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目を合わせられない
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ホームルームが終わって、カバンに教科書を詰めていると、クラスメイトが僕の肩を叩いた。
「犬柴君、お客さんが来てるよ」
「え?」
教室の扉の所には、昨日写真部に相談に来た無花果先輩が立っていた。入学してすぐに異性の先輩に呼び出される、というちょっとドキドキする展開だった。当然他のクラスメイト達も興味があるようで、何人かの視線が僕の背中に注がれている。
「無花果先輩、どうしたんですか?」
出来れば変な噂とかになりたくない。もしそんな事になれば、無花果先輩にも迷惑がかかる。すっと扉の外に出て、教室の中から見えない位置に立つ。
「あの、昨日のお礼がしたくて。あれから写真の中の絵が消えたの。ありがとうね」
「あ、いえ。僕は何もしてないので」
本当に何もしていない。ただ、あの絵は消えたのか。それは良かった。きっと、あの女の子の無念が晴れたからだろう。それは全て桐生先輩のおかげだ。写真一枚からたくさんの情報を読み取って、彼女の無念を見つけた桐生先輩は、かなり凄い人だ。
「うん。でも、桐生さんってちょっと近寄り難くて。君が居てくれたから、私も話が出来たの」
「そ、そうですか」
確かに、桐生先輩の欠点をあげるとすれば、あの素っ気ない態度だ。あれでは周囲の人達から孤立してしまう。
その後、少しだけ世話話をして無花果先輩は帰って行った。その後ろ姿には何の憂いもなく、ただ桐生先輩に引っ付いていただけの僕も嬉しい。
そんな気持ちでカバンを抱え直して、今日も部室に行こうとすると、廊下の向こうから歩いてきた女子生徒と目が合った。黒髪を頭の後ろで一つにまとめた、背の高い人だ。胸のリボンの色で、桐生先輩と同じ二年生だとわかる。
「ねぇ、ちょっと」
そして、その人が僕に話しかけてきた。上級生に立て続けに話し掛けられるというのは、下級生にとっては決して良い事ではない。緊張してしまうのだ。
「は、はい。何でしょうか?」
ポニーテールの先輩は、僕を見下ろす。その手を腰に当てて、鋭い目つきで上から下まで舐めるように物色された。
「あなた、写真部に入ったんだって?」
「は、はい。そうですけど」
何だろう。僕が言うのも何だが、写真部はそこまで親しみのある部活動ではない。部室だって校舎の隅にあるし、きちんとした機材もない。こんな風にわざわざ誰かに確認される理由が見当たらない。
「どうやって、入部したの?」
「え? そりゃ、入部届けを桐生先輩に渡して……」
「そこよ!」
突然叫ぶものだから、驚いて飛び退いてしまった。この先輩はどうしてこんなにも必死そうなのか。こう言う人は、気の弱い僕にとっては幽霊より怖い。すると、
「私だって、入部したいのに!!」
先輩はその目に涙を溜めて、悲痛な声でもう一度叫んだ。
「失礼します」
ポニーテールの先輩と共に写真部の部室にやって来た。写真部に入部したいと言うから、とにかく桐生先輩に話すのが良いと思ったのだ。中に入ると、昨日と違って既に桐生先輩は椅子に座っていた。今日も赤いブックカバーの本を読んでいる。
「あの、桐生先輩、この人が……」
「キョンキョン!!」
僕が紹介する前に、ポニーテールの先輩が嬌声を上げながら桐生先輩に抱きついた。
「あぁ、キョンキョン、キョンキョン! なんて可愛いの! 私の天使!」
キャーキャー言いながら、桐生先輩の首に抱きついている。その場で飛び跳ねて、まるでマスコットの着ぐるみに出会った子供みたいだ。僕はそんな予想外の光景に、呆気にとられていることしか出来ない。
「おや、犬柴君、こんにちは」
「三角先輩、これは……」
「あぁ、彼女はね」
奥の机で外の桜を眺めていた三角先輩が、苦笑いしながら立ち上がる。桐生先輩の後ろを回って、僕の方へ歩いてくる。
「桐生君のファンの、舞風舞子さんだ」
「ふぁ、ファン……」
