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二.視えるだけだった

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「どした? 具合でも悪いのか?」
「ギャア!」

 いきなりドアップに映り込んできた工藤の顔に、思わず玲子れいこは叫ぶ。

「そんな、カラスみたいな鳴き声で驚かなくてもいいだろ。失礼だなぁ。なんか顔色悪いけど、大丈夫か?」
「……大丈夫です」

 カラスに例えられ、少々ムッとして答えた。しかし、大丈夫ではなかった。まだ後方の怪しい気配が気になる。後ろに回そうとした首は、工藤のせいで前に戻していた。

「授業は? 次、古典だろ?」
「サボります」

 堂々と言い切った玲子に対し、

「素直でよろしい」

 と、褒めると玲子の隣に腰を下ろして、紙パックのオレンジジュースをストローでちゅーちゅー吸って飲み出す。その様は似合っている。

「先生こそ、授業はいいんですか?」
「この時間は、なっし」

 と、くつろいでいるが、玲子はそれどころではない。
 工藤を追い払うべく、脇に置いてあるトートバッグの中から、今朝受け取ったばかりの全教科のレポート用紙を取り出し、その内容にザッと目を通していった──勉強するからあっち行け。との合図だ。

「あぁ、さっき言ってた世界史ってそれな。なんだ、用語説明ばっかじゃん。こりゃあ、参るわな。福原先生、きっびしぃー」

 全然、意図が伝わらない工藤にイラッとしながら玲子は無視をする。

「俺のは? 質問するなら今がチャンスだぞー」

 ついさっき、面倒くせー。とか言っていたはずだ。女子には甘いのか、たらしめ。と玲子は心で毒づく。
 別に悪い教師ではなく、嫌いという訳でもないのだが、一年、二年と続けて担任だった前任の教師が厳格だっためか、どうもこの軽いノリにいきなり慣れることができないでいる玲子だ。
 数学のレポートなど質問しようにも、もはや何から質問すればよいのかさえ分からない。そんな玲子は、数学の事を考えると頭が痛くなる。

 ズキッ──

 こめかみに鋭く強い痛みが走った。これは数学のせいではなく、体の具合が悪化しているせいだ。全身に鉛のような重さがのしかかってくる。このまま放っておけば間違いなく動けなくなり倒れるだろう。

「里見? やっぱどこか……」
「……いる」
「ん?」
「いるって、何がだ?」

 辺りをキョロキョロ見渡している工藤は異変を感じていない。どうやら、そういう体質のようである。ならば、いっそこのまま見捨てて一人逃げ去ろうか。玲子は冷や汗を垂らしている脳裏で残酷にも思いつく。だが、それでは後々困るのだ。

「……違う、人じゃない」
「じゃ、何だ?」
「……私、人に視えないものが視えるんです」

 理解されてもされなくても別に構わない。玲子はさっさと答えを出した。

「ん? 視えるって……何が? まさか、小さいおじさん?」
「だったら、いいなぁ。って、違います」
「じゃあ……あっ、分かった! アレか、幽霊だろ?」
「ピンポー……はい、普通はそう考えますよね」
「なんだ、不審者じゃないのか。刺股さすまたを使う時がついにやって来たのかと思ったじゃねーか」

 なぜか肩を落として工藤は残念がる。玲子は話し方を間違ったと後悔した。キャーと叫んで、刺股でも何でも取らせに行かせるべきだったのだと。

「あれか、霊感ってやつ? 里見んちの実家って確か、えーと何て言ったか……」
目生めいき神社です!」

 もう悠長に担任と家庭環境について話していられる状況ではなく、皆まで言わさぬよう強い語調で言いくくった。背中越しには、その相手が気配を大きくしているのが分かる。玲子の霊視能力は極めて優れていた。なのに──玲子は、


 ────お祓いができない!


 漫画やアニメのように、カッコ良く除霊とか浄化など何もできない。しかも、神社の娘として生まれ〝巫女〟だというのに……これでは、ただただカッコ悪いだけだ。
 だが、相手が脆弱ならば玲子にも祓えないこともない。しかし、今日はそうもいきそうにもない雰囲気だった。

「私、視えるだけですから。憑かれたくなければ自力で逃げて下さいっ」

 説明している間はなかった。素早くバッグの中からペットボトルの水を手に取ると、開栓しながら後ろを振り向きざまに中身を振り撒く──そこには、赤黒く禍々しい色をした邪霊が一体。形も保てぬままウヨウヨと渦を巻いて蠢いていた。
 一瞬、浄めの水に邪霊が怯んだが、すぐに触発されたようにその身をうねらせて拡大すると威嚇し咆哮を上げながら、工藤の方へと向かい襲いかかった。

「──っ!」

 平然と呑気に座ったまんまの工藤を、グイッと引っ張り寄せる。

「離れ……っ」

 その瞬間──、
 邪霊が何かに跳ね返されたて後方へと吹き飛ばされる。
 そのまま邪霊は飛散して、蒸発するかのようにシュワワッと消えていった。

「…………」
 
 一体、何が起こったのか。こんな現象は今まで一度も見た事がない。玲子は分からないままに呆然とする。

「……里見、苦し……っ」

 玲子は、ハッと我に返る。気づけば、工藤の襟元を掴んで締め上げていた。

「里見……俺、なんかおまえに嫌なことしたか?」

 清めとして撒いたペットボトルの水で髪は濡れてしまい、水滴をポタポタと滴らしながら、工藤はシュンとした。
 さすがにこれは、マズい、ヤバい。
 単位が──吹っ飛ぶ!
 パッと手を放した玲子は、動揺する心を必死に隠しながら、平静を装って言った。

「いえ、別に何も。ちょっと……うっかり手を滑らせてしまっただけです。すみませんでした」

 さらりと述べて一礼をすると、くるりと踵を返す。そのまま華麗な姿で立ち去ろうとしたが、ピタリと動きを止めて肩に掛けたバッグの中をゴソゴソ漁る。

「これ、返さなくて結構ですので」

 取り出したタオルを、濡れている工藤に強引に押し付けて渡した。再び踵を返すと、今度はダダダダダッと手足をバタつかせて逃げるよう去った。
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