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27.それは、彼女が拾わなかったもの
しおりを挟む乗り込んだ先に、彼女の拾い子はちゃんといた。もちろん生きている。
けれど祭壇の上に横たえられたその喉元には、側に立つ男が剣の鞘を突き付けていた。
胸元に縋り付くようにしているのは女。状況的に、あれが件の聖女様なのだろう。
「さぁ、その子を返してもらおうか」
リリアンヌの登場に、その場の全員がぎょっとした表情で彼女の方を振り返った。
思ったよりも早く登場し過ぎただろうか。
どいつが先に口を開くだろうかと、腕を組みながら遠く先の祭壇を見つめていると、全く別の方向から声が飛んできた。
「あらぁ、いらっしゃい」
聞き覚えのあるその声を辿り首を巡らせると、彼女と似たような装いに赤の瞳を持った女がひらひらと手を振っていた。
「ローゼリカ」
思った通りの人物の登場である。
その存在に気付いていなかったのだろう、またもや神官達がぎょっとした反応を見せた。
まぁ魔女の神出鬼没さは一般人には慣れないものらしいのでそう珍しい反応でもないが、いいように振り回されている感が滲み出ている。
「待ってたのよ?」
「遅かったか?」
問い返せば、ローゼリカは苦笑した。
「まぁねぇ」
ローゼリカの後ろには男が一人。神官とは装いが違うから、恐らくローゼリカの従僕だ。
この女は、あの男のように自分のお気に入りの一人に、サフィールを加えたいのだろう。
「あれから何年経ったかしら。そりゃあ何年も何年も何年もこの日を待っていたに決まっているでしょう? 遅かったと言えば遅かったわ」
歌うように述べられる口上。
「あぁ、でも楽しみだわぁ。待った時間が長いほど、喜びもひとしおってね?」
「随分回りくどいやり方だけどね。裏からあれこれ手を回して」
「気に入らなかった?」
「やり方が陰湿だ」
「魔女らしくていいでしょ」
この女の相手をすると会話が多くて敵わない。ちらと視線を滑らせれば、他の人間達は魔女二人のやりとりを静観していた。迂闊に手は出せないし、できればここで二人が潰し合ってくれればいいと思っていることは、簡単に察せられた。
「経緯を、説明しろ」
はぁと大きな溜め息を吐いてから、リリアンヌはローゼリカに言った。
「それくらいはしてくれてもいいんじゃないか?」
おしゃべり好きのこの魔女のことだ。要求すれば、仕掛けて来る前に得意そうに話くらいはしてくれるだろう。
「なぁんにも知らないのかしら?」
案の定、問答無用と実力行使には及ばず、乗って来た。
「ウチの子が、そこの聖女様とどうやら関係があるらしい、ということ以外は」
「そうでしょねぇ。分かるわ、興味なかったものね? きっと私でも、同じ」
にっこり。
たっぷりと笑みを浮かべて、ローゼリカは語り出す。
「あのねぇ、あなたのとこの拾い子ちゃん、神殿出身なの。生まれも育ちもずっとここ」
生まれも、育ちも。
神殿の近くには救貧院も併設されている。そちらの出ということだろうか。
いや、それでは“聖女に所縁がある”という表現が当てはまらない。近くの救貧院出身なのを“所縁”というのは、少々強引だろう。
「孤児を世話してたとか、そういうことじゃないわよ」
リリアンヌの内心を見透かしたように、そう言われる。
「ここで、生まれたの。あそこの――――」
すっと持ち上げられた腕。長く整えられた爪が、祭壇の上を示す。
「女の胎からね」
線の細い、綿菓子みたいにふわふわ捉えどころのない雰囲気を纏った女が、示されて肩を強張らせた。
「は?」
「おい、余計なことを」
「口出ししないでちょうだい。この魔女だって今や当事者よ。事情くらい教えてあげても良いじゃない。第一、この魔女が気まぐれを起こして今の今まで生かしていてくれたからこそ、その子は今そこにいるのよ? でなければとっくに野垂れ死んでいたはずよ? ねぇ?」
渋い声を上げた男の一人を、不機嫌そうに睨みローゼリカが黙らせる。
一方リリアンヌはぽかんとしながら、示されたその女の方を見つめた。
「――――いや、聖女、だろ?」
呆然としながらもそう問う。
血縁者という可能性は考えていた。弟とか近い親戚とか。
聖女の力の顕現は偶発的なもので、脈々と継がれるものではないと聞いていたが、場合によっては似た力が現れる場合もあると言う。それなら、サフィールが常に身に纏っている加護にも説明がつくとは思っていた。
けれど、聖女の胎から生まれたとは。
つまり、それは、サフィールが聖女の息子ということではないか。