今なお桐生先輩に熱烈なハグをし続ける舞風先輩を、ちょっと引いた目で見つめる。鼻息荒く抱擁している彼女だが、当の抱きつかれている桐生先輩本人は、少しうざったそうにするだけで、ほとんど相手にしていない。しかし、その目がギロリと僕を射抜いた。
「豆柴、あんた、なんでこいつ連れてきてんの」
「す、すみません!」
凄く怒っていた。名前の訂正をする気もおきない。桐生先輩から僕の方へ視線をやってくれたのは初めてだったが、それがとんだ形になってしまった。ビクビクしながらも、向かいの席に着席する。
「もう、キョンキョン、どうして私を部に入れてくれないの? こんな後輩は入部させてるのに!」
「うざいから」
桐生先輩は右手で舞風先輩を押しのける。それでも舞風先輩はしつこく絡み付こうとするが、それを桐生先輩は巧みにかわしている。
「もう、キョンキョンったら照れ屋さんなんだからっ!」
「うっさい。違う。うざい。何しにきた」
心底嫌そうに顔をしかめる桐生先輩は、徹底して本から目を離さない。まるで、舞風先輩を視界に入れるのを拒んでいるかのようだ。そして実際そうなのだろう。しかし、そこで何か思い出したかのように舞風先輩が桐生先輩に絡むのを止めた。
「あ、そうそう! 今日はキョンキョンに依頼があって来たの」
「依頼、ですか?」
また、昨日の無花果先輩みたいなやつだろうか。舞風先輩は、スカートのポケットから一枚の写真を取り出して、机に置く。少しサイズが大きい、記念写真だった。
「私の知り合いの男子から頼まれたの。見てあげて?」
舞風先輩が猫撫で声と上目遣いで、桐生先輩に向かって手を合わせる。それに明らかにイライラした表情で桐生先輩が吐き捨てた。
「分かった」
その写真は、中学生の集合写真だった。教室の黒板を背に、男女がそれぞれ分かれて収まっている。人数は三十人前後。後ろの黒板には「祝卒業」と色鮮やかなチョークで大きく書かれているから、つい最近卒業した中学生の写真だ。僕と同級生である。
「どこがおかしいんですか?」
被写体の人数が多すぎて、よく分からない。泣いてる子もいれば、笑ってる子もいる。特に何の変哲もない、よくある記念写真に見えた。
「ほらここ。この男子生徒を見てみて。ちなみに、この男子が今回の依頼人よ」
舞風先輩が指差したのは、写真の中央付近に座る男子生徒。これといって特徴のない男の子だ。
だが、その子の表情が分からない。下を向いているとか、手で顔を隠しているとかではない。その子には、目の部分がなかった。
「のっぺらぼう、ではないですね……」
眉はある。鼻もある。口は少し笑っているから、おそらく微笑んでいるのだろう。しかし、肝心の目がないため、表情がきちんと読み取れない。表情における目、と言うパーツの重要さが良く分かる写真だった。
「あと、ここ。この男子の胸のところ。何か、小さい手みたいな物がない?」
「あ、確かに」
男の子の胸の部分。黒い学ランの左胸には、小さな手のような物が写っている。もちろん彼の手ではない。彼の手は膝の上に置かれている。
「ふーん」
桐生先輩は、一言呟くと、それきり黙ってしまった。舞風先輩に抱きつかれていた時と同じように、嫌な顔をしながら頭をかく。
「舞風」
「はーい。まいまいって呼んでくれていいよ」
「この依頼人、呼んできて。じゃないと話にならない」
それだけ言って、桐生先輩は突然帰って行ってしまった。自然と僕と舞風先輩だけになる。本当は三角先輩もいるが、どうやら舞風先輩は幽霊が見えていないようだ。二人で顔を見合わせて、ひとまずその日は解散することになった。
翌日、写真部の部室には、僕と桐生先輩、舞風先輩に、あと一人、例の写真の男の子がいた。桐生先輩が座る向かいの席に、男の子が座る。僕と舞風先輩は、何となく彼の背後に控えた。
「で、あんた。こんな写真が撮れた理由、わかってんじゃない?」
桐生先輩が、写真をペラペラと振りながら、男の子に迫る。彼は、自分の名前を秋茜幸介と名乗った。
「な、何のことですか」
彼は終始ビクビクしていて、目線が泳ぎっ放しだ。今も膝の上の拳をゴソゴソさせて、非常に落ち着きがない。
「あっそ。じゃあさ、この時写真を撮ってくれた人の事は覚えてる?」
今回も桐生先輩は、口数が多い。いつもはほとんど必要なことしか話さないのに、いや、必要なことですら話さないのに、心霊写真の事になると、途端に性格が変わったようになる。
