
「……正剛、春の遠足の時、女霊に襲われた時に〝由衣子〟って工藤が口にしたの聞こえた?」
「いえ。あれでも結構、必死でしたからね……その〝由衣子〟って? もしかして、その囚われの霊魂ですか?」
玲子はグシャリと髪を掴み、そして手をパッと離すと、
「工藤、あいつは二股をしてる!」
ゴフッと、ペットボトルのお茶を口に含んでいた正剛がむせる。
「その霊魂って一体何なんですか? 工藤先生は一体何をしているというんですか? 一体全体、この世とあの世で何が起こっているんですか?」
「工藤に聞く?」
「いえ、怖いのでやめておきます。過去の傷口を無関係者がほじくるような真似は……これ、工藤先生に自覚があるかどうかも問題になってきますよ? 下手すると自滅へと背中を押してしまい兼ねませんからね」
視てしまう玲子にとっては、見て見ぬフリも難しい。何より、この間のように、また真由子に助けを求められては……玲子はまだ中身が残っている弁当箱のふたを閉める。
「とりあえず、私は霊魂の心配してるだけで、工藤がどうなろうと知った事じゃないからっ」
いつもの如く、工藤の話により不機嫌になってしまった玲子を見て一度口をつぐんだ正剛だが、
「でも、工藤先生も見捨てるワケにはいきませんよ? 俺も先日のような事があった場合には対処しますけど……共依存してるんじゃ、一筋縄には……少なくとも俺の力では無理です」
無力に溜息を吐く。すると、隣の玲子からも深い息が吐き出される。だが、それが溜息ではないと正剛にはすぐに分かった。
「玲子さん、自ら呼吸法を……? やっと、修行にやる気を出してくれたんですねっ?」
正剛の声も届いていない集中力だった。しかし、瞼の裏で目がぐるりと回って頭がぼんやりした玲子。無念無想とは少し違った感覚だ。昼休み終了のチャイムが鳴り、ハッとして目を開けると、こちらは本物の無念無想でいる正剛。「授業、始まるよっ!」と玲子は肩を叩いた。
長引きやすい夏風邪は念入りに治してきたつもりの工藤だ。万が一にも校内にウィルスを撒き散らす訳にはいかない。黒板に数式を解きながら、授業の進み具合と同時に体の具合も再確認していると、
くしゅん。
他の生徒に迷惑のかかる行為にだけは厳しいがため、私語にだけは一つもない静かな授業中の教室内に、くしゃみが一つ上がった。
仕方のない生理現象に誰も気に留める者はいないが、工藤だけは反射的に後ろを振り返る。
鼻を鳴らしたのは里見玲子だった。嫌な予感がしている工藤の内心など何も知らず、バッグの中をまさぐって取り出しだしたポケットティッシュをカサカサと鳴らして開封する。大きくかむほどではなく、軽く鼻周りを拭っただけだった。
教壇から工藤に怪しい目を向けられているのにも気づきもせず、黒板をノートにも取らずに、取り出したテッシュペーパーを丁寧に小さく折り畳んでいる。
もはや授業態度を悔い改めろとは望んでいない工藤だ。前期テストで赤点は免れていたし、他の文系の教科はそこそこの点数なので、数学は単に食わず嫌いされてしまっているだけだろう。そんな時、工藤は決まってピーマンの気持ちになる。
授業が終わると生徒たちは授業前に渡された出席票を教壇まで教師に手渡してから、教室の外なりどこへなりと消えて行く。
「鼻が出るのか?」
「出たら悪いんですか?」
玲子の出席票を受け取りながらボソリと聞くと、逆に質問返しされた工藤だ。風邪かと思ったが、くしゃみ一つで疑うにはまだ早く、生徒たちにまとわりつかれながら工藤は教室を後にした。そろそろ進学の悩み相談なども入ってくる時期で、三学年を受け持つ担任は忙しくなる。
◇
昼休み。校庭にある木陰にて。チンッ。と玲子が音を鳴らしたので、正剛は「今の、くしゃみですか?」と念のために確認を取ると同時に、工藤のくしゃみを思い出す。
先週の目生神社からの帰り、出発地点と同じショッピングセンターにポイッと捨てるよう工藤に下ろされた正剛は、その後、面倒見の良い優しいお姉さん──梨奈に天丼を奢ってもらって満足なお腹で帰路へと着いたのだった。
「うん、誰かウワサかなぁ?」
「ことわざにありますね。一に褒められ、二に憎まれ、三に惚れられ、四に風邪引くでしたっけ?」
「あっ、このことわざは知ってる? 思い、思われ、ふり、ふられ」