しかし。
「聖女とは、神に仕える清らな存在では? 処女性が求められるものだと認識していたが、私の知識が最早時代遅れか?」
在任中の聖女が男と関係を持つなど、常識的には考えられないはずだ。
「大丈夫、そんなことはないわよぉ」
ローゼリカはリリアンヌの常識を否定はしなかった。
「うふふ、こんな醜態、どこにも漏らせないけれどね、そこの聖女様は男を知っているの。もちろん、それを知っているのは極々一部の人間だけよ。ここにいる上級神官だけでしょうよ。王様にも、報告はできないわね?」
遠く、横たわるサフィールを見遣る。その顔に動揺の色はない。本人も認める事実だからだろう。
「まぁでもアレよ、過去を遡ってもこういう例が一つもない訳じゃないわ。こんな閉鎖空間だもの。そこに糖蜜漬けにされた、大事な大事な穢れのないお姫様がいるんだもの。間違いの一つや二つ起こるわよぉ」
側にいる聖女と見比べる。
榛色の髪には覚えがあった。リリアンヌの血に影響される前の、サフィールの元の色と同じ。
瞳の色は青は青だけれど、遠目に見ても違いがあった。彼女の拾い子の瞳の方が深い色を湛えている。
顔つきはどうだろう。両者とも綺麗な造形はしているが、似ていると言うほどだろうか。この距離では判じきれない。
「父親は」
「うふ、そこで眉間にシワを刻みまくってる男よ。神官長。ここの一番のお偉いさん。好き勝手してるわねぇ?」
それは、サフィールの首元に鞘を突き付けている中年の男だった。
リリアンヌは親子の情愛をそれほど信じてはいないが、それにしてもその容赦のない態度は、親の態度には見えなかった。まぁそんなものがあれば、サフィールはそもそもあんな状態で森に捨てられなかっただろうし、今回こんな目にも遭っていないだろうが。
「あそこの男と聖女様はね、アヤマチを犯しちゃったのね。その結果があそこの彼なのよ。でもほら、公にできる存在じゃないじゃない? 幼少期から奥の区画に閉じ込めて、その存在を隠してたみたいよ? もちろん、聖女様はロクに子育てなんてしてないでしょうね。してちゃマズイし。隠しきれないもの」
「…………よく分からないな。隠すのなら、それこそ近くの救貧院にどこの子と知れない捨て子として放り込んだ方が、色々と都合が良かったのでは? こんな静謐な場所では、赤子の夜泣きが大層響くことだろう」
「そうねぇ、その通り。でもそうするには、少し不都合があった」
不都合。
「貴女にも心当たりがあるんじゃなくて?」
木の葉を隠すなら森へ。
けれど、それが全く色の違う葉だとしたら。
「…………加護か」
「そう! 不自然なくらい、その子には加護がついていたの。周りが、何か特別な力があるのではと勘付いてしまうほどにね。その加護を、勘のいい人間なら聖女と結び付けて考える可能性があった」
高いところから落ちても掠り傷一つ負わなかったり。荷馬車が突っ込んで来ても、理屈では説明できない動きで彼だけを避けたり。棚から落ちそうになった瓶が、まるで見えない誰かの手に押し戻されたように元の場所に収まったり。
きっと、そういうことが頻繁に起こった。そんな状況をいつまでも“偶々”では誤魔化しきれない。
「聖女の処女性は、魔女のソレとはちょおっと違うわね」
ローゼリカの声に、リリアンヌは意識を引き戻される。
「処女性を重んじる理由は、処女そのものに神聖さがあるからではないの。処女を失うってことは、子を孕む可能性があるってことよ。そして子を生み落とせば、時にその子どもに力が移ってしまう可能性がある。力の喪失と言うよりは、移譲ね」
聖女と魔女が使う力の源は同じだが、前者は“人間”の枠に収まり、後者は人間と似て非なる者、“魔女”という種族だ。違いがあるのは当然。処女を重んじると言っても、その理由が少し違う。
「子に加護の力が顕現した時、けれど聖女の力もまた失われはしなかった」
だから、力の移譲ではないと判断したらしい。聖女は聖女として、その後も神殿での務めを続けた。
けれど。
「生まれたのが女の子なら、また話は違ったのかもねぇ」
サフィールには虐げられた様子があった。ただ軟禁状態にされていただけではないはずだ。
「ある日ねぇ、聖女様の力に翳りが見え始めちゃったの。そのことに、事情を知る者達は慌て始めた。理由はまぁ、分かるわよね。聖女様がするように何か御業を扱うようなことはなかったけれど、子どもの加護の力はあまりに大き過ぎた。年々強くなっていった。疑うには、十分」
きっと邪魔にされた。まともな扱いを受けなかった。