「は、原野原の、お父さんだよ」
「原野原ってのは、このクラスの子?」
「その、一番隅の女の子だ」
写真の隅に写る女の子は、大人しそうな雰囲気の眼鏡をかけた子だ。目は少し赤くなっていたが、嬉しそうに笑っている。
「ふーん。なら教えてあげる。写真のあんたの目がないのは、あんたが目を合わせられないからだ」
「は、な、何言って……」
「目を合わせられない。それはカメラに? 違う。この写真を撮ってる、原野原って子のお父さんに」
それから秋茜君の様子がさらにおかしくなった。がたがたと震えていて、背後から見ただけでも首筋に汗が滲んでいる。今にも椅子から飛び上がってしまいそうだ。それを察したのか、舞風先輩が通せんぼするように扉の方へ移動した。
「そして、あんたの胸の所に写ってるのは、子供の手だ。ここまで言えば、もう分かるでしょ」
「わ、わ、分かんないよ。あ、あなたは何を言ってるんだ?」
これは僕でも分かる。秋茜君は、何かを隠している。何か、僕らに知られたくない何かを。鋭く追求すれば、それはすぐに明るみに出るだろう。しかし、ここで桐生先輩は追求を辞めた。
「ま、責任取れないなら、そう言うことは止めときな。私からはそれだけ」
そうして、机の上の写真を手に取って、ぐしゃりと潰した。丸くなった写真を秋茜君の頭にぶつける。それが転がって、椅子の下に落ちた。彼は、のろのろとした動きで椅子から立ち上がって、その写真を拾った。そしてそのまま、何も言うこともなく部室から出て行った。その背中は最後まで震えていて、桐生先輩の猫背が可愛く見えるほど、下を向いて帰って行った。
「あの、つまりどう言うことだったんですか?」
桐生先輩と秋茜君の中で、何か理解し合ったようだが、僕にはてんで分からない。目を合わせられない、と桐生先輩は言っていた。秋茜君が、原野原さんのお父さんに何か後ろめたいことをしてしまった、と言うことまでは分かる。でも、その何かが分からない。
すると、舞風先輩が僕の頭をはたいた。後ろからいきなりだったので、舌を噛んでしまう。
「うぇ!? な、何するんですか!」
「そりゃこっちのセリフよ。私の可愛いいキョンキョンに、何言わす気なの。ねぇキョンキョン?」
「うっさい。黙れ」
桐生先輩は、僕と舞風先輩から視線を外して、窓の外へと向きながら、嫌そうにそう言った。その先には偶々三角先輩もいて、また慌てたように視線を下に戻した。なんだか初めて見るような仕草だが、僕にはそれすら理解出来ない。ただ、追求が許されない雰囲気が出来上がっていたので、結局細かい部分は解明されないまま、この写真の話は終了した。
朝、爛漫の桜を見上げながら登校していると、前方に舞風先輩を見つけた。昨日は秋茜君について聞けなかったが、今なら彼女一人だし、聞いてみようと思った。少し走って彼女に追いつく。
「おはようございます。舞風先輩。あの、昨日の事なんですけど……」
「あぁ、豆柴くんだっけ? おはよう」
「犬柴です」
一日ぶりに訂正しておいて、改めて昨日の話を振った。すると、舞風先輩はあっけらかんとした表情で、片手を振りながら教えてくれた。
「ああ、あの原野原って女の子、妊娠してたの」
「え!? に、妊娠、ですか……」
「そう。それ自体は結構知れた話だったんだけど、相手が誰か分からなかったのよね。で、それで昨日の話よ」
「な、なるほど……」
責任を取れないなら。桐生先輩が昨日言っていた事を思い出す。そして、あの秋茜君の胸にあった手は、子供の手だとも言っていた。つまり、そう言うことか。
「なんか、嫌な話ですね……」
「そう? 心霊写真なんて相手にしてるんだから、どう転ぼうが嫌な話になるでしょ。それより……」
「はい?」
「どうしてあなたは写真部に入れたのよ! 昨日も居なくても良いような存在だったくせに!」
舞風先輩が唐突に怒り出した。僕の肩を強く握って激しく揺さぶる。目が回りそうだ。
「い、いや、普通に入部届けを……!」
「だから、それをどうやって!」
そうか。この人は桐生先輩のことが大好きなのだろう。でも、残念ながら桐生先輩はこの人の事が好きではない。そもそも、あの人に好きな、友好的な人がいるところが想像出来ない。僕は舞風先輩に頭を振り回されながら、そんなことを考えていた。