と、正剛の額、顎、右頬、左頬を順番に指差す。古いニキビ占いだ。
「それは初耳ですけど、俺は誰かにフラれているという事ですね?」
ちょうどできていた左頬のニキビを触りながら、「それなら同時に額にもできるはずですよね? 思っているから、フラれるんですよね?」と哲学的に論じた後、話を元に戻そうか。と、どちらともなく言った。
二人は仲つむまじく昼食を食べていた訳ではなく、あの工藤の一件について話していた最中だった。
「……そうですか。あの守護霊の真由子さんは目生神社を訪れたことがあったんですか。あのピンク色の御守りを買いに来た人だった……と? それをどうして工藤先生が持ってるんでしょう? いや、え、それほんの二、三年前なんですよね? 真由子さんは若くしてお亡くなりに……これ、えぐりましたか? 工藤先生の傷心を」
「さぁあ?」と無情に玲子は答え、弁当の焼うどんをツルッとすすって話を続ける。
「何にせよ、真由子は現世の死をちゃんと受け止めて、守護霊にまでなってるし、大したもん。私が気になるのは、あの邪霊の中に視えた霊魂の方。工藤の邪気に囚われてしまっているように視える……」
「死んで間もない死者の霊魂が、生者の悔やみに足を引っ張られて成仏しようにもしきれないってのはよくありますよ。誰でしょう? ご身内でも亡くされたんでしょうか? 真由子さんに次ぎ……不幸が続くと堪えますからねぇ」しんみりと、コンビニの昆布おにぎりにかぐりつく。
「……もし、その霊魂が囚われつつも、その中で居心地良く眠っていたら?」
「えらい束縛が好きな霊魂ですね。……いや、そうじゃなくて、そうなんですか? それは危険ですよ。未練を残した生者と死者が互いに共依存なんて、共に破滅です。死者は地獄へと落ち悪霊に、生者は……」
「精神むしばんで病んで……あいつ、命絶っちゃうかもね」
「わーっ、また何てことをっ。工藤先生の性格からして全く想像つきませんが、可能性はありますよ? あ、だから守護霊さんが降りて来たんですかね?」
今は真由子があの霊魂を説得中なのだろう。だが、真由子とて守護霊としては新参者だ。救済できるほどの力はそうないはずだ。
──由衣子を助けて
真由子が言っていたのは、こういう事なのだろう。
「……正剛、春の遠足の時、女霊に襲われた時に〝由衣子〟って工藤が口にしたの聞こえた?」
「いえ。あれでも結構、必死でしたからね……その〝由衣子〟って? もしかして、その囚われの霊魂ですか?」
玲子はグシャリと髪を掴み、そして手をパッと離すと、
「工藤、あいつは二股をしてる!」
ゴフッと、ペットボトルのお茶を口に含んでいた正剛がむせる。
「その霊魂って一体何なんですか? 工藤先生は一体何をしているというんですか? 一体全体、この世とあの世で何が起こっているんですか?」
「工藤に聞く?」
「いえ、怖いのでやめておきます。過去の傷口を無関係者がほじくるような真似は……これ、工藤先生に自覚があるかどうかも問題になってきますよ? 下手すると自滅へと背中を押してしまい兼ねませんからね」
視てしまう玲子にとっては、見て見ぬフリも難しい。何より、この間のように、また真由子に助けを求められては……玲子はまだ中身が残っている弁当箱のふたを閉める。
「とりあえず、私は霊魂の心配してるだけで、工藤がどうなろうと知った事じゃないからっ」
いつもの如く、工藤の話により不機嫌になってしまった玲子を見て一度口をつぐんだ正剛だが、
「でも、工藤先生も見捨てるワケにはいきませんよ? 俺も先日のような事があった場合には対処しますけど……共依存してるんじゃ、一筋縄には……少なくとも俺の力では無理です」
無力に溜息を吐く。すると、隣の玲子からも深い息が吐き出される。だが、それが溜息ではないと正剛にはすぐに分かった。
「玲子さん、自ら呼吸法を……? やっと、修行にやる気を出してくれたんですねっ?」
正剛の声も届いていない集中力だった。しかし、瞼の裏で目がぐるりと回って頭がぼんやりした玲子。無念無想とは少し違った感覚だ。昼休み終了のチャイムが鳴り、ハッとして目を開けると、こちらは本物の無念無想でいる正剛。「授業、始まるよっ!」と玲子は肩を叩いた。
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