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28.復讐の作法

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 目の前の女が何を喋っているのか、よく分からなかった。
 神殿の奴らの頭の中が一体どうなっているのか、到底理解が及びそうになかった。



 無理矢理に女を宛がって、あるいは薬で正常でない状況に陥れて、そうして関係を持たせる気か。



「いいじゃない。処女を重んじる魔女の元に健全な青年がいるのって、すごく無駄なことだと思わない? 彼だってそんな魔女にただただ一生を下僕的に扱われて終えるなんて、あんまり可哀そうよ。少しくらいはイイ思い、しなくちゃ」
「――――っ!!」
 頭の中が激情で一杯になって、自分がまだ怒鳴り散らして力を奮っていないのが不思議なくらいだった。


 気持ち悪い。本当に気持ちが悪い。
 どういう考えをしていれば、ここまで正当な理由なく他者を踏み付けにできるのか。


 イイ思い?
 何だそれは。
 気持ちのない交わりに何の意味がある?
 強制的な快楽の処理に、どれほどの価値が?


 あの子には無理だ。そう思う。
 だって、もう知っているから。
 欲の処理ではなく、情愛の具現としての交わりを知っているから。そこから得る幸福を知っているから。
 自分に触れる時、彼がどれほど幸せそうに微笑むのか、彼女はよく知っている。あの顔を見ると、自分が男と交わっているという本来あり得ない状況も、悪いものじゃないなと、そう思えるのだ。


 イイ思いなんて、できる訳がない。
 それはただただ彼の尊厳を踏み荒す、あまりに酷い所業なだけだ。


「うふふ、それでね、情報提供と貴女への妨害と引き換えに、要らなくなったら私がもらうの。余所の女の唾が付いてると思うとちょっとアレだけど、私はまぁ、そこまでこだわらないから」


 あぁ、サフィール。捨ておいていて、正解だった。
 お前の過去を、名前一つ持ち込むことをしなかった私は、実に正しかった。
 こんなロクでもないあれこれ、お前には必要ない。


「――――確かに」
 リリアンヌはなけなしの理性で、何とか言葉を紡ぐ。
「説明しろとは言ったけれど、ローゼリカ、お前は余計なことも随分喋ってくれるな? そろそろ大人しくできないか?」


 あぁ、不愉快だ。


「やだぁ、それはこっちのセリフよ。ねぇ、巡りの魔女、今日が貴女の命日よ。遺品あの子はちゃあんと貰い受けてあげるから、安心して逝ってちょうだい?」


 どうして、誰も彼もこんな滅茶苦茶なことしか言わないのだ。


「……死ぬより苦しい目に遭う覚悟はできていると見た」
「うふふ、それはこちらのセリフよ。地べたに這いつくばって赦しを乞う様が、今から目に浮かぶわ」
「どの口が、そんなふざけたことを」
 感情のまま腕を一閃させると、次の瞬間、轟音が響いた。
「やだ、こわぁい」
 大神殿の両サイドに一定の感覚で並ぶ太い柱の一つが、呆気なく崩れていく。
「うわぁぁ!」
「ひぃっ」
 もちろんそこらの人間と違って、ローゼリカはこれしきのことで驚いたりはしない。
「野蛮ね?」
「何とでも。次はお前があぁなるか?」
「うふ、いやぁよ。それよりもっと面白い見世物にしましょうよ、ね?」
「面白さなんて、必要か?」
「必要よぉ」
 ローゼリカはくいっと指先を動かして見せた。
 次の瞬間――――
「うわっ、え、ちょっ!」
「ぐあっ!?」
「ひっ――――!」
 祭壇近くにいた神官の身体が、無理に引っ張られるように動き出す。そして流れるように腰に佩いた剣を抜き、それを躊躇いなくサフィールの喉元に突き立てた・・・・・・・・
「なっ、サフィール!」
 血の匂いが、敏感な魔女の鼻に届く。
「致命傷じゃないわ。ちょおっと出血は多いかもしれないけど、ほら、ここら辺、縁の当たりだから死んでない死んでない」
「お前!!」
 刺した本人だけでなく周りの神官も目を剥くが、術が発動しているのか、それとも迂闊に動くとどうなるのか分からないからか、その場は膠着していた。