「犬柴君、お客さんが来てるよ」
「え?」
教室の扉の所には、昨日写真部に相談に来た無花果先輩が立っていた。入学してすぐに異性の先輩に呼び出される、というちょっとドキドキする展開だった。当然他のクラスメイト達も興味があるようで、何人かの視線が僕の背中に注がれている。
「無花果先輩、どうしたんですか?」
出来れば変な噂とかになりたくない。もしそんな事になれば、無花果先輩にも迷惑がかかる。すっと扉の外に出て、教室の中から見えない位置に立つ。
「あの、昨日のお礼がしたくて。あれから写真の中の絵が消えたの。ありがとうね」
「あ、いえ。僕は何もしてないので」
本当に何もしていない。ただ、あの絵は消えたのか。それは良かった。きっと、あの女の子の無念が晴れたからだろう。それは全て桐生先輩のおかげだ。写真一枚からたくさんの情報を読み取って、彼女の無念を見つけた桐生先輩は、かなり凄い人だ。
「うん。でも、桐生さんってちょっと近寄り難くて。君が居てくれたから、私も話が出来たの」
「そ、そうですか」
確かに、桐生先輩の欠点をあげるとすれば、あの素っ気ない態度だ。あれでは周囲の人達から孤立してしまう。
その後、少しだけ世話話をして無花果先輩は帰って行った。その後ろ姿には何の憂いもなく、ただ桐生先輩に引っ付いていただけの僕も嬉しい。
そんな気持ちでカバンを抱え直して、今日も部室に行こうとすると、廊下の向こうから歩いてきた女子生徒と目が合った。黒髪を頭の後ろで一つにまとめた、背の高い人だ。胸のリボンの色で、桐生先輩と同じ二年生だとわかる。
「ねぇ、ちょっと」
そして、その人が僕に話しかけてきた。上級生に立て続けに話し掛けられるというのは、下級生にとっては決して良い事ではない。緊張してしまうのだ。
「は、はい。何でしょうか?」
ポニーテールの先輩は、僕を見下ろす。その手を腰に当てて、鋭い目つきで上から下まで舐めるように物色された。
「あなた、写真部に入ったんだって?」
「は、はい。そうですけど」
何だろう。僕が言うのも何だが、写真部はそこまで親しみのある部活動ではない。部室だって校舎の隅にあるし、きちんとした機材もない。こんな風にわざわざ誰かに確認される理由が見当たらない。
「どうやって、入部したの?」
「え? そりゃ、入部届けを桐生先輩に渡して……」
「そこよ!」
突然叫ぶものだから、驚いて飛び退いてしまった。この先輩はどうしてこんなにも必死そうなのか。こう言う人は、気の弱い僕にとっては幽霊より怖い。すると、
「私だって、入部したいのに!!」
先輩はその目に涙を溜めて、悲痛な声でもう一度叫んだ。
「失礼します」
ポニーテールの先輩と共に写真部の部室にやって来た。写真部に入部したいと言うから、とにかく桐生先輩に話すのが良いと思ったのだ。中に入ると、昨日と違って既に桐生先輩は椅子に座っていた。今日も赤いブックカバーの本を読んでいる。
「あの、桐生先輩、この人が……」
「キョンキョン!!」
僕が紹介する前に、ポニーテールの先輩が嬌声を上げながら桐生先輩に抱きついた。
「あぁ、キョンキョン、キョンキョン! なんて可愛いの! 私の天使!」
キャーキャー言いながら、桐生先輩の首に抱きついている。その場で飛び跳ねて、まるでマスコットの着ぐるみに出会った子供みたいだ。僕はそんな予想外の光景に、呆気にとられていることしか出来ない。
「おや、犬柴君、こんにちは」
「三角先輩、これは……」
「あぁ、彼女はね」
奥の机で外の桜を眺めていた三角先輩が、苦笑いしながら立ち上がる。桐生先輩の後ろを回って、僕の方へ歩いてくる。
「桐生君のファンの、舞風舞子さんだ」
「ふぁ、ファン……」
今なお桐生先輩に熱烈なハグをし続ける舞風先輩を、ちょっと引いた目で見つめる。鼻息荒く抱擁している彼女だが、当の抱きつかれている桐生先輩本人は、少しうざったそうにするだけで、ほとんど相手にしていない。しかし、その目がギロリと僕を射抜いた。
「豆柴、あんた、なんでこいつ連れてきてんの」
「す、すみません!」