けれど加護の力があるから、そう簡単に子どもを殺すことは叶わなかったのだろう。
「そうそう、その当時、神殿の様子を疑う勢力があったことも理由の一つよね。結論はお分かり?」
「…………面倒なものは、消してしまえばいい」
加護は強力だけれど、不死を約束する万能なものではない。
「正解!」
話の重さと正反対の軽やかな声が上がる。楽しくもない話題を、ローゼリカは実に愉快そうに語る。
「奴ら、子どもをできるだけボロボロにして、惑いの森に捨てたのよぉ。何かを捨てるのに、あそこほどうってつけの場所はないものね。邪魔なものは、消せばいい。どれだけ運が良くとも、あんな魔性の森で人間が生き延びられるはずがない。存在さえ消してしまえば聖女からの力の流出も抑えられるはずだし、誰かが神殿に乗り込んで来ても、見られて困るものもなくなる」
身勝手すぎる話だ。反吐が出る。
自分達が勝手に盛って作った子どもだ。最低限の責任というものがある。
子を成すことのリスクだって、十二分に自覚していたはずだ。それを、この大人達は考えなかったというのか。神官長ともあろう人間が、考えられなかったのか。聖女とて、いい大人だったはずだ。
「ボロボロに…………捨て?」
ふと見ると、聖女は呆然と息子と神官長の間で視線を彷徨わせていた。
まさか、知らなかった?
本当にそうだろうか。
気付かないフリを貫いてきただけじゃないだろうか。その方が楽だから。
リリアンヌは直感的にそう思う。
自己保身が恐ろしく上手い人間というのはいるものだし、自分に都合の良い事実だけを器用に拾い上げて繋ぎ合わせるのが得意な人間も、この世には腐るほどいるものだ。
「でもねぇ、せっかく頑張って処分したって言うのに、聖女様の力の衰えは何故か止まらなかった。緩やかにだけれど、年々目減りしていく。力の流出は譲る先がなくなれば止まると思っていたのに、どうやらそういう理屈ではないらしい。では代わりが務まる者をと方々を探しても、まぁ聖女なんて、そうぽんぽん見つかるものでもないしね。神殿も段々と形振り構えなくなってきた訳よ」
それはそうだろう。神殿での祈りは、国にとっても欠かせないものだ。気持ち的なものではないのだ。
実際に聖女が祈りという名目で力を巡らせ、王都を中心にこの国の気を均しているという事実があるのだから。
聖女の祈りだけで国が平らかである訳ではないが、なくても良いと軽視できるものでもない。
「そして、一つの可能性に思い当たった」
追い詰められた神殿は、それはそれは必死に方策を、原因を考えたことだろう。
「あの時の子どもは、本当に死んだのか?」
それもまた、一つの可能性。
そう、だって彼らは子どもの死を見届けはしなかったのだから。
「そんな時に思いもかけない情報が入ったのよね。どうやら、死んだはずの子どもと酷似した条件を持つ青年がいるらしい。年の頃も、生きているなら同じくらい。その子どもは魔女と共にいて、その魔女が住まうは惑いの森」
随分な情報だ。
リリアンヌは、本当の本当にサフィールの情報を慎重に隠してきたのだ。並んで街に出ることはあっても、容姿を誤魔化し、そして仕事には決して連れて行かなかった。
森に住まう一部の人外の者達以外で拾い子を知る存在は、本当に限られている。
そう、その限られたうちの一人が、今目の前にいるこの女。
「その情報元はお前だろう、ローゼリカ?」
「えぇ、ご名答! リリアンヌ、貴女にいつぞやの借りを返す、絶好の機会だと思ったの」
聖女に所縁がある、がいつの間にか魔女に所縁がある、に変わったのは、そこにローゼリカが介入したからだ。まぁ結局探している対象は聖女にも魔女にも所縁があったので、どちらの情報も間違いではなかった訳だが。
「神殿はね、そこの聖女様に力を還そうとは思っていないわ。一度流れたものを逆に戻すのは、とても難しいことだもの。だからね、川の流れは変えずに、更に次へ流すつもりなの」
ピクリ、リリアンヌの片眉が跳ね上がる。
「――――なんだと?」
とても、とてもとても不愉快なことを告げられている気がした。
「子を成すことで力が流れる可能性が高いのよ。なら、今彼に留まっている力を、次に継がせればいい」
尊厳、という言葉があまりに軽々しくリリアンヌの目の前から吹き飛んでいく。
「お嫁さん候補は沢山用意してくれてるんですって! 彼に求められているのは、血と力を繋ぐこと。子どもをね、次代の聖女を作ることなのよ」
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