 誰も、動きやしない。
 今ここでサフィールに死なれては困るはずなのに。


「刃物を突き付けて脅すだけじゃ、貴女相手に足りないわ。巡りの魔女、貴女なら一瞬の隙に回りを蹴散らし、刃物を飛ばす方法を探そうとする。そして、やりようによっては、それは不可能なことじゃない」


 容赦のないやり口。脅しが半ば脅しではなくなっている。
 女は、リリアンヌを嬲り、地に堕としたくて仕方がないのだ。リリアンヌを傷付けるために、サフィールが傷付けられている。


「まどろっこしいのは嫌いよ。分かりやすく行きましょう」
 次はサフィールの胸の上に剣が翳される。
「魔女! 話が違う! これをここで殺されては困る!」
 神官長がまた人でなしなことを叫んだが、ローゼリカは取り合わなかった。
「話? よく分からないわ。私の一番の目的は、この魔女を恥辱の極みに落とすことよ。破滅させることなの。その過程で必要なことは、何でもするわ。もちろん、その子が欲しいとは思っているけれど、それよりはこちらの魔女を始末する方がずっと大切なの。結果的に、その子が生き残ってくれるといいわね? 精々そこでお祈りしておきなさい」


 優先順位が違うのだ。
 この女が一番に固執しているのは、美しい玩具としてのサフィールではなく、リリアンヌの惨めな敗北の方なのだ。


「自分で助けられるなんて思わないことね?」
 カツン――――
 一歩、ローゼリカが踏み出して来る。
「さぁ、巡りの魔女、可愛いあの子を死なせたくなかったら、両手を上げて?」
「……………………」
 耳に届く呻き声、すすり泣きは聖女のものか。
 出血はどの程度だろう。この魔女のことだから、薄皮一枚程度で済ませているはずがない。そこそこの傷になっているはずだ。出血が多ければ、その内に間違いなく死ぬ。繰り返すが、加護は万能ではない。
「抵抗しないでね? どんな術も放っちゃ駄目よ? その前に、あの剣があの子の胸を貫く方が早いし」
 リリアンヌは、無言の内に両手を上げた。ローゼリカがそれを見てうっそりと笑う。
「貴女が何もせず、私のすることに従ったら、あの子の傷をすぐに塞いであげる。ほら、私もあの子を無駄に殺したい訳ではないから、ここで嘘は吐かないわ」
 残念ながら、サフィールは人質としてとっても価値がある。拾い子の命を盾に取られれば、そう無闇に抵抗はできない。
「うふふふ、可愛いことね、巡りの魔女。人間一人のために、随分大人しくなっちゃって。情でも移った? 孤高を好む貴女が、随分なザマね?」
「何とでも」


 目と鼻の先で相対する、二人の魔女。


「じっとしてるのよ?」
 ローゼリカの伸ばした指が、リリアンヌの喉元に触れた。
「ぐっ……」
 少しの熱と首にぐるりと呪が巡る感覚。自分では見えないが、何を刻まれているのかは分かる。


「……セベトゥの呪詛」
「えぇ、有名で高等な魔女封じ」


 以前、サフィールがリリアンヌに施したウラエウスの制石とは比べものにもならない、数段上の魔女封じの術。
「アンヌ……!」
 祭壇の上から悲壮な声が届いたが、リリアンヌにはどうしようもなかった。力を発露させるべき入口が、全て塞がれている感覚。一部の隙もなく遮断されている。これでは何の術も発動させられない。