凄く怒っていた。名前の訂正をする気もおきない。桐生先輩から僕の方へ視線をやってくれたのは初めてだったが、それがとんだ形になってしまった。ビクビクしながらも、向かいの席に着席する。
「もう、キョンキョン、どうして私を部に入れてくれないの? こんな後輩は入部させてるのに!」
「うざいから」
桐生先輩は右手で舞風先輩を押しのける。それでも舞風先輩はしつこく絡み付こうとするが、それを桐生先輩は巧みにかわしている。
「もう、キョンキョンったら照れ屋さんなんだからっ!」
「うっさい。違う。うざい。何しにきた」
心底嫌そうに顔をしかめる桐生先輩は、徹底して本から目を離さない。まるで、舞風先輩を視界に入れるのを拒んでいるかのようだ。そして実際そうなのだろう。しかし、そこで何か思い出したかのように舞風先輩が桐生先輩に絡むのを止めた。
「あ、そうそう! 今日はキョンキョンに依頼があって来たの」
「依頼、ですか?」
また、昨日の無花果先輩みたいなやつだろうか。舞風先輩は、スカートのポケットから一枚の写真を取り出して、机に置く。少しサイズが大きい、記念写真だった。
「私の知り合いの男子から頼まれたの。見てあげて?」
舞風先輩が猫撫で声と上目遣いで、桐生先輩に向かって手を合わせる。それに明らかにイライラした表情で桐生先輩が吐き捨てた。
「分かった」
その写真は、中学生の集合写真だった。教室の黒板を背に、男女がそれぞれ分かれて収まっている。人数は三十人前後。後ろの黒板には「祝卒業」と色鮮やかなチョークで大きく書かれているから、つい最近卒業した中学生の写真だ。僕と同級生である。
「どこがおかしいんですか?」
被写体の人数が多すぎて、よく分からない。泣いてる子もいれば、笑ってる子もいる。特に何の変哲もない、よくある記念写真に見えた。
「ほらここ。この男子生徒を見てみて。ちなみに、この男子が今回の依頼人よ」
舞風先輩が指差したのは、写真の中央付近に座る男子生徒。これといって特徴のない男の子だ。
だが、その子の表情が分からない。下を向いているとか、手で顔を隠しているとかではない。その子には、目の部分がなかった。
「のっぺらぼう、ではないですね……」
眉はある。鼻もある。口は少し笑っているから、おそらく微笑んでいるのだろう。しかし、肝心の目がないため、表情がきちんと読み取れない。表情における目、と言うパーツの重要さが良く分かる写真だった。
「あと、ここ。この男子の胸のところ。何か、小さい手みたいな物がない?」
「あ、確かに」
男の子の胸の部分。黒い学ランの左胸には、小さな手のような物が写っている。もちろん彼の手ではない。彼の手は膝の上に置かれている。
「ふーん」
桐生先輩は、一言呟くと、それきり黙ってしまった。舞風先輩に抱きつかれていた時と同じように、嫌な顔をしながら頭をかく。
「舞風」
「はーい。まいまいって呼んでくれていいよ」
「この依頼人、呼んできて。じゃないと話にならない」
それだけ言って、桐生先輩は突然帰って行ってしまった。自然と僕と舞風先輩だけになる。本当は三角先輩もいるが、どうやら舞風先輩は幽霊が見えていないようだ。二人で顔を見合わせて、ひとまずその日は解散することになった。
翌日、写真部の部室には、僕と桐生先輩、舞風先輩に、あと一人、例の写真の男の子がいた。桐生先輩が座る向かいの席に、男の子が座る。僕と舞風先輩は、何となく彼の背後に控えた。
「で、あんた。こんな写真が撮れた理由、わかってんじゃない?」
桐生先輩が、写真をペラペラと振りながら、男の子に迫る。彼は、自分の名前を秋茜幸介と名乗った。
「な、何のことですか」
彼は終始ビクビクしていて、目線が泳ぎっ放しだ。今も膝の上の拳をゴソゴソさせて、非常に落ち着きがない。
「あっそ。じゃあさ、この時写真を撮ってくれた人の事は覚えてる?」
今回も桐生先輩は、口数が多い。いつもはほとんど必要なことしか話さないのに、いや、必要なことですら話さないのに、心霊写真の事になると、途端に性格が変わったようになる。
「は、原野原の、お父さんだよ」
「原野原ってのは、このクラスの子?」
「その、一番隅の女の子だ」
写真の隅に写る女の子は、大人しそうな雰囲気の眼鏡をかけた子だ。目は少し赤くなっていたが、嬉しそうに笑っている。
「ふーん。なら教えてあげる。写真のあんたの目がないのは、あんたが目を合わせられないからだ」
「は、な、何言って……」
「目を合わせられない。それはカメラに? 違う。この写真を撮ってる、原野原って子のお父さんに」
それから秋茜君の様子がさらにおかしくなった。がたがたと震えていて、背後から見ただけでも首筋に汗が滲んでいる。今にも椅子から飛び上がってしまいそうだ。それを察したのか、舞風先輩が通せんぼするように扉の方へ移動した。
「そして、あんたの胸の所に写ってるのは、子供の手だ。ここまで言えば、もう分かるでしょ」
「わ、わ、分かんないよ。あ、あなたは何を言ってるんだ?」
これは僕でも分かる。秋茜君は、何かを隠している。何か、僕らに知られたくない何かを。鋭く追求すれば、それはすぐに明るみに出るだろう。しかし、ここで桐生先輩は追求を辞めた。
「ま、責任取れないなら、そう言うことは止めときな。私からはそれだけ」
そうして、机の上の写真を手に取って、ぐしゃりと潰した。丸くなった写真を秋茜君の頭にぶつける。それが転がって、椅子の下に落ちた。彼は、のろのろとした動きで椅子から立ち上がって、その写真を拾った。そしてそのまま、何も言うこともなく部室から出て行った。その背中は最後まで震えていて、桐生先輩の猫背が可愛く見えるほど、下を向いて帰って行った。
「あの、つまりどう言うことだったんですか?」
桐生先輩と秋茜君の中で、何か理解し合ったようだが、僕にはてんで分からない。目を合わせられない、と桐生先輩は言っていた。秋茜君が、原野原さんのお父さんに何か後ろめたいことをしてしまった、と言うことまでは分かる。でも、その何かが分からない。
すると、舞風先輩が僕の頭をはたいた。後ろからいきなりだったので、舌を噛んでしまう。
「うぇ!? な、何するんですか!」
「そりゃこっちのセリフよ。私の可愛いいキョンキョンに、何言わす気なの。ねぇキョンキョン?」
「うっさい。黙れ」
桐生先輩は、僕と舞風先輩から視線を外して、窓の外へと向きながら、嫌そうにそう言った。その先には偶々三角先輩もいて、また慌てたように視線を下に戻した。なんだか初めて見るような仕草だが、僕にはそれすら理解出来ない。ただ、追求が許されない雰囲気が出来上がっていたので、結局細かい部分は解明されないまま、この写真の話は終了した。
朝、爛漫の桜を見上げながら登校していると、前方に舞風先輩を見つけた。昨日は秋茜君について聞けなかったが、今なら彼女一人だし、聞いてみようと思った。少し走って彼女に追いつく。
「おはようございます。舞風先輩。あの、昨日の事なんですけど……」
「あぁ、豆柴くんだっけ? おはよう」
「犬柴です」
一日ぶりに訂正しておいて、改めて昨日の話を振った。すると、舞風先輩はあっけらかんとした表情で、片手を振りながら教えてくれた。
「ああ、あの原野原って女の子、妊娠してたの」
「え!? に、妊娠、ですか……」
「そう。それ自体は結構知れた話だったんだけど、相手が誰か分からなかったのよね。で、それで昨日の話よ」
「な、なるほど……」
責任を取れないなら。桐生先輩が昨日言っていた事を思い出す。そして、あの秋茜君の胸にあった手は、子供の手だとも言っていた。つまり、そう言うことか。
「なんか、嫌な話ですね……」
「そう? 心霊写真なんて相手にしてるんだから、どう転ぼうが嫌な話になるでしょ。それより……」
「はい?」
「どうしてあなたは写真部に入れたのよ! 昨日も居なくても良いような存在だったくせに!」
舞風先輩が唐突に怒り出した。僕の肩を強く握って激しく揺さぶる。目が回りそうだ。
「い、いや、普通に入部届けを……!」
「だから、それをどうやって!」
そうか。この人は桐生先輩のことが大好きなのだろう。でも、残念ながら桐生先輩はこの人の事が好きではない。そもそも、あの人に好きな、友好的な人がいるところが想像出来ない。僕は舞風先輩に頭を振り回されながら、そんなことを考えていた。
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