「さて、今ここにいるのは哀れな魔女! いえ、力を封じられているのだもの、魔女と呼ぶのも相応しくない。ただの、ひ弱な女が一人」
 リリアンヌを前に、ローゼリカが愉しそうにくるりと一回転してみせる。
「でも、これだけじゃ不十分ねぇ? だって、封じてるだけだもの」
 獲物を捕らえた、残忍な狩人の目。



「ふふ、本当にただの女になってもらいましょうか」



 あぁ、本当にこれは嫌な女だ。
 リリアンヌは心の底からげんなりする。


「セルジュ、お前がやりなさい」
「――――仰せのままに」
 狙いは、分かっていた。
「声は上げても構わないわ。沢山聞かせてちょうだい? でも、抵抗はよしなさいね?」
 ローゼリカに付き従っていた男が、近寄って来る。
「貴女が私とは違うタイプの魔女で、本当に良かった。こんな楽しい余興、なかなかないわ」
 男の手がリリアンヌの肩にかかる。触れられても、リリアンヌは微動だにしなかった。
 力を封じられている今、リリアンヌは本当にそこらの娘と変わらない非力な存在だ。自分の身の丈より随分大きな男相手に、敵うはずがない。


「さて、その処女を、望みもしない男相手に散らしてみましょう? そうして、本当の本当にその力を喪失しましょうか。うふふ、命までは奪らないでいてあげるわ。そこまでしなくても、貴女も方々で恨みを買ってるでしょうから、他がどうとでも嬲ってくれるでしょうし。私はその可哀想な末路を、特等席から見物していてあげる」


 掴まれた肩にちょっと力を込められたら、笑えるくらい簡単に彼女の身体は床に押し倒されていた。


「アンヌ、やだ、アンヌ!」
「ローゼリカ」
 拾い子の切羽詰まった声を聞いて、リリアンヌは得意げな顔をした女を見上げた。
「なぁに?」
「早く止血しろ。人間は私達よりずっと脆い」
「あぁ、そうね。約束したわね。力を封じられた貴女はもう私に従うしかない訳だし。……いいわ」
 ふぅっとローゼリカが手の平に息を吹きかければ、そこから影に質量を与えたような、真っ黒で小さな尾長の鳥が現れる。小鳥はその手のひらから飛び立ったと思ったら、サフィールの元へ降り立った。
「純粋に傷口を修復するだけのものよ。これで、思い残すことはないかしら」
 見ていれば、それがおかしな術でないことは分かる。リリアンヌは一つ頷いてみせた。
「さて、では続き」
 男の手が、リリアンヌのドレスを捲り上げる。冷たい空気が腿に触れる。
「初めてはちょおっと痛いかもね? 泣いちゃうかもしれないわぁ」
 まぁ想像できなくて当然なのだが、リリアンヌは既に処女ではない。濡れなければ痛いかもしれないが、初めてだから痛いだろうというご期待には、残念ながら応えられないだろう。


 だが、状況的には十分にマズかった。
 確かに、初めてではない。処女喪失とはならない。
 だが、処女云々が問題なのではないのだ。


 サフィールは特別だった。
 リリアンヌの血を存分にその身に得ていたという稀有な条件を持っていたから、リリアンヌの力の源を犯すことはなかった。
 けれど、この男は別だ。サフィール以外は、リリアンヌには等しく毒なのだ。今ここでこの男に犯されれば、リリアンヌは力の源そのものを犯される。
 それはつまり、力の喪失。魔女としての死を意味する。
 冗談抜きで、リリアンヌはただの女に成り下がる。


 こんなところで公開蹂躙なんて、さすが性根が腐っているヤツは違うな、と彼女は思う。本当に悪趣味なヤツだ。


「アンヌ! アンヌ駄目だ、逃げて、どうとでもできるでしょう、アンヌ! オレのことなんてどうでもいいから、アンヌ!」
 拾い子のこの必死の叫びも、ローゼリカにとっては舞台を盛り上げる演出の一つでしかない。
「っ」
 男の手が、腿の内側にかかる。
「さぁ、巡りの魔女、存分に啼き声を聞かせてちょうだい?」




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